「僕はなぜ、お金を失うことに鈍かったのか」
僕は、養子として育てられた。
父は映画の美術や舞台をつくる人で、
母は小さな会社を経営していた。
母は身体が強くなかった。
それでも、
僕に対しては何もかも与えてくれた。
欲しいと言えば、ほとんどのものは手に入った。
教育も、遊びも、環境も。
学生の頃、友人が新車を買ってもらったと言えば、
僕にも同じように新車が用意された。
その頃の僕は、
それが特別なことだとは思っていなかった。
妻もまた、豊かな環境で育った人だった。
ただ、
その 豊かさ の質は少し違っていた。
彼女の家は、誰かが苦労して築いたものの上にあった。
祖父が仕事で大きくし、家族を支え、
その結果としての豊かさだった。
一方で僕は、
理由も仕組みも知らないまま、与えられて育った。
今ならわかる。
僕は「お金の重さ」を知らなかった。
お金がなくなるということを、
本当の意味で理解していなかった。
なぜなら、
なくなりそうになった経験がなかったからだ。
結婚して、生活が始まり、
少しずつ歯車が狂い始めたときも、
どこかで思っていた。
「なんとかなるだろう」と。
でも、ならなかった。
気がついたときには、
もう引き返せないところまで来ていた。
振り返ると、
僕の中にはずっと
見えない前提があった。
「必要なものは、いずれ与えられる」
それは、子どもの頃には正しかった。
でも大人になってからは、完全に間違っていた。
妻とは、同じように 恵まれた側 に見えて、
実はまったく違う価値観を持っていたのだと思う。
彼女は「築かれたものの上」に立っていた。
僕は「与えられたものの中」にいた。
その違いは、
何かを失いそうになったときに、はっきりと出る。
僕は、最後まで現実を見るのが遅かった。
そして、破産した。
これは、不運でも、運の悪さでもない。
ただ一つの理由だと思っている。
僕は、お金を失うことに鈍かった。
