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観察力がある人は何を見ているのか宮崎駿監督から学ぶ、対人関係が楽になるレイヤー思考【才能インストールシリーズ/観察力編】

観察力と聞くと、多くの人はこう考えるかもしれません。

細かいところまで見る力。
人より多くの情報に気づく力。
相手の表情やしぐさを読み取る力。

もちろん、それも観察力の一部です。

しかし、今回の才能インストールシリーズで扱いたい観察力は、もう少し深いものです。

それは、目の前のものを一枚絵で見ない力。

表面に見えている出来事と、裏側で動いている価値観、目的、感情、歴史、立場、因果を切り分けて見る力です。

つまり、観察力とは単に「よく見る力」ではありません。

目の前の現象を、レイヤーで切り分ける力です。

今回、その観察力を抽出するモデルとして取り上げたいのが、宮崎駿監督です。

宮崎駿監督の作品は、子どもの頃に見るのと、大人になってから見るのとでは、まるで別の作品のように感じることがあります。

それは、作品の中に複数のレイヤーが重なっているからです。

表面だけを見れば、冒険、成長、ファンタジー、不思議な世界の物語に見える。

しかし、その裏側には、自然、労働、戦争、共同体、欲望、支配、信仰、文明、価値観の衝突が描かれている。

見る人の観察力が深くなるほど、同じ作品の意味が変わっていく。

ここに、宮崎駿監督からインストールできる観察力の本質があります。


観察力とは、見る力ではなく「切り分ける力」

まず、観察力をこう定義してみます。

観察力とは、目の前の出来事をひとつの意味で決めつけず、複数のレイヤーに切り分けて見る力です。

多くの人は、出来事をそのまま受け取ります。

反対された。
怒られた。
否定された。
嫌われた。
無視された。
分かってもらえなかった。

でも、観察力がある人は、そこで止まりません。

この人は、何に反対しているのか。
本当に私を否定しているのか。
何を守ろうとしているのか。
どの立場から話しているのか。
何を不安に感じているのか。
何を失いたくないのか。
この場には、どんな空気が流れているのか。

出来事をそのまま飲み込まず、レイヤーに分けて見ます。

ここが大きな違いです。

観察力がない状態では、目の前の出来事は一枚絵に見えます。

でも、観察力がある状態では、同じ出来事が何層にも分かれて見えます。

発言のレイヤー。
感情のレイヤー。
目的のレイヤー。
立場のレイヤー。
不安のレイヤー。
利害のレイヤー。
場の空気のレイヤー。

これらを切り分けて見られるようになると、相手の言葉に振り回されにくくなります。

そして、対人関係がかなり楽になります。

【画像①差し込み位置】
外部に対するレイヤーが見えている人/見えていない人の対比図


『もののけ姫』は、表面だけで見ると自然保護の物語に見える

たとえば、『もののけ姫』。

表面だけで見ると、物語はこう見えます。

祟り神に呪われたアシタカが、その呪いを解くために旅に出る。

その先で、森を守るサンと、人間の生活を守るタタラ場のエボシ御前の争いに巻き込まれていく。

このレイヤーだけで見ると、

「自然を壊す人間に対して、神様が怒っている」
「だから自然を大事にしましょう」

という環境保護の物語に見えます。

もちろん、その見方も間違いではありません。

森を切り開き、鉄を作り、神々の領域に踏み込んでいく人間。

それに対して怒る山犬や猪神たち。

命を育むシシ神の森。

表面レイヤーでは、自然と人間の対立が描かれています。

しかし、『もののけ姫』をそこで止めてしまうと、作品の奥にある構造を見落としてしまいます。

この作品のすごさは、単純に「自然が正しくて、人間が悪い」と描いていないところです。


裏側には、縄文的価値観と弥生的価値観の衝突がある

『もののけ姫』の裏側には、もっと深い価値観の衝突があります。

それは、ざっくり言えば、縄文的な世界観と弥生的な世界観の衝突です。

縄文的な世界観とは、自然、山、森、獣、神、循環、祈り、畏れといったものを重視する世界観です。

人間は自然の中に生かされている。
山や森には神がいる。
獣も、木も、水も、人間とは違う力を持っている。
だから、自然はただ利用するものではなく、畏れるものでもある。

一方で、弥生的な世界観は、農耕、鉄、集落、技術、生産、支配、拡張といったものに近い。

自然を切り開く。
鉄を作る。
土地を使う。
集団を維持する。
暮らしを安定させる。
外敵から守る。

『もののけ姫』のタタラ場は、この弥生的、あるいは文明化・技術化のレイヤーを持っています。

しかし、ここでも宮崎作品は単純ではありません。

タタラ場は、森を壊す場所です。

でも同時に、社会からはじき出された女性たちや病者たちに居場所を与えている場所でもあります。

エボシ御前は、森の側から見れば破壊者です。

しかし、タタラ場の人々から見れば、自分たちを守ってくれる救い主でもあります。

この瞬間、物語は一気に複雑になります。

「森を守れ」と思った瞬間、
「では、タタラ場で生きている人たちはどうなるのか?」
という問いが出てくる。

「エボシ御前は悪い」と思った瞬間、
「でも、この人がいなければ救われなかった人たちがいる」
という視点が出てくる。

ここに、レイヤー観察があります。


同じ存在でも、見るレイヤーによって意味が変わる

観察力が浅いと、人をすぐに一色で塗ってしまいます。

この人は悪い人。
この人は正しい人。
この人は味方。
この人は敵。

でも、現実の人間はそんなに単純ではありません。

『もののけ姫』のエボシ御前を見ても、それはよく分かります。

森のレイヤーでは、エボシ御前は破壊者です。
タタラ場の女性たちのレイヤーでは、保護者です。
技術文明のレイヤーでは、開拓者です。
神々のレイヤーでは、畏れを失った人間です。
権力構造のレイヤーでは、独立した共同体を率いるリーダーです。
弱者救済のレイヤーでは、居場所を作った人です。

一人の人物が、見るレイヤーによってまったく違う意味を持つ。

これが、宮崎駿監督の観察力のすごさです。

登場人物を、単純な善悪で描かない。

それぞれの立場、それぞれの目的、それぞれの守りたいものを持った存在として描く。

だから、見ている側は簡単に断罪できなくなります。

「どちらが正しいのか?」ではなく、
「それぞれのレイヤーでは、何が起きているのか?」
を見る必要が出てくる。

これが観察力です。


観察力とは、片方の正義に飛びつかない力

人間は、分かりやすい答えを欲しがります。

誰が悪いのか。
何が正しいのか。
どちら側に立てばいいのか。

でも、観察力がある人は、すぐに結論へ飛びつきません。

この人は、どのレイヤーでは加害者なのか。
どのレイヤーでは被害者なのか。
どのレイヤーでは救済者なのか。
どのレイヤーでは破壊者なのか。

そうやって分けて見ます。

これは、現実の人間関係でも同じです。

職場で強く反対してくる人がいる。

表面だけ見れば、「面倒な人」「協力しない人」に見えるかもしれません。

でも、レイヤーで見ると違う可能性があります。

その人は、責任を取らされることを恐れているのかもしれない。
自分の仕事が増えることを避けたいのかもしれない。
過去に似たような失敗を経験しているのかもしれない。
本当は目的に反対しているのではなく、進め方に不安があるだけかもしれない。

ここを見ずに、相手を「敵」として処理すると、話はこじれます。

逆に、相手の目的や不安が見えると、対応の仕方が変わります。

観察力とは、相手を疑う力ではありません。

相手を一枚絵で決めつけず、複数のレイヤーで見る力です。


場にいる人の価値観を見ると、対人関係は楽になる

この観察力は、対人関係でかなり役に立ちます。

会議でも、職場でも、家庭でも、人は同じ場にいながら、実はまったく違うものを見ています。

ある人は、お金を見ている。
ある人は、自分が楽になることを見ている。
ある人は、責任を取らされないことを見ている。
ある人は、上司の顔色を見ている。
ある人は、場の空気に合わせているだけで、深くは考えていない。
ある人は、本当に目的達成を考えている。

同じ議題について話しているようで、実際には全員が別々のゲームをしている。

ここを見抜けないと、人間関係は疲れます。

なぜなら、相手の言葉をそのまま受け取ってしまうからです。

「会社のために」と言っている。
でも、本当は自分の評価を守りたいだけかもしれない。

「みんなのために」と言っている。
でも、本当は自分が面倒な役割を背負いたくないだけかもしれない。

「安全のために」と言っている。
でも、本当は新しいやり方を覚えるのが嫌なだけかもしれない。

もちろん、相手を悪く見るために観察するのではありません。

大事なのは、発言の表面ではなく、発言の裏にある目的を見ることです。

この人は何を守ろうとしているのか。
何を得ようとしているのか。
何から逃げようとしているのか。
何を失うことを恐れているのか。

そこが見えると、対人関係はかなり楽になります。


相手の反応を、自分への攻撃として受け取らなくなる

対人関係で疲れる原因の多くは、相手の反応を自分に直結させすぎることです。

怒られた。
否定された。
嫌われた。
分かってもらえなかった。

そう受け取ると、感情が大きく揺れます。

でも、観察力が育つと、相手の反応を少し離れて見られるようになります。

この人は、私を否定しているのではなく、自分の不安を守ろうとしているのかもしれない。
この人は、冷たいのではなく、余裕がないだけかもしれない。
この人は、反対しているのではなく、責任を取りたくないだけかもしれない。
この人は、場の空気に合わせているだけで、本音では何も決めていないのかもしれない。

こう見えると、相手の言葉が自分に刺さりにくくなります。

感情の矢を、真正面から胸で受けなくなる。

少し横に立って、

「この矢はどこから飛んできたのか?」
「相手は何を守ろうとして撃ったのか?」

を見ることができる。

これができるだけで、人間関係の消耗はかなり減ります。


観察力があると、場の動かし方が見える

観察力は、ただ相手を分析するためのものではありません。

目的がある時、観察力は場を動かすための指針になります。

この人はお金を見ている。
ならば、利益・損失・費用対効果で話す。

この人は自分が楽になることを見ている。
ならば、手間が減る未来を見せる。

この人は責任を取りたくない。
ならば、責任が一点に集中しない形を作る。

この人は場の空気に合わせているだけ。
ならば、先に場の空気を作る。

この人は本当に目的達成を考えている。
ならば、構造と優先順位を共有する。

つまり、観察力があると、相手を無理に変えようとしなくなります。

相手の目的に合わせて、場の流れを設計するようになります。

人間関係を「我慢」で処理するのではなく、
「構造」で扱えるようになる。

ここが、観察力を鍛える大きなメリットです。


さらに観察力は、メタ認知にもつながる

そして、観察力の本当の価値は、他人を見ることだけではありません。

自分自身も観察対象にできることです。

これがメタ認知です。

普通、感情が強く動いた時、人はその感情の中に入り込んでしまいます。

腹が立つ。
許せない。
焦る。
不安になる。
落ち込む。
怖くなる。

この時、自分と感情が一体化していると、感情に飲み込まれます。

怒りそのものが自分になる。
不安そのものが自分になる。
焦りそのものが自分になる。

でも、観察力が育っている人は、自分の感情を少し離れて見ることができます。

今、自分は怒っている。
なぜ怒っているのか。
何を守ろうとしたのか。
何を侵害されたと感じたのか。
この怒りは、相手への怒りなのか。
それとも、自分の目的を邪魔された怒りなのか。
ここで反応すると、目的達成からズレるのか。

こうやって、自分の感情を「現象」として見ることができます。

感情を消すのではありません。
感情を否定するのでもありません。

感情を情報として扱う。

これが、メタ認知です。

【画像②差し込み位置】
メタ認知とは? 自分の感情や反応を一歩引いて観察する図解


自分の中にもレイヤーがある

自分の感情も、レイヤーで見ることができます。

表面レイヤーでは、
「腹が立った」

感情レイヤーでは、
「雑に扱われたと感じた」

価値観レイヤーでは、
「自分だけ得しようとする人に違和感がある」

目的レイヤーでは、
「この場を正しい方向に持っていきたかった」

因果レイヤーでは、
「相手の発言が、自分の大事にしている公平性や目的達成を邪魔すると判断した」

構造レイヤーでは、
「このまま感情で反応すると、場が対立に向かい、目的からズレる」

ここまで見えると、行動を選べます。

怒りに飲まれて反応するのではなく、
怒りを観察して、目的に戻ることができる。

これが、観察力がメタ認知につながる理由です。

観察力とは、外側を見る目であると同時に、内側を見る目でもあります。


宮崎駿監督からインストールするべき観察力

ここで、宮崎駿監督の話に戻ります。

宮崎駿監督からインストールするべきなのは、絵のうまさでも、世界観の作り方そのものでもありません。

もちろん、それらも素晴らしい能力です。

しかし、普通の人が日常に使うなら、真似するべきはそこではありません。

真似するべきは、世界を一枚絵で見ない観察の構造です。

『もののけ姫』が、ただの自然保護の物語では終わらないように。

エボシ御前が、ただの悪役では終わらないように。

サンが、ただの自然側の正義では終わらないように。

アシタカが、ただ呪いを解く主人公ではなく、対立する世界を見続ける観察者でもあるように。

目の前の出来事には、複数のレイヤーがあります。

人には、人の目的がある。
立場には、立場の事情がある。
感情には、感情が生まれた因果がある。
対立には、対立が起きる構造がある。

そこを見る力が、観察力です。


観察力は、判断力の前処理である

才能インストールシリーズの流れで言えば、観察力は判断力の前にあります。

なぜなら、見えていないものは判断できないからです。

相手の目的が見えていなければ、伝え方を間違える。
場の空気が見えていなければ、動かす順番を間違える。
自分の感情が見えていなければ、反応で目的からズレる。
構造が見えていなければ、根本ではなく表面に対応してしまう。

観察力とは、判断するための材料を集める力です。

ただし、材料を集めるだけではありません。

その材料をレイヤーで分けることで、
「どこに手を入れれば変わるのか」
が見えてくる。

ここまで来ると、観察力はただの気づきではなく、再設計の入口になります。


観察力とは、世界を見る力であり、人を見る力であり、自分を見る力である

最後に、今回の観察力をまとめます。

観察力とは、細かく見る力ではありません。

目の前の出来事を、ひとつの意味に固定せず、複数のレイヤーで見る力です。

宮崎駿監督の作品が、見るたびに違って感じるのは、そこに複数のレイヤーが重なっているからです。

子どもの頃は冒険に見える。
大人になると社会に見える。
さらに深く見ると、価値観の衝突や人間の業、文明と自然、神と人間の関係が見えてくる。

同じ作品なのに、観察するレイヤーが変わると、意味が変わる。

これは、現実の人間関係でも同じです。

相手の言葉だけを見ると、傷つく。
相手の目的を見ると、少し離れられる。
場の構造を見ると、動かし方が見える。
自分の感情を見ると、飲み込まれずに済む。

だから、観察力を鍛えると、対人関係は楽になります。

人間関係が感情で受けるものから、構造で扱えるものに変わるからです。

そして、自分の感情すら観察対象にできるようになると、メタ認知が働きます。

怒りも、不安も、焦りも、落ち込みも、ただ飲み込まれるものではなくなります。

「今、自分の中で何が起きているのか」
を見られるようになる。

観察力とは、世界を見る力であり、人を見る力であり、自分を見る力でもあります。

宮崎駿監督からインストールするべき観察力とは、
世界を単純化せず、複数のレイヤーで見続ける力です。

そして、その力を日常に持ち込めば、
人間関係も、感情も、判断も、ただ振り回されるものではなくなります。

構造として見えるようになります。

見えるようになれば、扱える。

扱えるようになれば、選べる。

選べるようになれば、人生は少しずつ、自分の目的に向かって動かせるようになります。


次回予告

観察力とは、目の前の出来事を一枚絵で見ず、レイヤーで切り分ける力でした。

相手の発言。
その裏にある感情。
守ろうとしている目的。
立場や利害。
場の空気。
そして、自分自身の感情。

それらを切り分けて見られるようになると、人間関係はただ振り回されるものではなく、扱える構造に変わっていきます。

しかし、観察できるようになっただけでは、まだ現実は動きません。

次に必要になるのは、切り分けた情報をもとに、

どうすれば自分の目的や会社の目的に近づけるのか。
どういうアプローチなら、相手も納得しやすいのか。
どんな着地点なら、全体が前に進めるのか。

を頭の中で組み立てる力です。

それが、想像力です。

想像力とは、ただ空想する力ではありません。

観察して切り分けた課題を、目的達成できる未来の形へ組み替える力です。

次回は、宮崎駿監督をモデルに、

想像力とは空想ではなく、未来の着地点を組み立てる力である

というテーマで分解していきます。

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