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【レシートに】#シロクマ文芸部

「レシートに糊を使う際はスティック糊は使わないでください」
経理の神林さんがテープ糊を差し出して言う。
新入社員の僕は経費精算の説明を受けていた。
「変色…黒くなってしまうんです」
どうして?と訊ねる前に神林さんは言った。
「あと、なるべく上の余白の部分に糊付けしてください。全面に塗らないように」
レシートの裏面を撫でながら神林さんは言う。
細かい話だが、大事なことなのだ。と僕は思った。
研究室にいる頃はレシートを貼るということはしなかった。
神林さんは大野監督の妹さんで、大野監督個人の経理と、大野監督の持つ映像制作会社の経理をなさっているということを、監督のマネージメント担当の下塚さんが話してくれた。
春から大野監督の映像制作会社の社員となったが、基本はリモートワークで家での仕事になる。今日は経費精算やら給料システムやら細かい事務処理の説明などを受けに、東京の事務所に来ていた。
東京の事務所…といっても、23区内ではない。
それでも新幹線から在来線に乗り換えて30分ほどで着く。
「カード払いが必要なものは、こちらのカードを使ってください」
会社のカードだという。
社員全てにカードを持たせているらしい。
「サブスク?アプリとかの使用料はカード払いが基本ですから、必要なものはカードで支払っていただいて構いません。ただ、適格請求書、もしくは領収書を必ずダウンロードしてくださいね」
「はい」
大学の研究室でも行われていたことだ。
神林さんは結婚して神林さんになったのだが、早くにご主人を亡くされた…という話を、以前監督がしていた。
ふたりのお子さんがまだ小さかった時で「だから苗字を戻していないんだが、向こうの親戚とはほとんど行き来がなくてね」と、僕にというより、その時いたスポンサーさんか誰かに話していた。
どうして神林さんの話になっていたのかはわからない。
「大きい買い物の際は、あらかじめ一報いただくと助かります」
「大きい、というのはどのくらいでしょうか?」
研究室の大きいは本当に大きな買い物となり、勿論個人の一存で決められるものではない。だけど、個人で決められる買い物もおそらく普通の会社より大きな金額ではないか?と思っている。
「そうですねぇ」
神林さんは小首を傾げた。
その仕草が少し義姉に似ている。
「20万を超えるものですね。経費にならない。資産計上されるものですね」
「10万ではなくて?」
神林さんはまた小首を傾げた。わずかに眉間に皺が寄っている。
「そうですねぇ…パソコンとかすぐに10万超えてしまうでしょう?あぁ、でも、そうですね。10万円のラインにしましょうか」
そう言ってにっこり笑った。
「百目鬼さんはご自宅…ご実家にお住まいだとか」
「あ、はい」
通信費負担分として、インターネット回線料は申請は必要だが会社が一定の割合で負担するという。
携帯は会社とのやり取り用の専用機を支給してくれるとのこと。
「こうして事務所に来ていただく際は、予め乗車券や宿泊先を準備しますが、そうでない場合は他の経費同様レシート、領収書を添付の上精算書にて精算します」
東京に住んでいてもリモートワークのスタッフもいるという。
「通勤に時間をかけることを、兄は無駄だと思っているんです」
神林さんは言った。
誰かが言っていた。
監督は身内の誰かを通勤時の列車事故で亡くされている。
ひょっとしてそれは神林さんのご主人なのかもしれない。そう思った。
精算請求はPDF化した書類で先に行う。
その後、まとめた書類を郵送(宅配便でも可)で会社に送る。
書類を送った経費もまた後日精算する。
最後の経費は郵送ではなく持参することになるのだろうか?
始まったばかりなのに終わりを想像する自分が少しおかしく思えたが、それを顔に出さぬよう、奥歯を食いしばった。
「百目鬼さんはまた映画にも出るんですか?」
説明が終わったというように、テーブルの上を片付けながら神林さんが言う。
「どうでしょう?大野監督にキャスティングしていただいたら出るかもしれません」
出ないと言い切ってしまうのは容易い。
でも柊木さんや大野監督にまたゴリ押しされたら断れる自信はない。
映画作りはとても楽しく、やりがいのある作業だった。
「娘が、上の子がシュンさんのファンなんですよ」
神林さんの表情が変わった。
それまでも柔和な感じだったが、仕事のスイッチが切れた感じがした。
「メディア露出がないし、雑誌掲載もなくて、登場シーンのカット写真しかない…とボヤきながらも予告編の動画を一時停止させて写真撮ってるんですよ」
「え?あ…」
いきなりそんなことを言われて僕は焦った。
「私は娘に百目鬼さんのこと話していないんですけど、監督がリークするかもです」
そう言って笑う神林さんを、僕はテープ糊を手で弄りながら見上げるしかできなかった。



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