#30 水色のちいさな旅
温水プールにいく。
ただ、それだけのことを
私はここ数日ずっと考えている。
きっかけは、夫の身体のまるみが
すこしばかり気になりだしたことだった。
それに、私たちももう40歳。
ただなんとなく過ごしているだけでは
健康を保てない年齢にさしかかっている。
だからといって、
二人でストイックに走ったり、
ジムに通って汗を流したりするのは、
私たちの暮らしのテンポには、
どうにも早すぎるような気がするのだ。
べつに泳ぎたいわけではない。
ただ水のなかを歩きたいのだ。
水着に着替えて、
大きなビート板を抱えたりもしないで、
ただゆっくりと、
プールの底に足の裏をつけて歩く。
外は、あるいはいつもの毎日は、
すこしばかり辻褄が合いすぎている。
歩けば歩いた分だけ進むし、
声をだせばすぐに誰かに届いてしまう。
そういう、あまりにも
はっきりとした世界に長くいると、
ときどき、自分の輪郭が
ぎざぎざと尖ってくるような心地がする。
だから、温水プール。
まだ、私たちは実際に
そこへ行ったわけではない。
今はただ、リビングのソファで、
そんな風に二人で水の中を歩く時間を、
頭のなかでそっとなぞっているだけだ。
あの、すこし塩素の匂いのする、
湿ったあたたかい空気のなかに
足を踏み入れる。
それだけで、日常の細かなトゲが、
すうっと溶けていくような気がする。
水に身体を沈めるとき、一瞬だけ、
じわじわとあたたかさが
皮膚を浸していく。
冷たくない、けれど熱くもない、ぬるい水。
それはまるで、遠い昔に
どこかで忘れてきてしまった、
とても安全な場所の温度のようだ。
歩きはじめると、
身体は驚くほど軽くなる。
けれど、進もうとすると、
目に見えないやわらかな壁が、
いつでも行く手を優しく阻む。
いち、に、と心の中で数えながら、
ゆっくりと足を前にだす。
腕は自然に、水のなかで頼りなく揺れている。
耳まで水に浸かると、
まわりの音がぜんぶ、
遠くの出来事みたいに、
ぼんやりとした泡の音に変わってしまう。
だれかが遠くではしゃいでいる声も、
水面を叩く音も、
すべてが優しく濾過されて、
私たちのところには届かない。
私たちは私たちだけの、
とても静かな、
だれにも邪魔されない部屋のなかにいる。
ただ歩いているあいだ、
私たちはなにも考えていない。
今日の夕飯のこととか、
明日までに返さなければいけない
メールのこととか、そういうことは、
プールの底の、
タイルの青い色のなかに
ぜんぶ沈んでいってしまう。
ただ、水の重みを感じ、
自分の呼吸の音を聞く。
それだけで、胸の奥のほうが、
ゆっくりとひらいていくのがわかる。
ときどき、すれ違う人がいる。
同じように、ただ黙って、
ゆっくりと歩いている年配の夫婦。
私たちは視線を合わせることもなく、
ただ、同じ水のなかを、
それぞれの速度で通り過ぎていく。
その、つかず離れずの、
名前のない関係が、
きっととても心地いいはずだ。
お互いに、ただここに
存在しているだけでいい、
というような、静かな肯定がそこにはある。
一時間ほど歩いて、水からあがるとき、
身体は急に、ずしりと重くなる。
地球の重力というものを、
そのとき初めて思い知らされる。
けれど、シャワーを浴びて、
乾いた服に着替えたあとの私たちの身体は、
来る前よりもずっと、やわらかく、
しなやかになっている。
心のなかのぎざぎざは、
すっかり丸くなって、もうどこも痛まない。
夕方、プールの建物の外にでると、
見慣れた街の景色が、
さっきよりもすこしだけ、
優しく、愛おしいものに見える。
私たちはまた、いつもの、
辻褄の合いすぎる世界に戻っていく。
けれど、私たちの皮膚のどこかには、
まだあの、ぬるい水の、
やわらかな記憶がのこっている。
それだけで、明日もまた、
すこしだけ上手に
生きていけそうな気がするのだ。
「ねえ、来週あたり行ってみない?」
そう言って夫を誘うための言葉を、
私は心のなかで、そっと温めている。
今日も最後まで読んでくださって
本当にありがとうございます。
温水プールって行ったりしますか?
また遊びに来てくださいね。では。
