表現の狭間にある22/7:現状の作品から思われること
アイドルグループ「22/7」において、現在展開されている2期生と3期生のミュージックビデオ(MV)の再生回数の伸び率の対比は、単なる制作技量の差ではない。
・2期生『お姉ちゃんだから』1.1万回視聴
・3期生『叫ぶしかない青春』21.1万回視聴
それは、22/7(ナナニジ)がグループが創設以来抱えてきた「存在の証明」という根源的な哲学への、回帰かあるいは逸脱かという重大な問いを孕んでいるいるのではないだろうか。
2期生:ポップの受容と「投企」の欠落
2期生の作品「お姉ちゃんだから」のミュージックビデオに顕著なのは、現代のトレンドに最適化されたポップな演出への傾倒である。メンバー同士の親密な笑顔や日常の切り取りは、一見すれば「アイドルとしての等身大の姿」に見える。しかし、22/7の原点にある哲学に照らせば、このアプローチには危うい側面がある。
サルトル的な文脈で言えば、人間は自らを「投企」(プロジェ)することで初めて実存を獲得する。しかし、2期生の映像作品には、過度なトレンド追従ゆえに、22/7(ナナニジ)そのものの世界観となる「自己の現れ」を欠いた様子が漂う。
これは、「何者か」として世界と対峙すべき22/7のメンバーが、単なる「可愛い存在」という既成のカテゴリーに安住しているようにも見える。

そこに深い哲学的思索や葛藤の影が見えないのは、楽しい、笑顔による女の子達という、彼女たちが既存のトレンドという「安易な型」に自らを適合させてしまっているからかもしれない。
視聴者がそこに「繰り返し観る価値」を見出しにくいのは、作品が視聴者の魂を揺さぶる「実存的衝突」を回避し、単なる表層的な心地よさを提供するに留まっているからに他ならないのではないだろうか。
3期生:編曲による「存在」の再構築
対照的に、3期生が提示した「叫ぶしかない青春」は、22/7の哲学への鮮やかな回帰である。特筆すべきは、本作が単なる既成曲のカバーではなく、編曲という行為を通じて「世界観の再構築」に成功している点だ。
浦賀ドックという閉鎖的かつ重厚なロケ地の選定は、単なる視覚効果ではない。それは、世界に放り出された個が、自らの声で世界を切り拓こうとする「世界内存在」としての葛藤を体現する舞台として機能している。3期生は、過去の楽曲を単に歌い継ぐのではなく、現代の彼女たちの解釈という「新たな眼差し」を通して再定義した。
カメラアングルが生み出す緊張感、そして編曲によって増幅された歌声の迫力は、視聴者に対して「なぜ今、この言葉を叫ばねばならないのか」という問いを突きつける。


これは、過去の作品に宿っていた「実存的苦悩」を、3期生が自らの身体を介して現在の時間軸へと召喚している行為に他ならない。再生数が示唆する圧倒的な支持は、視聴者が単なる娯楽を求めているのではなく、楽曲に刻まれた「魂の叫び」という22/7の本質的な哲学に共鳴している証左となるのかもしれない。
哲学の変容がもたらす分断と統合
2期生と3期生の対比
両者の対比は、22/7が現在抱えている「哲学的座標の揺らぎ」を浮き彫りにした。
2期生が選択したポップなトレンド路線は、大衆への即効的なアピールにはなるものの、グループが守るべき「不可分(22/7)」な世界観を希薄化させるリスクを孕んでいるように見える。その傾向は、「あなたでなくちゃ」、「理論物理学 僕の推論」から表れてきているということができるのかもしれない。
一方で3期生の試みは、過去の遺産を脱構築し、新たな実存を提示することで、グループを本来あるべき「思索する集団」へと引き戻し、再構築した作品がつくり上げられている。その作品群となるのが、22/7_the 3rd プロジェクトによって発表されている。
22/7(ナナニジ)というグループが、単なる「可愛いアイドル」と変容するのか、それとも「音楽を通して世界を問い直す哲学的存在」として在り続けるのか。その分水嶺は、まさに今、この両者の表現の狭間に存在している。
22/7に求められる哲学
3期生による22/7_the 3rd プロジェクト 第3弾「叫ぶしかない青春」の成功は、ファンが依然として、この22/7(ナナニジ)グループに「単なる笑顔」ではなく、「世界と対峙する強さ」を求めていることを意味するのかもしれない。
2期生にとって必要なのは、トレンドやポップを追うことではなく、22/7(ナナニジ)という器において自らが「いかなる存在でありたいか」という実存的な問いを、作品の細部に宿すことなのではないだろうか。
22/7(ナナニジ)の哲学とは、完成された完璧なアイドルを提示していないように感じるのである。むしろ、未完成な個が世界とぶつかり、軋み、その痛みを通じて自己を定義していく過程そのものを提供していると言えないだろうか。
楽曲:22/7の哲学への「回帰」と「再構築」
3期生による楽曲表現は、グループ創設期から続く「世界に放り出された個の孤独」と「そこから叫び出される実存」という22/7の核心的哲学への鮮やかな回帰を遂げている。
また、既存曲を現代の感性で編曲し、ミュージックビデオのロケ地に、浦賀ドックという閉鎖的な空間において「再構築」する手法は、単なる継承を超えた野心的な行為である。浦賀ドック(旧造船所)は、大型船舶を作って来た住友重機械工場の旧造船所となる。22/73期生を大きな形(大型船舶)に作り上げ、(芸能界という)海洋への門出を物語る、潜在的な意味が垣間見えてくる。


ここで重要なのは、3期生たちが過去の楽曲を単に「再現」しているのではなく、今の自分たちが背負っている痛みや葛藤という「現在進行形の実存」を、かつての楽曲にある歌詞で再構築している点にあると思う。
深い哲学に裏打ちされた厳しい眼差しや、聴く者の魂を揺さぶる歌声は、彼女たちがこの世界を「所与のもの」として受け入れるのではなく、自らの力で解釈し直そうとする意志の表れに他ならない。
これは、ニーチェ的な意味での「価値の再創造」であり、22/7が本来持っていた「思索するアイドルの系譜」を次世代の肉体へと継承することに成功しているのではないだろうか。
ショート動画とミュージックビデオの相乗効果
3期生の活動における、重厚な楽曲MVと対照的なショート動画の展開は、22/7(ナナニジ)の哲学を現代的に止揚(アウフヘーベン)した、極めて洗練された戦略的二元論であると捉えることができる。
22/7_the 3rd『#叫ぶしかない青春』
— 22/7(ナナブンノニジュウニ) (@227_staff) June 6, 2026
MVオフショットをお届け📸#ナナニジ3rd pic.twitter.com/M5Dn6bt2Xz
SNS等で展開されるショート動画群が醸し出す「楽しさ」や「ユニークさ」は、楽曲で見せるシリアスな姿との決定的な対比を生み出している。これを単なるオフショットやファンサービスとして矮小化してはならない。ここには、アイドルの「実存」を補完する重要な人間的側面が映し出されている。
楽曲のミュージックビデオが「個の内面への潜行」する哲学を表すものであるならば、ショート動画で見せる彼女たちの姿は「他者との関わり合い(間主観性)」の提示である。仲間同士でふざけ合い、無邪気に笑う姿は、彼女たちがただの「哲学的な概念の器」ではなく、血の通った生身の人間であることを証明している。
楽曲で「世界の厳しさ」を表現し、ショート動画で「日常の輝き」を肯定する。この二項対立的なアプローチこそが、3期生という存在に立体的かつ多面的な奥行きを与えているのである。
22/7における「哲学」と「生」の調和
3期生による、楽曲とショート動画の乖離は、矛盾ではない。むしろ、22/7というグループが本来志向していたはずの「不可分(22/7)な世界」の具現化ともいえるだろう。
楽曲において彼女たちは「哲学の担い手」として孤独に立ち、自らの存在理由を問い直す。一方で、ショート動画において彼女たちは「生の喜びを享受する一人の若者」として他者と交感する。
この極端な振れ幅こそが、現代のアイドルに求められる「重層的な自己」の完成形と言えるのではないか。3期生は、楽曲を通じて「世界との対峙」という厳粛な義務を遂行しつつ、動画を通じて「生きていることの歓喜」を無邪気に発露させている。
結び:両義性が生む圧倒的な求心力
2期生の作品が提示した「ドキュメンタリーとMVの断絶」が哲学的な亀裂を生んでいたのに対し、3期生が見せているのは、シリアスな「哲学の探究」とユニークな「人間性の解放」という両極端を、高いレベルで共存させるという高度なバランス感覚がみられる。
現在、ファンが3期生によるミュージックビデオに、圧倒的な支持を寄せるのは、彼女たちが単に「歌がうまい」「可愛い」からではないと思う。楽曲が提示する「厳しい世界観」の深みにある。さらに、ショート動画で垣間見える「人間味あふれる日常」に触れることで、観客は彼女たちの人生そのものに没入し、引き込まれるのではないだろうか。
22/7(ナナニジ)は、哲学を現代の文脈で再構築する「芸術家」としての側面と、等身大の人間として笑い合う「仲間」としての側面を統合し、アイドルという形式を一種の「総合芸術」へと高めようとしている。この二元的な活動のあり方こそが、22/7が今後も分断を乗り越え、唯一無二の存在として進化し続けるための、最も強固な指針となるであろう。
追記
決して、2期生が22/7としての哲学を表現できていないわけではない。彼女たちの活動と表現能力には、確かにグループの精神が宿っている。
「最後のピアノ」における相川奈央の台詞は強烈なメッセージ性を放ち、「ハレロ」で見せる椎名桜月の歌声と台詞には、哀愁漂う独特の魅力がある。また、麻丘真央の力強い歌声は聴く者の心に訴えかける。
月城咲舞のダンスは観る者を惹きつける力強く・哀愁を表現している。特に、「最後のピアノ」や「春雷の頃」によるダンスは目を奪われる。
望月りのの歌声や台詞もまた、深い響きを持ってファンを魅了してやまない。特に「曇り空の向こうは晴れている」の台詞は、22/7の世界観を変えたと言えるものがあるかもしれない。
こうした個々の表現の積み重ねこそが、今の22/7の楽曲を形作っており、そこにグループの哲学が見事に結実している。特に「曇り空の向こうは晴れている」が獲得した圧倒的な人気は、2期生による歌声・台詞の力がファンの心を深く捉え、その評価を不動のものとした結果であるといえるだろう。
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