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夢がこぼれ落ちるたび私は強くなれた、挫折を人生の伏線に変え、未完の火を灯し続ける理由



「一体、これは何の試練なのだろう」


夢を掴みかけた瞬間にこぼれ落ちる。そんな経験を、矢野さんは何度も繰り返してきました。

憧れのマスコミ業界への全敗、念願の東京異動で直面した理想との乖離、そして移住に伴うキャリアの断絶。積み上げた努力が「砂になって溢れていく」虚しさのなかで、それでも矢野さんは「置かれた場所で咲くこと」を諦めませんでした。

そんな矢野さんにとって、本当の意味で人生の舵を握る転機となったのが、病の宣告でした。「命か、自分らしい生き方か」という究極の選択。周囲の正論ではなく、「自分らしさ」を第一に、治療方針の決断を下しました。

そして今、多くの人の心に火を灯す「着火ウーマン」として活動する傍ら、矢野さんはもう一つの「未完の火」に向き合おうとしています。それは、幼い頃からの夢だった「書くこと」です。本記事では、多くの方々の可能性に光を当て続けてきた矢野さんのこれまでと、今なお燃え続ける「未完の火」に迫ります。 


矢野圭夏 / Manable gate 代表  /コーチ・キャリアコンサルタント

大阪府出身。関西学院大学経済学部卒業。新卒で入社した東京のOA機器企業では、新人育成やイベント企画、マーケティング業務に携わる。結婚後は鹿児島へ移住。会社員では業務改善や社員研修、ビジネスセミナーの企画・運営を経験。その後、メンタル不調を経験したことを機にコーチングと出会い、自身の生き方を見つめ直す。その後2013年に独立、2022年には著書『場づくり仕事術』を出版。同年、一般社団法人リベラルコンサルティング協議会の理事に就任し、次世代のコンサルタント育成にも力を注いでいる。
現在は「一人ひとりの中にある火を灯す」ことを軸に、コミュニケーション・コーチング・起業複業支援・対話の場づくり・ファシリテーション・管理職研修等をテーマに全国で講演・研修を行う。

米国NLP協会認定NLPマスタープラクティショナー、国家資格キャリアコンサルタント、2級キャリアコンサルティング技能士などの資格を保有。




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魂を燃やすパートナー「着火ウーマン」としての誇り


ーこれまで多くの方々の一歩を支えてこられた矢野さん。「着火ウーマン」という肩書きとこれまでのご活動を教えてください。

矢野:私はこれまで、多くの方が心に秘めながらも燻らせている「情熱の火」を見つめ、それを力へと変える伴走を続けてきました。具体的には、個人の方向けのコーチングから、企業の組織変革を担うマネジメント研修などです。鹿児島を拠点にしながら全国のクライアントと対話を重ねる日々を過ごしています。



また、キャリア支援の専門家(2級キャリアコンサルティング技能士)として、資格という武器を手にしながらも、キャリアに迷う方々のために「ゼロイチコンサルデビュー講座」を主宰しています。ビジネススキルの伝授ではなく、プロとしての覚悟と一歩を踏み出すための「土台」を共に築き、ビジネス構築の支援も行っています。


ー「着火ウーマン」という言葉、とても印象的です。どんな想いを込めているのでしょうか? 

矢野:実は「着火ウーマン」という肩書きは、学びの仲間が名付けてくれたものなんです。あるセッションの際、表情が劇的に明るくなり「やってみます!」と力強く踏み出した方がいらっしゃいました。その瞬間に立ち会った方が「人の心に火を灯す“着火ウーマン”だ」と言ってくれたんです。その響きが、大切にしている信念と見事に重なり、私のアイデンティティとなっています。


私は、心のなかには必ずその人だけの「火」があると信じています。 それは、まだ見ぬ夢であったり、ご自身でも気づいていない強みであったりするでしょう。日々の葛藤で、時には火を失い、冷たさを感じてしまうこともあるかもしれません。ですが、火が完全に消えてしまう人など、この世には一人もいないのです。たとえ小さくなった種火であっても、再び風を送り、温めれば、必ずまた赤々と燃え上がります。その可能性を誰よりも信じ、クライアント様の魂に火を灯し続けること。それが「着火ウーマン」としての私の誇りであり、原動力です。


ー矢野さんのコーチングは、人生のターニングポイントに深く関わっていらっしゃいますよね。長年、1000人以上名の方々を伴走してきたなかで、心に残っている出来事はありますか?

矢野: お一人おひとりと紡いできた時間は、私にとって代えがたい財産です。そのなかでも、二つの出会いをお話しさせてください。
一つは、今から10年前。私と同じように、転勤族の妻として鹿児島へ来られた女性との出会いです。 見知らぬ土地で「自分はどう生きるべきか」と、深い霧の中にいらっしゃったのですが、対話を重ねるうちに小さな種火を見つけました。すると途端に、本来の輝きが溢れ出し、仲間と共にコミュニティ活動を始め、今では企業研修の講師としても活躍をしています。10年経った今も「あの時の“着火”があったから、今の私がいます」と笑顔で仰ってくださることが、何よりの原動力です。


もう一つは、人生のライフイベントを共に乗り越えてきたクライアント様です。 結婚、妊娠、そして出産。産後の目まぐるしい日々の中でも「自分を取り戻す時間を、矢野さんとつくりたい」と仰ってくださいました。 ご自宅へ伺い、赤ちゃんの泣き声をBGMにし、授乳をしながらセッション。 「赤ちゃんは泣くのが仕事だからね」と笑い合いながら過ごしたあの時間は、まさに新しい命の傍らで、命の火を育むような時間でした。


ー矢野さんにしか育めない「心地いい距離感」があるのですね。

矢野: そうですね。環境や立場が変わっても、その時々の「火」を絶やさず、その人らしい光を放ち続けられるよう支えていく。家族でも友人でもないけれど、だからこそ「特別な距離感」でいられるのです。これほど長く人生のステージを共に歩ませていただけることは、この上ない幸せです。


ーセッションで、お相手の輝きを引き出すために、大切にされていることを教えていただけますか?

矢野: クライアント様の「どうありたいか」を何よりも尊重しています。コーチングでは、ないものをつくるのではなく、すでにその方の中にある「あるもの」を見つけていくんです。



私自身、かつては「なぜ周りと同じようにできないんだろう」という強いコンプレックスを抱えて生きてきました。しかし視点を変えれば「唯一無二の強み」に変換できる。それを身をもって経験したからこそ「私にはこれくらいしかできない」と俯く方に「それは、あなたにしかできない価値であり、それを切実に必要としている人が必ずいる」と断言できるのです。

また「火加減」を調整することも大切にしています。強火で一気に燃やすことだけが着火ではありません。「よし、やりましょう!」と勢いよく背中を押すこともあれば、消えないように静かに見守る時もあります。その方の状況や心の温度に合わせて、最も心地よい火を灯し続けること。最適な温度で伴走することを大切にしています。



努力は時間差で報われる、遠回りに見えたすべてがつながるとき


ー人生において大切にしている考え方はありますか?

矢野:「努力は時間差で報われる」という考え方を大切にしています。

振り返れば20代から30代の頃、望んだ仕事に手が届かず、キャリアの壁に突き当たっては、思うようにいかない日々に焦燥感を募らせていました。その瞬間だけを切り取れば、それは「報われなかった努力」であり、無意味な遠回りに見えたかもしれません。しかし、あの日必死に積み上げた欠片は、十数年という時を経て、今、全く別の形で私の仕事や生き方に繋がっています。かつての挫折が、誰かの痛みに寄り添うための「優しさ」となり、かつての苦労が、今の私を支える「知恵」となっている。点と点が繋がり、円を描くには、それなりの時間が必要なのです。


ー「時間差で報われる努力」を深く理解するために、矢野さんのこれまでのキャリアを振り返ってもいいでしょうか。学生時代はマスコミ業界を志望されていたとお聞きしました。

矢野:はい。大学時代はマスコミの世界に憧れ、周囲が学生生活を謳歌するなか、私はひたすらOBOG訪問や業界研究に明け暮れていました。自分なりに全てを注ぎ込んでいたつもりでしたが、結果は全敗。第一志望群とは全く異なる、OA機器の販売会社が私のキャリアのスタートでした。「あれだけ努力したのは、一体何だったのか」と、当時はやり場のない無力感に苛まれました。しかし「どうせやるなら、置かれた場所で花を咲かせよう」と、本来の業務以外にも、商品PRのポスターを自作したり、新しい制服の導入を提案したりと、自分なりの創意工夫を重ねていきました。


2001年、マスコミ業界に憧れてアナウンサーの体験をした時の1枚。右がご本人。


ー数年後には東京本社への異動を叶えられますが、そこでも理想と現実の狭間で葛藤があったそうですね。

矢野:「宣伝部に行きたい」と声を上げ続け、入社4年目でようやく掴んだ東京本社への異動でした。しかし配属先は販売推進部。目指していた宣伝部は、同じフロアで目と鼻の先にあるのに、どうしても手が届かない。そんな、もどかしく焦れるような日々を送っていました。それでも「いつかチャンスが来た時に、最高の自分でいたい」という一心で、激務の合間を縫ってライタースクールへ通い始めました。週に一度、深夜までエッセイやコピーを書き続ける日々。しかし、宣伝部への配属を実現する前に退職。夢に近づくために努力し続けましたが、結果的に会社を去る決断をしました。当時の状況だけを切り取れば、その努力は「報われなかった」と言えるのかもしれません。


ーその後は、憧れていた出版業界へ転職をしたのですね。

矢野:はい。退職後は派遣社員として、出版社で働けるチャンスを掴みました。文庫出版部で編集者のサポートを務める日々。サポートと言っても、文庫の重版の管理業務なのですが、編集者がやりとりをする受話器の向こうには名だたる作家の方々がいらっしゃり「私もいつか、こういう仕事がしたい」と、胸を高鳴らせていました。
ようやく憧れの場所を間近に捉え、夢への距離が縮まった。そう確信した矢先、パートナーの鹿児島への転勤が決まり、私は東京を離れることになりました。


2008年、鹿児島へ移住した当時の1枚



ー鹿児島への移住は、大きなご決断でしたね。

矢野:これまでのキャリアをすべて手放す決断でした。夢に近づいたと思えば、また遠ざかる。掴みかけた糸が、指の間からするするとこぼれ落ちていく。 「一体、これは何の試練なのだろう」と、やり場のない虚しさを抱えていました。けれど同時に、私のなかには燃え残った熱い火がありました。 「このままでは終われない」 東京での夢を諦めて地方に来たのだから、何もせずに終わることだけはしたくない。「置かれた場所で、誰よりも満開の花を咲かせてみせる」という覚悟だけは、人一倍強かったのだと思います。



2008年、移住先の鹿児島で広報誌の編集サポートをしていた当時のお写真。
右から4番目の女性が矢野さん。



ですが、現実は非情でした。 鹿児島で再就職した会社では、これまでの経験が全く通用せず、組織の歯車と噛み合わない日々。いくつか功績を残せたこともありますが、会社の成長とともに方向性がズレていき、次第に自分の居場所を失い、最終的にはメンタルを病み、逃げるようにして退職しました。



ー絶望の淵に立たされた矢野さんが、再び前を向けたのはなぜなのでしょうか?

矢野:コーチングと出会ったからです。「自分が思っていることと、現実に起きていることはなぜ違うのか」 「自分は何を信じていて、何を信じていないのか」そうした問いに向き合い続けるなかで、少しずつ自分を取り戻していきました。
目の前の「今できること」と向き合っていくうちに、行政の事業を任せていただけるようになり、独立へとつながっていきました。



2010年、初めての講師デビュー


2011年、某エッセイコンテストで授賞した際に家族で出席した授賞式



ー「環境のせいにしない」姿勢を感じます。

矢野:そうですね。確かに「環境のせいにする」という発想が、あまりないのかもしれません。もちろん、理不尽な壁にぶつかり、不満を抱くこともあります。ですが、原因を自分の外側に求めて「環境が悪い」と決めつけてしまうと、そこで思考も成長も止まってしまうと思うんです。それよりも「制約のある環境下で、今の自分にできる最善は何か」と問いを立てる。その方が、私にとってははるかに建設的で、自然なあり方です。


場所や環境にとわれない働き方を実現している矢野さん。
セブに渡航した際の1枚。



ー場所にとらわれないキャリアを実現したのは、まさに「時間差の努力」ですね。

矢野:就職活動の挫折、希望部署への配属が叶わなかったこと、鹿児島でゼロからの再出発。その渦中にいた時は、自分の努力がすべて砂になって溢れていくような虚しさの中にいました。けれど、今なら分かります。 泥臭い販売の仕事で培った顧客視点も、深夜まで机に向かったライティングの技術も、出版社で触れたプロの熱量も、どれひとつとして、無駄なものはありませんでした。すぐに結果が出なくとも、一生懸命に取り組んだ時間と労力は、自分という器の中に、目に見えない形で確実に積み重なっていたのです。

数年の時を経て、ある瞬間にパズルのピースが合うように繋がり、気づけば「ああ、報われていたんだ」と感じられる日が来る。
だからこそ、今、この瞬間の結果だけで、自分の努力を「無駄だった」と定義してほしくないのです。たとえ今、思うような成果が出ていなくても、あなたが積み上げているものは、数年後、あるいは十数年後の人生において、必ず鮮やかな「伏線回収」の時を迎えます。私はそう確信しています。



2013年、創業のきっかけとなった受託事業に協力をしてくれた仲間と

やりたいことを実現した先にあった、燻り続けている火


ー2022年には著書『場づくり仕事術』をご出版。本を通じてより多くの方々の火を灯した矢野さんですが、一方で、ご自身の中にはまだ未達成の夢があるとのこと。
 
矢野: 周囲からは「やりたいことを実現しているキャリア女性」と見ていただくことも多いのですが、実はずっと燻り続けている火があります。それが「書くこと」です。もちろん、noteやこれまで仕事、書籍出版もしてきました。しかしそれらはあくまで「伝えるための手段」としての執筆です。私が切実に向き合いたいのは、もっと純粋な「自己表現」としての執筆です。自分の魂が震えた瞬間や、言葉にできない感情をすくい上げること。私にとって「書く」という行為は、自分という人間をまるごと言葉に乗せて、純度の高い表現を追求することなんです。


矢野さんの著書『場づくり仕事術』


ーなぜそこまで「書くこと」にこだわりがあるのでしょうか。

矢野:私にとって書くことが「理想の自分」に会いに行くための、避けては通れない道と感じているからかもしれません。
子どもの頃から作家になりたいという思いがあって、シナリオを書いたり、物語をつくることが好きでした。今でも「自分の中にあるものを作品として残したい」という気持ちは変わっていません。


今まで書き溜めている小説の原稿たち



幾度と本に救われてきたからというのもあります。例えば小説であれば、3時間かけて一気読みし、読み終えたあとにボロボロと涙を流す。そんな体験をするたびに、心のどこかで「なぜ私は書いていないんだろう」と、おこがましくも思ってしまうんです。それは憧れを超えて「書いていない自分」に対する、一種のストレスに近い感情かもしれません。読む側の自分はすごく自由なのに、書く側の自分はすごく厳しいんです。


これまでに読んできたお気に入りの本



ある作家さんが「マチュピチュに行きたいのではなく、マチュピチュに行った自分になりたいから行くんだ」と話していましたが、その感覚は私にもよく分かります。『場づくり仕事術』を出版した時、書く前の自分と書いた後の自分では、世界の見え方が大きく違いました。だからこそ、今度は自分の魂を乗せた表現で挑戦してみたい。「書いた後の私」がどんな景色を見るのか、それを体験したくてたまらないんです。


ー書くことに強く惹かれているからこそ、簡単には踏み出せない葛藤もあるのだと感じました。

矢野:そうですね。「読む私」が肥大化している分「書く私」にブレーキをかけているとも思います。書くことを「神聖なもの」として捉えすぎて、足踏みをしてしまう自分さえいます。

例えば、ショートケーキのイチゴを、最初に食べるか最後に食べるか論争がありますよね。私は、最初に食べる派なんです。後にとっておいたら、どうなるかわからないから。本来の私は、「いま味わいたいもの」を先に取るタイプなのに、「書くこと」となると、なぜか大事に取っておいてしまうんです。


「作家になりたい」とずっと夢見ている2015年の矢野さん



もとより、私は「一人で書き上げて完結する」ことよりも、そのプロセスを通じて誰かと分かち合い、共に味わう体験がしたいんです。評価されるかどうかよりも、書くことで自分がどう変わり、どんな新しい繋がりが生まれるのか。その未知なる体験に、私は今、猛烈に突き動かされています。


『場づくり仕事術』執筆時の校正原稿

「どう生きるか」を自分で選ぶということ

ー「書くこと」を大きく考え始めたきっかけは、ご病気を患った頃かと思います。そのときのことを、あらためて教えていただけますか。

矢野:あのときは「どう生きるか」を突きつけられた期間でした。抗がん剤治療をするかどうかという選択を迫られて、医療従事者の方からは当然のように勧められました。しかし、私の中ではどうしても納得できなかったんです。私にとって仕事は「生きることそのもの」だったからです。その時間を失うことは、私の人生において大きなリスクだと思いました。「仕事より命が大事でしょう」と言われると正論ではありますが、同時に、自分の生き方そのものを否定されているようにも感じてしまって。決断できない期間が2ヶ月ほどありました。最終的には、自分らしく生きることを優先し、抗がん剤治療をしないという選択をしました。


入院時、病室に持ち込んで仕事をしていた様子。
「休む」こと以上に「いつも通り仕事ができること」の方が心の救いだったとのこと。


ーそのご決断から1年ほど経過した今、心境はいかがですか。

矢野:今振り返ってみて感じるのは「自分で選んだ」という実感があることです。これまでも環境の変化はたくさんありましたし、その都度、自分なりに最善を尽くしてきたつもりではありました。しかしあのときは初めて「誰の意見でもなく、自分の価値観だけで決める」という経験だったように思います。もちろん、決断に至るまでは家族と話し合いを重ねました。未来のことは誰にも分からないし、どの選択が正解だったかを証明することもできません。それでも「自分で選んだ」という事実が、その後の自分を支えてくれるのだと感じています。


ーそうした経験を経て、これから「書くこと」とどう向き合っていきたいですか。

矢野:実は、この病気を患う数年前、甲状腺がんで「声が出なくなるかもしれない」と宣告されたことがありました。その時、真っ先に浮かんだのは「声がでないなら、書くしかない」という思いだったんです。


当時の私にとって「書くこと」は、残された手段でした。しかし今は違います。話すことも、書くことも、やるかやらないかは自分の意志で自由に選べます。だからこそ、今度は「自分で選んで書く」ことに挑戦したいです。

これまで私は、コーチとして「人の火を灯すこと」に多くのエネルギーを注いできました。それは今も変わらず大切な生き方です。その充実した日々の中で、私の中から湧き上がる「純粋な表現欲求」という火を、どこか大切に温存してきたような感覚もあります。

「書くこと」は、そんな私自身の火と真っ正面から向き合う行為だと思っています。執筆はすぐに結果が出るものではありませんし、とても時間がかかるものです。私の信じている「時間差で報われる努力」を信じて、表現者としての時間も大切に積み重ねていきたいです。


ー「未完の火」と向き合うことを決めた矢野さん。今、人生の岐路に立っていたり、目の前のことに一生懸命向き合っている方々へ、お言葉をいただけますでしょうか。

矢野:誰かのことは分かるのに、自分のことになると途端に難しくなる。それはきっと、私だけではなく、多くの方が感じていることなのではないかなと思います。
どうか今この瞬間の結果だけで、ご自身の歩みを「無駄だった」と決めつけないでください。完璧である必要なんてありません。立ち止まったり、迷ったりしている途中の状態も、あなたの人生を形づくるかけがえのない一部だからです。
私も、今まさに「書くこと」という自分自身の火に向き合い始めたばかりの、未完の存在です。途中にいる自分を丸ごと受け入れて「それでも進んでいこう」と思えたこと。それが、私にとっての大きな一歩なのだと感じています。
今積み重ねている努力が報われる時は必ずきます。そしていつか、自分の中にある火の眩しさに気づく瞬間が訪れるはずです。


これまでの想いを書き残し続けている、お気に入りのツバメノート



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編集後記


矢野さんのお話を伺いながら、何度も頭に浮かんだのは
「夢は叶わなかったからといって、終わるものではない」
ということでした。

マスコミ業界への憧れ、東京での挑戦、鹿児島での再出発。
掴みかけたものが何度もこぼれ落ちていく経験は、きっと言葉にし尽くせないほど悔しく、苦しいものだったはずです。それでも矢野さんは、そのたびに立ち止まりながらも、ご自身の中に残る小さな火を見つめ続けてこられました。


「努力は時間差で報われる」

目の前の結果だけを見れば、失敗や遠回りに見える出来事も、人生という長い時間の中では、誰かに寄り添う力となり、自分らしく生きるための伏線になっていく。矢野さんの歩みそのものが、その言葉を証明しているのではないでしょうか。

そして今、矢野さんが向き合おうとしている「書くこと」への未完の火。多くの方々の火を灯し続けてきた矢野さんが、今度はご自身の内側にある火を見つめ、表現者として一歩を踏み出そうとしている姿に、心を動かされます。

読んでくださった方にとって「自分の中にも、まだ消えていない火がある」と思い出すきっかけになれば嬉しく思います。


「たしかなこと」ひとり編集部 / 木全彩花



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