見出し画像

顔は知っている。でも、名前までは知らない。



人とのつながりって、強ければ強いほどいいのだろうか。

私は、そうでもないと思っている。

もちろん、誰とも関わらずに生きたいわけではない。

困っている人がいたら助けたいし、誰かに親切にしてもらったら嬉しい。

近所の人と会えば挨拶もしたい。

道ですれ違えば、少し譲り合いたい。

でも、その先まで踏み込んでほしいわけではない。

私はたぶん、

「弱すぎず、強すぎないつながり」

くらいが一番心地いい。



例えば、車を運転していて狭い道ですれ違う。

どちらかが少し端に寄る。

相手も少し寄ってくれる。

すれ違ったら、軽く会釈する。

それで終わり。

名前も知らない。

どこに住んでいるのかも知らない。

でも、ほんの数秒だけ、お互いに相手の存在を気にかけている。

私は、こういう関係が好きだ。



スーパーでいつも見かける店員さんがいる。

顔はなんとなく覚えている。

向こうも、もしかしたら自分の顔を覚えているかもしれない。

「どうも」

それだけ。

別に休日に一緒に遊ぶわけではない。

お互いの家族のことを知っているわけでもない。

でも、顔を合わせればちょっとした挨拶がある。

それくらいでいい。



散歩をしていて、近所の人とすれ違う。

「こんにちは」

と言う。

そして、そのまま歩いていく。

「今日はどこまで行くんですか?」

「最近暑いですね」

「この前○○さんがね……」

そんな話を毎回しなくてもいい。

挨拶だけで終わる日があっていい。

むしろ、そのくらいの距離感だからこそ、私は気楽なのかもしれない。



人との関係が強くなりすぎると、

「今日は誘われたけど断りにくいな」

「この人にはこう思われたくないな」

「前に誘ってもらったから、今度はこちらから誘わないといけないかな」

そんなことを考えてしまう。

相手を嫌いなわけではない。

むしろ好きな人でも、距離が近くなりすぎると疲れてしまうことがある。

だから私は、

「仲良くすること」と「大切にすること」は別なのではないか

と思う。



例えば、困っている人がいたら手を貸す。

でも、その人とずっと付き合う必要はない。

道を譲ってもらったら会釈する。

でも、その人と友達になる必要はない。

旅先で地元の人に道を教えてもらったら、

「ありがとうございます」

と言って、自分の旅に戻る。

それでいい。

むしろ、そういう一瞬の関わりだからこそ、素直に優しくできることもある。



私は「人とのつながりが欲しい」と言うとき、

もしかすると「濃いつながり」が欲しいわけではないのかもしれない。

欲しいのは、

「自分はここにいていいんだ」と思える程度のつながり。

街を歩けば、誰かがいる。

スーパーに行けば、顔を見たことのある人がいる。

困ったときには、誰かが少し助けてくれる。

でも、自分の生活には必要以上に踏み込まれない。

自分も、誰かの生活に踏み込みすぎない。



それは、田舎だからできるとか、都会だからできないとか、そういう単純な話でもないと思う。

どこに住んでいても、

「こんにちは」

と言える関係は作れる。

電車で席を譲ることもできる。

ドアを押さえて後ろの人を待つこともできる。

道を譲ることもできる。

困っている人を少し助けることもできる。

そして、その人の人生に入り込まずに、そのまま別れていく。

ほんの数秒の優しさ。

私は、そういうものが案外好きなのだと思う。



「顔は知っている。

でも、名前までは知らない。」

それくらいでいい。

知らないから冷たいのではない。

近づきすぎないから、無関心なのでもない。

知らないままでも、優しくできる。

それが人とのちょうどいい距離なのかもしれない。



自由って、

「誰にも関わらないこと」

ではないと思う。

誰かと関わることもできる。

一人でいることもできる。

今日は挨拶だけにすることもできる。

今日は少し話してみることもできる。

その距離を、自分で選べる。

私は、そんな自由が欲しい。

人とのつながりを捨てたいのではない。

人とのつながり方まで、自分で選びたい。

強すぎず。

弱すぎず。

車ですれ違うときに、ほんの少しだけ譲り合うくらいの。

そんな関係の中で暮らせたら、案外幸せなのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集