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好評だった休日遠足が自然消滅した訳

筆者は小学生時代を大阪で過ごした

大阪といっても、大阪・京都・奈良の県境が交わる地点、ちょっと珍しい「三国境」であり、大自然に囲まれた里山地帯であった

この三国境を舞台に、本noteの主人公となるのが、小学3年時の担任教師だった清水先公である

当時、清水先公が受け持つクラスの生徒だった筆者からすると、正直、清水先公は、好きな部類の教師ではなかった

理由はシンプル。清水先公は、クソがつくほど真面目も真面目、真面目過ぎる性格の先公だったから、ガキンチョからすると、どこか物足らない、つまらない先公だったのである

しかし、「真面目」というのも度が過ぎれば、ひとつの「キャラ」のようでもあり、今思うと、当時の筆者を含む生徒たちは、清水先公の真面目過ぎる性格に、知らず知らずのうちに惹かれていたのかもしれない

忘れられないのが『清水先公、生徒の前で大号泣事件』である

事の発端は、授業中の校舎内に、どこからか野良犬が侵入してきた… そんなキッカケだったと思う

学校に野良犬登場となれば、生徒たちは大パニック… これはお約束だが、そんな混乱のさなか、わんぱくな男子生徒数名が、縦笛片手に野良犬迎撃態勢を整え始めた

ま、端的に述べれば「野良犬を学校から叩き出せ」的な機運が高まったわけだが、それを目にした清水先公の顔色がみるみる変わった

「待てい! きみたち! 犬だって、きみたちと同じ生き物じゃないか!」

さあ、武器を下ろしなさい。縦笛をロッカーにしまいなさい、と清水先公に諌められ、わんぱく男子たちは一気にトーンダウン。野良犬の事は忘れて、つまらない日常、いつもの退屈な授業の流れに戻された…と思いきや、これで一件落着とはならなかった

清水先公、なんとそこから、自身が少年時代に出会った野良犬の思い出を、切々と語り始めたのである

なんでも清水少年、学校帰りだかに野良犬に懐かれ、可愛くなってきたので、そのまま自宅に連れて帰り、父親に「飼いたい」と土下座までして懇願したのだが、父親からは「だめだ! 捨ててこい!」と大目玉を食らったという

飼うことは叶わず、泣く泣く出会った場所まで野良犬を連れ戻し、お別れしようとしたが、何回追い払っても、野良犬が付いて来ようとするので、清水少年は「許せ」と、野良犬の首にリードのように紐を巻き、その一方を側の大木に結んだ。そして後ろを振り返らず、ただ、親切な人に拾われてくれる事だけを願って、その場をあとにしたらしい

「そ、そ、そしたらさあ! うしろからワンワンワンワン吠えるんだよ! 振り返ったらさあ、先生のこと見ながら、ずっと吠えてるんだよ!びえ〜ん💦」

よく「大粒の涙」なんて表現があるが、野良犬との思い出にむせび泣く清水先公の瞳からは、たしかに大粒の何かが連続してポロポロポロポロ弾き出されていた。あんなにも出るかねってぐらいポロポロポロポロ。フィーバーしたパチンコ玉のように。次から次へと。鼻先も真っ赤になっていた

先生、泣いてるやーん‼︎
先生!なんで泣くん!キャー‼︎

教室は大爆笑に包まれた

筆者は冒頭で、あまり好きな部類の教師ではなかった、と書いたが、このように、子供たちの前でも、自身の感情を包み隠さず素直にさらけ出す姿に、どこか愛嬌のようなものを感じ、それが本気で嫌いになれなかった理由では?と、今、心を整理して回想してみると、そう感じる

そんな清水先公は、筆者の記憶では、たしか生粋の京都人で、京都から毎日、マイカーで府境をまたいで、大阪の小学校まで出勤して来ていた

京都の人間なのに、なぜか話し口調は、関西のイントネーション皆無で、それも今思うと不思議である。京都の神社仏閣や大文字焼きが、いたくお気に入りだったようで、授業から脱線した雑談では、京都の神社仏閣がいかに美しいかを、無関心なわれわれガキンチョに向かって熱心に説くなんてこともたびたびあった

顔の雰囲気も、これまた不思議で、昭和の京都のおっさんなのに、瞳は大きく、妙にホリが深かった。まるで京都の神社仏閣に魅了された外国人観光客… といった風貌だった

そんな清水先公が、そのでかいクリクリな瞳で目をつけたのが、大阪・京都・奈良「三国境」に位置していた我が小学校周りの里山地帯だった

毎日出勤して来るうちに、きっと周囲の、のどかな自然に心動かされたのだろう

いつだったか、生徒に向かって、不意にこんな事を言った

「今度の日曜日、先生、ひとりで遠足行きます。来たい人は来ていいよ」

遠足!? ひとりで?

小学校低学年であった我々は、清水先公のこの言葉に、ただただ面食らった。子供にとって「遠足」といったら、それはそれは特別な行事、一大ビッグイベントである。それを何もない平日に、突然、こともなげに開催発表したのだ

当時のガキンチョは「遠足」というワードに、ほんと弱かった。そこへ来て「来たかったら来ていいよ」なんてぬかしやがる。こんなおいしそうなエサに食いつかずにはいられなかった…

と思ったが、いざ、蓋を開けてみると、日曜当日、エサに食いついて集合場所である教室に現れたのは、筆者を含むクラスメイト7〜8名だけであった。男女比は丁度半々だったように記憶している

先生!今日の遠足は、どこに行くんですか?

聞けば、なんのことはない。学校周りの里山散策であった

「先生、ちょっとね、穂谷方面を歩いてみたいんだよ」

穂谷(ほたに)!?

それを耳にした穂谷在住のクラスメイトが声をあげた

「先生!穂谷ってうちの方向やん! 穂谷なんか、来ても何もないで!」

「そっかあ? 何もないかあ? でも先生は、行ってみたいなあ。案内してよ」

なんというか、学校行事の遠足とは、ひと味違う、一風変わった、なんともラフな遠足の幕開けとなった。行き先が特別な場所でもなければ、列を作って歩かなくてもいい、重たいリュックも背負わなくいい。行き先を聞いて失望するクラスメイトも、ひとりもいなかった

子供なりに、清水先公の堅苦しさのない、少人数での軽やかな遠足スタイルに、なにか「新しさ」を感じとっていたのかもしれない。たしかに筆者も、出発前から楽しいと感じていた

まもなく穂谷という坂道を歩いていた時、清水先公が、道沿いの土手の上を指して声をあげた

「ほらあ〜 誰だよ、穂谷は何もないなんて言ったのは。ああやって、そうめん干してあるじゃないか」

顔をあげてみると、藁葺き家屋の軒先で、そうめんが綺麗に竿にかけられ、天日干しされていた

「先生、あんなん、このへんじゃ当たり前やで」

そう言うクラスメイトの顔も得意気でイキイキしていたし、立ち止まってそうめんを眺めていた清水先公の満足そうな横顔も忘れられない

穂谷とは反対方向の住宅地に住んでいた筆者など、そうめんがあのように作られている事を、この時、初めて知った

やがて一行は、坂を登りきり、穂谷の中心部とされているバス停前ロータリーに到着した

記憶が正しければ、ロータリーには、当時、一軒の駄菓子屋があり、男子生徒は、そこで買い食いを始めたのだが、そんな子供たちの姿を目の前にしても、クソ真面目なはずの清水先公は、それをたしなめることをしなかった

買い食いしても、大人に怒られない

われわれ子供は、ますます、清水遠足の「新しさ」に歓喜した。この遠足は… 自由だ‼︎

しかし、そこはクソ真面目でおなじみの清水先公である。その時、われわれ子供たちに向かって、突然、意味不明な事を打ち明け始めた

「実は先生、今日はきみたちに謝らなければならないことがあります」

は? 先生、なに言うてんの?
こんなに楽しいのに、何を謝るん?

清水先公が言うには、今日、穂谷まで散歩しに来たのには、実は理由があった、と。みんなには黙っていたけど、ある買い物がしたくて穂谷まで来たんだ、と

それを今まで黙っててごめんなさい… ということだったが、子供たちからすればどうでも良い、クソ真面目な清水先公らしい告白であった

謝罪を終えると、清水先公は、バス停前ロータリーにのぞむ小道に入って行った。そしてすぐの場所に位置する、立派な門がある日本家屋の前で立ち止まった。昔話に登場するような武家屋敷、もしくは、一帯の大地主といった雰囲気の、大きくて立派な家屋であった

清水先公は、そのまま門をくぐり、われわれも訳のわからないまま、清水先公の後ろに続いた

先生の知り合いのお家なのかな?

「ごめんくださーい!」

清水先公が声をあげると、これまた立派な玄関の重たそうな木戸がゴロゴロと開き、中から、ひとりの老人男性が現れた。突然の見知らぬ客人の来訪、それも大人ひとりと7〜8人の子供たち。にもかかわらず、老人には面食らった様子など見受けられなかった

清水先公と老人は、なにやら話し込んでいたが、やがて老人は家の中に入り、そして一升瓶片手に戻って来た。瓶のガラスは水色で、ラベルも何も貼られていない。中身は白く濁った液体で満たされていた

清水先公は、おもむろに財布を取り出すと、幾らかのお金を老人に手渡し、そして、代わりに一升瓶を受け取った

一行が老人に別れの挨拶を告げ門外へ出たところで、清水先公がひときわ高い声をあげた

「いや〜! 実は先生、今日はこのために穂谷まで来たんだよ!」

清水先公によると、穂谷という地域は、代々、酒蔵を営んでる家屋が、ぽつぽつ点在している里山で、前々から、その風情を体感したくて、この日を待ち侘びていたらしい

「先生が今売ってもらったのは、どぶろくっていう、にごり酒でね、さっき訪問させてもらったお家も、酒蔵を営んでるお家なんだよ」

そんな話をしながら、清水先公は水色の一升瓶を大事そうに、そして嬉しそうに抱きしめながら歩いていた。あまりに嬉しそうな顔をしてたので、お酒なんて飲んだことない、子供であった筆者の目にも、瓶の中の白く濁ったどぶろくが、なんだかとても美味しい、禁断の飲み物のように映った

以上が、第1回 清水遠足の、要点だけかいつまんだザックリダイジェストである

以降も、日曜日の清水遠足は、ちょくちょく開催されたのだが、回を重ねるごとに、少しずつ参加する生徒の人数も増えていった。参加した生徒が月曜の学校で「楽しかった」「面白かった」なんてふれ回るもんだから、そりゃ参加人数も増えていく

なによりも、学校内ではクソ真面目の堅物で、常に しかめっ面だったような清水先公が、里山を散策してる時だけは、ずっとニコニコしていた

筆者にとって、そんな清水先公の横顔を見るのは、決して悪くない ひと時であったし、校内では不人気だった清水先公も、遠足開催によって生徒たちのハートをガッチリ掴めるのだから、お互いにとって、良い事しかないイベントだったと思う

もちろん、清水先公は、生徒の人気取りのために遠足を開催するとか、そんな邪な算段はしていなかっただろうけど

そんななか、あれは何回目の清水遠足だったか

その日は、われわれの校区から、京都の田辺方面まで伸びる雑木林の中の林道を、ただひたすら歩き続けるだけの遠足だった。この遠足を迎えた頃には、クラスの半数、20人ぐらいの生徒は参加していたと記憶している

果てしなく真っ直ぐ伸びる林道。木々が鬱蒼と生い茂った林道を抜けると、その脇には、棚田が形成された斜面、棚田の麓には農業用の水路が通っていた

子供というのは、チョロチョロと水が流れている場所があると、なぜか覗き込む習性がある

「先生、この魚はなんて魚ですか?」
「ん? ああ、それはドンコって名前の魚だよ」

ドンコ?

綺麗な水が流れる水路に、初めて目にする魚。都市のイメージしかない大阪だが、府境には、そんな場所もあったのだ

あれから40年以上過ぎた

今でも、あの景色は、そのままだろうか? あの水路は、あのドンコは、存在しているのだろうか?

棚田を抜けても、まだまだ歩く

歩く

歩く…

そしてまた再び林道

すると林道の脇に、不自然なぐらい綺麗に整備された広場がある事に一行は気付いた

林の中なのに、芝が綺麗に刈り取られたその広場。公園だろうか。近付いてよく見てみると、広場の中心に、なにやら旗が突き刺さっている

そこで初めて合点がいった。これは公園ではない

ゴルフ場だ!

綺麗な広場のように見えたのは、ゴルフ場のグリーンで、旗はグリーンのカップ(穴)に立てられたピンフラッグだったのだ

間近で見るゴルフ場のグリーンが物珍しくて、一行は休憩がてら、しばしグリーン前にとどまっていたのだが…

その時、突然、何人かの生徒が、やかましく騒ぎ出した。一体何事かと目をやると、グリーン上をニョロニョロ横移動していく「謎の物体X」がいるではないか!

エイリアンか!?

謎の物体Xの正体は…

ヘビだった

ヘビというのは、思ってる以上に高速移動する

「先生!あれ見て! ヘビやー!ヘビが出たー!」
「ぎやああああああ‼︎」
「あわわわわわ‼︎」

生徒たちは大パニックに陥ったが、清水先公だけは冷静だった

「きみたち、落ち着きなさい。そのヘビはヤマカガシっていうヘビでね、毒は持ってないから大丈夫。噛まれたって平気だよ」

信じられない話だが、今から40年以上前は、ヤマカガシは生物学的観点からも、まだ毒ヘビ認定されておらず、この僅か数年後あたりから、噛まれた人間の死亡例が報告されるようになり、ようやく毒ヘビ認定に至ったのである

な〜んや、毒はないんか〜 なら大丈夫や

子供というのは単純だ。たとえヘビであっても、毒がないなら、まるで田んぼのドジョウ扱い。ましてや、大人、しかも地方公務員の教師である清水先公から「噛まれても大丈夫」なんてお墨付きまでもらったら、それは格好のオモチャに変貌してしまう

あれは忘れもしない。杉原君だ

杉原君はヤマカガシを追いかけ、その尻尾を捕まえると、陸上競技のハンマー投げのようにグルングルン振り回し、宙に向けて何度も放り投げ始めた

「キャー‼︎」

蜘蛛の子を散らすように逃げまどう女子たち。調子に乗ってエンドレスでヘビを放り投げる杉原。腹が千切れそうなぐらい爆笑する筆者。野良犬は守ったのに、同じ生き物であるはずのヘビは守らず、温かく見守るだけの清水先公…

楽しかった。本当に楽しかった…

けど、

理由は後述するが、結果的に、この『杉原ヘビハンマー投げ』が、筆者的には、清水遠足における「楽しさクライマックス」となってしまう。筆者にとって、楽しさは、まさにこの時が最高潮だったわけだが、楽しさの渦中にいた当時は、面白さや楽しさがピークアウトを迎えていた事に気付いてはいなかった。それもこれも、振り返ってみて初めてわかった事である

休日の楽しい清水遠足は、評判が評判を呼び、それは子供たちの父兄にも伝わった

やがては父兄の中からも、是非参加させて欲しいという声があがり始め、実際、参加する父兄もぽつぽつと増えていった

普段、子育てと労働に追われていた父兄たちにとっても、清水遠足は、良い息抜きと気分転換となったのだろう。参加していた父兄たちの顔も、実にイキイキとしていた。それこそ、清水先公よりイキイキしてる父兄もいたぐらいだ

最終的には、父兄たちのクルマも何台か駆り出して、生徒たちは、そのクルマに分乗して遠方のハイキングコースへ遠出するまでになった。この頃には清水遠足も、すっかり大所帯も大所帯。まるで無敵艦隊御一行さまといった最盛期を迎えていた

筆者もこの無敵艦隊の乗組員に、なってはいたのだが…

ところが、である

この大好評の全盛期を迎えたあたりから、なぜか清水先公は、あまり遠足を開催しなくなっていった

そしてついには、開催されなくなってしまった

みんな喜んでたのになんで? 子供たちからは、そんな声も上がっていたような覚えがある

筆者も、少なからず疑問を抱いてはいたのだが、一方で、なぜ清水先公が遠足を開催しなくなったのか、なんとなくその気持ちがわかるような、わからないような、モヤモヤっとした気分も抱えていた

だが、年月が過ぎて筆者もおっさんになり、残念ながら、あの頃よりもさらに、清水先公の気持ちがわかるような歳になってしまった

清水先公… いや、清水先生。あなたが全盛期のさなかに清水遠足を開かなくなってしまった理由…

先生、あなたは嫌になったんでしょ? 楽しくなくなったんでしょ? 違いますか?

あなたが遠足で一番求めていたのは「伸び伸びとした自由な空気」であり、あなたは一行が大所帯へと変貌を遂げていく中で、次第に窮屈さを覚えていったのではないでしょうか?

その父兄の気持ちに決して罪はありませんが、参加した一部の父兄が、先生に、ご挨拶がてら、贈り物の包みを渡しているのを目にしました。贈り物を受け取る際の、あなたの困ったような表情、私は見逃しませんでした

先生、立場の違いこそあれ、私も同じように窮屈な思いをしてました。どなたか、ご父兄さまのクルマに乗せていただき、遠方のハイキングコースまで出向いた時など、誠に失礼ながら、クルマでどこに連れて行かれ、そこで何をしたのか、まったく覚えていません

先生、私が今でもしっかり記憶してるのは、あなたと一緒に少人数で歩いた学校周りの里山地帯、その のどかな景色や穂谷の酒蔵、そして『杉原ヘビハンマー投げ』までです

あらためて振り返ってみると、先生、あの頃のあなたは、誰よりも、私たたち子供よりも純粋な心の持ち主だったと思います

きっと清水遠足に、あなたが一番恐れていた物が介入し始めたのでしょう。それは父兄たちによってもたらされた「大人の社会常識」や「大人のマナー・ルール」です

なにを勝手な邪推をしておるんだと思われるかもしれませんが、あなたの出来の悪い教え子の戯言だと思って大目に見てください

『杉原ヘビハンマー投げ』の思い出も書いたことだし、ここで「蛇足」として、もうひとつ、先生が遠足を開催しなくなった理由、その仮説②を書かせてください

では、仮説②

先生、あなたは、もしかしたら、当時学校サイドから、なにかしら牽制されたのではないですか? 違いますか?

大変失礼ながら、学校内では、クソ真面目な堅物キャラとして通っていたあなたは、教職員間でも、ちょっと浮いた変わり者扱いされていたのではないでしょうか?

そんなあなたが、学校サイドが預かり知らぬ日曜日の清水遠足で人気を博し、絶大な影響力を持ち始めたのです

先生、出る杭が打たれてしまうのは日本社会の常でございます。こればかりは昔から変わりません

清水遠足が最盛期にさしかかったあたりで、校長か教頭から呼び出しを食らったのではないですか?

「清水くん、個人でこんな催しされちゃあ困りますよ。もし、なにか問題が起こった場合、きみは責任とれるのかね?」

もし、誰かがヘビに噛まれた場合、きみは責任とれるのかね?… とまで言われたかはわかりませんが、先生、万が一の責任問題に関しては、私は、それほど深刻に受け止めておりません。なぜなら、あの頃は先生に限らず、誰もがスレスレの紙一重の中をくぐり抜けるように生きてる時代でしたから。校長だって、酒の臭いプンプンさせてましたからね

先生、あの頃のあなたは、30代半ばだったと思いますが、あの若さにして里山散策が趣味だなんて、随分、良趣味の持ち主じゃないですか

あなたが授業中に聞かせてくれた神社仏閣の話など、当時ガキンチョだった私はまったく耳を貸さず無関心でした

しかし、あれから40年以上が経ち、私はまもなく53歳です。年相応に? 私も近場の神社仏閣を巡るのが、ちょっとした気分転換となっています

先日、木々の香りを鼻先に感じながら神社の参道を歩いていた時に、ふと、先生や少年時代に過ごした里山地域の景色を思い出し、このnoteを書きました

先生、最後に、

あなたに対して、今思っているありのままの正直な気持ちを、ここで書かせてください

先生、今でも私は、あなたがユーモア溢れる、愉快で、ひょうきんで、面白い、良い教師だったとは思っていません。まったくシャレの通じない、つまらない、クソ真面目野郎だったと思っています

しかし、先生と一緒に歩いた里山の景色や草木の香りは、40年以上経った今でも、私の頭と、心に、深く残っています

先生、素敵な思い出をありがとうございます

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