『国家安全保障とインテリジェンス』 北村滋
ひとり遅れの読書みち 第103号
「我が国は戦後最も複雑で厳しい安全保障環境のもとにある」、と書き始められた本書は、これまで以上に今私たちが真剣に国家の安全保障に取り組まなければならないとして、安全保障とそれを支えるインテリジェンスについての骨格を示し、その重要性を訴えている。
著者の北村滋は、内閣情報官(2011年12月−2019年9月)と国家安全保障局長(2019年9月−2021年7月)の両者を務めた唯一の人間であり、インテリジェンスの収集分析サイドとインテリジェンスをもとにした政策立案サイドの双方に身を置いてきた。具体的に携わってきた体験があるだけに、その記述は具体的でありまた明晰だ。
経済安全保障やスマートフォンなどを通じた情報工作など、最近とくに注目されている内容も解説する。また、ウクライナ情勢やパレスチナ・ガザ紛争については、貴重な分析を提供している。
国家安全保障とは、「我が国の主権と独立を維持し、領域を保全し、国民の生命・身体・財産の安全を確保する」ことであり、「我が国の豊かな文化と伝統を継承しつつ、自由と民主主義を基調とする我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うする」こと。さらに「我が国と国民の更なる繁栄を実現する」ことを目指すものだという。
これを実現するために行使される国家作用が、外交力、防衛力、経済力、技術力、そして情報力という5つの力だ。このうち情報力が、インテリジェンスであり、本書で詳しく解説している。
北村は厳しい安全保障状況を具体的な数字を挙げて指摘する。例えば、航空自衛隊によるスクランブル(領空侵犯のおそれのある航空機を発見した場合戦闘機などの緊急発進)が2023年669回で、欧州ではNATOによるスクランブルが400回ほどと比べても多いこと。また尖閣諸島周辺において、中国の海警局の活動が活発化していること。海警船の尖閣諸島周辺の接続水域入域回数は2023年352回と高水準だ。
また、日本周辺に大規模な軍事力が集中していること。陸上兵力では、北朝鮮が約110万人、中国約97万人、ロシア約54万人で、日本の陸上自衛隊は約13万人だ。海上兵力では、中国約236万トン、ロシア約207万トンに対して日本の海上自衛隊は約53万トン。航空兵力では、中国3240機、ロシア1450機、北朝鮮550機、日本の航空自衛隊は370機にとどまる。
北村がとくに緊急に対処しなければならない安全保障の課題として挙げるのが、次の3点だ。
第1は、ミサイル・ギャップの存在だ。
北朝鮮は我が国を射程に収める短中距離ミサイルを少なくとも数百発保有している。大陸間弾道ミサイルの開発保有も進めている。中国のミサイル戦力も増強している。米国とロシア間の中距離核戦力(INF)全廃条約の枠組みの外に中国のミサイルは置かれてており、同条約が規制している射程500〜5500kmの地上発射ミサイルを多数保有し、その能力を着々と向上させてきた。
第2は、恒常的な「グレーゾーン」への対処。
尖閣諸島周辺の中国海警の行動に対する海上保安庁の「法的権限」が余りにも貧弱であり、十分な対応がとれない。武器使用については、警察官職務執行法の規定が準用されているのみ。「平時か有事か微妙な状態での衝突未満の状況」を指す「グレーゾーン事態」が深刻化しているという。
第3は、経済安全保障で、サイバー攻撃に対する重要インフラの防衛。
火力、兵力を中心とした軍事的な攻撃以外にも相手国を攻撃する手段が格段に拡がっている。サイバー攻撃、テロやスパイ活動、金融措置によるマーケットの混乱や経済制裁などで、こうした戦術に応じた備えが必要となってきた。インフラを担う事業者は国家の安全保障を意識せざるを得なくなっている。
インテリジェンスがどう活用されているかを、北村はウクライナ戦争を例にして次のように示している。
ロシア軍のウクライナ侵略(2022年2月24日)について、米国がロシアの作戦の概要を把握したのは2021年10月下旬であり、米軍制服組トップのミリー統合参謀本部議長(当時)が10月27日ホワイトハウスでバイデン大統領(当時)に説明した。22年1月にはバーンズ中央情報局(CIA)長官(当時)がウクライナでゼレンスキー大統領と面会してロシアの作戦の詳細を伝え、米国のインテリジェンス支援を約束したという。
ロシアは侵略開始前の2022年1月からウクライナ政府機関に破壊的なサイバー攻撃を仕掛けていた。だが、ロシア側の想定したほどの被害を与えることはできなかった。というのは、米欧のセキュリティ対応部隊が21年末からウクライナ入りして、基幹インフラのシステムを探索し、マルウェアを除去していたからだ。
ウクライナ自体もセキュリティ強化に努めていた。2016年には戦略を策定し、17年サイバー・セキュリティ法を制定して欧米との官民の協力、連携を強化していた。米のマイクロソフトは2022年2月23日にはウクライナ政府機関や情報機関などに対する破壊的なマルウェア攻撃を発見して、直ちにウクライナ政府に技術的な助言を行い、検知から3時間以内に対策が講じられたということだ。
(メモ)
国家安全保障とインテリジェンス
北村滋
2025年7月10日初版発行
発行 中央公論新社
