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世界の面白い言語集 64 「書き文字」という名の革命~インドの森の民が作ったサンタル語のオル・チキ文字



1. インドに4億人が使う文字があるのに、なぜ「自分たちの文字」が必要だったのか

インドには現在、22の公用語と数百の言語が存在し、デーヴァナーガリー文字(ヒンディー語)、ベンガル文字、オリヤー文字、タミル文字など、多様な文字体系が使われている。

サンタル語の話者たちはずっと、これらの「他民族の文字」を借りてきた。ベンガル文字で書き、ラテン文字で書き、デーヴァナーガリーで書いた。しかしそのどれも、サンタル語の独特な音――喉で止める声門破裂音や、特有の母音体系――を正確には書き表せなかった。

「借り物の文字では、自分たちの言葉を本当に書けない」

1905年、インド東部のオディシャ州マユルバンジ地区に生まれたひとりの青年が、その問題を解決するために立ち上がった。彼の名はパンディット・ラグナート・ムルム。そして彼が20歳のときに作り上げた文字が、オル・チキ文字だ。

引用

2. インドの森に生きる先住民族サンタル人

サンタル語は、オーストロアジア語族ムンダ語派に属する言語だ。カンボジア語・ベトナム語・ニャークル語と同じ大きな語族に入る。

話者はインドのジャールカンド州、西ベンガル州、オリッサ州、ビハール州、アッサム州を中心に、バングラデシュ、ブータン、ネパールにも広がり、合計約760万人を数える。オーストロアジア語族の中ではベトナム語・クメール語に次いで3番目に話者が多い言語だ。

サンタル族は「ホル(人間)」を自称し、インド最大規模の先住民族のひとつとして知られる。1855〜56年には英国植民地支配への抵抗蜂起(サンタル蜂起)を起こした誇り高き歴史も持つ。

🌍 サンタル語は他のムンダ語と同様、インド・ヨーロッパ語族(ヒンディー語・ベンガル語など)とは全く異なる系統に属する。サンタル族の「森と共に生きる文化」は、その言語の構造にも色濃く反映されている。


3. 文字を作った男:ラグナート・ムルムとその使命

ラグナート・ムルムは1905年5月5日、ヴァイシャーキー・プールニマー(仏陀誕生日と重なる満月の日)に生まれた。父は村長を務める家柄で、ムルムは幼少より聡明な子供として知られた。

サンタル語に文字がないことへの問題意識は早くから芽生えていた。当時、サンタル語はキリスト教宣教師たちによってローマ字やベンガル文字で記録されていたが、それはあくまで「外部者の記録」であり、サンタル族自身の文字ではなかった。

1925年、20歳のムルムは独力でオル・チキ文字を考案する。しかし最初の公表は14年後の1939年、マユルバンジ州の博覧会でのことだった。木製のスタンプに文字を彫り込み、展示したのだ。会場のマユルバンジ王も「この文字の価値」を認め、ムルムを後援した。

📖「オル・チキ(Ol Chiki)」はサンタル語で「書き文字」を意味する。
Ol(ᱚᱞ)が「書く・文字」、Chiki(ᱪᱤᱠᱤ)が「記号・象徴」。
ムルムはこの文字の学習書を「オル・チェメット(Ol Cemet')=書くことの学び」と名付けた。


4. 字形の秘密:文字の「名前」と「形」が一致している

オル・チキ文字には、他のどの文字体系にもない驚くべき設計がある。文字の「名前」と「形」が、サンタル語の日常語から直接取られているのだ。

たとえば、/l/の音を表す文字「ᱚᱞ(Ol)」は「書く」を意味するサンタル語で、その字形は「ペンを持つ手」を簡略化した形に由来する。/a/の音を表す文字の名前は「アト(AT)=手」で、字形は手のひらを象っている。

ムルムは文字を設計する際、サンタル族が長年親しんできた自然や身体の形から字形を取った。植物、身体部位、日常の動作……それぞれの文字に意味があり、その意味がそのまま形になっている。

この「字形=意味」の設計は、識字教育を劇的に容易にした。文字の「名前」を覚えれば、自然と形も覚えられるからだ。


5. インドの文字体系の中の異端児:アブギダではなくアルファベット

インドの文字体系のほとんどは「アブギダ(Abugida)」という構造を持つ。子音文字に母音記号を付け加えて音節を表す仕組みで、デーヴァナーガリーもベンガル文字もタミル文字もこの構造だ。

オル・チキ文字はこれと根本的に異なる。母音と子音が対等な独立文字として存在する、純粋なアルファベットだ。

なぜムルムはアブギダではなくアルファベットを選んだのか。理由は明快だ。サンタル語の音韻体系が、インド・アーリア語族の言語とは根本的に異なるからだ。

サンタル語には「声門破裂音(喉を閉じて出す音)」を含む特殊な閉鎖音が4種類あり、インドの既存の文字体系ではこれを正確に書き表せなかった。オル・チキ文字はこれらの音のために専用の文字を設計した。文字の数は30文字で、サンタル語のすべての音を過不足なく表現できる。

🔤 オル・チキ文字は左から右へ書く(ヴァイ文字・ンコ文字と同じ方向)。大文字・小文字の区別はなく(ユニカメラル)、印刷体(チャパ)と筆記体(ウサラ)の2スタイルが存在する。


6. 5種類の文字が競合する:一つの言語、一つの民族、五つの表記

オル・チキ文字の広まりには、大きな障壁があった。サンタル語は今もなお、5種類の文字で書かれているのだ。

  • オル・チキ文字 ― ムルムが作った本来の文字

  • ベンガル文字 ― 西ベンガル州・バングラデシュで使用

  • デーヴァナーガリー ― ビハール州・一部地域

  • オリヤー文字 ― オリッサ州の一部

  • ラテン文字 ― かつての宣教師の記録の流れをくむ

インドの言語政治の複雑さが、ひとつの民族の文字体系を5つに分断した。同じ言語・同じ民族なのに、州が違えば文字が違う。その状況は今も続いている。

しかしオル・チキ文字の普及は確実に進んでいる。ジャールカンド州、西ベンガル州、オリッサ州の多くの学校で教えられ、サンタル語の出版物の大半がオル・チキで書かれている。


7. 100年かけてインドの公式文字になった

ムルムが1925年に文字を作ってから、インド憲法の公認まで78年かかった。

1939年の博覧会での初公表から始まり、ムルムは生涯をかけてオル・チキ文字の普及に歩いて回った。村から村へ、学校から学校へ。1956年には「グル・ゴムケ(偉大なる師)」の称号を授かった。1947年のインド独立後、ジャールカンド州設立運動にも加わったため、一時は逮捕状が出されたこともある。

1982年2月1日、ムルムは76歳で亡くなった。しかしその死後、運動は止まらなかった。

2003年、インド憲法第92次改正によってサンタル語が第8附則指定言語(インド公認言語)に加えられた。これによりサンタル語は政府文書・競争試験・大学教育に使用できる地位を得た。そして2025年12月、インド憲法がオル・チキ文字でサンタル語に翻訳され、ムルムの生誕100周年を祝う式典でインド大統領が発表した。

✍️ 2025年、インドでオル・チキ文字の誕生100周年を記念する祝典が国規模で開催された。記念硬貨・切手が発行され、大学での講座開設が進んでいる。ムルムが「偉大なる師」と呼ばれて半世紀後、その文字はついくインドの国家的遺産となった。


8. 「借り物の文字」を拒んだ民族の誇り

ラグナート・ムルムが20歳で作り上げたオル・チキ文字は、単なる書記体系ではない。それはサンタル族が「自分たちの言葉を自分たちの文字で書く」という宣言だった。

ンコ文字(1949年)、ヴァイ文字(1833年)……このシリーズで取り上げてきた「一人が作った文字」の物語と、オル・チキ文字は多くを共有する。しかし異なる点もある。オル・チキ文字は100年かけてインドの憲法に刻まれ、760万人の公式の文字になった。

文字の形はサンタルの森や身体や花に由来し、文字の名前はサンタルの日常語から取られている。どこを切っても、サンタルの文化と歴史が滲み出る文字だ。

「借り物の文字では、自分たちの言葉は書けない」――その信念から生まれた文字が、100年後の今も、インドの森で子供たちに教えられている。


いかがだったでしょうか?

このブログでは他にも世界の面白い言語を紹介しているので、ぜひご覧ください。


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