「二十年越しに出会った、やさしい物語」 ”善作に重なる我が家の記憶“
あれは、もう二十年以上も前のことになります。
町の広報誌に、地元に伝わる昔話が掲載されていました。
何気なくページをめくる中で、ふと目に留まった一編の物語。
そこに登場する家の場所が、なんと我が家の住所と同じだったのです。
祖父の時代に移り住んだ所でしたが、
その場所に、その様な物語りがあった事に驚きました。
ただそれだけの偶然なのに、不思議と心が引き寄せられ、
「いい、話しだなぁ」と、静かに胸に残っていました。
それから二十ニ年が過ぎて
時を経て、私は一冊の本に出会います。
その本は、地元に伝わる伝説、民話集でした。
ページをめくったその瞬間、思わず息をのみました。
あの時の物語が、そこに載っていたのです。
驚きと、そしてどこか懐かしい嬉しさが、胸いっぱいに広がりました。
その話の主人公は、 「善作」。
この村に住んでいた善作は、働き者で心優しい若者でした。
朝早くから田畑に出ては、家を出るとき必ず母にこう声をかけます。
「かあちゃん、きつかったら、ゆっくりしちょってよかばい」
その一言に、どれほどの思いやりが込められていたことでしょう。
母は、そんな息子を誇りに思いながらも、
「この子ばかりに、苦労はさせられない」と、共に懸命に働きます。
貧しい時代の中で、親子は支え合い、日々を真っ直ぐに生きていました。
善作は村の行事にも進んで参加し、困った人の手助けもしていました。
その働きぶりは、誰もからも認められ感心されるほどだったといいます。
やがてその孝行ぶりが認められ、
寛政七年(1795年) 豊前小倉藩主
小笠原忠苗による表彰の場に選ばれました。
当時の百姓は,重い年貢を荷せられ、違反に対しての罰則も厳しく、この村の農民も多分にもれず貧困にあえいでいました。
そこで、藩政府は厳しい事ばかりでは民心はつかめないと考え、年貢の成績の良い者、高齢者、孝行者、貞女等を表彰する事にしました。
藩内、五百人余りを集めて開催され、その中に、善作の姿もありました。
大釜に用意された酒、戸板いっぱいの餅やご馳走。
それまで見たこともない光景に、善作は心から喜んだそうです。
その姿を思い浮かべると、
慎ましく生きてきた人に訪れる、ささやかなご褒美のようで、胸が温かくなります。
善作の墓は、今もなお地元の地に残り、
地域の人々によって大切に守られていました。
かつては小学生たちがお参りに訪れていたそうです。
子孫の行方は分からなくとも、
「人としてどう生きるか」を教えてくれる存在は、
時を超えて受け継がれていくのですね。
たまたま目にした一編の昔話。
それが、二十ニ年の時を経て、再び私のもとへ戻ってきました。
まるで「忘れないで」と、
そっと語りかけてくるかのように。
あのとき感じた温もりは、今も変わらず、
心の中で静かに息づいています。

