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草枕とオフィーリア

うちの店の、新年の営業は7日(水)より。

順調に滑り出して、ホッとしている。

今回の旅行で本を一冊読めてしまったので、頭が読書脳になっている間に、いろいろ読みたい。

次は何を読もうかなと、自分の本棚を眺めていたら、夏目漱石の「草枕」がこっちを見て手招きしていた。

私は人生の中で何度となく草枕を読もうとトライしていたが、今まで読み切れたことがなかった。

ギブアップする度に、いつかは必ずと…

1年前、理系の大学受験が終わった息子が何故か草枕を持っているので、どうしたのか聞いてみると、読んでみようと買ったがギブアップしたと言う。

息子にお願いして、それを恵んでもらった。

パラパラめくる。

ふと今回は読めそうな気がした。

草枕は、絵描きが主人公の、旅先での話だ。

私自身も旅をして、それをnoteに書いた直後なので、頭にスムーズに入ってくる。

ペラペラめくっていると、漢字の多い前半とは違い、後半は会話文が多く、演劇の脚本みたいにも感じた。

何行か声に出して読んでみる。

なんかいい感じだ。いままでと違うぞ。

読み始めよう。

改めて最初の有名な言葉から読み始める。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

これに始まり、草枕の最初の数ページだけでも浮世の本質を言い当てていて、すでに一冊分の情報量がある。

草枕は、主人公の絵かきが、とある温泉宿に向かうため、春の山道を越える所から物語は始まる。

何気ないことにも、あふれるような観察力で言葉が連なっていく。

内面の言葉もあれば、ひばりや山桜への言葉もある。

自分も旅をしていて、何気ないことにも言葉が浮かんできて、それをどう旅行記に書こうかと考えながらいるが、夏目漱石の解像度、品格、品性、教養の高さとは、雲泥の差だ。

漢詩などへの教養がないと分かりにくい言葉には本では解説があるが、今回は基本的には読むリズムを大切にして、あまり解説は見ずに読み進めた。

自然に対する短めな言葉が多いので、なんかシェイクスピアのリア王の台詞みたいだなと思っていたら、シェイクスピア「ハムレット」の主要な登場人物の女性、オフィーリアの絵の話が出てきてびっくりした。

草枕からシェイクスピアの劇を連想したことは、全くの間違えではなかった。

 ◇ ◇ ◇

草枕の主人公は峠の茶屋に立ち寄り、茶屋の人や馬子から、峠を下ったところにある宿泊予定の温泉宿の話を聞く。

その中で、キチガイと呼ばれる女性の話にも触れる。主人公の絵描きとその女性は、今後何か関係があるだろう事が読み取れる。

ちなみにオフィーリアは、清純な女性としてハムレットでは描かれていて、川で自死してしまう。

画家のミレーは、ハムレットからインスピレーションを得て、それを絵にした。


今回知ったことだけれど、夏目漱石は国費留学でイギリスに行き神経衰弱になった時に、この絵に救われたそうだ。

主人公の絵描きと、目的地の温泉宿にいるキチガイと言われる女性が出会う場面を読み進めると、ひょっとしたら、夏目漱石はシェイクスピアのオフィーリアとは違う、もっと自由で知的で自ら死なない日本のオフィーリアを書こうとしたんではないか、そう思うようになった。

 ◇ ◇ ◇

草枕は、演劇に例えれば、舞台が途中で一瞬暗くなって次の舞台装置に変わって(暗転)、次の登場人物達との小さな話が新たに始まり、を繰り返すように、テンポよく話が進んで行く。

草枕の最後の方では、鉄道が敷かれ、どんどん文明が進んでいく息苦しさを、ある人の見送りの場面に合わせて、具体的に書いていく。(最初は抽象的に総括的に書いていた)

一瞬あれっ、と思った。

 ◇ ◇ ◇

去年2025年12月に、ハムレットを観劇に静岡へ行った。

その演出をされた方は、うちの近所の民泊を利用されていて、信じられないことに、うちの天丼も何度かお買い上げ頂いていた。

そのハムレットを観劇しなかったら、ひょっとしたら草枕を、読まなかったかも知れない。

何か似たものを感じて読み始めることができ、夏目漱石がハムレットのオフィーリアの絵から、この小説を書く動機をもらったという事実にも巡り合わせた。

静岡で観劇した「ハムレット」、主人公が本来のハムレットではなくて、たくさんのオフィーリアという挑戦的な演出をされた上田久美子さんは、あるnoteの中で、東京という場所の居づらさを書かれていたのだが、草枕でも、夏目漱石が同じように近代化の進む東京の息苦しさを書いていた。

上田久美子さんの文章も、何気ない日常の中で見えているものの解像度が高くその表現力も夏目漱石の草枕と似ているなあ、とびっくりしながら本を読み終えた。

ハムレットでオフィーリアは死んだが、草枕でその女性は死ななかった。

絵描きが小説の中では、彼女を絵で描こうとしていた。それには彼女の「ある表情」を見ることが必要で、その表情は小説の最後に現れたが、それは彼女がキチガイではなく正気だったことを表していたのかもしれないし、それで夏目漱石自身も自分を癒したかも知れないと思い、本を閉じた。

 ◇ ◇ ◇

この本の感想は、小説のストーリーをも越えて、いろいろ衝撃的だったので書いた。

これで終わります。おやすみなさい。

(キチガイという言葉は好きではないが、そうではなかったんじゃないか、ということを書きたかったので、あえてこの言葉を使いました)