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ポーランドの旅🇵🇱(出発からグダニスクまで)

みなさんはポーランドの場所がイメージできますか?

なんとなく、ヨーロッパの東側……そう、いわゆる東ヨーロッパですよね。
ポーランドの東は、今はベラルーシやバルト三国があるので、ロシアとは直接接していませんが、第二次世界大戦前まではソビエトと直接していました。西はこの時期、ナチス・ドイツです。

いや、この表現はとても平和的です。実際はそうではないのです。ポーランドの国土は、東はソビエトが、西はナチス・ドイツが支配していました。国土が引き裂かれていたのです。

国土が引き裂かれることは、母と子、父と子が離れ離れになることです。そればかりではありません。人々の心と心の距離も遠く遠くなっていきます。同じポーランド人なのに、ソビエトに寄り添う人、ナチスから抜け出せない人……同じポーランド人なのに、子どもたちでさえ疑心暗鬼になります。

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妻が「ポーランドに行かない?」と行った時、正直、ポーランドの歴史などまったく知りませんでした。

「首都は……ワルシャワだったよね」
「そう、でも行くところは違うみたい。最初はグダニスクってところに行くみたいよ」

ワルシャワとか、グダニスク?とか……遠い国のことでした。
私は旅行計画書を見ました。知らない街の名前ばかりです。
でも今さらパリやロンドンに行ってもつまらない……

「今、🍀ポーランドってブームらしいわよ

妻の最後の言葉に、単純にも、心がポーランドに向いたのです。
それでも、「東ヨーロッパかあ……」という思いが残っていて、私の心には暗色の布が広がったままだったのです。

📌ポーランド……あこがれのポーランド!

出発前の様子はこんな感じなのですが、それがまさか、帰国後にはみなさんにおすすめする旅行記を綴っているなんて、想像もできませんでした。
旅行って行きと帰りでは感じ方がまったく異なるものですからね。

📌「行ってよかったね」

と帰りの飛行機の座席に座って安心した頃、私が言うと
「そうね」
と妻は、丸いクッションを座席の上部に手で押さえながら、そして頭の位置を確認しながら一言だけつぶやきました。

これからポーランドで撮影した写真をふんだんに使って、ポーランドの魅力を発信していきます。ぜひお読みください。

このnoteの写真はすべて私が撮影しました。

* * *


福岡空港からフィンランドのヘルシンキへ。しかも直行便。東京、大阪ならわかりますが、福岡からは暖かい季節限定(4月から10月まで就航)です。私たちの旅行は2019年のゴールデンウィークでした。ちょうど休みに入る7泊8日の日程です。

参加者は別の空港からの合流のみなさんと女性のインストラクターを含めて20名でした。グループ旅行としてはちょうどいい人数でしょうか。大学を卒業したばかりのような女性から、老父婦までさまざまな年齢の方がおられました。私もまだ現役で働いていますので、ゴールデンウィークのような長期の休暇の時期でなければヨーロッパにはいけません。ウイークディの旅行は高齢者が多く、休み期間の旅行にはまだ仕事を持っている、比較的若い世代の参加が多いようです。

どんな旅行会社を利用したのかは、あえてここでは書きませんが、妻が長年お気に入りの旅行会社で、「私はここの旅行しか行かない」というほどお気に入りです。

妻は数年前に友達から「チケットが一枚余ったんんだけど、一緒に行かない?」と誘われて格安なツアーでトルコに行ったことがあるのです。その時、病気になった対応などで散々な思いをして、もう安い旅行には行かなって頑なに言います。

旅行って、本当に何人も温めてある意味決心をして行くものですから、求めるものは満足感しかないですよね。しかし、日本国内ならともかく海外旅行となると、想定外はつきものです。いろいろなことが発生します。いわゆる旅行慣れしている人だと、「そんなこともあるわよ」で済ませるのですが、トラブルに巻き込まれると、なかなか胸の内が収まりません。結局、旅の最中も帰国してからも、その後思い出すたびにあまり良い思い出が残らないようだと、たくさんのお金を使い一大決心をして行った旅行が「行かなかった方がよかった」になりかねません。

幸い私たちはこの旅行会社を利用してから、そのようなネガティブな思いをしたことはないのです。ですから妻の気持ちも充分にわかります。ですから自分が行きたい旅行があったら、少々高額でも「高い方」を選んだ方が安心です。まあ、それで経済的な制限もありますからね。理想論ではありますが……

さて、福岡空港に集まった私たちが乗る飛行機会社はフィンランド航空でした。

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海外旅行に行く時はいつも思うのですが、こうやって受付カウンターに並ぶ時が一番気持ちが安定していますよね。今から行くぞーって気負いがあるわけでもないし、不安があるわけでもないです。これって私だけでしょうか?ただこれから目の前には知らない世界が広がるんだという期待が胸に広がっている状態でしょうか。そんなにワクワクしてもいないんです。不思議な気持ちです。

それにしてもフィンランド航空のこのデザインをみてください。いかにも北欧のシンプルな生き方のモデルのようですよね。日本のゴミゴミした生活からシンプルな世界に飛びだって行くのです。ポーランドに行くには他のルートもあるでしょうが、フィンランド航空はトランジットでフィンランドのヘルシンキ空港に降り立ちますので、スカンジナビア半島の雰囲気も味わえます。

私たちはいつもエコノミー。フィンランド航空だからと言って特別なことはないです。エコノミーには日本人CAはいなかったように思います。

例によってまずは飲み物サービス。ビールを頼みました。

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この「くまさん」のビールが出てきましたよ。もうすでに北欧の感じですね。ぜひビールは「フィンランド・ビール」をおすすめします。

機内食は特別なものはないです。その時の雰囲気で……私たちはこれでした。


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エコノミーなのでこんなものでしょうか。そういえば所要時間は福岡からフィンランドのヘルシンキまで10時間25分、時差はー6時間です。シベリアの北部を飛ぶので窓からは景色はあまり期待できませんね。

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福岡を朝10時に出発して、ヘルシンキ到着は14時25分でした。地球を西に向かうのは時間を有効に使えますね。2019年5月時点では空港内の移動交通システムはなかったので徒歩でした。まあ、そんなに大きな空港ではないので迷うはことないです。ただ注意が必要なのが空港内の食事、ちょっとがっつり食事をしようとすると税金の関係なのか相当高額になります。食事は最終目的地(今回はグダニスク)のホテルまで我慢しましょう。機内食で済ませておくといいですね。

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ポーランドのグダニスクに到着したのは19時30分。フィンランドとの時差はー1時間。日本との時差はー7時間になります。ホテルはQUBUS HOTELでした。

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このホテルはグダニスクの旧市街まで徒歩で行けるのでロケーションが抜群でした。翌日の朝食の様子です。

ポーランドといえば、東ヨーロッパ、東ヨーロッパと言えば何か暗いイメージですが、とんでもないです。ヨーロッパのしっとりとした雰囲気のレストランで朝からボリュームのある朝食を食べることができます。

時代はどんどんと変化しています。昔のイメージから脱却するためには観光業の向上が一番です。それも食事。食事が美味しいと、もうそれだけで、旅行全体が満足したものになりますね。

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やはり、ウインナーやハム、乳製品が多い印象です。朝食を済ませて早速歩いてグダニスクの旧市街に行きました。

ここでグダニスクの街について書いてみましょう。日本ではあまり馴染みのない街ですね。イメージ的にはドイツのハンブルグと同じです。13世紀にはこのような港湾都市が連なってハンザ同盟を構成していました。日本では横浜や神戸のイメージです。外国との貿易で富を蓄積していきますが、一方では自由で開放的ではなく、閉鎖的で強権的です。主にドイツの商人が多かったので、一般のポーランド人はグダニスクでは蔑まれていたと思います。ちなみにグダニスクはドイツ語ではダンツィヒと呼ばれています。このような歴史がありますので、この街はドイツとポーランドの攻防戦が何世紀も続いていたのです。

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この写真はグダニスクの旧市街の門構えです。手前は運河にかかる橋です。ここから内部は貿易で富を成した商人たちの住居や商店になります。立派な門ですね。一般の庶民とガッチリと区別していたのです。

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運河の橋の上からの眺めです。異様な形の建物は大型クレーン。貿易船はバルト海からこの運河に入り、この大型クレーンで積荷を下ろしていました。今のコンテナ基地の始まりです。


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これは旧市街に入る門から旧市街を見た風景です。素敵ですよね。下は別の門からの眺めです。私は今回のポーランド旅行で一番好きな写真は下の写真です。城壁の入り口から豪華な内部を見た光景。ひょっとしたらこの中に入れずに外から眺めていた(主にポーランド人)がいたことでしょう。

ポーランドという国の歴史は西と東から攻め込まれ、あるいは富と貧困の差別の中で泣き悲しむ。そのようなポーランドの人たちのことを象徴しているなあと思います。もちろん現代では若い人たちが集まる素晴らしい観光地になっています。それも📌耐えてきたポーランドの人たちの努力の結晶です。

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門から城壁の内部に入ってびっくりしたことがあります。前からウエディングドレス姿の女性が歩いてくるのです。結婚式なのでしょう。しかも……

🍀よく見るとなんと! 日本人じゃないですか!

とっても素敵なカップルでした。ご存知のようにポーランドは親日的。だから国際結婚も多いのかもしれません。素敵な写真ですよね。


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内部に入ってみましょう。ここは住宅街です。たぶん商人たちの住まいだったのでしょう。一部は昔のままで保存されているようです。

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下の写真も面白いです。これは住宅の入り口のレリーフですが、海の女神がハサミのようなものをもっています。これはコンパスです。航海には必要なものです。

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この街並みを通って教会に行ってみましょう。この通りのレリーフや階段などは商人たちの生活が現れています。豪華な飾り付けよりも航海の安全が願いだったのです。

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ポーランドではいたることろに教会があります。どれも大きく荘厳です。前に見えるのは聖母マリア教会です。この教会の中に美しい聖母マリアの像がありました。

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次の絵はヨーロッパ人が考える天国と地獄を表しているそうですが、私のイメージではこの城壁の中に入ることができる人と、そうでない人々(それらの人々の多くは犯罪者とみなされている)そのような差別もあるのではないかと感じました。

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次は黄金の祭壇とステンドグラスです。この街に住んでいる商人たちがどれだけの財産と権利を持つ権力を持っていたかがよくわかります。

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この建物(次の写真)はお城のように見えますが、大きな武器庫なのです。この街を守るためにたくさんの武器が必要だったのです。

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教会を望むグダニスク旧市街の様子です。

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これはグダニスクの1945年の町の様子です。爆撃で破壊されてしまいました。戦争は簡単に歴史ある建物を破壊してしまいます。ポーランドの歴史は破壊と再建の歴史でもあります。

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この写真はとてもグダニスクを象徴している写真です。実はこれはグダニスクに入る入り口、検問があるところなのですが、このように犯罪者を拘束して、ここを通る人に見せるようにしてありました。つまりこの「グダニスクの街に入ったら悪いことはするな」という見せしめなのです。 街の入り口にこのようなものがあるこことがポーランドの歴史を表しています。

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この写真も私が大好きな写真です。グダニスク旧市街にある郵便局です。郵便局でさえこのようなガラス張りで美しい飾り付けがしてあります。

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少しグダニスクの旧市街の写真を掲載します。どれも美しい建物ばかりです。この街並みをみるだけでもグダニスクに立ち寄る価値はありますよ。

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ここでGoogleの航空写真を見てみましょう。下の赤い印がホテルです。歩いていける距離に旧市街があります。左上に聖マリア教会があります。

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さて、私たちはこの旧市街でランチを食べました。なかなか素敵な感じでですよね。

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グダニスクはレフ・ヴァウェンサ(レフ・ワレサ)が働いていた街です。ワレサは電気技師でした。閉塞感の漂う当時のポーランドで、労働組合「連帯」を創設して、ポーランドの民主化を進めました。1990年にポーランドの大統領になりました。ポーランドの現代史の英雄です。

下の写真は「連帯博物館」です。 建物の色がサビついた茶色い色をしているのは労働者の色だと言われています。

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このポーランド旅行はグループ旅行でしたが、一人の若い女性が参加していました。私は彼女になぜこのポーランド旅行に参加したのかを尋ねました。

彼女は大学の専攻がヨーロッパの歴史だといい、ポーランドこそ、ヨーロッパそのものだと話してくれました。実際いつもポーランドは西と東に引き裂かれています。

📌ポーランドを占領した国がヨーロッパを支配するのです。


ヨーロッパの歴史は戦争の歴史でした。ポーランドは、常にその戦争の最前線だったのです。

私はこの話を聞いた時、ポーランドの人たちの苦悩を思い浮かべました。この連帯博物館の錆びた茶色い色こそ、ポーランド人の気持ちをよく表していると思います。

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私たちは再びグダニスクの港に戻ってきました。観光用の海賊船に乗って運河を海の方に下っていくのです。グダニスクは有名な観光地ですので船は満席でした。


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もうすぐ海だという時、運河の右側にこの塔を見つけました。この塔は日本ではあまり知られていませんが、歴史上とても重要なそうなのです。もっと近づいてみましょう。

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📌実はこの場所は第二次世界大戦が始まった場所なのです。1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに攻め込見ました。ポーランドの守備隊はよく守りましたが、ついに陥落して、それからナチスドイツはポーランドに侵攻して行きます。

📌人類の悲劇はここから始まったと言っても良い場所です。

今はポーランドも幸せな国になりました。しかしいつまた戦いに巻き込まれるかわかりません。日本のように東洋の端にある国ではありません。ヨーロッパの東西の境目にある国です。しかも農業国、ポーランド。

📌耐えるしかないのかもしれません。

私はこのポーランド旅行記で皆さんにお伝えしたいのは「耐えてきた歴史」です。それはポーランドのいたるところで見ることができます。


この第二次世界大戦が始まった場所はその象徴です。




帰りの海賊船ではプロの演奏家がギターを演奏していました。

心静かにこの演奏を聴いていると、ポーランドの人たちの心の深さがよく分かるようでした。以下は私のTikTokの動画です。お楽しみください。


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お読みいただきありがとうございました。
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