子どもに身につけて欲しいスキルは、これ一択。僕が人生を通して学んだこと。
子どもに身につけて欲しいスキルは何でしょうか?
学力?
英語?
コミュニケーションスキル?
プログラミング?
はたまた、手に職的なスキルでしょうか?
ぼんやりと考えてきたこの問いに対して、僕の中で答えが見つかりつつあります。
子どもが生まれてから7年。二人の子どもに恵まれ、小1と年長の二人の娘がいます。
子どもにはどう育ってほしいか、僕なりに真剣に考えてきました。妻と話し合ったり、いろいろな本を読んで勉強したり、時には自分の人生を振り返ったり。
ようやく、このことについて、自分の中で答えが見えてきたので、noteにまとめたいと思います。
結論、「自分で成功を定義する力」
自分なりに、全身全霊で子供に向き合ってきたつもりです。 独学ですが育児書を読んだり、自分の経験と照らし合わせ、妻と話し合い、強固なポリシーをもって育児をしてきました。
そんな中で、 「人生において、我が子に身につけてほしい、最も大事なスキルは何やろうか」 と考えました。
色々なことが頭に浮かびましたが、僕の結論はこれ一択です。
それは、「自分で成功を定義する力」。
つまり、他人の評価軸に沿って自分の進む道を決めるのではなく、自分自身の考えに基づいて「これこそが自分の成功だ」と決めて、その道を進む力のことです。
少しわかりにくい話かもしれません。
以降で、この考えに至る背景や理由など紐解いていきます。
MIT石井裕教授の言葉を借りれば「造山力」
僕の好きな、マサチューセッツ工科大学(MIT)の石井裕教授は、これを「造山力(ぞうざんりょく)」と表現していました。「自分で登るべき山を造り出す力」という意味です。
他人が造った山や、世間一般から良いとされている山を登るのではなく、自分自身で登るべき山を選ぶ力。もっと言えば、自分自身が登るべき山を造り出す力が大事だと仰っています。
これは、僕の価値観と激しく合致していまして、世の中が言う”成功”に盲目的に従うのではなく、それを疑ってみて、自分自身の深い考えに基づいて、"私の中での成功はこういう形だ"と定義して欲しいのです。
MIT石井教授に関連して、僕の好きなエピソードがあります。石井教授がMITに就任する時に、著名なMIT ニコラス・ネグロポンテ教授からこう言われたそうです。
「 同じ研究をするな。
新しいことを始めろ。
人生は短い。
新しいことの挑戦は、最高の贅沢だ。 」
このメッセージは、研究活動のみならず、人生そのものにも通ずると考えています。
まさに、新しい道を切り開く造山力であり、自分で成功を定義できる力に繋がる考えだと思っています。
では、なぜ僕が、ここまでこの力を大事だと思うようになったのか。 それは、僕自身の人生の、大きな後悔に基づいています。

僕の大きな後悔
恥ずかしながら、僕自身が30代前半まで「他人の評価軸」で生きてきた人間だったように思います。「人が良いという高校・大学」を目指して、少しでも偏差値の高い学校へ。 「人気の企業」を目指して大きい会社へ。 「より高い給料」を目指して転職。
つまり、”偏差値”、”人気”、”金銭”などと、社会一般の価値観に基づいて、自分のキャリアを決めてきました。
当時の僕は、これらの価値観や、それに基づく判断に何の疑問も持っていませんでした。
結果的に、これらの経験が、今の起業に活きていることもあり、これら一つ一つのキャリアに後悔は少ないです。しかし、こういう他人や社会が決めたモノサシを基準に人生の決断をしてきたこと自体には、とても大きな後悔があります。
自分に全く合っていなかったんです。特にサラリーマン時代です。
決まりきった仕事の中で個性を発揮できず、ただ評価を気にする毎日は、とても苦しかったですね。
仕事における正解や評価が、すでに会社自体や前任者によって定義されており、後任者(ほぼ全ての社員)は、その決められたルールの中で、いち早くルールを習得し、その中で高得点を目指すような構造でした。無論、その得点の評価者は上司でした。
自分自身の仕事人生が、”上司”という他人の評価によって決まることに対して、会社とはそういうものと理解しつつも、これに時間を費やす人生に強い疑問を覚えるようになりました。
そんな僕に転機が訪れたのは、32歳の時でした。高校時代からのかけがえのない親友が、急死し、この世を去ったのです。
衝撃でした。 3日間涙が止まりませんでした。そしてその後に、強烈に、こう思いました。
「人生は短い。自分に素直に生きなければ。他人にどう思われるかを気にしてる時間はない。」と。
明日死ぬかもしれないのに、「仕事ができる男」と思われたい、ステータスが欲しい、少しでも高い給料が欲しい、上司の評価を気にする…そんな他人のモノサシの上で競争している人生は、あまりにもったいない。死ぬ時に絶対に後悔する、と。
その気づきから、僕は起業しました。
そもそも20代の頃からチャレンジしたかった起業です。心からやりたいことを、どんどんやっていく人生じゃ無いと勿体ないと思ったことが、この決断の大きな理由の一つです。
すると、人生が180度変わりました。
「仕事って、こんなにおもろかったんや」と、心の底から思えたんです。 自分で造った山を、自分の足で登っていく。
顧客からは見向きもされず、評価されずにしんどい時期もありましたが、上司の評価を気にして生きていた時のつらさとは全く異質の、健康的なしんどさとも言えるような、充実した苦労でした。
自分の人生の舵を自分で握る。 この経験から、僕は確信したんです。人生は、自分の軸で生きな、何にも面白くない、と。自分自身が、自分自身を満足させてあげなあかんのや、と。
人は弱いものです。
すでにある評価軸で生きていくことが、幼い頃から染み付いています。わかりやすいのが偏差値などの勉強でしょう。大人になると、経済的な成功面などです。
そして、その評価軸から外れることは、言いようもない恐怖を感じます。
なので、多くの人が既存の評価軸の中を生きているように思います。
(ちなみに、起業は経済的なメリットも享受することができます。それはまた機会があれば書きます)
自分の人生を歩み始めて見えた子育て
起業してから数年後、子どもにも恵まれました。
そうやって自分の人生を歩み始めた僕にとって、今度は、世の中の子育てで「良し」とされていることに、どうにも違和感を覚えるようになりました。
例えば、過熱する中学受験。
子供が幸運にも勉強が好きで得意なら、いいんです。 でも、そうでない子に、小学生の低学年から膨大な時間を勉強に費やさせることは、その子が本当に好きなこと、没頭できることを見つけるチャンスを奪っていることにならへんかと思うわけです。
「学力の経済学」などの著書で有名な慶應大学の中室教授は、「機会費用」という表現で、このことのリスクを指摘しています。
つまり、機会費用とは、何らかの選択をした結果、本来得られるはずだった他の選択肢から得られる利益を失うことです。例えば、子どもに(好きでも得意でもない)勉強ばかりさせて受験に熱を入れたばっかりに、本来ならば小学生時代に体験しておく様々な有益なことを逃してしまうことです。
この損失は、取り返しのつかない莫大なものだと思います。
小学生の段階から、その子供が本当に勉強が好きかどうかの判断することは、親であってもほぼ不可能でしょう。子ども本人が自覚すらしてないでしょうから。
ましてや勉強が苦手な子どもなら、勉強を中心とした学生生活よりも、他の活動に没頭できるように環境を整えた方が、その子どもの人生が充実するように思います。
そうです。幼少期の子どもには、ただただ「好きなものに出会って欲しい」と思うのです。好きなものに出会ってもらって、より人生がハッピーになったらよいなと願っています。自分がのめり込めるような好きなものに巡り会えたら、子どもにとって、かけがえのない人生の張り合いになると思う為です。(なので、親の役割としては、幼少期の子どもには様々な機会の提供をすることかと思います。間違っても、勉強含め、何かを強制するのは論外だと思うのです)
ドジャースの大谷選手も「子供のうちに野球に出会えてラッキーだった」と言っています。野球であれだけの成果を出している人ですが、野球が上手くなるコツについては「好きなもの(野球)を深めてきただけだ」と発言しています。
「好きは努力に勝る」という言葉もあります。好きなことに没頭することこそが、何らかの我慢をして努力をしていることよりも、良い成果が出るという意味です。
好きなことを追求していく方が、その子を幸せにし、結果的に異次元の高いパフォーマンスに繋がる唯一の道やと、僕は思うんです。
親が子に願うのは、無理に努力して耐える人生でしょうか。 違いますよね。好きなことを徹底的にやって、ハッピーな人生を送ってほしい。それだけのはずです。
だから、親が「こっちの大学の方が偏差値が高い」「こっちの会社の方が安定している」と道を指し示すのは、結局、親切の顔をした「他人の価値観の押し付け」に過ぎないんやないか。たとえ、親であっても、です。
そして、その他人の価値観でいうところの”他人”が、昔の政治家の意思なり、住宅業界の宣伝によるものであたったり、SNSの影響であったり、はたまた受験業界のマーケティングの効果だったりすると、大事な我が子をそんなどこの誰とも知らん人が作った物差しで生きさせることに、激しい危機感を覚えます。
それならば、親の基準ではなく、子ども”本人”の価値観を大切にさせてあげたいのです。
そのように無条件で子ども本人の価値観を尊重できるのは、世界中で親しかいないはずなのです。世間は容易に他人の価値観を否定してきますからね。

そもそも成功とは何か?
ここで改めて立ち止まった考えたいと思います。
そもそも、人生の成功とは何でしょうか?
金銭的なこと、安定していること、大企業に就職すること、子宝に恵まれること、健康であることなどなど、様々なことが一般的には考えられるでしょう。
どれもが正解であって、間違いは一つも無いと思います。
問題は、社会一般で成功とされていることは変わりうるということであり、更には”他人”が成功と決めたことはあくまで他人の価値観であり、自分の成功とは別物の可能性が高いという点です。自分で成功をしっかり取捨選択できているかどうか、という点だと思います。
「SNSではxxxxが良いとされている。」
「誰々がxxxが大事と言っていた。」
このような個別の情報を得ること自体は否定しませんが、それに人生を委ねてしまっては、非常に危険です。
子どもには、ぜひ自分で情報を得た上で自分で解釈し、そして自分が目指すべき成功を定義できるぐらい、知性と度胸を持ってもらいたいと切に願います。
競争している時点で負けている
少し論点を変えます。
自分で自分の成功を定義し、自分がその道をひたすらに真摯に進む人生は、実はとてもお得だという話です。
PayPalの共同創業者であり、Facebookの最初の外部投資家としても知られるピーター・ティール氏は、その著書『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』の中で、「競争は負け犬のためにある(Competition is for losers.)」という過激な言葉で、競争を避けることの重要性を説いています。
他人が造った山のレースは、すでに大渋滞をしているのです。その競争を勝ち抜くのは、もうそのレースに参加している時点で、消耗戦が始まっているように感じるのです。人生を通じて、消耗戦をするなど、それは幸せな方向性に進んでいると言えるのでしょうか。
そうではなく、自分が信じる価値観に、妥協せずに進む。その方が、健康的な努力ができ、健康的な人生が待っていると思います。
自分で山を造れば、競争にはなりえません。高村光太郎の道程の如く、「僕の前に道はない 僕の後に道はできる」という状況こそ、望ましい環境かと考えています。
僕自身が、起業してからというもの、そういう感覚を常に持って仕事ができ、日々を過ごせています。
努力自体は美しいとは思いますが、それは他人との比較による努力ではなく、昨日の自分を超えるかの如く努力であって欲しいと思います。
また、若干ニュアンスは異なりますが、マーケティングの大家であるドラッガーは、「何事かを成し遂げるのは、”強み”によってである。弱みによってではない」と指摘しています。
自分で山を造るのであれば、自分で成功を定義するのであれば、それはぜひ我が子が好きなこと、強みとなっていることで、実現してもらいたいものです。
きっと、自分で成功を定義する時点で、強みによって思考が定まっていることでしょう。

自分の評価軸で生きる道は、実はとてもタフ
もちろん、自分の評価軸で生きるというのは、簡単な道ではないです。 社会から評価されず、無視され、冷たい目で見られることもあるでしょう。それに耐えられるだけの強い人間になる必要があります。
でも、僕は我が子にそうなってほしい。 他人の評価に怯えるより、自分の信じた道で孤独に耐えられる、強い人間に。
改めて、石井裕教授の造山力で言うならば、「登るべき山を造る力」です。自分で山を造るのも大変ですし、自分でそれを登りきるのも果てしなく大変でしょう。これほどタフなことは無いと思います。それに加えて、他人からは、何をやっているのかと白い目で見られることが確実です。
それでも良いんです。
それであっても、自分が信じて山を造り、その山を登っていって欲しいと願います。
大変だと思います。
でも、その大変なことをできるだけの知識と度胸と根性と体力を持って欲しいなと思います。自分で成功を定義できる力があれば、自ずとそれらの知識などの力も身についているでしょう。
子どもには、自分で登る山は自分で造って欲しい。
自分の人生の成功は、自分でしっかりと定義して欲しい。
それができれば、きっとその先には、自分で自分自身を満足させてあげられる人生が待っていると思うのです。
最後に
親がすべきことは、シンプルです。 「お父さんは、何があってもおまえの味方や」と伝え、心理的な安全基地を作ってあげること。 そして、子供を信じること。
子供が「これが私の登りたい山や」と決めたなら、それがスポーツでも、芸術でも、文化的なことでも何でもいい。 僕らは、その挑戦を心から応援し、簡単じゃないその山を、その子自身が凛として登り続ける姿を見守る。
子供が人生を幸せに生きる道は、これしかない。 僕は、自分の人生の経験から、そう信じています。
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