第十二章 山上のウタリ
三枝帰る日
三枝は二日間、中里にお世話になった。
「もう帰られるのですか。寂しくなりますね」中里は目を細め、優しく微笑みながら言った。その声には名残惜しさが滲んでいた。
「一応、調査は終了したので」三枝は少し気まずそうに頬を掻きながら答えた。
三枝は、中里と玄関の前で会話をしていた。ウタリがいるかどうかは分からない。
「では帰ります。お世話になりました」三枝は深々と頭を下げた。胸の奥が妙に痛んだ。
「いえいえ、またいらしてください」中里は両手を軽く合わせ、心からの言葉を伝えるように目を見て言った。
「そういえばウタリは?」三枝は訊いた。
「さっきまで、居たんですがね…寂しくなったのでしょう」中里は首を傾げ、家の中を振り返った。
「そうですか…。じゃあ、ウタリにもお礼を言っておいてください」
三枝は家を離れて、山を下りて行った。降りて数分、軽トラと並んで、青いコンパクトカーが置いてある。それに荷物を積んで帰る。荷物をトランクに放り込む音が静かな山中に響いた。
三枝は、車に乗り込んだ。髪を整えるために鏡を覗き込み、少しため息をついた。ドアを閉めた途端、座席横のドリンクボックスに、無意識にペットボトルを差し込んだ。三枝は長いため息をついた。
すると、ドリンクボックスの水が音もなくなっていくのが見えた。
「ウタリいるの?」三枝は驚きで目を見開き、心臓が高鳴るのを感じながら、車に乗り込み、後ろを振り向いて後部座席を見た。ウタリは物言わずに座っていた。微かな輪郭だけが見える。
「やっぱりいるんじゃん。前の席に来なよ」三枝の声は高揚し、頬が緩んだ。
三枝は、昨日の夜、ウタリが見えたが今日は見えなくなったことに悲しい思いをした…。
「いや、ここの方が落ち着く。それに志乃の運転どうだか…」三枝は眉をひそめた。
「中里さんに、一緒に行くって伝えたの?」三枝は訊いた。
「いや、伝えてない」
「伝えてきなよ。また、怒られるよ」三枝は諭すように言った。
「出かけるって、紙に書いてきた…」
「なんだ、それなら、オッケーだね」三枝は、少し笑みを浮かべながらハンドルを握る。
その頃、中里は、家の居間で掃除をしていた。
窓から差し込む日の光が床に映り、部屋を明るく照らしていた。テーブルの上に、紙が一枚あるのを発見したが、何が書いてあるか分からない。「あの絵は、何なんだ…」中里は、掃除しながら考え込んだ。眉間にしわを寄せて、紙を手に取る。紙には、鉛筆で書いた子供の絵のような線が書かれていた。中里は首を傾げ、窓の外を見た。
「いつものところまででいい?」足をバタバタさせ、後部座席を叩く音がする。三枝は、ウタリの気持ちだけを察して、車を発進させた。
「中里さんと暮らしているんだ。とても、いい人だね。」三枝は後部座席にいるウタリをチラチラ見る。
「この道もウタリと歩いたよね」三枝は懐かしそうに言った。
「いつになっても帰らないから、道端に座って待っていたら、両親に叱られた」思い出に浸るように目を細める。
「あの時、結構、歩いたんじゃない。山を登って、大きな杉の木を見て、そこから、山を下りたら、この道にたどり着いた」言葉が喉につかえ、三枝は一瞬黙った。足音がしなくなった。車内に静寂が流れる。
話しているうちに、アスファルトの道まで着いた。木々の間から開けた景色が見える。
「ここでいい?」三枝は、声を詰まらせそうになりながら訊いた。ウタリが頷いたのを感じ取る。
「ウタリ、また、一緒に遊びたい。それは今でも変わらないよ」三枝の声は震え、目に涙が浮かんだ。
「今、ここで別れれば、また、ウタリが見えなくなるんじゃないかと怖くて、悲しい…」
三枝は後ろを振り向いた。ウタリはいなかった。すると、助手席にいて、「びっくりした。突然、そばにいるんだもん」と、三枝は心臓が一瞬止まったように感じた。
すると、ウタリは、三枝の頭を撫でた。温かい感触が、三枝の全身を包み込んだ。三枝は、一時的にボーっとしてしまった。時間が止まったかのような感覚。助手席のドアが開き、閉じた音で、三枝は我に返った。
「ウタリ…」三枝は、車から出て、辺りを見回した。すると、草が動いて、山を登っていくのが見えた。
すると助手席に、一枚の紙があった。それを三枝が開くとクレヨンで描いた絵だった。
「ウタリが書いたんだ…」
”ありがとう またきてね”と三枝と隣にウタリ、顔だけだけど、中里の絵が描かれていた。
「さようなら。また、会いにくるね」三枝は、涙を拭き笑顔になった。
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