刑事が突然やって来た日|グリコ森永事件と、普通の家庭の奇妙な一致
刑事が突然やって来た グリコ森永事件と、我が家の奇妙な一日
この記事でわかること:
✔グリコ森永事件とはどんな事件だったのか(おさらい)
✔素人探偵の私が、なぜ刑事に訪問されたのか
✔事件と我が家の「偶然の一致」が4つもあったという、笑えるような笑えないような話
✔今もなお未解決のまま時効を迎えたこの事件を、改めて考えてみる
はじめに
「あの日」のことは今でも忘れない
今から約42年ほど前の話です。これは、私の実体験の話しです。
あの頃の私は、浪人生でした。将来への夢を胸に秘め(とはいえ毎日ダラダラしていたのですが)、自室のベッドに寝転がって天井を眺めるのが日課だった、そんな青春のワンシーン。まさかその平和な午後に、「刑事ドラマ」の一場面が自分の家で繰り広げられるとは、夢にも思っていませんでした。
これは、日本犯罪史上でも最も謎めいた未解決事件のひとつ「グリコ森永事件」と、ごく普通の我が家との、奇妙な接点のお話です。
ある日突然、玄関チャイムが鳴った
チャイムの音がした。
特に気にも留めなかった。宅配便かな、ご近所さんかな——浪人生の私には、さほど関係のない話です。「明るい将来の可能性を秘めた青年」(自称)は、呑気に寝転がったままでした。
ところが、階下から母の声が断片的に聞こえてきます。
「……警察……」
え?
「……警察の方が……」
あれ?
頭の中で猛スピードで記憶を検索します。スピード違反? 信号無視? いや、そもそも免許も持ってないし……。
「部屋で寝てる場合じゃないかもしれない」
そう気づくのに、5秒かかりました。

事件の全貌と、我が家に刑事がやってきた理由
グリコ森永事件とは何だったのか
ここで、事件の背景を少し整理しておきましょう。知っている方も、おさらいとしてお読みください。
**グリコ森永事件(1984〜1985年)**は、大手食品メーカーを次々と標的にした、日本初の大規模「企業恐喝事件」です。
発端は1984年3月。江崎グリコの会長・ E・S 氏が自宅から拉致されるという衝撃的な事件から始まりました。E・S氏はその後脱出に成功しますが、犯人グループ「かい人21面相」はその後も脅迫を続けます。現金の要求に応じないと見るや、今度は「毒を入れた菓子を店頭に置いた」という脅迫状を送りつけ、実際に青酸入りのお菓子が店頭で発見されるという、前代未聞の事態に発展しました。

標的となった企業は、江崎グリコ・森永製菓・丸大食品・ハウス食品・不二家など、名だたる食品メーカーばかり。「かい人21面相」を名乗る犯人グループは、挑発的な脅迫文を警察やマスコミに送り続け、日本中を恐怖と混乱に陥れました。
捜査の過程で浮かび上がったのが「キツネ目の男」と呼ばれる人物です。滋賀県内のファミリーレストランで現金を受け取ろうとしたとみられる不審な男の似顔絵が公開され、日本中の目がその顔に釘付けになりました。しかし犯人には最後まで辿り着けず、2000年に時効が成立。現在も未
解決のまま、日本犯罪史に深く刻まれています。

脅迫文の特徴として広く知られていたのが、漢字・ひらがな・カタカナの活字を組み合わせた独特のタイプライター印字(活版印刷) でした。この「タイプライター」こそが、我が家に刑事を呼び込んだ、すべての原因だったのです。
この「タイプライター」は販売店に身分登録をする必要があり、また、1台づつ識別出来るように「ある活字文字」に特徴を持たせている機種だったのです。2時間ドラマとかで見たことないですか?「脅迫文のこの文字のここが欠けている特徴があるのでメーカーに問い合わせろ」って叫んでいる2時間ドラマの帝王 船越英一郎さんのシーンを!!
応接室での聴取
玄関先に立っていたのは、長身で細身の男性と、小柄で恰幅の良い男性の2人組。2人が差し出した警察手帳を確認した私と母は、玄関脇の応接室へ通しました。
刑事の話はこうです。
「お父様が所持されているタイプライターが、グリコ森永事件の脅迫文作成に使われたものと同型機種である可能性があります。ついては、タイプライターの印刷用リボンをお預かりできますか?」
母と私は顔を見合わせました。
「……ああ! あのタイプライター!!」
そうです。父はボランティア活動の広報を作成するためにタイプライターを使っていたのです。漢字・ひらがな・カタカナの活字を繋ぎ合わせ、紙に文字を印字できる、当時としては立派な機械です。父が所持していたのは、まさにその「同型機種」だったというわけで。販売店に登録していた身分情報を元に尋ねてきたということでした。
(心の中でそっとつぶやきました。「でも、もし本当に脅迫文を打ってたとしたら、リボンなんてとっくに処分してるんじゃ……?」 もちろん口には出しません。)
刑事たちはリボンを受け取った後も、父の職業、日常の行動範囲、そして「運転している車の色は?」と聞いてきました。
4つの「偶然の一致」が発覚する
刑事が帰ったのは、約1時間後のことでした。
玄関を閉めて、母と2人でぼーっとしていると、ふと気づいてしまったのです。我が家と事件との間に、偶然の一致が4つもあるという、笑えるような笑えないような事実に。
① 父は同型のタイプライターを所持している
これはもう、刑事が来た理由そのものです。
② 父が運転する車は、深いワインレッド色だった
捜査の過程では「犯人グループが乗っていた車の色」についての情報もありました。父の車の色は——はい、深いワインレッドです。

③ 私は「毒入り菓子が置かれたスーパー」でバイトをしていた
(店舗は異なりますが)以前の記事でも書きましたが、私はまさにこの事件で「毒入り菓子が置かれた」ことのあるスーパーマーケットでアルバイトをしていたのです。偶然とはいえ、ちょっとゾッとしますね。

④ 私の目は、少しキツネ目
これが一番笑えます。笑えるか、笑えないか、微妙なラインですが。日本中に公開された「キツネ目の男」の似顔絵——あれ、なんとなく自分に似てなくもないと思っていたのは、ここだけの話です。

以上4点を母と確認し合い、私たちはしばらく無言でした。
その後、刑事が再び訪ねてくることはありませんでした。預けたリボンも、返ってくることはありませんでした。なぜ返ってこなかったのか、今となっては聞くすべもありませんが——たぶん、どこかの証拠品倉庫の片隅にひっそり眠っているのではないかと思っています。
42年後の余韻
グリコ森永事件は、2000年に時効を迎えました。
犯人は今も名乗り出ていません。「かい人21面相」も、「キツネ目の男」も、今はどこかで静かに年を重ねているのでしょうか。それとも、すでにこの世にいないのでしょうか。
あの日、刑事が我が家のチャイムを押した瞬間を、私は今でも鮮明に覚えています。「何もやましいことはない」とわかっていても、あのヒヤヒヤ感は本物でした。(念のため言いますが、我が家は完全に無関係ですよ!!)
それでも、あの事件がいかに日本社会を揺るがし、普通の家庭の玄関先にまで波紋を広げたか?!その「リアルな余波」を、私自身が体感した一人であることは確かです。
素人探偵気取りで振り返ってみると、今でも謎だらけのこの事件。
もしかしたら、まだどこかに「答え」を知っている人がいるかもしれない。
そう思いながら、今日も私はコーヒーを一口飲み、42年前の「あの午後」に想いを馳せるのです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。もし「前回の記事(バイト編)」を読んでいない方は、ぜひそちらもどうぞ。事件との不思議な縁は、あの頃からすでに始まっていたのかもしれません。
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