ドーナツの穴と自分らしさ|役割を終えても残るもの
おやつやお茶の時間に、ドーナツを食べる機会はありますか。
丸い形をしていて、真ん中にぽっかりと穴が開いている。私たちはその姿を、ごく当たり前のものとして受け入れていますよね。
でも、なぜドーナツには穴が開いているのでしょうか。
実は昔、生地の真ん中まで均一に火を通すのはとても大変な作業でした。
そこで、真ん中をくり抜いて熱を通りやすくしたのが始まりだと言われています。
つまり、あの穴は「おいしく安全に揚げるための、必死の工夫」だったのです。
今では技術が進み、穴がなくても中までおいしく揚げられるようになりました。
それなのに、私たちは今も穴の開いたドーナツを選び、作り続けています。
今日はドーナツの「穴」を見て、考えたことを話していきたいと思います。
🍩 機能から「アイデンティティ」へ
最初は機能のために作られた穴が、技術が変わって必要性がなくなった後も残り続けました。
穴のある姿を見るたびに「ああ、ドーナツだ」と感じます。あの丸い空白があってこそ、私たちはそれをドーナツと呼び、長く親しんできました。
いつの間にか、「穴」が自分らしさの一部になっていたのです。
役割を終えたはずの工夫が、そのものの魅力を形作る大切な要素になる。これはとても興味深い現象だと思います。
🌱 私たちの心にある「かつての作戦」
このドーナツの穴のような変化は、実は私たちの心や生き方の中にも、たくさん隠れているのではないでしょうか。
みなさんの中にも、「どうしてもやめられないクセ」や「ついやっちゃう行動パターン」はありませんか。
たとえば、過去の失敗から身につけた、過剰なほど慎重すぎる判断のクセ。あるいは、周囲に認めてもらいたくて続けてきた、少し無理のある頑張り方。
そのとき浮かんだクセや行動は、どんな場面から生まれたものでしょう。
きっと、それが始まった頃には意味があったはずです。
その場所で、その人間関係の中で、自分を守りながら一生懸命に生き抜くための「大切な作戦」だったのではないでしょうか。
やがて環境が変わり、そこまで身構えなくても大丈夫な状況になったとしても、体に染みついたやり方は簡単には消えません。
気がつけば、それが「私らしさ」や「私のスタイル」として残っていることが多いのです。
💭 不器用な私の「穴」
私自身にも、ずっと抱えている「穴」があります。それは、物事を「考えすぎてしまうこと」です。
何かに挑戦するとき、良い結果だけでなく、最悪の場合まで細かく想定しておかないと、どうにも落ち着きません。周りからは「もっと気楽にやればいいのに」と言われることもあります。
なぜこんなクセがついたのかを振り返ってみると、私の中に「臨機応変な対応が苦手」という欠点があるからでした。
その場でパッと判断して動けないからこそ、あらかじめあらゆるパターンを予測しておく。それが私なりの、必死の防衛策だったのです。
この「考えすぎるクセ」があったからこそ、救われた場面も、乗り越えられた壁も、たくさんありました。欠点から生まれた工夫が、今では私という人間を形作る大切な個性になっています。
☕️焦らなくて、いい
もし、ご自身の中にある「昔からのクセ」を嫌だなと感じたり、変えたいなと焦ったりしている方がいたら、どうか自分を責めないであげてください。
そのクセは、あなたがこれまで様々な荒波を一生懸命に泳ぎ切ってきた、大切な足跡です。
次にドーナツを見かけたときは、その真ん中の穴をそっと見つめながら、「これも私を支えてくれた個性なんだな」と、ご自身の過去と現在に少しだけ優しい目を向けていただけたら嬉しいです。
今日も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
