Starman
今日から、noteで文章を書くことにした。契約しているサブスクでランダム再生して5局めの曲をタイトルにする。日記のようなエッセイのような、800文字前後のものにしたい。初回はデヴィッド・ボウイの『Starman』だったのでこれをテーマとする。
調べてみたら54年前の曲だった。良いなーと思って過去にお気に入りにしてたから再生したわけだが、半世紀以上前とは思いもしなかった。デヴィッド・ボウイのベストアルバムでこの曲を知ったのは15年以上前だけど、そこを起点に考えても30年以上だ。
僕が今から名文や名曲をしたためたとて、50年超の歳月に耐えうる強度を持ったものを生み出せる気がしない。ていうかどんな職業でどんなものを生み出したとしても、50年も保持されるものって果たしてあるんだろうか。そう考えると音楽・芸術・そして天才ってのは到底敵わない恐ろしいもんだと思う。ただ生きるだけでは辿り着けない境地だ。
一方で、全く世には出てないが僕の30年前の文章ってのは卒業文集とか探せば読むことは可能である。こないだ結婚式の準備の時に見たけど個人的には悪くない気はした。何ていうか、読む人のことを微妙に意識した、照れとウケ狙いと自意識がいいブレンドで存在していた。字は恐ろしく汚かったが好感を持った。さすが僕だ。
話は逸れたが、適当に生きたところで生み出したものは消失しないのである。
ダラダラと生きても何か残滓が見え隠れしてしまうが、強烈に生きると鮮烈な光跡が、遠く離れた国や世代にも受け継がれる。人生ってのはよく出来ている。生きた証というのは天体に近いものがあるのかもしれない。
3月に入り、冬の星座は徐々に光は薄らいでくる。何となく忘れるが、また季節が巡れば見えるようになる。
僕が文章を書こうと思ったのは、毎年同じようなことを考えているようでありながら少しずつ変わっている気がしたからだ。その違いを観測したく、今日から書き始めている。来年の今頃、夜空を見るように比較して文を見れたら楽しいのではないかと思っている。
