戦国SF奇譚 〜百万石の異聞録〜 第十五話
第十五話 聚楽の猿と傾奇の男
文禄元年(1592年)、盛夏の京。陽が沈みかけた聚楽第の奥庭では、蝉の声とともに、退屈そうな男の嘆息が響いていた。
「なぁにか面白い奴はおらんのか……」
関白・豊臣秀吉は、酒の盃を弄びながら、周囲の家臣たちを見回した。
「最近の若造は勢いが無い。簡単に頭を下げよって、覇気が足らんのだ」
片桐且元が気を揉むように言葉を探す。
「関白殿下、ただいま京の町では――その……前田慶次郎という名の者が評判にございます」
「……前田? 又左衛門と何か関係があるのか?」
「甥にあたるようにございます」
秀吉の目が鋭く光る。
「ほう。ならば、その前田とやらを呼べ。聚楽の庭で、ひとつ芸でも披露してもらおうか」
その報せは、金沢の前田家中にもすぐに届いた。
秀吉の名指しで呼ばれたのだ。本人だけでなく、前田家中も無視できる話ではない。
京に上っていた利家も、聚楽第へ出仕することとなった。
「何をしでかすか分からぬ男よ。行き違えば、家中全体の恥にもなろう」
利家の側には、信頼の置ける家臣たち。その中に、仲野長十郎、高田彦左衛門、島崎信之介の三人も従っていた。
「まさか、関白殿下の前で一騒動……なことにはならぬよな?」
「あり得るな…あの慶次郎様だからな…」
「信之介、笑っておるな?」
「ふふん、面白くなると思ってね」
聚楽第の広間には、すでに錚々たる面々が揃っていた。
浅野長政、細川幽斎、石田三成、前田利家、加賀家中の重臣たちも席を連ね、殿中は異様な緊張に包まれていた。
そして、遅れて現れたのは、絵巻物から抜け出たかのような男。
色鮮やかな水干(すいかん)をまとい、肩から無造作に刀を提げ、堂々と歩み入るその姿に、広間の空気がわずかに揺れる。
「お招きに与り、恐悦至極――」
と口上を述べたかと思うと、男はぴたりとその場にひざまずき、深々と頭を下げた。
だが、その様子すら芝居がかっていて、どこか品格すら感じさせた。
秀吉は笑った。
「ふん、見かけだけは派手だな。お前が“前田慶次郎”か。
傾いてるとは聞いたが、なるほど――傾いておる」
慶次郎は、秀吉の言葉に対し、微笑を浮かべたまま何も言わない。
ただ、軽く扇を開き、顔に風を送っている。
「して、舞は舞えるか?」
「御意。拙者、この身、風の如く舞ってみせましょう」
(囃子が鳴り、灯が落とされる――)
やがて登場したのは、猿の面を被り、手ぬぐいで頬被りをした、奇妙な踊り手。
それが慶次郎であると気づいた者は――むしろ、ぞっとするような気配を覚えた。
「猿……?」
広間の空気が一瞬、凍りつく。
誰もが思った。
関白・秀吉は“猿”とあだ名された男である。
その面を被って目の前に現れるとは――戯れの一線を越えれば、お家断絶も辞さぬ大罪。
張り詰めた緊張が、空気を裂く。
だがその男――前田慶次郎は、意にも介さぬ様子で、
扇をひらひらと振りながら、軽やかに舞い始めた。
その動きは猿そのもの。
跳ね、転がり、鼻をこすり、首をかしげ――
やがて、武将たちの膝の上に、ひょいと飛び乗る。
最初は細川幽斎、次に黒田長政、三成の膝にも――
それは舞か、挑発か。誰にも読めなかった。
武将たちは目を剥きながらも、誰ひとりとして止めることができない。
それが「猿舞」であると分かっていても、関白の前で“猿を演じる”という意味は重い。
(斬られても不思議ではない――)
だが、慶次郎は止まらない。
そして最後、上杉景勝の前に来た時――
彼は初めて、膝に乗らなかった。
ただ静かに立ち止まり、面を外し、深々と頭を下げる。
「恐れ入りました。上杉殿の前では、猿も舞えませぬ」
広間が静まり返る。
数拍ののち――
「……ハハハハハハ!!」
関白・秀吉の高笑いが響いた。
「面白い! 面白い男よ!
天下を弄ぶかよ?見事な肝の座りっぷり、天晴れである!」
盃を掲げると、秀吉は続けた。
「傾奇御免!
この場を以て、そなたには“好きに生きよ”との許しを与える!」
その言葉に、聚楽第は歓声に包まれた。
その夜、秀吉は大名たちに酒を注いでまわりながら、何度もこう語ったという。
「若い頃の又左衛門を彷彿とさせるよのぅ。歌舞伎者にしておくのは勿体ない」
仲野長十郎は、座敷の片隅で静かに呟いた。
「肝が据わっておる。まさに天下を弄ぶような舞。誰にも真似出来ぬわ。」
「うむ……斬られる覚悟で、扇を振ったのだ」
「まこと、傾奇者よ……」
この夜、前田慶次郎は、
天下に名を刻む“傾奇者”としての一歩を踏み出した。
だが、それは奇抜な衣装でも、舞でもなく――
己の「覚悟」をもって見せた、一世一代の勝負であった。
※作中の逸話は一部史実に基づきつつ、脚色・創作を含みます。ご了承ください。
