noteを信ずるものはnoteに救われる ✨ note信者のnote賛歌はnote愛を叫ぶ
note好きすぎて
note note 言うためだけに書く記事です。
ぴったりなサムネもお借りして。
さぁnote賛美と参りましょう。
ちょっとスピリチュアルっぽい話でもあります。でも賛美する対象は日本らしく、よろずのかみ、かな?
私はかなりカルトっぽいクリスチャン集団育ちです。
【神を畏れることは 知識の初めである】
そんな聖書の言葉が廊下に貼ってあるお家で育ちました。
それを読んだ幼稚園児としては、なんか納得してしまい、ああそうなんだ。となぜかストンと理解しました。(笑)
色々あって、私はクリスチャンですとは言えないし言わない自分にたどり着きましたが、人知を超えたものに導かれている、というコンセプトととても親和性の高い思考をしています。
noteに辿り着いたのはわずか一ヶ月前ですが、辿り着くべくしてnote始めたんだな、と思っています。
むしろ、noteの健康への効果が研究されるべきだと思えるレベルで、note信者になっています。
ここでnoteという言葉に内包されているものは、noteワールドが創生し存在を可能にしている素晴らしいもの全てです。
一言で言うなら【愛】
よし。
スピっぽくなってきた( ̄ー ̄)ニヤリ
真顔で言ってます。(笑)
いや、真顔だから。
笑ってるけど。
真面目なの。
noteの設計した人達、優しすぎるだろう、と毎日平均3,5時間以上noteワールドで自由にお散歩する私は思います。
ジャーナリングで夢が叶うとかいうレベルを超えている。
だってnoteでそれをやるということは、共同体が[わ~~っ]と一緒になってジャーナリングしているわけよ?
これはもう、ずっとお祭りしてる様なものよ?
思考は脳波として測定できるもので、幸せを感じているときの生理学的な数値にはいろんな特徴がある。
似たような周波数がそこでを掛け合わせるとらより力強いものになっていくのはスピリチュアルでも何でもなく科学的な話で、みんなで一緒になってドンドコドンドコやると色んな生体数値が幸せな方向に皆で一斉に上がっていくのは自然の当然の在り方。
noteというプラットフォームに散りばめられた色々な構造的仕掛けは「みんなで一緒にドンドコ」しやすくなる様に出来ている。
(ように、私にはみえるの!)
だから、noteは【愛】増幅装置。
noteの素晴らしさを宣教したくなっている私はnote信者。
熱が入ってつい前置きが長くなりました。
noteを知ってはいたけれど何年もアカウント無しでググ検索結果に出た記事を読むだけでスキの存在も知らなかった私が、今年このタイミングでnote始めたのは、何かに導かれたとしか思えないのです。
これ、どんなタイミングだったのか説明したほうが、伝わりやすくなるのかな、、?
まよったら兎に角やってみよう!
さぁれっつごー。
・1月
お仕事を休ませてもらって充電期間をとっていました。
その中でやっぱり自問したりジャーナリングしたり、色々と振り返る事で、トラウマタマネギの皮がめくれる。
でもめくってもめくっても、終わりがないトラウマに関する気付き。
もう、ただ辛くなくなりたくて、人生で初めて【母に感謝できる事を全部書き出す】という事をやってみました。
その数日後、音信不通でほぼ絶縁していた母からメールが。
・2月
メールのやりとりでトラウマタマネギの一番内側の層が一気に光にさらされ、なんと芽も出てきた。
1月の終わりのタイミングで生命の樹と占星術に関するオンラインクラスに参加しました。久しぶりに日本語でスピリチュアルなお話をして楽しかった。 水澤順先生ありがとう。
そこで水星の強さや月の弱さという形で自分の課題や弱っているものを強くしていく為にできる事の中で『言葉を上手く使って生命の呼びかけに応える』というものが出てきました。
その後、生命の樹とタロットの対応について調べていてググ検索結果でnote記事に遭遇。
その流れで、唐突にnote登録。
その後起こったnoteで書きながら得たポジティブな変化の一部はこちらの記事で少し書きました。
虐待サバイバーと自称して始めたnote。
一ヶ月で、サバイバー卒業。
・3月
無理ゲー鬼教官だった母からの数年越しのメールでありとあらゆる無自覚だった膿を出し切った気がします。
しかも、、、、
どうしても言ってほしいけど
絶対に聞けない
と思っていた言葉
…それをあっさり言ってもらえました。
『感謝』のチカラが凄すぎて、感動よりも驚嘆で何を感じたらいいのかわからなくなりました。
そんな流れ全体を経験して、私は冒頭の
【神を畏れることは 知識の初めである】
…に戻ってきます。
幼児期に刷り込まれてるからね☆(^_-)-☆
いや、冗談ではなく。
noteの優しさに辿り着き、
noteの優しさに支えられ、
noteは愛だ、と言うに至った
この流れとタイミング。
・もっと前に心に膿を抱えたままnoteを始めていたとしたら、虐待サバイバーのままだったと思います。
・何か目標を持っても挫折しかしていなかったので、一ヶ月で30記事以上もアウトプットし続ける事も出来なかったと思います。
・だからnoteの素晴らしさにも気付けず。
私は、noteやろう!と思っていたから始めたわけじゃない。
noteでジャーナリングしてみんなでドンドコしてトラウマから開放されよう!と目標を立ててここにたどり着いたわけじゃない。
でも、今だからこそ、
noteは愛だよね!
と思える場所にいる。
その全てに圧倒されて、感動して、喜び、大いなる導きに感じられるものの前に『感謝』しようとするとき、そこには私にとって【畏れ】という言葉でしか表現できない厳かな粛々とした気持ちがあって、、、。
そんなのそれ以上言葉では表現できないから
分かりやすく、noteは愛!notesラブ!我はnote信者なり!と叫びたくなるんです。はい。
そんなの全部洗脳とこじつけじゃんって思ったそこのあーた。
(¬_¬) No No!
トイレにでも行っといれ!
私がこれで幸せなら、
これでいいのです。
でも、小さな愛のおすそ分けになったならばとても嬉しく思います。
お読み頂きありがとうございました。
m(_ _)m
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