2022.6.29.の「資本論」に関する記事の訂正について[2022.7.4.若干の追加(1961〜63年の草稿について記載)]
昨日(2022.6.29.)投稿した記事『「資本論」冒頭のマルクスの姿勢』の後半部『マルクスと「資本論」』に間違った内容がありましたので訂正いたしました。
私には「資本論」を書くにあたって、マルクスには大きな挫折があり、それが本格的な経済学の研究、更には「資本論」の執筆に結びついたという認識が昔からありました。
今回、その見解を述べるにあたっても記憶によらず、関連事項を調べ直した筈なのですが、何故だか「資本論」の出版(49才)の頃に大英博物館図書館(現在の大英図書館)に通い出して執筆したのだと思い込んで書いてしまいました。(自分が現在49才なのが影響したのかもしれません。)
今日(2022.6.30)になり、そんな筈はないと気付き、調べると明らかな間違いでした。申し訳ありません。
大英博物館図書館(現在の大英図書館)にはイギリス亡命 (31才)してわりとすぐに通い出していますし、「資本論」は1961年〜1963年の草稿を経て、1963年(45才)〜1965年(47才)に多く執筆されたようですが、その前身となるマルクス最初の本格的な経済学書とされる『経済学批判』(1850年9月頃 から徐々にはじめ、1857〜58年にいっきに執筆したとされる)は1859年(41才) に出版されています。
また、前の書き方では、挫折を経験して、マルクスは労働運動や革命活動などは一切やめ、執筆のみをしていたように思わせると感じたので、それも訂正しました。
この点も申し訳なく思います。
実際には、1864年の第一インターナショナル(国際労働者協会)の創立に際して、マルクス(46才)はその宣言文を書いたし、その後も長く活動を続けています。
マルクスがパリ・コミューンの革命(1871年、53才)を絶賛した事もよく知られています。
経済学の著書だけでなく、『ゴータ綱領批判』(1875年)のような、労働運動と革命運動に深く影響を与えた文書も書いています。(マルクスの死後に出版)
しかし、訂正した後の記事に書いたように、イギリスへの亡命 (大陸での革命の|頓挫《とんざ》)(1849年、31才)、共産主義者同盟の解散 (1952年、34才)、経済恐慌 (1857年、39才)は、マルクスにとって大きな試練と挫折であった事は確かなのではないかと思っています。
経済恐慌などを背景に労働運動が再び盛り上がりをみせ、第一インターナショナルが生まれてくるまでは、マルクスにとって大きな空白の期間で、それまでの活動を見直させる契機になったのではないかと思っています。(その間にも執筆活動を行ってはいるのですが)
Wikipedia 2022.6.30. カール・マルクス を参照しました。Wikipedia で調べられる事なのに申し訳ない限りです。(Wikipedia が確実とは言えないかもしれませんが)
今後も関連する事には注意を向けて、必要な場合には訂正したり、注を加えたりしていきたいと思います。
何か間違いがあれば、是非ご指摘ください。どうぞよろしくお願い致します。
