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【風が吹く】#シロクマ文芸部

風が吹く日だった。
スタジオの中では外のことなど全く伝わって来ないが、誰かがスタジオ入りするたび「おもてはすごい風だよ」と言っていた。
僕が到着した頃も風は吹いていたが「すごい風」ではなかった。
「帰る頃までにおさまっているといいですね」
マネージャーが呟いた。
「そうだね」
僕は頷く。
事務所の移動用の車は車高が高く、横風を受けると走らせにくいとマネージャーが愚痴をこぼす。
最初から天気が悪いとタクシーを使うこともあるが、今日は移動車でスタジオに来た。
「ロケじゃなくてよかったですよ」
近くにいたスタッフの会話が聞こえてきた。
スペシャルドラマの撮影。最近、業界はSF要素のある作品が流行りらしい。
派手な演出はないものの、「ちょっと不思議」を表現するのに、特殊効果が必要となる。
グリーンバックでの撮影だったり、特殊メイクだったり。
今日はスタジオでグリーンバックでの撮影だった。
合成のために同じシーンを角度を変えて数パターン撮る。
最初台本をもらった時に、役柄が未来人とあって「?」となった。
30年後の未来から来たのだという。
「30年といってもあまり変わりませんからね」
プロデューサーが言う。
確かに。自分が子どもの頃と一番大きく違うのは携帯電話の形ぐらいだ。
それこそ子どもの頃に観たドラマや映画の未来人のようなおかしな格好をするわけでもない。
ただこれから起きる出来事の記憶があるというだけだ。
「そのくせ、明日の天気は訊かれてもわからないんですよ」
オリジナルの脚本を書いた脚本家が言う。
「毎日の天気を記憶してたらすごいですよね」
「あれだよ。昨日の夕飯は覚えていても一昨日の夜何を食べたか忘れているのと一緒さ」
確かに…いや…
「僕は覚えていますよ」
とわざと言った。
「じゃあ、一昨日の天気、覚えている?」
訊かれて少し戸惑った。
一昨日もスタジオで撮影で、朝雨が降りそうだったが結局降ったのかどうか覚えていないというよりわからない。
天気の良し悪しはロケでもなければ興味がない。
「そうなんだよねぇ。気にかけないものなんてちっとも頭に残らない」
と、脚本家は言った。
「確かに」
僕は頷いた。
セリフ覚えはいい方だ。
丸ごと覚えるので、自分以外のセリフも頭に入る。
でも覚えたセリフをいつまでも覚えているわけではない。
次の作品の台本が頭に入ると前の台本は綺麗に消える。
おかしなもので、新聞や本を読んでも、先に覚えたセリフが消えることはない。
仕舞われる脳の領域が違うのだ…と勝手に思っている。
ひょっとして、僕の脳には天気を覚えておく領域というのはないのかもしれない。
昨日の新聞の隅にあの弁護士が転落事故で亡くなったという記事が小さく出ていた。
事故のあった場所はあの歩道橋でも、勤務先のビルでもなかった。
なんとなくだけど、先生とは関係なく、あの弁護士は勝手にひとりで転落したのではないか?と思った。
場所は弁護士の住むマンションの非常階段。
弁護士は勤務先の建物だけでなくエレベーターが苦手なようだった。
好奇心だけで先生に確認するのはどうかと思った。
ただ、先生は物理的に押すのではない押し方もできるのだ。
むしろ物理的に押さなければならない状況の方が少ない。
来週、またあの古物商に一緒に行く約束をしている。
その時に話が出るかもしれない。
僕はセット裏の奥まったところに置かれたふたり掛けのソファに座っていた。
このソファはいつもここに置かれている。
自分の出番のないシーンでも、撮影を見ることもあるが、
制作スタッフが慌ただしく動いている。
機材トラブルか?
「すみません。このまま休憩に入られてかまいません。準備できたらお呼びします」
若いADがセット裏にいた俳優たちにそう言って駆けていった。
「お弁当、届きました」
別のスタッフの声がした。
僕はノロノロと立ち上がった。
午前中は撮影の段取りの説明だけで、お腹もたいして空いていない。
スタジオから出て廊下を歩く。
そこにも窓はない。
風はまだ吹いているのだろうか?
そんなことをぼんやり思いながら控え室に向かう。
外の見える場所に行って、様子を伺おうかと思ったが、やめた。
外の天気は今の僕にはほとんど関係がない。
来週、先生に会うときに、今日の天気を覚えているだろうか?
そんなことをぼんやり思った。



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