#体は心の容器です 第二話 美沙【note創作大賞】
美沙(1)
「トモカは可愛いのに、美沙は」
「トモカはスタイルがいいのに、美沙は」
「トモカは頭がいいのに、美沙は」
美沙はステージの中央で踊り歌う姉、早乙トモカを見つめていた。しかし、姉の姿を見るほど、母親の言葉が頭の中を巡り続けた。それを振り払うように、彼女は首を振った。その時、ステージから銀色のテープが観客席の上空へと飛び出した。歓声とテープとリズムが一つに混ざり合い、観客は興奮の頂点に達していた。ステージ上の汗だくのトモカは、イヤホンモニターを落としても、観客の熱狂を肌で感じながら、力の限り踊り続けた。
美沙はトモカの姿を見て泣いていた。自分がなぜ泣いているのか理解できなかった。いや、理解はしていたが、それを認めたくなかった。
終演後、美沙はホールの廊下の隅にある立ち入り禁止の張り紙が貼られたドアをゆっくりと開けた。美沙がドアの隙間から覗き込んだ先に警備員が一人立っていた。
「こちら、関係者以外立ち入り禁止です」
「すみません、招待されたのですが」
「失礼ですが、マスクを外してもらえますか?」
美沙はバツが悪そうに警備員から目線を避けた。
そして軽く頭を下げて、ドアを閉めようとした。するとドアの隙間からステージから降りてきたトモカの姿が見えた。トモカはこちらをチラリと見ると、こちらに気づいていないかのように視線を逸らした。その様子を見ていた警備員は美沙の目をぎろりと睨んだ。
美沙はため息をついて、関係者の入り口をゆっくりと閉めた。
駅へと続く遊歩道は、トモエのライブから帰る人々で溢れていた。多くの人がその興奮で盛り上がる中、美沙は憂鬱という重い鉛を背負いながらゆっくりと歩んでいた。
突然、美沙のスマホが何かに怯えているかのように震えた。美沙は鞄から取り出したスマホを取り出した。フォロワーの一人からDMが来ていた。
どうしたのひとりっココ、ヤバいよさっきの投稿
美沙は何を言っているのか分からず、SNSを確認した。
普段近所のスーパーで事務職として働いているが、副業として【ひとりっココ】という動画配信を行っている。一人っ子最高説を提唱し、毒兄弟や毒姉妹の悩み相談に乗るという動画スタイルで人気の動画配信者だ。登録者数は一万を超え、一人っ子の毒舌エンターテイナーとして知名度が上がっていた。
しかし美沙の知らない動画が自分のアカウントから投稿されていた。
ひとりっココのトレードマークであるニワトリの着ぐるみを被って三人の男と大麻を吸っているらしき動画だった。表情は写らないように隠されていたが、ニワトリの着ぐるみの女が大麻を吸った後にゾンビの如く男の頭や肩に次々と噛みついていた。コメント欄を覗くと既に誹謗中傷で溢れかえっていた。
【これ、やばくない?】
【なんでこんな画像投稿されてるの?】
【ひとりっココ、逮捕案件】
【ひとりっココ、本名 田所美沙】
【うそ、田〇美沙って、私の同級生にいたけどあの子かな?】
美沙の体の芯から震えていた。
動画を削除しようと思ったが、パスワードを変えられていた。美沙がログインできない間も動画の再生数はどんどん伸び、SNSでも一気に拡散された。
「なにこれ。あたしじゃない。あたしこんなことしない!」
美沙がいくらスマホに叫んでも、誹謗中傷と動画再生数の伸びは止まらなかった。
自宅に帰ると、美沙の母から電話があった。来週こちらに旅行に来るから会いに来てもいいかという相談だった。美沙は家族には動画配信をやっていた事すら秘密にしていた。しかし本名まで晒されているので全てを打ち明けた。
美沙の母は電話口でため息をついた。
「毒舌? なんであんたはお姉ちゃんと違って」
美沙は電話を切ると、スマホをベッドに投げた。そして冷蔵庫のビールを開け、一気に飲み干した。スマホの通知が鳴りやまなかったが、その音がまるで自らの葬送曲に聞こえてきた。
ふと、美沙は以前に配信を見てくれていた人からきた質問を思い出した。ひとりっココには様々な兄弟、姉妹のいざこざについての相談が投げ込まれていた。その中の一つの質問だ。
ひとりっココさん、いつもありがとうございいます。「兄なんて先に産まれた赤の他人」っていう言葉を聞いて、毎日嫌だった気持ちがスッとしました。相談事はクソ兄の事です。実は私はクソ兄に三回ヤラれています。誰にも言えません。死のうかとも思ったんですが、死んだらクソに負けた気がして。そんな時に【心交換師】の話を聞きました。知っていますか? この家族には未練ないけど、死にたくはないので連絡してみたいんですが、どう思いますか?
心交換師というワードが美沙の心に残っていた。
パソコンを立ち上げて、SNSの裏アカウントにログインし、震えながらキーボードを叩いた。
――私の心を入れ替えてください #体は心の容器
美沙(2)
結局美沙は眠れずにいた。カーテンの隙間から、新しい一日が強引に始まるかのような眩しい光が漏れてきた。ベッドに正座し、動かずにスマートフォンを見つめる美沙は、何かを待っているかのように静かだった。スマートフォンがショパンの曲を演奏し始めると、美沙は通話ボタンを押してスピーカーフォンに切り替え、ベッドに放り投げた。
「なに」
「私」
トモカの声が美沙の部屋に響き渡った
「用事?」
「動画の話なんだけど……」
「ごめん、お姉ちゃんには関係ないから」
姉はいつも美沙に優しかった。母や祖母が私たちを比べ、姉の方が優れていると言う度に、姉はいつも私の味方をしてくれた。家族の中で私を守るのは姉だけだった。それなのに、姉に対してこんな態度を取ってしまう自分が許せない。
姉はいつも、美沙の悩みを優しく包み込んで答えてくれる。
「関係なくないよ。何かあったら何でも私に相談するんだよ。たった一人の姉なんだから」
美沙の頬が濡れていた。次第に自分で制御できないくらいに嗚咽していた。そして心から何かが零れるように、言葉を吐きだしていた。
「なんでそんなに優しくできるの? お姉ちゃんがうらやましい」
「私は、美沙がうらやましいよ」
「そういうの、同情っていうんだよ」
美沙は電話を切り、素直になれなかった自分に後悔した。その時、スマートフォンが通知音を鳴らし、裏アカウントにダイレクトメッセージが届いていることを知らせた。深呼吸を一つしてから、美沙はそのメッセージを開いて確認した。
――私をフォローしてください。詳細はDMを送ります
アカウント名は、心交換師の相棒と書かれていた。
【心交換師事務所 鍾乳洞】
モーリーは広い鍾乳洞の中に張られている巨大な蜘蛛の巣の上に立っていた。奥から肩と足が大胆に露わになったドレスを着た汐里が現れた。まるで蜘蛛に捕らわれた蝶のようだった。
「十歳がそんな恰好をするな」
「心は十歳でも、体はすでに二十歳なんですよ」
自分より豪華な出で立ちに不満そうなモーリーのそばに人間が乗れるサイズの蜘蛛が現れた。
「乗ってみて! 心交換師モーリー、蜘蛛に乗る。なんか絵本になりそう」
モーリーはマントを翻して蜘蛛を蹴り上げた。蜘蛛はまるでサッカーボールのように鍾乳洞を飛んでいった。そして壁を何度も反射し、巣の下で立っている女性にまっすぐ飛んでいった。
「危ない!」
すると蜘蛛は姿をくるりと蝶に変えて、女性の目の前でひらひらと羽ばたいた。そして女性に話しかけた。
「ごめんなさい、驚かしてしまって。依頼者の方ですか?」
女性は小さく頷いた。女性はデフォルトの女性アバターを使用していた。
「相棒の愛慕と申します。では交換師の元へお連れしますね」
愛慕は羽根を大きく広げて女性をその上に乗せた。女性を巣に降ろすと、汐里は興奮気味に声をかけた。
「はじめまして。心交換師のモーリーとアルバイトの汐里です。モーリーはおっさんだけどご安心下さい。心の交換はちゃんとできるので。できるよね」
「できるよ」
「なので安心して相談し……」
モーリーは汐里の手足を蜘蛛の糸でくるりと縛り、黙らせた。
「すみません、この子アルバイト始めたてなのでまだはしゃいでしまって」
「はしゃいでなんか…」
汐里は更にぐるぐる巻きにされて、蚕の繭のようになった。
モーリーは杖を手に取り、大きく手を広げた。黒マントが悪魔の羽のように激しく羽ばたいた。
「改めまして、輪廻が交わる接点の刹那でお会いしましたね。心交換師のモーリーです。心を交換したいということは色々な事情がお有りだと思います。そちらをお話していただければと思いまして」
「もうこんな自分はイヤなんです」
美沙は感極まってその場に座り込んだ。
動画配信者のことや、先日あった動画アカウントのっとりについてなど、一つ一つを思い出しながら美沙はモーリーへ伝えた。話しながら美沙は何度か涙が流れた。周りに飛んでいた蝶は美沙を慰めた。
「苦労したんですね。わかります。いや、本当はわからないけどわかろうと努力します」
美沙は泣き腫らした目をこすりながら感謝の頷きを返した。
「モーリーは必ずあなたの願いを叶えてくれると思います。な、モーリー」
しかしモーリーは冷たく首を横に振った。
「俺には交換できないな」
「なぜですか?」
「できないものは、できない」
「だったら最初から心交換できるなんて言わないでください」
「最初からできないと言ったら心交換しない師だ。できるものはできる。あなたの心はできないからできないといった」
「じゃあ私にとっては心交換しない師です」
「俺が医者だとして、手の施しようがないとしよう。そうしたら患者のあなたにとって医師ではないということですか? 医師として最善の判断で施さないのだから、判断できることこそ医師だ。民間療法でへんなお茶を飲ませる方がよっぽど医師じゃない」
「そういう理屈よくわかりません! 交換してくれないなら交換しない師!」
モーリーは興奮する美沙の顔を両手で挟み、真正面でじっと美沙の顔を見つめた。
「心を交換するってことは、自分を誰か他人に渡すということだ」
「わかってます」
「あんたは、自分のことが好きだ」
モーリーは自分の顔を美沙と同じ顔に変えた。そして自分の顔を激しく殴った。美沙は目の前で起きている事に混乱した。
「やめてください」
モーリーは一心不乱に自分の顔を殴り続けた。
「ほら、かわいそうだろ。自分がひどい目に遭うのが」
「なに言ってるんですか」
「本当の事を言うと、人は動揺する」
「意味が分かりません!」
殴られる度に自分そっくりの顔が少しずつ腫れていく様子に、思わず美沙は目をつぶった。
美沙が再び目を開くと、そこは自分の部屋だった。モーリーも汐里もいない。蝶も鍾乳洞も何も無い美沙の部屋だった。ふと鏡が目に入った。泣きはらした自分の顔が見えた。そこにあったぬいぐるみを掴むと、鏡に投げつけた。ぬいぐるみは鏡に跳ね返って、美沙の頭にぶつかった。
――もう、私は私から逃げ出したいんだ #体は心の容器
美沙は乱暴に鳴るチャイムの音で目を覚ました。インターフォンを覗くと、父と母が立っていた。来週のはずでは。恐る恐る玄関のロックを開けた。
部屋に入ってきた父と母の表情は硬かった。美沙はその様子を見て緊張した。父が話を切り出した。
「今日は重要な話がある」
珈琲好きの父が、珈琲に手を付けないのが気になっていた。父は鞄から分厚い封筒を取り出し、机の上に置いた。美沙は色が褪せはじめていた封筒を見つめた。
「なにこれ、お母さん知ってる?」
母は目を伏せた。父はその様子をまるで赤の他人でも見るかのように見ていた。そして父はスマホを取り出し、美沙に見せた。そこにはトモカが歌っている画像と共に文字が書かれていた。
【トモカの妹は、毒舌系配信者で大麻中毒】
美沙は心臓の鼓動を少しでも抑えるかのように胸に手を置いた。父は冷たく言った。
「これ以上、トモカの邪魔するな」
美沙の頭の中に、あの言葉がグルグルと回った。
「トモカは可愛いのに、美沙は」
「トモカはスタイルがいいのに、美沙は」
「トモカは頭がいいのに、美沙は」
いつも家族が気にするのは姉の事。美沙は気がつけば声を出していた。
「なんなのよ! いつもお姉ちゃんばかり」
しかし興奮した美沙の訴えに全く動じない様子で、父はスマホの横に”絶縁状”と書かれた1枚の紙を置いた。美沙は苛立ちながら更に続けた。
「口を開けばお姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん。 私は? 私だってお父さんの娘でしょ?」
父は美沙をじっと見つめた。父の目はマネキンのように感情がなかった。そして父はゆっくりと頷き、母の顔を見た。母は首を横に振った。
その後、父は決心したように二度頷き、口を開いた。
「母さんは、父さんが中国へ単身赴任している時に妊娠した」
母は肩を揺らして泣き始めた。しかし父は母をなだめることなく淡々と言葉を続けた。
「あの時、父さんは母さんを許した」
父は封筒を私の方へ差し出した。封筒の口の隙間から、札束のようなものが見えていた。
「でも、許すべきじゃなかった」
父は人差し指でまっすぐに美沙の顔を差した。
「お前、私の愛する大事な家族を凌辱した穢れだ」
そして父は立ち上がると、振り向きもせずに玄関の方へ消えた。美沙は茫然と封筒と絶縁状を見続ける事しかできなかった。
泣いていた母が顔をあげた。突然、美沙の左腕を力強く握った。美沙はその痛みに耐えかねて母の手を振りほどいた。すると母はカラスに荒らされたゴミを見るかのように蔑んだ目で美沙を見た。
「あんたは自分を産ませるためにあの男に寄生したんでしょ。そして私を誘ったんでしょ。おかししいじゃない。私がお父さんを裏切るわけないのに。浮気なんか一度もしたことないのに。そう、私が裏切るわけないのよ」
母は机の上の封筒を握りしめ、美沙に投げつけた。封筒から一万円札が飛び出し、辺り一面に散らばった。
一万円札が部屋中をヒラヒラと舞う中で、母は美沙を睨み続けた。そして全てのお金が床に落ちた頃にその場を立ち上がり、部屋から出ていった。
――私は、姉になりたい #体は心の容器
【心交換師事務所:二次元格闘ゲーム】
体がペラペラの紙のような平面になっているモーリーと汐里は、相手をKOさせるべく華麗な技を繰り広げていた。モーリーがバク転から回転蹴りを繰り出すと、汐里はギリギリでそれを避け、握った拳から龍の炎を放った。その炎がモーリーの顔面に直撃し、彼の体力はゼロになった。
「よし! 私の勝ち!」
モーリーは起き上がると悔しそうに頭をかいた。
「おかしいな……」
「じゃあ約束だから教えて。なんで心交換師になったの?」
モーリーは仕方ないと話し始めた。
「二つ理由がある。一つは、世の中の自殺を止めたいんだ」
モーリーの目は真剣だった。
「そんなことして自殺は防げるの?」
「わからない。でも今のところ、心交換した人達は一人も自殺してない」
「そっか。なんかモーリーのこと少し見直した」
「なぜ俺は見下されていたんだ?」
「もう一つの理由は?」
「それは……もう一勝負だな」
「負けないよ?」
二人は距離を取り、再びファイティングポーズを取った。
そして、激闘の結果、汐里は負けた。そしてモーリーは得意気に汐里に尋ねた。
「なぜ天江はお前と心を交換したんだ?」
「わからない。はい、質問終了」
「ただ寿命の長い体が欲しいんだとしたら、他にも健康な人間が沢山いたはずだ。わざわざお前みたいな事故にあった人間を狙う必要が無かったはずだ。お前の体にはなにか秘密があるはずなんだが、思いつかないか?」
「わからない。はい今度こそ終了」
「そもそも、なぜ天江は心交換ができたのか。それも謎じゃないか?」
HERE COMES A NEW CHALLENGER と頭上に表示され、バンパイヤ姿の愛慕が現れた。
「私はもう一つ気になる事があります。汐里さんのお母様と一緒にいる渋谷という男です」
「あの人嫌い」
「不思議なんです。汐里さんのお母様と恋愛関係になったとしても、なぜそこまで援助をしたのか。むしろ汐里さんのお母様と関係を築く場合には汐里さんの存在は邪魔だったはずです」
「私が邪魔なの?」
愛慕は紳士的な態度で汐里に頭を下げた。
「申し訳ございません。言葉は悪かったかもしれませんが。家族を捨てて生きることにしたお母様にとっては間違いなく邪魔なんです」
そして愛慕は再び目をつぶって熟考し始めた。その様子を見てモーリーは汐里に耳打ちした。
「愛慕の探偵モードの時だけはこうなのよ」
愛慕はメガネをクイッと上げた。
「あの渋谷という男、たとえ意識不明でも汐里さんを生かしておきたい理由があるはずなんです」
――人殺しが人助けですか? #体は心の容器
母が美沙の部屋を出た後、美沙は床に落ちていた一万円札を拾い、封筒に入れた。その後、母親に握られて痕がついた左腕を、氷を包んだタオルで冷やした。
壁には家族と撮った写真が飾られている。父、母、姉、そして美沙の四人で熱海への旅行の際に撮ったものだ。姉の仕事が忙しくて日帰りの旅行となったが、それが最後の家族旅行となった。美沙はその写真を壁から剥がし、破って捨てた。
美沙はスマホを握っていた。トモカの名前を押そうとする指が震えていた。
電話に出た姉の声はいつもと変わらない明るさだった。美沙にはその明るさが逆に辛かった。
「どうしたの美沙。何かあったの?」
「父さんから聞いてない?」
「何の話?」
「なんでもない。もし聞いてないなら、お姉ちゃんには関係ない」
美沙は無意識のうちに、「そんなことないよ」という姉の言葉を期待していた。何が起ころうとも、姉はいつも自分の味方であった。どんな時でも、何があっても。しかし、姉から返された言葉は、美沙の期待とは異なっていた。
「そうね。関係ないかもね」
美沙は一瞬表情を硬くした。
「そ、そう、お姉ちゃんには関係ない」
「まあ、もともと家族じゃないからね」
驚きのあまり、一瞬動けなくなった。姉はそれを知っていたのだろうか。知らなかったのは自分だけだったのか。
まるで宇宙の誰も知らない場所に放り出され、ブラックホールに吸い込まれていくような、世界から取り残されていく感覚に襲われた。そして、その感覚を更に強めるかのように、姉は言葉を続けた。
「この電話終わったら、連絡先削除してね」
そのあと続いた沈黙はバケモノのように美沙を飲み込んでいた。そして永遠に感じるような静寂を、トモエはナイフのような言葉で切り裂いた。
「これ以上、私の邪魔しないで」
「じゃ、邪魔なんかしてない」
「動画配信も迷惑。しかも何あの炎上」
「あれは私じゃないって言ったでしょ。真実じゃないって」
「真実なんてどこにもないんだよ。真実は世間が決めるんだから」
姉の言葉がグサリと美沙の心を貫いた。
「あと。あの動画は私が投稿したの。チャンネルBANすればいい」
「嘘……お姉ちゃんはそんなことしない!」
「嘘じゃないよ」
「そんなのお姉ちゃんじゃない!」
「……あなたにはそう見えるのかもしれないね。でもこれが真実の私よ」
「嘘……」
美沙は乾いてきた口が苦しくなり、唾を飲み込んだ。
「美沙は要らない子なんだって」
――バットで殴ってもシなないけど、たった一言で人間が壊れるのマジウケル #体は心の容器
突然、玄関の鍵がガチャリと音を立てて開いた。美沙は恐怖に目を見張りながら玄関を見つめた。部屋の隅にある間接照明が、玄関へと続く廊下をぼんやりと明るくしていた。
「お母さん?」
母は幽霊のように廊下に立っていた。そして美沙にゆっくりと近づいてきた。トモカは驚きの声をあげた。
「家にお母さんがいるの?」
姉の言葉は部屋に響き渡っていた。母は小さな声でボソッと呟いた。
「あなたの母さんじゃない。あなたに寄生されただけ」
美沙は母の手に何かが握られていることに気づいた。慌てて美沙はベッドの上に逃げた。母は素早く美沙の上に飛び乗った。そして右手の包丁を美沙に向かって振り下ろした。
「母さん、やめて!」
「穢れは掃除するしかないのよ。そうすればお父さんもわかってくれる」
美沙は母の手を必死に抑えたが、少しずつ包丁の先が美沙の顔に近づいてきた。
美沙の目からわずか五センチのところで包丁が止まり、母親が突然床に投げ出された。部屋には強盗のような覆面をしたジャージ姿の人物が立っていた。その姿を見た母親は、急いで玄関から逃げ出した。
美沙は母が落とした包丁を手に取った。そして自分の喉にゆっくりとあてがった。金属の冷たい感覚が喉から伝わってきた。
美沙はぼそりとつぶやいた。
「私、穢れてたんだ」
ジャージを着た人物は美沙の背後に回り込み、美沙の右手を押さえた。
「ひとりっココさん。心交換、承りました」
美沙(3)
部屋の壁は水色で、ソファは真っ白だった。
空に浮かぶ雲のような部屋に、美沙は不安そうにソファに腰を下ろした。
そのとき、青空が割れるようにドアが開き、覆面をしたジャージ姿の男と白衣を着たハンサムな男が現れた。
「では、はじめますね。安心してください」
そして愛慕と名乗るイケメンは心交換における注意点を美沙に説明した。
「何か質問はございますか?」
「いえ」
「じゃあ、先程のお約束、もう一度繰り返しますね。元に戻る事はできない。元の自分には近づかない。もう交換後には連絡しない。頭文字をとって、ももも」
「ももも」
美沙は愛慕の軽いノリに合わせる事もなく、慎重に頷いた。
「じゃ、シャワー浴びようか」
美沙は愛慕の言葉に驚いた。しかし愛慕は美沙の肩を叩いてバスルームの方を指した。
「大丈夫ですよ。覗いたりしませんから」
愛慕は女子のように両手を可愛く左右に振った。美沙は隣に立つモーリーの怪しげな様子に不安を感じながらバスルームへ向かった。そして脱衣所に貼ってある紙を見た。
――最後に自分の体にお疲れ様の気持ちを込めて、丁寧に洗ってあげてください。
美沙は服を脱ぐと、風呂場へ入った。
そしてまっすぐ立つと、鏡に映った自分の裸をじっくりと見つめた。
すらりとした白い腕には、適度な筋肉がついている。それは二の腕に肉がつかないように意識して鍛えた結果である。左足の膝には、運動会の徒競走でゴール直前に転んだ時の傷跡が少し残っている。高校生の頃、鎖骨を綺麗だと褒めてくれた姉、ピアスの穴を開けることを勧めた姉、ショートカットが似合うと褒めてくれた姉の言葉も、美沙の体に刻まれた大切な思い出である。
浴室のドア越しに愛慕が話しかけてきた。
「では、これから心の交換を始めていきたいと思います」
「交換相手は?」
「別の場所にいます」
「どんな人なんですか?」
「今は自分の体に最後のお別れをしてください」
美沙は再び自分の体を見つめ直した。長年連れ添った体を手放すという現実が、徐々に彼女の心に迫ってきた。気づけば、目から涙が一滴こぼれ落ちていた。
「では、浴槽に浸かってもらっていいですか?」
ピンク色のお湯が張られた湯船に、ゆっくりと足を入れた。そして浴槽の中で丸くしゃがんだ。
「肩まで浸かりました?」
美沙はこくりと頷いた。
突然、モーリーが浴室へ入ってきた。美沙は慌てて体を隠した。
「覗かないって言ったじゃないですか」
モーリーは視線を美沙には向けずに落ち着いて答えた。
「覗いてません」
「いや、今!」
「浴室に入らないとは言ってない」
「のぞき! 変態!」
「変態というのは通常ではないということだ。しかし男というのは女に興味がある生き物で、女の裸に興味があるのは通常の反応だ。つまり覗く行為は変態ではなくて正常」
「でも」
「そもそもあなたの体ではなくなるから、見られても関係ないのでは?」
美沙は二の腕を掴んでいる力を少し強めた。モーリーは背中を向けた美沙に優しく声をかけた。
「この浴槽は新しく生きていくあなたの母親の胎内だ。ゆっくり膝を抱えて」
美沙は恐る恐る膝を抱えた。モーリーは美沙のおでこに優しく手を当てた。
「目を閉じてください。この手はへその緒だと思って」
美沙はゆっくりと目を閉じた。すると体内に今まで感じた事のない熱を感じた。まるで体の中から熱いものが外へ出ていくような感覚だった。
「少しずつ心が離れるから」
美沙は少しずつ意識が遠くなっていくのを感じていた。そして自分の体から何かがスッと抜けた瞬間、意識が途切れた。
時間がどれくらい経ったのかはわからない。美沙はゆっくりと目を開けた。美沙の視界に入ったのは先程と同じ浴槽だった。騙されたのかもしれないと視線を下に向けた。すると自分の髪の毛が湯船につかっているのが見えた。ストレートのロングヘアー。これは自分の体ではない。
美沙は腕をあげてまじまじと見つめた。今までの自分より白く、細い。ネイルは綺麗に装飾されており、肌の産毛も綺麗に剃られている。恐る恐る立ち上がると、デリケートゾーンまで脱毛されている事に驚いた。浴室のドアの向こうでうっすらと人影が見えた。
「美沙さん、目覚めた? 鏡で自分の体確認してね」
愛慕の声だ。美沙は曇っている鏡の前に立った。そして鏡にシャワーをかけて、あらわになった自分の姿に声をあげた。
美沙に見えている姿は、姉のトモカそのものだった。
――いつもお世話になっております #体は心の容器
【心交換師事務所 対策本部】
モーリーが対策本部の中央の椅子に座っていると、トレンチコートを着た愛慕が本部に帰ってきた。
「モーリー、興味深い話を見つけたぞ」
「なんだ」
「汐里を毎月お見舞いしていた女の子がいるんだ。その子がオーボエの天才少女らしい」
「……興味深いか?」
「探偵としての直感が働いた。これは事件に関連があるに違いない。犯人は汐里の体を奪い、天才少女に接近する。天才少女は喜ぶだろう。恐らくコンサートにも無料で招待されるだろうし、楽屋にも入れる可能性が高い。つまり、この天才少女の熱狂的なファンが汐里の体を手に入れたくて心の交換をしたというのが真実」
「じゃない。何が真相だ。そんなわけあるか」
「とりあえず天才少女のコンサートに行ってみる」
「ほかの情報は? あの渋谷とかいうおっさんの情報は?」
「ああ、調べたよ。職業は検事だった」
「ちゃんとしてるな」
「あとトモエのゴリオタだった」
「すごいな、トモエの人気」
「あの子、大丈夫かな。アイドル」
一か月後のアリーナライブのために、美沙は練習室へ向かっていた。
不思議なもので、今までダンス経験は無かったのだが、体が覚えているようで問題なかった。最低限の交友関係や自宅の場所など、生活するための情報はトモカが残してくれていたノートに書かれていた。
仕事の時間は分単位でやるべきことが決まっており、マネージャーが全てを管理していた。プライベートについてもかなりの制限をかけられており、思っていたより不自由な生活だった。
美沙のスマホが鳴り、メッセージを確認した。内容はマネージャからの行動確認だった。一時間ごとに何をしているかマネージャへ連絡する必要がある。
――すみません、移動中だったもので
――そういう理由、大人なんだから止めてくれるかな
美沙は誰もいない道端で頭を下げていた。トモカが残していたノートの言葉が頭をよぎった。
――マネージャの言う事は、絶対に守ってください。例えそれが家族を裏切ることだとしても。
車椅子に乗った女性が目の前にいた。美沙は邪魔にならないようにと横に避けようとすると、女性は近寄ってきて話しかけてきた。
「ひとりっココさんですよね」
女性は汐里と名乗った。
「心交換師の所でアルバイトしてます。モーリーの横にいました」
美沙はモーリーの事務所でドレスを着た女がいた事を思い出していた。女性は続けた。
「私、ひとりっこなんです。妹欲しかったんだけど。でも色々あって妹どころか親もいなくなりました」
「大変でしたね」
「でもひとりっココさんの動画で助けてもらったんです」
「私の?」
「言ってましたよね。家族は血のつながりじゃない。情のつながりだって」
「はい」
「嬉しかったんです。私でも、これから家族を作れるってことですよね」
汐里は満面の笑みを美沙に向けた。
突然、美沙の背後にマネージャーが立っていた。そして女性に対して冷たく言い放った。
「すみません、トモカはプライベート中なので遠慮していただけますか」
「ごめんなさい」
汐里は申し訳なさそうに急いで去っていった。
マネージャは片手にペットボトル、もう一方の手にはカフェで持ち帰れるコーヒーを手にしていた。
「なんでこんなところにいるんですか」
「すみません」
「ちゃんと言う通りにしてもらわないと、困ります」
「わかりました」
「これが最後の通告ですよ。中身なんていくらでも変えられるのですから」
マネージャーはカップの珈琲を一口飲むと、そのまま逆さにして街路樹の脇に全て捨てた。そしてペットボトルの珈琲を紙コップに注ぎ始めた。
――また、お世話になるかもですね #体は心の容器
【心交換事務所:雲の上】
汐里は雲をびょんぴょん跳ねながらモーリーの元へ駆け寄ってきた。
「ひとりっココさん、凄く喜んでた!」
「それは良かった」
「本当にモーリーは心交換できるんだね」
「言ったろ」
「これで幸せになれるよね、なれるよね」
モーリーは軽く頷いた。
「いえーーーい!」
汐里は空に飛びあがると、クルクルと上空を回り始めた。名前を付けるとしたら喜びの舞なのだろう。
雲の中から白鳥姿の愛慕が現れた。そしてこっそりと耳打ちした。
「汐里は知ってるのか? トモエの事」
「黙ってろよ。お給料欲しいだろ」
愛慕は頷いた。汐里は雲の間をレースでもしているかのように飛び回り続けた。
「それよりモーリー、最近エゴサしてる?」
「いや」
「そういえば、最近変なリプ増えてるんだよな」
愛慕はスマホを取り出して、#体は心の容器で投稿されているメッセージをいくつかモーリーに見せた。
「なんだこれ」
「どう見ても依頼じゃないんだよね。なんか気になっててさ」
「気にしすぎじゃない? 誹謗中傷したい奴がいるんだろうし」
「特にこれなんか」
――そろそろ、その体欲しくなってきたよ #体は心の容器
モーリーはそのメッセージを見て顔色を変えた。
「こいつ変だな」
「だろ? なにか知ってる気がする」
「このアカウント掘った?」
「捨て垢でこの投稿しかないんですよ」
「煽ってんのか、ちくしょう……」
モーリーは愛慕に見せられたスマホを空から見えている海に投げ捨てた。
そのアカウント名は、【ごめんねボク】だった。
――他人の心を弄んで楽しいですか? 私もやりたーい #体は心の容器
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