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【連載小説】企業のお医者さん 第9話 #創作大賞2024

9 承継
 この後の山部会計事務所の獅子奮迅のエピソードについては掲載することができない。各企業の内部情報に繋がる話を語ることについて久志が良しとしなかったからである。それでも地元では周知の事実となるエピソードを少し紹介したい。

 山部会計事務所として創業した直後、大泉はとてつもない大仕事を依頼してきた、「新テレビ局設立」である。
 一般的な企業の起業ではない。昭和37年に福島市で開局した先行テレビ局に単を発する「利権」、「政治」、「都市」、「世代」などの様々な思惑を持つ関係者による「県民テレビ運動」と称された「経済戦争」に参戦させられたようなものだった。
 もともと「県民テレビ運動」の中心にいたのが大泉であり、郡山経済界の大将格として指揮を執っていた。久志は大泉に請われるまま軍師・参謀格として、予備免許取得に向けた電波管理局への申請、定款作成、用地や設備取得、人材募集など、新テレビ局設立に向けた一切の手続きの責任者とされた。
 参考になるような事例が少なく、暗闇を手探りで進むような業務だったが、久志は大泉を支え昭和44年に新テレビ局設立に至った。
 企業の医者を目指した男は、新しい地元テレビ局を生む産婆の役割も果たした。

 新テレビ局の創立に合わせ大泉は商工会議所を退職して、新テレビ局の初代代表取締役に就任した。久志は同社の会計顧問に就任し大泉を支え続けた。
 まるでこの事業を任せるために久志を鍛え、育ててきたようにも見えるが、それは邪推というものだろう。大泉と久志は生涯の友として郡山市経済を支え続けた。

 郡山市経済界で八面六臂の活躍を見せ始めた久志だったが、トキ子は久志の仕事にあまり興味を示さなかった。
「そんなに偉くならなくても、アンタと登美子さんと家族が元気で仲良く暮らせたら、それが一番」
というのが口癖だった。しかし
「大泉さんの紹介で、順泉堂総合病院の監事を引き受けることになりました」
と報告した際には涙を流して喜び、久志を驚かせた。

「あのね、私が産婆の勉強をした『安積産婆看護婦学校』は、順泉堂総合病院の初代院長島田先生が医師会の会長として創設してくれたの。あの学校で学ばせていただいて、順泉堂総合病院などから仕事を貰えたから、お母さんはあなたたちを育てることができたの。久志が病院の役に立ってくれるなら、お母さんは本当に嬉しい。島田先生に、あなたを治してくれた鈴木先生に、少し恩返しができる気がして嬉しいの」
 仕事には誠実に対応する久志だったが、母に心を尽くすように順泉堂総合病院の経営に力を尽くした。また病院の仕事を通じて、医療法人にも強い会計事務所としての成長に繋がった。

 昭和45年8月には二男 清志が誕生し久志の私生活も一層充実した。
 久美、久顕、清志の三兄弟は、成人して山部会計事務所の中核を担い久志を支えた。

 山部会計事務所は着実に業績を伸ばし、個別の企業支援だけではなく郡山商工会議所と連携した協同組合設立による集団化事業、会議所経理学校の創設、倒産防止相談など数々の事業に尽力し、久志が一線を退いた後も「中小企業のお医者さん」として事業領域を拡大し、グループ会社を形成し躍進を続けている。もちろん会計事務所としての事業継承も円滑に行われた。
 50年も継続する企業ならば社史を制作しそうなものであるが、山部会計事務所に社史は無い。
 常に未来を見続けた久志は、過去に囚われることを是としなかったのかもしれない。

 晩年の久志と登美子はゴルフや旅行を楽しむことが多く、誰もが羨むような睦まじい姿を見せていた。旅先の旅館やホテルの朝食で久志が卵納豆を注文して、登美子を笑わせることが度々あったそうである。

 気象学者のエドワード・ローレンツによる「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか」という問い掛けから始まる話の真偽についてはわからないが「バタフライ・エフェクト」は寓話的なものであると感じている。
 しかし、明治20年3月に島田新之助が思い付きで汽車の乗らなければ、久志と登美子の物語はなく、市制100周年を迎える郡山市経済界の繁栄は存在しなかったことを確信している。
(第9話 おわり)

第10話(最終回)はこちらです。

第8話はこちらです。

第1話はこちらです。


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