【短編】最後の大統領(5/6)
第4章:タワーにて
結局のところ、タワーへの潜入は拍子抜けするほどに簡単だった。
「普通にロビーから入れるんだな」と、けだまが呟いた。
「けだまが自動ドアのセンサーを踏んだ時、生きた心地がしなかった」と私は言いながら、胸を押さえた。「そりゃ生きてはいないからな、俺たちは」と、けだまは軽く尻尾を揺らした。
偵察のために先陣を切って向かったけだまが、誤って自動ドアのセンサーを踏んでしまった。だが、普通にドアが開くだけだった。警備ロボ一体もお出迎えせず、離れたところからお互いにきょとんと顔を見合わせるだけだった。
「もっとも、これが計画のうちならこうなんだろうな」と、けだまが言い、警戒しながら周囲を見渡した。
「分かんないよ、まだ油断できない」と私はけだまに同意しつつ、紙の地図を取り出した。最大のセキュリティはネットワークに繋がないことなのだろう。現役の頃から各階の詳細な構造は、この紙だけに記されていたようだ。
「最上階は42階ね」と、私は指でトントンとしながらけだまに見せた。
しかし、随分と高いタワーの割に階数が少ないように感じた。ところどころ天井が高いフロアがあり、それを調整して42階を最上階としているようだ。
「真っ直ぐは向かえないんだな」とけだまは地図を見ながら呟く。
「そう、直通は40階まで。あとは非常階段か、エレベーターを乗り換える必要がある」と私は答えた。
無駄に広く豪華なエントランスを抜け、エレベーターが数機立ち並ぶフロアに着く。長いこと掃除がされていないようで、歩くたびに細かい埃が宙を舞う。ハウスダストアレルギーにはたまらない空間だ。
「ねえ、これだけエレベーターがあるってことは、それだけ人がいたんでしょうね」と私は言いながら、手を左右に振り埃を払いのけた。
「朝は行列、15分前に来ないと遅刻さ」と、けだまは私の頭の上で屈伸し、ジャンプしてエレベーターのボタンを押す。ピッという音と共に、中のカゴが動く音がする。
「不思議ね、通電はしているのね」と私は首をかしげた。
「おかげで俺たちもほら、無線給電で力がみなぎる」とけだまが言う。
「あっ、確かに」と私は納得した。気づいていなかったが、どうやら建物内部は無線給電機能が備わっているようだ。いちいち充電台に乗らなくても充電されるのは嬉しい。
「でも何のためにこの機能は動いているの?」私は頭の上のけだまの尻尾を撫でながら聞く。
「警備ロボもいないからな、無駄だよな」とけだまが同意する。
その時ポーンという音と共にエレベーターが到着する。私たちはそれに乗り込むと、カードキーをかざした。しばらくして扉は閉まり、上昇し始めた。
「正直、このエレベーターから銃を持ったゴツいやつがいっぱい来るかと」とけだまが不安そうに言った。
私は呆れながら返した。「そう思うならなんでエレベーターを呼んだの」
確かに、私もそんな想像はしていた。その反面、絶対にそんなことはないという謎の確信もあった。
「それはつまり、導かれているって、そう信じているからさ、セラもそうだろ」
「うん」と私は同意した。万全を期するなら、ゆっくりと非常階段を上ったほうがいい。しかし、こうして堂々とすることこそが自然だと、そう思えたのだ。ただ、これは大きな誤算だった。もう少し慎重になるべきだったのだ。いや、それすらも計画通りだったのかもしれない。
* * *
階数表示は40階を指した。ドン、と音がして扉が開く。扉の先はずっと真っ暗闇が続いている。その左右には、非常ドアの緑色のランプが見える。
その刹那、ブーとビープ音がエレベーター内に鳴った。
「なんだ、体重オーバーか、セラ、太ったな」
「私は太りようがありません。多分真ん中に移動したからです」と私は冷静に答えた。
エレベーターの重量センサーは通常真ん中に置かれている。さきほどまで、隅にいたため反応しなかったセンサーも、おそらく重心がずれて反応したようだ。
しかし、妙な違和感は私もけだまも感じていたようだ。
「なあ、お前の体重って」
「見た目は華奢な40キロ台です」
「その実、200キロだよな」とけだまが呆れたように言った。
私は頭の上にいるけだまの尻尾を指でグルグルと巻いた。
「ぎゃっ——しっぽを束ねるな!で、このエレベーターの重量制限は」
「300キロですね」とパネル上の表記を確認した。
瞬間、私は全力でエレベーターを飛び出した。ビーという音がバリっという鉄を切り裂く音に変え、姿を現したのは無骨な人型のロボットだ。
「40階でサプライズか、派手な歓迎は大好きだよ」とけだまはじっと相手を観察する。
「とても丁寧に案内してくれそうで安心ね」と私もそのロボットと対峙する。
間髪入れず、そのロボットは何かを投げてくる——手榴弾のようなものだ。
「なんと」とけだまの声が聞こえるまもなく、私は大きく後ろにジャンプする。だが、爆発は想像以上のもので、数メートルは吹き飛ばされた。ダァンと音がして目の前が真っ白になり、そして真っ暗になった。身体中が痛い、というより様々なアラートが上がっている。そのどれもが軽微であることを確認し、あたりを観察する。あの無骨な警備ロボは表情を変えず——もっとも、表情を作れるのかは不明だが、その巨体をものともせず、私たちに接近してくる。
「セラ!」と声が聞こえ、振り向くとけだまがずっと遠くにいた。「こっちだ!」けだまが指す方向は、歪んだ通気口が1つ。私はその方向に走り出す。振り返る余裕はなかった。ただ、すぐ後ろにそれがいるのがわかる。バァンとすごい音がした。私とけだまは何とかその通気口に滑り込んだ。通気口は人間が横になって通れるほどの空間しかない。確かにこれなら追ってこられないはずだ。このまますぐに奥の通気口から出られれば万事問題は解決だ。
私はゆっくりと後退し、足で思いっきりその格子を蹴った。だが、びくともしない。
「痛い」「待て、一旦静かに」とけだまは私の顔の前に背中を当て、もと来た通気口を見る。
「ねえ、もしここでさっきみたいな爆弾を投げられたら」と私は言いながらぞっとした。
けだまもそれが気がかりなようだ。だが、その警備ロボはこちらを一瞥するでもなく、ピタリと動きを止めたようだ。
「何故かはわからんが、どうにか助かったみたいだな」
「でも身動きできない」と私は呟いた。これでは完全に棺桶である。
それからどれだけの時間が流れたのだろうか。幸い、無線給電はこの中でも可能だ。ゆえに稼働停止になることは無いが、相変わらず戻ることも、進むこともできない。
「観察して分かったが、おそらくあいつはかなりの旧型だ。動けるエリア、視認できるエリアが制限されている」
「ここはドメイン外ってことね」
「しっかし困った。おそらく出ればその瞬間攻撃が来る」
「100%それで私たちは鉄屑ね」
「進もうにも、セラの足側の格子はかなり頑丈なようだ」
「まあ、私たちには人間のように寿命はないし、このまま何年も、何十年も待ってみましょう」
「とんでも無いことを言うなお前は」
「今更でしょ。ご主人が亡くなって何百年と私たちはこの街を、この世界を見てきた」
「それが棺桶に移ったにすぎない、か」
1人と1匹は眠る。ある種このような終わり方こそが、最良なのかもしれないと、そう思いながら。
* * *
どれだけ時間が経っただろうか。私は私の時刻を確認する。70年——。今更驚く時間では無いが、この棺桶で目覚めるのは気分がいいものでは無い。
「なあ、足元の格子だが」とけだまが呟く。
「起きたの?」と声をかけ、足元を見ると、ずっと前と変わらず、そこにあり続ける格子。
「よく根元を見てみろ」
「根本……」目を凝らすと、70年前にはなかったかすかなサビが発生している。
「サビてる」「これはチャンスだぞ」とけだまは言い、爪で周りを削り始めた。
「おそらくだが、俺たちがこうしてバタバタしたおかげで、長いこと空調に流れがなかったこの空間に、新鮮な空気が流れたんだ」
そういえば、このタワーは海から離れているとはいえ、風向きによっては潮風のする場所に建てられていたことを思い出す。
「そう、それがこのサビを誘発したんじゃないのか」
「でも、そんなサビ程度じゃ」と私は呟いた。まだ表面に微かにしかなく、強度を大きく変えるほどの影響はない。「けだまも、あなたの爪程度じゃ鉄は削れないから」と私は言うが、けだまは無心でカリカリと格子の根元を削っている。
「そんなことは分かってるさ。ただ、錆止めの塗料くらいは剥がそうとね。ヨシ」と言うと、満足したのか私の手の中に戻ってきてぐるっと丸まった。
「そんなボロボロになって——」
「お前も鏡を見ないほうが良いぞ」とけだまはニヤリと笑いながら言った。
1人と1匹はまた静かになった。あとは恐らくは時が解決する。たまにバタバタと動いて、多少は気流を生み出す必要がありそうだが。
* * *
また何年と何十年と経った頃だろうか。呻き声に私は気付き、目を覚ました。
「けだま」そう呼びかけても明瞭な反応がない。背中をしばらくさすると、ようやく目を覚ましたようだ。
「ダメージが俺自身にもジワジワ蓄積しているみたいだな」とけだまは弱々しく呟いた。見た目以上の損傷があるようで、それは自動回復機能でもまかなえない、深刻なものであることは薄々感じていた。
「ごめんね」そう言い、ぎゅっとけだまを抱きしめる。
「何を謝ることを」と言いながらも、けだまは特にそれ以上動くことはなかった。しばらくの静寂が辺りを包んだ時、けだまは話しかけてきた。
「なあ、もしかしてお前は自分がセラではなく、本当はサヤじゃないかって信じていないか」
私は驚いて、けだまの顔を見つめた。けだまは目を瞑り、口元だけ動かして続けた。
「サヤが死んだのはここのエントランス付近だ。そしてお前が製造されたのもここの研究棟だ。記憶はないものの、何かしらの繋がりを信じていたんじゃないか?」
「私は——」ずっと心のうちで思っていたことを言われて、正直動揺した。
「俺は違うと思うぞ。お前はお前だ。サヤじゃない」とけだまはそう言い、静かになった。
私は「ありがとう」と言い、目を瞑った。いつの頃からか、確かにそうであってほしいと願っていた。そうであれば、きっと、ほとんどの人の願いが叶うから。特に私に強く関わってきた人たちの、ね。
このセキュリティーカードを渡されたあの日、オセロットさんは、ある一点を謝っていた。それはお前が俺を殺そうとしたのではなく、守ろうとしたのだと。その時の記憶は私の中には無い。意図的に消したそうだ。ただ、心の底から感謝をしている顔ではなかった。それに私は気づいた。何が殺そうとして、私は何から彼を守ったのだろうか。それは結局聞けなかった。聞かない方が良いと思ったから。
* * *
強く風が吹いたような気がした。私は海辺にいて、すぐそばにご主人と、けだまが居た。後ろを振り返ると、オセロットさんと、その横に、どこかで見たような女性が座っている。私は何か声を出そうとした。けれど、声は出なかった。ただ、前を見て、青空と入道雲のもとで、波が寄せては帰るのをじっと見ていた。ずっと、何年も何十年もそうしていた気がした。気がついたら私一人が、夜空のもとで佇んでいた。横にも後ろにも誰もいない。私だけが、この広い海岸にいる。寂しいとは思ったが、そういうものだという思いもあった。きっと、何もなければ、このまま、ずっと、こうなのだろう。私は目を閉じ、潮の風と打ち寄せる波の音に集中した。
「おい、起きろ、多分いけるぞ」不意にけだまに起こされる。
「うん?ああ、格子ね」そう言い、思いっきり蹴飛ばしてみた。バァンという音とともに飛んでいく格子。「開いた」そう声が漏れる。あまりの音に警備ロボに気づかれたかと思ったが、特に何の音もなく、静寂は続いた。
「まて、俺が見る」とけだまは腕からするりと抜け、様子を窺いに出た。
「体大丈夫なの?」と私は問いかけた。
「多少動くくらいは」と返し、周囲に目を光らせている。
「こっちは大丈夫みたいだ。階段がある。非常階段か?」けだまはきょろきょろと見回している中、私は紙の地図を取り出した。経年劣化でボロボロになりながらも、辛うじて判別できる。
「避難路、って書かれてる。地図によると、42階とは繋がっているみたい」と私がそう返すと、けだまは、はぁとため息をつきながら言った。
「そんな気はしてたよ」
「イレギュラーも、全てが運命のように」と私は体を滑らせながら外へ出た。何百年ぶりだろうか。少しよろめいたが、すぐに平衡感覚を取り戻す。
階段はうっすら緑色の灯りが照らしている。遠くの非常灯の灯りだ。私はけだまを頭の上にのせ、ゆっくりと階段を上がる。
「どう思う」とけだまが訊いた。
「42階のドアを開けたら、またアレが居ると」と私は答えた。
「でも、行くしかないよな」
「そうね、行ってスクラップ、戻ってスクラップなら、前者よ」と私は手を伸ばした。42階と書かれた重い非常ドア。その横にカードキーをかざす端末が置かれている。ピッと音がして、ロックが解除された。
