会社に期待しなくなった社員の本音【職場の再設計シリーズ|静かな退職者編⑥】
人物紹介
佐伯 悠真
かつては現場を良くしようとしていた社員。
しかし、改善案は仕組みにならず、負担だけが自分に戻ってきた。
今は会社に期待せず、言われた仕事だけを淡々とこなしている。
あらすじ
黒瀬は、フォロー記録をつけることで、仕事が早い人ほど損をする構造を見つけ始めた。
佐伯はまだ何も信じていない。
しかし、黒瀬が「誰かを責めるためではなく、負担の流れを見る」と話したことで、少しだけ様子を見るようになっていた。
今回の見どころ
今回のテーマは、
期待しない社員は、冷たい人なのか
という視点です。
期待しないのは、最初から無関心だったからではない。
何度も期待して、何度も流されて、疲れた結果かもしれません。
本編
面談という言葉
「佐伯さん、少し時間をもらえますか」
夕方、黒瀬がそう声をかけた。
佐伯は、翌日の配車表を見ていた。
顔を上げる。
「今ですか」
「はい。十五分ほどで大丈夫です」
「面談ですか」
佐伯の声に、少しだけ硬さが混じった。
黒瀬はそれに気づいた。
面談。
職場では、便利な言葉だ。
本音を聞くためと言いながら、
実際には会社の都合を伝える場になることもある。
「もっと協力してほしい」
「前向きにやってほしい」
「周りを引っ張ってほしい」
そう言われる場。
佐伯にとって面談は、自分の負担が増える前触れに近かった。
黒瀬は、少しだけ首を振った。
「面談というより、確認です」
「確認?」
「佐伯さんが何を考えているかを、
無理に聞き出したいわけではありません。
ただ、こちらの見立てがズレていないか確認したいんです」
佐伯は、すぐには返事をしなかった。
事務所の奥では、電話の音が鳴っている。
倉庫の方からは、台車を動かす音が聞こえてくる。
いつもの夕方だった。
佐伯は、配車表を机に置いた。
「十五分なら」
「ありがとうございます」
黒瀬は、会議室ではなく、
事務所横の小さな打ち合わせスペースへ佐伯を案内した。
そこには丸テーブルと椅子が二つだけある。
大げさな場所ではない。
それが、佐伯には少しだけ意外だった。
無難な答え
黒瀬は、最初に資料を広げなかった。
ノートだけを開き、ペンを置く。
「まず、最近の仕事量についてどう感じていますか」
佐伯は短く答えた。
「多いと思います」
「どのあたりがですか」
「全体的にです」
「配車ですか。現場対応ですか。フォローですか」
佐伯は一瞬、黒瀬を見た。
聞き方が少し違う。
普通なら、こう聞かれる。
「大変ですか」
「困ってますか」
「何かありますか」
そう聞かれると、答えは決まっている。
「大丈夫です」
「特にありません」
「何とかしています」
でも黒瀬は、最初から分けて聞いてきた。
配車。
現場対応。
フォロー。
佐伯は、少し間を置いて答えた。
「全部です。ただ、一番きついのはフォローですね」
「理由は?」
「終わったと思った後に、仕事が増えるので」
黒瀬はうなずいた。
「気持ちが切れた後に、もう一度走ることになる」
「そうです」
佐伯は、そこで言葉を止めた。
言いすぎたかもしれない。
そう思った。
だが黒瀬は、すぐに評価しなかった。
「それは、疲れますね」
ただ、それだけ言った。
佐伯は少しだけ拍子抜けした。
普通なら、ここで何か言われる。
「でも、助け合いだから」
「みんな大変だから」
「佐伯さんはできるから」
そう続くはずだった。
でも黒瀬は続けなかった。
その沈黙が、逆に佐伯を少し困らせた。
昔の改善案
黒瀬は、そこで一枚の紙を出した。
フォロー記録表。
佐伯が昔作ったものだった。
「これを見ました」
佐伯は紙を見た。
「古いですね」
「よくできています」
「使われていないなら、よくできてても意味ないです」
「そうですね」
黒瀬は、あっさり認めた。
佐伯は少しだけ眉を動かした。
黒瀬は続けた。
「表が悪かったとは思いません。むしろ、見たいものはかなり正確です。
誰が、誰を、どんな理由で、どれだけフォローしたのか。
それがわかるようになっている」
「でも続かなかった」
「はい。続かなかった」
黒瀬は、紙を指で押さえた。
「続かなかった理由は、表の出来ではなく、
運用が個人に乗ったからだと思っています」
佐伯は、黒瀬を見た。
「どういう意味ですか」
「佐伯さんが気づいて、佐伯さんが作って、
佐伯さんが説明して、佐伯さんが更新する。
そうなると、改善案ではなく、佐伯さんの仕事が増えただけになります」
佐伯は返事をしなかった。
その通りだった。
言葉にされると、少しだけ胸の奥に何かが触れた。
黒瀬は静かに続けた。
「だから今回は、同じことをしないようにしたいと思っています」
「できるんですか」
佐伯の声は、少し鋭かった。
「上が嫌がったら終わりですよ。配車を変えるのも、
仕事量を見るのも、現場だけではできません」
「はい。現場だけではできません」
「親会社が仕事を詰め込めば、結局こっちがやるしかない」
「はい」
「社長も強く言えない」
「そこも、見ています」
佐伯は、そこで黙った。
黒瀬が何も知らずに理想論を言っているわけではない。
少なくとも、見ようとはしている。
それはわかった。
でも、だからといって期待できるわけではない。
佐伯は、椅子にもたれた。
「期待すると、疲れるんです」
その言葉は、予定して出したものではなかった。
口から落ちた。
落ちてから、自分でも少し驚いた。
期待すると疲れる
黒瀬は、すぐに返事をしなかった。
佐伯の言葉を、急いで処理しない。
その沈黙があったから、佐伯は続けてしまった。
「昔は、変わると思ってました」
佐伯は机の上の紙を見たまま話した。
「配車を変えれば、遅れは減る。フォローを記録すれば、
偏りも見える。チェック表を作れば、新人も迷わない。そう思ってました」
「はい」
「でも、結局続かないんです」
佐伯の声は、怒っているというより疲れていた。
「忙しいから。今は仕方ないから。親会社が決めたことだから。
みんな大変だから。そうやって流れる」
黒瀬は、口を挟まなかった。
「で、最後はこっちに戻ってくるんです。気づいたなら見ておいて。
できるなら手伝って。佐伯くんは早いから頼むよって」
佐伯は、小さく笑った。
「最初は、それでもいいと思ってました。
自分が少し背負えば現場が回るなら、それでいいって」
「今は?」
「今は、そう思わないです」
即答だった。
佐伯自身、その早さに少し驚いた。
「誰かが黙って背負う職場は、結局変わらないので」
黒瀬は、その言葉をノートに書いた。
佐伯はそれを見て、少しだけ嫌な顔をした。
「メモするんですね」
「残した方がいい言葉だと思ったので」
「誰かに見せるんですか」
「佐伯さんの名前は出しません」
「そういう問題じゃなくて」
佐伯は、言いかけて止めた。
黒瀬はペンを置いた。
「言葉を利用されたくない、ということですか」
佐伯は、少しだけ黙った。
「そうです」
その返事は小さかった。
本音を出す怖さ
佐伯は、本音を言うことが怖くなっていた。
怖いというより、面倒だった。
本音を言えば、相手は満足する。
「話してくれてありがとう」
「貴重な意見だね」
「現場の声は大事だね」
そう言われる。
その瞬間だけは、何かが動くように見える。
けれど、その後で何も変わらなければ、話した分だけ疲れる。
しかも本音を出した人間は、次からその問題の担当者のように扱われる。
「佐伯くんはそこを気にしてたよね」
「じゃあ佐伯くん中心で考えて」
「また意見を聞かせて」
本音を出すと、役割が増える。
だから佐伯は、いつからか本音を出さなくなった。
不満がない顔をする。
問題ありませんと言う。
大丈夫ですと答える。
それが一番楽だった。
黒瀬は、静かに言った。
「本音を出した人が、そのまま処理係になる職場だったんですね」
佐伯は、返事をしなかった。
でも、否定もしなかった。
「それなら、話さなくなるのは自然だと思います」
佐伯は、ゆっくり黒瀬を見た。
自然。
その言葉が、少し不思議だった。
今まで佐伯の沈黙は、やる気のなさとして見られてきた。
冷めている。
協力的ではない。
前向きではない。
そういう言葉で処理されてきた。
でも黒瀬は、自然だと言った。
この職場の構造なら、そうなるのは自然だと。
佐伯は、何かを返そうとして、やめた。
代わりに缶コーヒーを開けた。
プルタブの音が、小さく響いた。
黒瀬の見立て
黒瀬は、ノートを佐伯の方へ少し向けた。
そこには、いくつかの短い言葉が並んでいた。
気づいた人に戻る
早い人に戻る
本音を出した人に戻る
改善案が仕組みにならず、個人の仕事になる
佐伯は、それを黙って見た。
黒瀬は言った。
「今見えているのは、この流れです」
佐伯は、目線だけで続きを促した。
「この職場では、問題に気づいた人が、そのまま処理する人になっています。
早く終わった人が、遅れを拾う人になる。
本音を出した人が、その問題の担当者になる。
改善案を出した人が、その運用まで背負う」
黒瀬は、言葉を区切った。
「つまり、動いた人ほど負担が増える」
佐伯は、静かに息を吐いた。
それは、佐伯がずっと感じていたことだった。
けれど自分で言うと、愚痴になる。
不満になる。
わがままになる。
だから言わなかった。
黒瀬は、それを構造として言った。
「佐伯さんが黙るようになったのは、やる気がないからではなく、
この流れに適応した結果だと思っています」
佐伯は、すぐには返せなかった。
言われて楽になる、というほど単純ではない。
でも、少なくとも間違っているとは思わなかった。
「適応ですか」
「はい」
「いい言葉ですね」
佐伯は、少しだけ皮肉っぽく言った。
黒瀬は小さくうなずいた。
「いい状態だとは思っていません。ただ、怠慢とは違います」
その一言で、佐伯は黙った。
怠慢とは違う。
誰かにそう言われたかったわけではない。
でも、言われると、自分の中にあった硬いものがほんの少しだけ緩んだ。
変える気があるなら
面談の終わり際、黒瀬は言った。
「佐伯さんに、何かを背負わせるつもりはありません」
佐伯は、すぐに返した。
「それ、みんな最初は言います」
黒瀬は苦笑しなかった。
「そうですね」
「でも結局、できる人に戻ってくるんです」
「だから、戻らない設計を作る必要があります」
佐伯は、黒瀬を見た。
「設計?」
「はい。誰かの善意ではなく、業務の流れとして処理する。
記録を現場の負担にしない。フォローが発生したら、配車側にも戻す。
遅れた人だけを責めず、なぜ遅れた配車になったのかを見る」
黒瀬は、そこで少し間を置いた。
「ただ、正直に言うと、すぐには変わりません」
「でしょうね」
「抵抗も出ます」
「出るでしょうね」
「途中で止まりそうにもなると思います」
「たぶん止まりますよ」
佐伯の返事は冷静だった。
黒瀬はうなずいた。
「それでも、止まった場所がわかれば、次に見る場所がわかります」
佐伯は、少しだけ眉を動かした。
「前向きですね」
「前向きというより、確認したいんです」
「何をですか」
「この職場が本当に変われないのか。
それとも、変える構造を作ってこなかっただけなのか」
その言葉に、佐伯は返事をしなかった。
変われない。
変える構造を作ってこなかった。
その二つは、似ているようで違う。
今まで佐伯は、前者だと思っていた。
この会社は変われない。
だから期待しない。
それが答えだった。
でも黒瀬は、まだ後者を疑っている。
変われないのではなく、変える構造がなかったのではないか。
佐伯は、その考えを信じたわけではなかった。
ただ、否定するには少し早い気がした。
まだ信じない
面談が終わり、佐伯は倉庫に戻った。
外はもう暗くなっていた。
トラックのライトが、濡れた地面に反射している。
森下が、荷物の片づけをしていた。
「面談、長かったですね」
「十五分の予定だったんだけどな」
佐伯は時計を見た。
三十分近く経っていた。
森下は少し笑った。
「何か言いました?」
佐伯は、すぐには答えなかった。
「少しだけ」
「珍しいですね」
「まあ」
森下は、佐伯の顔を見た。
「期待できそうですか」
佐伯は、首を横に振った。
「まだ」
その返事は早かった。
でも、森下は少しだけ目を細めた。
「まだ、なんですね」
佐伯は何も言わなかった。
以前なら、こう答えていた。
無理だよ。
どうせ変わらない。
言うだけ損。
でも今は、「まだ」と言った。
それは小さな違いだった。
本人も気づかないくらい小さな違い。
だが、森下は気づいた。
佐伯は、倉庫の奥に置かれたフォロー記録表を見た。
そこには今日の分の記録が残っている。
誰が、誰を、なぜ助けたのか。
今まで消えていたものが、紙の上に残っている。
それだけで何かが変わるわけではない。
佐伯は、そう思っている。
けれど、何も残らないよりは少し違う。
少なくとも、今日の自分の負担は消えていない。
見える場所に置かれている。
佐伯は、作業手袋を外しながら小さく息を吐いた。
会社を信じたわけではない。
黒瀬を信じたわけでもない。
ただ、少しだけ見てみようと思った。
この人が言う「構造」が、本当に動くのか。
それとも、また棚の奥に戻っていくのか。
答えを出すのは、もう少し後でもいい。
佐伯はそう思った。
次回予告
次回、
仕事を断れない会社が現場を壊す理由【職場の再設計シリーズ|静かな退職者編】
黒瀬は、フォローの偏りだけでなく、仕事量の入口に目を向け始める。
問題は、現場の努力不足だけではなかった。
親会社が受注し、配車を決め、子会社が実行する。
その構造の中で、現場は「終わらせる責任」だけを背負っていた。
