漫画「普通の人でいいのに!」を読んで生き方まで考えた感想

今日、なんだか話題になっていたので読んだらとても身に染みて辛い漫画があった。

普通の人でいいのに! - 冬野梅子 / 【読み切り】普通の人でいいのに! | コミックDAYS 

https://comic-days.com/episode/13933686331667252531


この読み切りは、オタク・サブカル方面で生きるのに挫折し、今を肯定出来ない人達に深く刺さるものであると感じた。

ぶっちゃけ筆者がそうである。つらい。

読んだ後、とても面白く、この作品は読者に衝撃を与える優秀な作品だと感じた。しかし同時に自分の耳に痛すぎて「2回は読みたくねえ……」とも思わされた。

筆者以外にも、「この主人公は自分だ」と感じる人は多いだろう。例え一部分でも。

この記事では、「何故田中はサードプレイス、理想の空間へ行けなかったのか」とか何故沢山の人に「辛さ」を感じさせるのか、とか自分が思ったことを書いていこうと思う。感想書きたくて、結果薄目で読み返しました。つらいよお。



【漫画の概要とあらすじ】

この漫画は、コミックDAYSの月例賞に投稿された読み切りである。


33歳。大人しく一般企業の経理で働き、夜はサブカル好きな知り合いと飲んだりもする、「普通な」女性の田中。

彼女が、前会社のこれまた「普通」の男性と交際したり、サブカルを通して出会ったクリエイティブな友人と関わっていく。

次第に彼女は、デザイナーや放送作家というクリエイティブな知り合いと、それに憧れるもどこまでも「普通」な領域にいる自分に気付かされる。そして、自分を突きつけられていくーーーというあらすじである。


【田中の価値観 〜田中の夢と正体〜】

まず、主人公の田中がどういう人間か話していこう。簡単に言えば、「流されやすく、夢みがちなどこにでもいる女性」である。

クリエイティブな職業……作中ではバンド、デザイナーや出版、放送作家などが挙げられ、主人公、田中の知り合いとして出てくる。

一方、田中は一般企業の経理という彼らとは異なった職種で働いている。

田中の中では、自分は「普通な職業」、クリエイティブな知り合いが活躍する空間を、「素敵、魅力的な世界」「会うたびアップデートされていく」とカテゴライズされる。

そして彼女が自分を取り巻く世界に辟易し、後者の魅力的な空間へ行くことを望んでいる。

しかし、デザイナーになるため勉強したりなど大きな、努力することはない。

彼女は魅力的な空間にいる人の会話に混じったり、好きなラジオヘささやかなネタ投稿をするだけで満足していた。

そして、何か素敵なことが起きないか期待するだけだった。

そして、価値観の合わない男性と流されるように付き合い、経理として会社に勤めていく。

これらを見下しているのに、自分もその世界に流され取り込まれてしまっている。

たった一つだけ、彼女が自分から行動するシーンがある。憧れの放送作家に、衝動的に告白するというものだ。

しかし、当然の如くフラれる。そしてその直後、追い討ちのようにその人が入籍(しかも同じく魅力的な空間にいる人と)し、彼女は思い知らされる。最初から自分などその男性の眼中にもなかったことを。

そして、気付かされる。

魅力的な空間へ行きたくて仕方なかったのに、気づかないフリをして目を逸らしていた自分に。

そして、自分の仕事を好きだとも思えない、「何もない自分」に。

【彼女が憧れたものの正体】


彼女は恐らく「他者に認められる何者か」に憧れていた。面白いラジオを作る放送作家、バンドマン、デザイナー……。

読者にも、一度でもクリエイティブな職業になりたいと夢見た大人は少なくないだろう。上にあげた職業だけではない。漫画家、アニメーター、カメラマン、イラストレーター、ライター、ファッションデザイナー、声優。

けれど、田中は「何かしたい!」という目標や創作意欲があるわけではない。そのため作中でも何かクリエイティブなことはしない。サブカルが好きというその熱意は本当だが=発信者になりたいかはまた別の話だ。

田中がその憧れの奥、本当に欲しかったのは、魅力的な空間にいる人が持つ「唯一無二な個性」である。

田中はマッチングアプリで自分を誘う人について、こう述べている。

・比較的誰でもいい
・好意より興味よりも、身近で女切れになったから
・俺を好きになってくれそうなら俺も好き
・私は誰の第一希望でもないが、しゃーない


(彼女の思う)世間の男性像に共通しているのは、「別に彼女でなくても良かった」という思いである。彼女だから選んだのではない。誰でも良かった。

彼女はしゃーないとシニカルに思っているが、本当は田中は嫌なのである。だから出会った男性を突き放すことになる。

彼女の考えとして、自分は一見普通=でも内面(嗜好や考え)は魅力的な空間の人に近い=魅力的な人である=有象無象、普通なはずはない!

しかし、田中は最後に気づかされる。内面が魅力的な空間の人に近い≠魅力的な人があるということに。
魅力的な人に必要なもの、彼女には「心底気にいる重要なもの」が無かったからだ。

では、何故それを手に入れられず、魅力的な空間へ行けなかったのか。
それは、自分は、教科書でおなじみ山月記のごとく「臆病な自尊心」に囚われているからであると感じた。

【臆病な自尊心 〜普通の世界へ流されてしまう理由〜】

彼女は、誰よりも魅力的な空間に行きたがっているのに、自ら普通の世界へ取り込まれようとしている。

どういうことかと言うと、彼女はまず「〇〇ってこうだよね」と序盤から様々なカテゴライズを行っている。

「自分のいる普通の世界」「魅力的な世界」という二分から、「東京の人」「一般の男性」「普通の恋愛」と細かいところまで。

そして、不憫なことに彼女は自分にもカテゴライズを取り入れてしまう。

「普通の人なら、こう振る舞うよね」「普通の恋愛なら、こうだよね」

作中で誰よりも魅力的な空間に行きたがっているのに、自ら普通の世界へ取り込まれようとしているのである。

田中は、作中で魅力的な空間へ行くために努力することはなく、力及ばず夢に挫折した、という描写もない。
それは、彼女が自分のプライドを守るためだったと考えられる。努力して失敗して傷つくのが怖いし、恥ずかしいことだ。

そのような考えから、彼女は魅力的な空間へ行くための行動をしていなかった。
何か素敵なことが起きるのを受け見て待っていただけ。白馬の王子様を待つ夢見るお姫様の様に。
結果、そんなことは起こらず、彼女は魅力的な空間へ行くことは出来なかった。
そしてプライドを守るため、普通の世界で常に斜に構えたような態度をとる。

また、山月記と違うのは、詩を書いていた李朝に対して彼女は「何か表現したい」という創作意欲は恐らく無い点がある。
「心底気にいる重要なもの」を彼女は手にしていなかった。

彼女は、「魅力的な空間にいる、魅力的な自分」になりたかっただけである。

だから、もし将来運良く彼女がクリエイティブな職に着いたとしても、彼女は幸せにはなれないだろう。すぐに理想と違う、こんなはずじゃ無いと否定してしまうと思う。

ウラジオストクが、実は煩雑な入国処理が必要だったと知った時のように。

彼女の理想とする、魅力的な空間は彼女の夢の中にしか存在しないのである。

何故「心底気にいる重要なもの」を彼女は手に入れられなかったのか?

人目を機にし過ぎているのだ。
臆病な自尊心を傷つけられることを恐れる彼女は、他者と接する時も「普通の自分」であろうとする。カラオケの時もセックスの時でさえ、普通を基準にする。

本当の自分を見せて相手を不機嫌にし、孤立するよりも平穏を選び「いい子」でいようとしていた。周りを見下し、本当の自分を隠して切り札があると思っていた。

しかし、実際には「いい子」のガワで作られたアボカドの中身には何も無かった。

「心底気にいる重要なもの」つまりは内面を大切にする時間を、いい子の鎧を作る時間に充てて育てられなかったのだと感じた。


【何故刺さる人が多いのか 〜33歳という諦め始める年齢〜】

「自分は何者かでいたい」「この世界は自分には似合わない」と考え、自分を肯定出来ない人間にこの作品は他人事ではいられないのだ。このようなきっと多くいるだろう。

恥ずかしいですか私もそう思いがちです!!

(上記のように考えることは、恥ずべきことでも他人に揶揄されることでも何でもない。というか人に迷惑かけなければ、他人の考えにとやかく言う資格は誰にもない)

では、何故こう考えるようになってしまうのか。例えば、職業の視点から考えてみよう。


幼い頃、編集者やデザイナー、バンドマンや漫画家、イラストレーターや声優などクリエイティブな職業につきたい!と思ったことがある人は沢山いるだろう。

しかし、大抵はなれない。頑張ってもなれない。或いは田中みたいに頑張ることすらできなかった人達。


そういう人達が生きるため、好きでもない職につく。
仕事が好きになり、胸を張ってこの仕事をしてます!楽しいです!と言える人はいい。そう思えてるなら貴方はとても幸せです。

だが、実際は田中のように会社に疲れ、こんな場所は自分の場所ではない、ここではない何処かへ行きたいと思う。
あの時夢見ていた職へつけていたら、自分に合った世界に行けていたら幸せだったのに、と夢だった何かが心の中で燻り続ける。


けれど心のどこかで、それは無理だと分かってしまう。
作中の33歳という年齢設定は絶妙だ。
20代の頃ならまだ自分の可能性を無限に夢見ていられる。

しかし、30を過ぎると、もう自分はこの世界で生きるしかない、魅力的な空間へは行けない(ここで言う魅力的な空間なんて、現実にはないのだろうが……)と肌で感じてしまう。そういう年齢なのだと思う。

みっともなくて誰にも言えない、こんな思いを持っている人達にとって、作中で田中が何にもなれない自分に嘆き、世界とうまくやっていけず涙する田中の姿はとても辛く映る。


【タイトルの意味〜田中の今後とそしてぼくらはどう生きていけばいいのか〜】

物語は、主人公が大抵何かしら変わっていくように作られることが多い。(例外はあるが)

例えば少年漫画だと、敵に負けた主人公は、修行したり仲間に励まされたりすることがきっかけで、より「強くなった」という変化が起きる。

田中もまた、序盤と終盤では大きく変わる。

終盤、田中は沢山のことに気付く。


自分には何も無かったこと。

趣味と言われたことがきっかけで、斜に構えていたがラジオが趣味なんてレベルじゃなく本当は好きなこと。

いい子にしていれば、周りが自分に合わせてくれると思っていたけど、気づづけば自分だけが周りと比べて進んでいなかったこと。

それに応じて、彼女の周りも変化する。
彼女は持っていた空間も、友達も彼氏も捨ててしまう。
ヤケになって逃げた先、ウラジオストクも入国を拒否される。

逃げられず、ダサくてイタイ自分をこれでもかと思い知らされる。
死にたいと放った自己憐憫の言葉も、まるで他人事のように棒読みで思わず笑ってしまう。


めちゃくちゃ悲惨なラストである。変わったというか失ってしかいない。

残ったのはラジオが好きで、ダサくてイタイ、こんな自分である。
けれど、言い変えれば彼女はやっと等身大の自分を見つけられたのである。
この気づきは、彼女がこれからの人生を肯定的に生きられるのではないかと私は思う。


本当は、普通の世界も魅力的な空間なんてカテゴライズもない。普通の恋愛、普通の男性なんてのも全て彼女が作り出した概念、思い込み、夢の世界だ。

彼女が誤ったカテゴライズを捨て、等身大の自分と現実を再度見つめ直して、自分が幸せに思える生き方を考えられたらと思う。

途方もない夢を見るも挫折して、うだつの上がらない日常に戻る、よくある話だ。

しかし、その日常をうだつの上がらないなんて思わず、どうにか肯定的に見ることが出来れば、それは本当に幸せなのではないかと思う。


では、彼女に親近感を感じて、辛くてしょうがない読者達はどうすれば良いのだろう。

この物語に続きはない。自分で、どこにもいけず何もなく、自分の情けなさに涙した後のことを考えなければならない。

続きはないが、答えのヒントは書いてある。タイトルの「普通の人でいいのに!」だ。

読み終わって途方に暮れていた時、タイトルに気づき、ラストに繋がるのかと感じた。

普通であることをプラスに受け入れて、(そもそも普通がマイナスなんてものが思い込みなのかとしれない)そこからどう自分を肯定的に見られるよう生きていくのか。そんなことを考えさせられた。


【終わり 〜作者の描き方〜】

この作品は、とてもある種の人間に刺さる、共感出来るように作られている。
それは自分を投影した描いたエッセイ的なもの、と言うよりかは徹底的に俯瞰で、1人の女性の有様を描いたように見受けられた。

それはラストのシーンの印象だ。救いがなく、突き放すような乾いた終わり方。分かりやすいメッセージはそこにはなく、とても冷静な視点で描かれていると感じた。

そのように冷静な作品だからこそ、読者に生き方をも考えさせる作品だと言えよう。


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