「退屈」を愛す
vol.296
「もっと、ボーッとしたら?」
と、よく妻から注意されます…(汗)
仕事中はほとんど休憩をとらず、休日もダラダラ、ゴロゴロすることもなく、ずっと何かし続ける私を見て、妻は
「そんな生き方していたら、血管切れちゃうよ」
と、何の根拠もない脅しをしてくるのです…
退屈を感じると、非常にもったいなく感じてしまう…
そんな風に思う方は少なくはないでしょう🤔
しかし、実は退屈にも良いところがあるようです。
〈Forbes JAPAN / 2026年4月9日〉
例えば、退屈を取り入れると創造性が高まるとのこと。
脳は常に情報を処理して忙しく動いている状態では新しいアイデアを生みにくく、むしろ何もしていないときやぼんやりしているときに働く「デフォルトモードネットワーク」が働いているときに、発想やひらめきが生まれやすくなります。
それは、過去の経験や知識が自由に結びつき、新しいアイデアが自然と生まれるからです。
一方、現代人はスマホがあるので、常に刺激を求めてしまう。
その結果、脳が深く考えたり、アイデアを再構成したりする余白がなくなり、創造性が発揮されにくくなってしまうというわけです。
そもそも、退屈さを失った人生は豊かではないのかもしれません。
「人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する」。
かつて、フランスの数学者で哲学者のブレーズ・パスカルが、1670年に刊行された著書『パンセ』の中でこう綴っています。
〈lifehacker / 2014年8月31日〉
退屈は単なる無意味な状態ではなく、思考や内省、創造性にとって必要な時間だということです。
つまり、退屈な時間こそが「自分の頭で考える力」を育てるというわけですが、そうしたことをパスカルは直感的に感じていたのでしょう。
ちまみに、20世紀を代表するイギリスの哲学者、数学者、論理学者のバートランド・ラッセルは
「偉大な本は、おしなべて退屈な部分を含んでいる」
と指摘しています。
本当に価値のあるものは必ずしも常に面白いわけではない。
偉大な本とは、深い洞察や複雑な構造、長期的に価値を持つ内容を備えた“考えさせる本”のことであり、そうした内容には前提の説明や論理の積み上げ、細かな検証といったプロセスが不可欠です。
しかしこれらの部分は派手さがなく、一見すると退屈に感じられることが多いものです。
それでも、その退屈に見える部分こそが本質的な価値を支えており、結論の面白さや深い理解は、そうした地道な積み重ねの上に成り立っています。
つまり、退屈な部分があるからこそ内容に深みが生まれるのであり、逆に常に分かりやすく刺激的なものだけでは浅い理解にとどまりやすいということです。
この言葉は、現代のように短く分かりやすい情報が好まれる時代において、真に価値あるものには必ず一定の「退屈」が含まれるという重要な示唆を与えており、退屈を単なるネガティブなものではなく、深さのサインとして捉えるべきだということを教えてくれます。
私の記事には、そんな地道な積み重ねはないですが、それでも退屈さを感じたら、これは創造性や深い洞察を得るための大切な要素なんだと思っていただければ幸いです(笑)
私もほど良い退屈さを取り入れながら、より豊かな人生を歩みたいと思います🫡
本日も最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました!
