考察文 シャルル・ボードレールについて

今後、詩人とは何者なのか?試作はどのような可能性があるのかについて考えていこうと思う。
その中でフランスの詩人ボードレールについて考察したい。
彼は詩人であり批評家でもある。それは代表作「悪の華」にも反映されている。

ボードレールは詩という文学空間の可能性を最も早い時期に提示した詩人であり、彼の後に続くランボー、ヴェルネール、そしてマラメルらに決定的な影響を与えたことから、「近代詩の父」と称される。また、批評活動でも優れた功績を残している。

「批評家が詩人になるという事は、驚くべき事かもしれないが、詩人が批評家を蔵しないということは不可能である。私は詩人をあらゆる批評家の中の最上の批評家と考える。」フランスの詩人、シャルル・ボードレールからの抜粋だ。


批評と試作には、親和性が弱いような気がするが、言葉を扱う試作という行為の本質に気付いたことは発見である。

以前にも投稿したことだが、ボードレールの影響は芸術全般に至る。それは詩人による詩人の為の運動ではなく、芸術全体を革命に導く運動だった。
その影響を最も受けた芸術が音楽であり、ワーグナーの存在と楽器の発明により、異常な発展を可能にしていく。
皮肉なことに、芸術界全体のビッグバンと反面に、詩人は内面的経験のみを頼りにさ迷い続けることになる。

科学万能の世界に成り、学問は自然科学、功利主義や理系優先に切り替わる。
産業革命から、資本主義と戦争の歴史は新しい。
学問と芸術は、完全に分離して、職業的性質を強くしていく。
芸術は、職業的、また技術的側面を糧に、プロとアマに境界線をつくる。
音楽や、絵画芸術、舞台芸術、彫刻芸術、映像表現など職業芸術家は、その本質に技能と科学的で実践的、功利主義な無意識的目的を無視できない。
私は現代に芸術家はいないと考える。
それは実践的芸術家であり、職人としての芸術家である。それは利益優先で資本主義の本質を疑わない愚者の思想だからだ。
よく詩人は革命家や思想家として多大な功績を遺すのは、その批評精神にあると思う。
言葉という、人間の根元的表現で、学問的にも芸術的にも横断出来る芸術は試作しかない。

私は思う。
今後この世界を革命に導く思想家が生まれるとすれば、学者でも芸術家でもなく、両者を俯瞰して見る批評家ではないか?と。
そしてその余白に、創造的活動の一端が、ボードレールが起こした人類の気付きというビッグバンを起こす鍵ではないかと。

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