「双子コーデ」という親の夢と、「自分で選びたい」という子の現実
こんにちは。2歳になる双子の女の子を育てている、二児の父です。
双子育児の「醍醐味」は何かと聞かれれば、多くの親が「お揃いの服を着せること」と答えるのではないでしょうか。 二人の小さな人間が、同じデザイン(あるいは色違い)の服を着て、ちょこちょこと歩き回る姿。その可愛らしさは、育児の疲れを吹き飛ばすほどの破壊力を持っています。
僕も、その「双子コーデ」の魅力に、どっぷりとハマっていた一人でした。
■ 「お揃い」がもたらす、親の「喜び」
なぜ、僕たちはあんなにも「お揃い」にこだわったのか。 もちろん「買い物が楽だから」という効率化の側面もゼロではありませんでした(同じデザインを2枚カゴに入れるだけで良いのですから)。
しかし、それ以上に強かったのは、もっと感情的な動機でした。
「可愛い」から。 理由は、これで十分すぎるほどでした。
「双子だ」とアピールしたいから。 「こんなに可愛い双子を育てているんだ」という、親としての、少しばかりの「誇り」や「自慢」もあったと思います。
「双子だ」と認識してもらえるから。 我が家は二卵性双生児で、顔立ちも体型も少し異なります。そのため、黙っていると「年子ですか?」と聞かれることも少なくありません。しかし、お揃いの服を着せていると、誰もが一目で「あ、双子ちゃんだ!」と分かってくれるのです。この「分かってもらえる」という喜びは、僕たちにとって、想像以上に大きなものでした。
■ 嬉しい悲鳴:「お古」という名の壁
しかし、この「お揃いコーデ」という親の夢を、物理的に阻む、ありがたい「壁」がありました。 それは、友人や親戚からいただく、大量の「お古」です。
育児費用がかさむ中、お古をいただけるのは、本当に、本当にありがたいことです。 しかし、当然ながら、それらは「お揃い」ではありません。結果、タンスの中は、お揃いで買った新品と、デザインがバラバラの(しかし、まだ着られる)お古で、溢れかえります。
「今日は、このお古とこのお古で、似たような雰囲気の『リンクコーデ』にするか…」 「いや、でも、せっかくのお出かけだから、新しい『お揃い』を買うか…」
これは、双子の親だけが味わう、なんとも贅沢な「嬉しい悲鳴」でした。
■ 2歳半の「ターニングポイント」
そんな親の葛藤などお構いなしに、その「ターニングポイント」は、ある日突然やってきました。 娘たちが、2歳半に差し掛かった頃です。
朝、僕が「今日はこれだよ」と、お揃いの服(あるいは、苦心して組み合わせたリンクコーデ)を差し出すと、二人が同時に「イヤ!」と叫んだのです。 そして、一人は、タンスから全く違うデザインのTシャツ(それは昨日も着た、お気に入りのキャラクターもの)を引っ張り出し、もう一人は、「あっちがいい」と、姉が選んだTシャツを奪おうとします。
彼女たちは、もはや「親が用意した服」を、受け入れなくなりました。 それぞれが、「自分の着たい服」を、明確な意思を持って主張し始めたのです。そして、その「着たい服」は、必ずしも同じデザインではありませんでした。
■ 「双子」から「個」へ。
この瞬間は、僕にとって、非常に象徴的な出来事でした。 親が「双子」という「セット」として用意した枠組み(あるいは、親の「双子コーデが見たい」という夢)を、彼女たち自身の「個」の力が、内側から突き破った瞬間でした。
もちろん、「お揃い」を着せたい親心は、まだ残っています。 しかし、その「親の満足」と、彼女たちの「自分で選びたい」という意思を天秤にかけた時、尊重すべきは、明らかに後者でした。
こうして、僕は「お揃いの服」を買うのを、少しずつやめていきました。 それは、親としての小さな「敗北」のようでもありましたが、それ以上に、二人の娘が「双子」という属性から、「〇〇ちゃん」と「△△ちゃん」という、独立した二人の「個」として、確かに成長していることを実感する、喜ばしい「ステップ」でもあったのです。
