世界の面白い言語集 62 ヒエログリフが滅んでも、言葉は死ななかった~古代エジプト語の末裔 コプト語
1. ツタンカーメンの言葉は、今も礼拝で使われている
黄金のマスクで有名なツタンカーメン王。今から約3,300年前のファラオだ。
彼が話していた言葉は「エジプト語」だ。そしてそのエジプト語は、ヒエログリフとともに消えたわけではない。形を変えながら生き続け、今日もエジプトのコプト正教会の礼拝で、聖歌として歌われている。

その「生き残ったエジプト語」こそが、コプト語だ。
コプト語は古代エジプト語の最終形態であり、ヒエログリフでも古代文字でもなく、ギリシャ文字をベースにした独自の文字で書かれる。5,000年以上の歴史を持つ言語の「最後の姿」――それがコプト語だ。
2. エジプト語5,000年の旅:ヒエログリフからコプト文字へ
エジプト語は紀元前3千数百年前の遺跡から最初期の記録が見つかっており、最初期の書記記録を持つ言語のひとつだ。その後、エジプト語は数千年にわたって変化し続けた。


ツタンカーメン王の時代から1,500年ほど経った紀元後3世紀には、ギリシャ文字を中心としたコプト文字で書かれるようになった。それがコプト語だ。
つまりコプト語は「別の言語」ではない。同じエジプト語が、時代とともに文字と語彙を変えながら生き続けた姿なのだ。
3. コプト文字とは何か:ギリシャ文字+エジプトの魂
コプト語の最大の特徴が、その文字体系だ。
コプト文字は、24文字のギリシャ文字に、エジプト文字の民衆書体(デモティック)から採られた6〜7文字を加えた、全部で30〜31文字の表音文字からなるアルファベット式の文字体系だ。

ギリシャ文字をベースにしたのには理由がある。紀元前4世紀にアレクサンドロス大王がエジプトを征服して以来、ギリシャ語がエジプトの支配言語・上流階級の言語となっていた。民衆はエジプト語を話しながら、ギリシャ語との二言語生活を送っていた。
コプト文字はその「二つの世界」の産物だ。ギリシャ文字という普及した文字体系を借りながら、ギリシャ語にはないエジプト語固有の音――喉の奥から出る音や、特殊な子音――を表すためにデモティック文字を補完した。
📖 コプト文字が登場したもうひとつの重要な意義がある。それまでのヒエログリフやデモティックは子音しか書かなかった。コプト文字は初めて母音も書き表した。これにより、古代エジプト語の「発音」が初めて記録され、後の研究者がヒエログリフの読み方を復元する際の鍵となった。
4. キリスト教が言語を救った:信仰と文字の奇妙な共存
コプト語が生き延びた最大の理由は、キリスト教だ。
1世紀にエジプトにキリスト教が伝わると、聖書や典礼文をエジプトの民衆が理解できる言葉で書く必要が生じた。コプト語はその役割を担い、新約聖書の最古の翻訳のひとつがコプト語で書かれた。グノーシス思想の重要文献「ナグ・ハマディ写本」も、マニ教の文献も、コプト語で書かれている。

コプト語は、ヘレニズム文化の中心都市アレクサンドリアの市民をはじめとする支配層・エリート層が使うギリシャ語に対する、民衆の口語から発達した。
つまりコプト語は最初から「庶民の言葉」だった。そしてその庶民の言葉が、キリスト教の典礼という形で保護されることになる。
5. アラビア語の波に飲まれて:7世紀から始まった長い消滅
しかし7世紀、運命が変わる。
7世紀のイスラームのエジプト征服によりアラビア語が行政言語としてギリシャ語にとって代わり、エジプト人は新たな二言語状態にさらされることとなった。およそ3〜4世紀の間はコプト語を日常言語とし、アラビア語を公的な言語とするバイリンガリズムが継続したが、次第にアラビア語が優勢となっていった。下エジプトでは遅くとも11世紀までに、上エジプトでも14世紀までにはアラビア語が支配的な日常言語となった。

ゆっくりと、しかし確実に、コプト語は日常語としての命を失っていった。
コプト語は上エジプトでは17世紀まで少数のキリスト教徒の共同体の間で日常言語として保持された。しかしその後、話し言葉としてのコプト語はほぼ消滅した。
6. シャンポリオンの隠れた功績:コプト語がヒエログリフを解いた
コプト語には、言語史上きわめて重要な「隠れた役割」がある。
ヒエログリフの解読に、コプト語が決定的な鍵を提供したのだ。
ロゼッタストーンの解読によってヒエログリフの解明を飛躍的に進めた18世紀の言語学者シャンポリオンも、コプト語を習得していた。彼はコプト語をエジプト語だと見抜いていたために、ヒエログリフを表音文字として解読することができた。

古代エジプト語のヒエログリフには母音が書かれていない。しかしコプト語には母音が書かれている。コプト語を学ぶことで、シャンポリオンは「このヒエログリフはこう発音するはずだ」と推定できた。
3,000年以上前に話されていた言語の発音が、コプト語という「生き証人」によって解き明かされた――これはコプト語が言語学史に残した最大の功績だ。
7. 今も歌われる古代の言葉:コプト正教会の典礼
コプト語は完全には死んでいない。
コプト正教会やカトリック・コプト教会においては、正則アラビア語と並んで今日でも典礼言語として使用されている。エジプト国内だけでなく、アメリカ、カナダ、ドイツ、オーストラリアなど世界各地のコプト教会でも礼拝に使われている。

日本にも、京都府木津川市に「聖母マリア・聖マルコ・コプト正教会」がある。
さらに現代では、コプト語を日常語として復活させようとする運動も起きている。エジプトのコプト教徒(総人口の約1割)の一部は、自分たちのアイデンティティの核としてコプト語の復活を目指している。家庭でコプト語を子供に教える親もいる。
✍️ コプト語で「ありがとう」は「ティシェプフモト エントーテ」。直訳すると「私はあなたから恩恵を受けている」という意味だ。別れの挨拶「ウジャイ」は「お元気で」。古代エジプト語の息吹が、日常の言葉の中に今も生きている。
8. 5,000年の言語が、礼拝の歌になって生き続ける
コプト語の物語は、5,000年以上前に始まった。
ヒエログリフから始まったエジプト語は、ギリシャ文字を取り込んでコプト文字を生み出し、アラビア語の波に飲まれながらも教会の礼拝の中に逃げ込み、そこで生き延びた。シャンポリオンの助けを借りて古代文字の解読にも貢献し、現代でも復活運動の火が灯り続けている。

ヒエログリフは滅んだ。しかし言葉は死ななかった。
次にエジプトのニュースを目にするとき、ピラミッドやスフィンクスの陰で今も礼拝の歌として生き続けるコプト語のことを、少し思い出してほしい。ツタンカーメンが話していた言葉の末裔が、今日もどこかの教会で歌われていることを。
いかがだったでしょうか?
このブログでは他にも世界の面白い言語を紹介しているので、ぜひご覧ください。
