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【なかなか始められないあなたへ】 それは取り組む前から完成形を求めてくる『ヤツ』のせいかもしれない

言葉にしようとすると
言葉にならなくなるのは
なぜなのか。

『人の為に役立たなくてはいけない呪い』みたいなのが、意識の後ろの方でぐにゅぐにゅ悪さをしている気がする。

友達と話しているときや、ひとりでかんがえているときなら「これ書きたいな」と思える事があるのに、形にしようとすると蜃気楼を掴もうとして呆気にとられている人みたいになってしまう。

たとえば、ユーザーネームに込められている思い出とか、AIとの対話で自己理解を深める事とか、教育虐待サバイバーとしての話とか、すごく好きなものがすごく自分を制限するものになってしまう話とか、頭の中で見えているのに。

いざ書こうとすると、(まぁ書いた事ないんだから当然だ)どこから始めていいかわからなくなる。
その思考の混乱の元になってるのが「でもそんなん読んだ人にとってなんの役にも立たないぜ?」っていう始まる前に終わらせてくるヤツ。


『ヤツ』? だれだよそれ?

ヤツは、ことが始まる前に既に完成形が存在する事を求めてくる。
完成された、目にした人の役に立つものでなければ、お前に存在意義はない、という無言のプレッシャーをかけてくる。

やり始めて、
少し行き詰まって、
解決策を探して試して、
有意義な失敗をして、
どこかで現状に及第点を出して、
とりあえず存在させる。

というプロセスそのものを「プークス、なんか底辺で足掻いてるんだけど、笑えるー」と嘲り倒して萎縮させるすごく嫌なヤツである。

この『人の役に立たなくてはいけない呪い』に抵抗しつつここまで書いてきて気付いた大切な事:
深く考えず、楽しそうな方向にいく。
これ大事。


何が出来ていないかではなく何が楽しいか

ヤツの呪いは常に「今出来ていない事」に目を向けさせる。
それをまぁ適当に無視して、書き出してしまう。このノートもそうやって書きはじめた。これは【秘伝ー開き直りの術】で出来ない事をネタにしてしまう良い例だね。その後もちょっとふざけた感じで『呪い』の話にしてノリで続けちゃう。そうやって、今できていないことより、今楽しいことをもっと続ける。

今までヤツの呪いに負けてそもそも何かを始める事自体が難しかったのだから、始めてみてすごく快適に上手くいくわけがない。ここでも【秘伝ー開き直りの術】で今やっと始めたこと自体を祝ってしまおう。

目次機能を見つけて、適当に付けてみた変な見出しがそのまま目次になっているのをみて、『アウトラインもなしで何をするつもりだったの?馬鹿なの?』と行ってくるヤツを無視して、、目次を今ここに追加してしまう。

だって初めてだし。
ここに目次を入れても意味はないけれど、へぇこうなるんだ、って楽しいし。という気持ちを大切にするのがヤツを無力化するにはいいよ、というデモンストレーションとしてやってしまう。

「どうせ」「こんなもの」書いても「誰の役にも立たないし」などというヤツの常套手段である『自己卑下のやまびこ』にふらふらしている暇があるなら、いっそのこと開き直って、
出てきたものを、楽しんで、
楽しいことを、もっと、もっと、
それを一塊の何かが出来るまで、しばし続けてみる方がずっと有意義に「どうせ誰の役にも立たない」時間を過ごせるのではなかろうか。

その際、出来上がって出てきたものは、そのまま愛でるのがとても大事である。


こんな記事でも書いてみるとドヤツカの為になる

何か伝えたい事をいざ言葉にしようとすると難しくなる現象に潜む自己批判と、そのトラップにいつも通りの反応をしない方法をここまでノリで書いてきて、いくつかすでに自分が得られるものがあった。

  • 楽しんでとにかく書いて、送り出すまでをやり遂げた達成感

  • ヤツに打ちのめされずに自分の中の良さそうなものを求め続けた実績

  • このくらい書くとこのくらいの文字量なんだ、へー、という感覚

  • 推敲する練習台ができた。

ふむふむ。良いではないの。
『ヤツの呪い』に抵抗したら『ドヤツカの祝福』になりました。
めでたし、めでたし。


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