約50年前、小学校の先生に言われたひと言を私は今も忘れていない
私は文章を書くことに対して苦手意識があった。そのきっかけとなったのが、こんなひと言───
「まるお君は作文がヘタだね」
小学一年生の時、私の読書感想文を読んだ担任の先生が笑いながらそう言った。
「まるお君は作文がヘタだね」と。
彼女は指導者として率直に指摘しただけだったのかもしれないし、あるいはちょっとしたジョークでそう言ったのかもしれない。
その先生は既に亡くなっているため真相はわからない。仮にもしご存命だったとしても、地味で目立たなかったいち生徒とのそんな些末なやり取りなど覚えてはいないだろう。
ただ、それ以来、私は作文が大嫌いになり、文章を書くことがますます苦手になった。どうせヘタだし、書いた文章を先生や友達に笑われるのもイヤだし。
そんなトラウマはそのまま中学へと引き継がれたのち、私は中学一年生の夏休みを過ごし、課題の読書感想文を残したまま、夏休み最終日を迎えていた。
午後七時。
明日提出しなければならない読書感想文を残しながら、本も読んでいないという非常事態。どう考えても正攻法では間に合わない。だからといって裏技があるわけでもない。
途方に暮れるなか、私は苦しまぎれに本をパラパラとめくっていた。すると、巻末にあとがきのようなものがあり、簡単なあらすじが載っているのを見つけた。
───とにかく原稿用紙のマスを文字で埋めさえすればいい。
そう思った私はそのあらすじを読み、自分が思ったことを、思いつくまま、ありのままに書き殴った。もちろん、書いたものは読み返すことも修正もしなかった。原稿用紙のマスが文字で埋まってさえいればいいのだから。だって、
どうせ私は作文がヘタ。
読み返して誤字脱字があったところで、作文自体がヘタなんだから推敲なんてするだけ無駄。当時の私は本気でそう思っていた。
そのくらい、文章を書くことがイヤだった。自分の文章のヘタさを心から憎んでいた。
翌日、その憎々しい感想文を提出し、清々した───が、二学期が始まってしばらく経ったころ、思わぬことが起こった。
破れかぶれで書き殴ったその読書感想文が校内の賞に選ばれたのだ。
私のことを作文がヘタだと信じて疑わなかった小学校時代の友人たちはもちろん、親さえもビックリしていた。「誰かに書いてもらったんじゃない?」と言い出す友人もいた。
そりゃそうだろう。
小学一年生の時から先生に「作文がヘタ」というお墨付きをもらうほど作文がヘタだった私が、中学生になった途端に賞をもらうはずがない。私だってビックリだ。ただ、驚きながらもその一方で私はこんなことを思っていた。
───読書感想文を書くって、もしかしてこういうこと?
というのも、それまでの私の読書感想文の書き方は、まず本を読み、内容を把握したらその内容を説明する。とにかく、ただひたすらに本の内容をせっせと書いていた。それが読書感想文だと思っていた。でも、
それは感想文ではない。
ただの解説文だ。
なぜ、そんな思い違いをしていたのか。
それは、私が小学校時代から読書感想文として提出していたものを「これは読書感想文じゃない。読書感想文というのは・・・」と親身になって教えてくれる先生がただの一人もいなかったことが原因だった。でも、当時はそれでよかったのだろう。
昭和50年代、山奥の小さな村。
まんが日本昔ばなしに出てくるような田舎の小学校では、その半数以上の人が高校を出たらそのまま地元で働く。高校へ行かず中学を出て働いている友人もかなりいた。
田舎で生まれたら親の仕事を継ぐか親戚や知人が営む会社やお店で働き、そしてそのまま歳を重ねていく。少なくとも私の田舎ではそれが当たり前だった。
必要以上に勉強を頑張る必要がないので、読書感想文がその字の通り「読んだ感想」を書くもの、という極めて基本的なことをわかっていなくても生きていける。むしろ、小難しいことを言って周りから煙たがられるより、少しぐらい勉強が苦手でも愛嬌があるほうが田舎では生きやすい。
中学一年生の夏の終わり、読書感想文が「読んだ感想を書くもの」であることを知ってから、私は少しだけ「書くコツ」を掴んだ。
その結果、中学二年、三年と読書感想文で賞をもらった。そして高校に入ってからも読書感想文や論文で何度か賞をもらった。けど、だからといって「書くことが得意」とは言えない自分がいた。なぜなら───
「まるお君は作文がヘタ」
その言葉がずっと私の心の中にいて、何かを書こうとするたび私の前で邪魔をした。きっとトラウマとはそういうものなのだろう。だから何を書いても、どう書いても、自分の文章に自信なんて持てなかった。なのに、
「まるお君は作文が上手」
気づけば、私の文章への評価は真逆になっていた。
皮肉なものだ。作文や論文などで二度、三度と賞をもらうことで、いつの間にか私は「文章を書くのが得意な人」になっていた。
自分の文章に自信なんてないのに周りからは上手だと言われ、そして上手なことが当たり前だと思われる。私にあるのはなんとなく掴んだ「書くコツ」だけなのに。なんとなく「上手っぽく見えるだけの文章」でしかないのに。謙遜ではなく、本当の意味で文章が上手いわけではないことは自分が一番よくわかっていた。
だから、その後も人生のさまざまな場面で文章を書く機会が訪れるたび「上手く書かなきゃ」「笑われないものを書かなきゃ」そんなことばかり考えていた。常にプレッシャーしかなかったし、苦しかった。けど───
50歳を過ぎ、それまでの人生を振り返った時、そんな自分をなんだか哀れに思った。
他人からの評価ばかりに気をとられ、自分の気持ちをないがしろにしている。そんな窮屈さから解放されたいと思った。
変わりたいと思った。
そう思ったら、何かを書いてみたくなった。そこで私は、誰に見せるわけでもない、日記のようなものを書き始めた。
やはりフラストレーションがたまっていたのだろう、今まで私の中に隠れていた言葉たちがひとつ、また一つとその姿を著し始めた。ただ、
書くことについて悩んでいるのに、それを書くことで発散しようとしているというのは今思うと、なんだかちょっと可笑しな気もするけれど。
───日記なんて、いつぶりだろう。
心をくすぐられるような懐かしい気持ちで書き始めてはみたものの、最初はかなりぎこちなく、まるで付き合い始めのカップルみたいに妙によそよそしかった。
けれど、しばらくしたら相手の存在に慣れていろんなことが話せるようになっていくように、日記もまた少しずつ本当の自分が出せるようになっていった。
肩の力が抜け、リラックスし、気持ちがゆっくりと言葉に溶けていくような感触を覚え始めた頃になって、私は書くということが、なんかわかった気がした。それは、
書くために必要なものは必ずしも技術ではない、ということ。だから、上手に書こうなんて思わなくていい。
自分らしく書けばいい。
自分だけの、自分だから書けるものを書けばいいのだ。そこに上手もヘタもない。誰かに言葉を伝えようとする時、必要なのは「想い」であり「熱」だ。そして、
書くというのは自分を知ること。
それに気づいた時、私は思い出した。
中学一年生の夏の終わり。
夏休み最後の日の午後七時。
翌日に提出しなければならない読書感想文を半泣きで書いたことを。
あのとき、私はただ自分が感じ、自分が思い、自分が考えたことを自分の言葉で書き殴っていた。今思えばその瞬間だけ私は書くことに対する苦手意識を忘れて、自分の中に湧き上がってくる言葉を原稿用紙に叩きつけていた。
それが人生初の「自分らしいもの、自分にしか書けないもの」だったことに気づきもしないで。
無我夢中で。
一心不乱に。
ただ、がむしゃらに。
だから、その時点ですでに「作文がヘタ」という呪いの言葉を、私自身が自分の言葉で吹き飛ばせていたはずなのに、それに気づけなかった。
私はそんな自分を解き放つことなく、トラウマの中へと封印してしまったのだ。その後、何十年も。そう───
皮肉にも、トラウマを生み出していたのは自分自身だった。私はずっと自分で勝手に作り出したトラウマという名のまぼろしに怯えていただけだったのだ。
もちろん、小学校の先生が「まるお君は作文がヘタ」と言ったことは事実だし、それは絶対に言ってはいけない言葉だったのかもしれない。けれど、そんな悲しい思い出の物語があったのだとしたら、さっさと書き換えてしまえばよかったのだ。
自分の言葉で。
自分が思うように。
だってそれは、私の中にある「私が主人公の私だけの物語」なのだから。それをどう綴ろうと私の自由だ。
「あの頃」からきっと、私の言葉はそのためにあったのだ。そのために私は今まで書くことをやめなかったのだと思う。
人生の折り返し地点を過ぎ、今更ながら思う。私はきっと、書くことが好きなのだ。
トラウマを抱え、プレッシャーを感じ、悩み、そしてさんざん苦しんできたのに、それでも書くことから離れられなかった。
あの頃の自分に伝えたい。
好きはヘタを超える。
だから、自分が思うように書けばいい。
自分が書きたいように書けばいい。
心が躍るような、そんな言葉を綴れ、と。
50歳を過ぎて、ようやくそのことに気づくなんて遅すぎるかもしれないけれど、でも、気づけてよかった。だって───
人生はまだまだ続くから。
後半戦に突入してはいるけれど、
人生、もう「半分しかない」じゃない。
人生、まだ「半分もある」のだ。
やれることはまだたくさんあるはず。
人はみな、大なり小なりトラウマを抱えて生きている。私のように、きっかけひとつでトラウマを克服する人もいれば、そのトラウマの前で今なお立ち尽くしている人もいるだろう。
過去は変えられない。
傷つき、そしてトラウマになってしまった事実が消えることはない。けれど、
その悲しい思い出という名の物語を唯一書き換えられる人がいるとするなら、それは誰でもない、自分自身。未来はこれから創るものだから。だから、
誰かに認めてもらうことより、まずは自分を認めてあげること。
誰かに好かれることよりもまず、自分を好きでいてあげること。
どんな時も、どんなことがあったって、自分だけは自分の味方でいること。
「作文がヘタ」
私にそんな言葉をかけた先生を私は何十年もずっと恨みに思っていたけれど、今はもう。
「作文がヘタ」
そんな残酷な言葉から解き放たれ、淀んだ感情も手放した今、先生からの心無い言葉は、長い人生の中で私が文章を書き続けるうえでの有難い戒めになっている。
どんなに悲しい出来事や残酷なトラウマも、自分の気持ち次第で自分が好きな物語に書き換えられる。自分の言葉と文章を使って何度でも書き換えればいい。
生き続け、書き続けてさえいればそれは叶う。そして、きっとそうした物語が人生を生きる支えになる。
「作文がヘタ」
それが私にとってトラウマではなくなった今となれば、その言葉の意味は重く深く、そして強い。
些細なひと言が人を殺し、
些細なひと言が人を活かす。
人生は常に、言葉とともにある。
だから、私は人を生かす言葉を伝えられる人でありたいと思う。人を活かせるような、そんな文章が書けたらいいなと思っている。人生を終える、その日まで。
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