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B.B団夏のお中元企画🛍

はじめに

 梅雨☔️が明け、いよいよ7月🎐がやってきました。長い長いコロナ自粛期間もようやく幕切れ、今年こそ開放的🌈な夏を過ごせそうな良い予感💭やりたいことを思いっきり楽しめますように🙏🏻
 今回は、B.B団全員でお中元企画🛍に挑戦します🙋‍♀️皆さんはお中元を送ったことはありますか?筆者も昔はよく実家🏠に届いてるのを見かけたなぁ👀という程度で、自分からお中元を送ったという経験は一度だけ☝🏻卒業論文でお世話になった高校時代の恩師へ御礼の品を探していると、丁度お中元の時期で美味しそうなギフトが沢山あったのでセレクトしました🐟お中元という形に拘った理由は特にありませんが、何だか自分がとても大人っぽく粋なことをしたような、くすぐったい気持ちになったのを覚えています。 
 でもよく考えると、そもそもお中元って何?夏の風物詩で定着しているようですが、日本の伝統文化なのでしょうか?次章で一緒に学んでみましょう!💁‍♀️

お中元の歴史

 お中元の由来には諸説ありますが、ここでは代表的なものをご紹介します🚩

■お中元の由来

 「中元」は、「三元」という古代中国における道教の年中行事🗓️に由来しています。三元には、旧暦1月15日の「上元」、7月15日の「中元」、10月15日の「下元」があり、それぞれの日に生まれた神様の誕生日🕯️を祝い、祀るための行事が催されていました🏮
 そして、中元とちょうど同じ夏の時期、仏教では「盂蘭盆会」(うらぼんえ)という先祖供養の行事がありました🎐現代でもお馴染みの「お盆」ですね🌻日本では、お盆に先祖の冥福を祈って近しい人々がお供え物を持ち寄る風習がありました🍡
 こうした日本のお盆と道教の中元が結びつき、お盆に贈り物をする習慣が生まれたとされています。

■お中元の広まり

 こうしたお中元の行事は、江戸時代になると一般の人々の間にも広まりました🎐そして、先祖へのお供え物のほかに、商人たちはお得意先などお世話になった人へ粗品を配るようになり、こうした贈答のならわしが「中元」と呼ばれるようになりました。
 さらに明治時代以降、百貨店🏬を中心に、商品としてのお中元が本格的に売り出され、お中元文化は日本各地へ浸透していきました🛍️
 現代では、酒類、素麺などの昔から王道のお中元ギフトに加え、個性豊かな商品も増えていますよね🔍目移りしながら選ぶのもまた、楽しみの一つかもしれません☀️

今回企画について

■趣旨

 生活拠点🗾の違いからオンラインでの活動を主とするB.B団ですが、団員3名の存在を皆さんに知っていただければと思い、全員参加型のアクティビティを実行する運びに💁‍♀️当初は昨年クリスマス頃にプレゼント交換を検討していましたが、構想・準備に時間を要し、気がついたらお中元🛍の時期に笑 完全なる結果オーライで、皆様と一緒にお中元の歴史を学ぶ良いきっかけを作ることができました。

■ルール

①くじ引きで決められた相手にお中元を贈ります🏣📦また、自分自身も別の相手からお中元を受け取ります🤲🏻🛍

②歴史にまつわるモノなら何でも贈ってOK!だと流石に範囲が広すぎるので、「贈り物」として何らかの歴史があるモノをセレクトする、という条件つきです。お中元の中身は各自検討して用意をするので、届いてからのお楽しみ💭💞

③受け取ったお中元について、相手がどんな意図で贈ったのか?を「贈り物」の歴史の観点から考察🔍します。最後は全員でネタバラシ・答え合わせをします。

1.とらやの羊羹

from:ぬばたま🌙 to:Slytherin🐍

©️team_B.B
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考察(受け手の感想)

夏らしい海のパッケージ・デザインが珍しい羊羹の詰め合わせ!🐠
「とらや」の銘柄も和菓子店舗として名高く、もらうと高貴な気分になります💕
おそらく羊羹が日本独自のお菓子ということで送り主のぬばたま🌙さんは和菓子の歴史に注目して選んだのではないでしょうか?🤔

羊羹といえば、お茶会の席で出されるお菓子🍵やお仏壇のお供えもの🪦、というイメージがあります。私は幼少期に祖母の家で面倒を見てもらっていたこともあり、祖母宅に知人から寄せられてきたお菓子の山の中から、よく羊羹を分けてもらっていた記憶があります。
賞味期限が長く、最近では非常食としても人気が高いお菓子ですよね❣️

以下、私なりに羊羹と羊羹を用いたおもてなしの歴史を整理してみました!ぬばたま🌙さんの意図に沿うものは含まれているかな…?🤔

①原料について
大部が小豆ですが、低脂肪・高タンパク・食物繊維豊富な健康食材で、古くはとして用いられていたのだとか。また小豆の赤い色は太陽や火、血といった「生命」を象徴すると考えられ、呪術的な力を持つ食材として重宝されてきたのだそう。(※1)
確かにお祝いの席で食べるお赤飯やお正月の鏡開きで割った餅を入れて食べるぜんざいなど、小豆が使われていますよね。
小豆自体は、なんと縄文時代から日本に存在しており、室町時代以降に中国から渡来した砂糖が加えられ、現在の餡子の原型になったのだとか。(※2)

②戦国武将と羊羹
また和菓子の老舗店舗「とらや」は、後陽成天皇の時に公式に天皇御用達に。老舗とはいえ、こんなに古くからのお店だとは知りませんでした❗️
この天皇は安土桃山時代・江戸時代を経験しています。この頃の将軍といえば秀吉と家康⚔️。豊臣秀吉は将軍の権威づけのため京都に新たに聚楽第(じゅらくだい)を築き天皇を招いておもてなしをしました。
逆に将軍への権力集中を図った徳川家康は、皇位継承に口出しし自らの希望を飲ませるなど、天皇との関係は緊迫していました。
そして両将軍の時代には、おもてなしに「羊羹(ただし寒天を使わない蒸羊羹)」が用いられていました❗️(ちなみに寒天を用いた煉羊羹が作られるのは江戸後期からだそう)
秀吉は1587年に京都の北野天満宮境内で北野大茶湯と呼ばれる大規模な茶会を開催していますが、その時の引出物に羊羹が用いられました。→駿河屋が再現(※3)
また家康は1595年3月28日に自邸で秀吉をもてなした時に、羊羹をふるまったという記録が残されているそう。(※4)

「映え」重視の現代では少し華やかさに欠ける羊羹ですが、昔は貴重な食材で作られ、一部の権力者しか味わえない大人のお菓子だったのですね!🌸

参考文献
※1 井村屋「あずきの起源」
※2 日本豆類協会「あずき(総論)」
北條製餡所「あんの話」
※3 あじたび「太閤秀吉献上羊羹」(古代蒸羊羹)
※4 考える人「信長に光秀に家康、戦国武将は羊羹でおもてなしをしていた!」

答え合わせ(送り主の意図)

 和菓子の歴史に焦点を当てて予想してくれたSlytherin🐍さんの考察、とても鋭いです🔍

①羊羹の発祥
 羊羹は、実は中国が発祥です。中国での羊羹は、文字通り、羊の羹(あつもの)、つまり羊肉を使ったスープ🍲でした。中国の故事「羹に懲りて膾(なます)を吹く」は、羹(肉や野菜を煮た汁物)を食べたらとても熱かったので、冷たい食べ物である膾(生肉の刺身)を食べる時まで息を吹きかけ冷ましてから食べるように、失敗に懲りて必要以上に用心深くなることを例えています。また、司馬遷『史記』📘には、宋の将軍だった華元が、羊羹🍲を振る舞ったところ、御者に行き渡らなかったため、恨みを買い、敵陣に連れ込まれて捕虜になってしまうという逸話があるそうです。それだけ羊羹は美味しくて贅沢な食べ物でした。

②日本への伝来
 鎌倉・室町時代に入り、中国に留学🧳した禅僧が、「点心」(間食)の一つとして、日本へ羊羹をもたらしました。しかし、禅僧は肉食🍖を禁じられていたため、本場の羊羹をそのまま食べることができませんでした。そこで、植物性の材料を使った見立て料理として、羊肉の代わりに小豆🫘などを使った蒸し物を作り、汁をかけて食べていたとされています。
 こうして日本版の羊羹は、その後も足利将軍や大名に関するおもてなしの献立や仏事、茶会などで用いられました。(Slytherin🐍さんはここの部分を掘り下げてくれました。お見事です👏)
 当時の羊羹は、現在の蒸羊羹に近いものだったと考えられており、室町・江戸時代以降、次第に甘みを増したものが作られ、お菓子として広まっていきました。
 そしてその後、江戸時代に入り、羊羹🫘にとって非常に画期的な出来事が起こります。寒天の発見です。寒天を使って煉り込んだ煉(ねり)羊羹が考案されるとたちまち評判となり、蒸羊羹に代わって各地に広まりました。今でも羊羹といえば口当たりのなめらかな煉羊羹を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

③まとめ
 今回、贈り物の観点から羊羹の歴史を調べる中で特に印象深かったのは、留学僧が日本へ持ち帰った後、自らの戒律を踏まえて精進料理としての新たな形へと発展させたという点です。直球の「贈り物」からは少し捻ってしまったかもしれませんが、Slytherin🐍さんも鋭く考察してくれてお見事🎉でした。特に、原材料の小豆🫘の歴史の部分は、予想外の新しい視点👀でした。
 ちなみに、Slytherin🐍さんも述べていますが、羊羹は日持ちするため、いざという時の保存食🎒としても有効です。また、糖分がたくさん含まれているので、勉強✏️や運動⚽️の後の栄養補給にも適しているのではないでしょうか。最近では、シンプルな小豆🫘だけでなく、色々な種類の味が売り出されていますので、機会があれば食べ比べてみたいと思います。

参考文献
・青木直己『美しい和菓子の図鑑』(二見書房、2021年)
・中山圭子『事典 和菓子の世界』(岩波書店、2006年)

2.ハーブティー🌿&クラフトコーラ🥤

from:Slytherin🐍 to:可愛や🍎

©︎team_B.B
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考察(受け手の感想)

 わたくし可愛や🍎は、沖縄在住のSlytherin🐍さんからお中元を頂きました。手作り感満載の"のし"に、遠く離れた旧友の懐かしさと温かみを感じます。ところで、今回のテーマはお茶?🍵でも、何でコーラ?🥤まるで、パズル🧩のようなお中元謎解きゲームが始まりました🔍

 以下、注目すべきポイントを簡単に。
①お茶🍵
 お茶の発見は紀元前2700年頃の中国🇨🇳と言われています。当初は野草🌱でしたが、紀元前1世紀頃から上流階級に嗜好品として愛飲されるように。日本にお茶が伝わったのは奈良・平安時代、遣唐使や留学僧が持ち帰ったとされています。鎌倉~南北朝時代 (1192-1392)には禅のお供として親しまれ、室町~安土桃山時代 (1336-1603)には宇治茶ブランドと茶の湯文化が大成しました。江戸幕府が米国と日米修好通商条約を締結した翌年1859年、長崎、横浜、函館の開港を機に、お茶🍵は生糸🧵と並ぶ重要な輸出品となりました。明治中期以降はインド、セイロン紅茶の台頭で、輸出は停滞。代わりに国内消費が増え、お茶は国内向け嗜好飲料に変わっていきました。

②ハーブ🌿
 頂いたお茶が全てハーブティーだったので、何か意味があると想像💭ハーブは香辛料としてのイメージが強く、思い浮かんだのは大航海時代⛴️海を越えて東洋から西洋へと伝わったハーブ🌿防腐効果が高いとして、肉食文化の西洋では重宝されました。ハーブの起源は、もっとも古いところで紀元前5000年頃。史料📚としては、古代エジプト🇪🇬のパピルスに記録が残っているそう。医療用、防腐用(ミイラ製造など)、衣類などの染料、香油など様々な用途があったようです。

③コーラ🥤
 コーラといえば、コカ・コーラ💡この「コカ」とは何と「コカイン」のことだそうです。1880年頃のアメリカ🇺🇸で、アルコール+コカインを組み合わせたドリンクが開発され、抗うつ薬💊として一役買っていました。しかし、当時の欧米で禁酒運動の取締対象となったため、アルコール成分を炭酸水と置き換えてコカ・コーラが誕生し、大人気に。しかし、徐々にコカインが問題視されるようになり、1903年にはコカ・コーラからコカインは完全に除去されました。何とも意外なコーラの歴史、現在もコーラにコカインは含まれておりませんのでご安心下さい。

④芋🍠
 コーラのパッケージには、「国産さつま芋」の記載あり。他にも、沖縄の地名である「嘉手納(かでな)」、「1605年」という年号、と歴史の臭いがプンプンします🤌🏻そもそも、「ソウカンコーラ」って何?「ソウカン」は漢字で書くと、「總管」。江戸初期1605年、琉球を貧困から救い、今も「野國總管」と親しまれる嘉手納町の英雄のような人物です。中国福建省から甘しょを持ち帰り、「芋大主(ウムウフシュ)」として称えられました。それが薩摩の国(現在の鹿児島)に伝わり、サツマイモと呼ばれるように。のちの8代将軍吉宗の頃、蘭学者の青木昆陽(あおきこんよう)によってサツマイモが全国に広められました🗾

⑤さとうきび
 沖縄のクラフトコーラには珍しい成分表記が沢山!月桃、シナモンについてはハーブの項目に譲るとして、見逃せないのは「多良間島産黒糖」。江戸初期、日本で最初に砂糖の製造を始めたのが琉球でした。1623年に儀間真常という人物が中国に遣いを出し、製造方法を学ばせて作られたのが黒糖だそう。その後、琉球ほか南の島々でさとうきび製造がさかんになり、管轄の薩摩藩に莫大な収益をもたらしました。江戸中期以降、さとうきび栽培は西南日本の気候温暖な地域で「和糖業」として広まりました。香川の和三盆🍡などが有名ですね。

 と、私の謎解きはこの辺りにして🙇‍♀️贈り物としての歴史はSlytherin🐍からガッツリ補足🖋を頂けることでしょう笑 一筋縄でいかない辺り、流石Slytherin🐍!楽しいお中元をどうもありがとう🙋‍♀️

参考文献

答え合わせ(送り主の意図)

可愛や🍎さん、しっかり原材料の歴史を紐解いてくれてありがとう❣️

今回の品物は「夏にピッタリな飲み物」というイメージでチョイス。香辛料たっぷりのコーラとハーブティーは疲労回復に効果があり、冷たい・温かい飲み物を欲張りセットに🎁

そして謎解き部分に関しては、大きく3つ‼️
(可愛や🍎さんはなんと5つも説明してくれていますが😅)
紅茶・コーラ・サツマイモの輸入の歴史に注目して選びました👀。ほぼ可愛や🍎さんの鋭い考察によって解き明かされてしまっています💮👏。恐るべし。

私からは俯瞰的に日本と他の地域との関わりの中でこれら3つを掘り下げてみました🔍
特に沖縄と因縁が深いサツマイモは地域と名前の関連が歴史も絡んでとっても面白い❣️

それではグローバルフードの旅へ出発🚌💨

①日本の紅茶メーカーの誕生
紅茶の歴史は「アイスティー」の章に詳しい内容がまとめてあります!ここではお茶を飲む文化に注目し世界🌍と日本🗾を比較🫖。

     〜突然ですが紅茶クイズ〜
Q.1 世界一、紅茶を生産・消費している国は?
Q.2 世界一、緑茶を生産・消費している国は?
Q.3 紅茶と緑茶、世界全体でどちらが多く生産されている?

※答えは章末に記載

日本で紅茶メーカーが誕生したのは明治維新後。日本茶が欧米人受けせず悩んだ政府が、緑茶の代わりに貿易拡大の活路として見出したのが紅茶でした。中国やインドに製法を学ぶもなかなか上手くいかず、唯一三井紅茶だけが成功し、のちの日東紅茶になったのだとか。(※1)

日本史では貿易品目の変化が重要なあの円グラフが登場しますよね❗️ちなみに緑茶と紅茶の国内消費量は…減少傾向にありながらも圧倒的に緑茶優勢‼️🍵(※2)紅茶が増加傾向にありますが、今後の推移が気になりますね。

👆「緑茶」の項目を見つけてみよう!
山川&二宮ICTライブラリより引用

       〜答え〜
Q.1 インド🇮🇳
Q.2 中国🇨🇳
Q.3 紅茶。緑茶の3倍以上生産されている。

※3

②コーラ来日史
コーラの歴史は考察を参照。
まずは日本へのコーラ輸入の足取りを整理📝

      〜コーラ来日〜
第一次世界大戦後
 1919年に明治屋がコカ・コーラを輸入。
 →ほとんど売れず販売中止。
第二次世界大戦
 もっぱら駐留米軍用にコーラを輸入。
 次第に日本人に広まる。

※1

アメリカ発祥のコーラですが1930年に誰もが「コカ・コーラ」の名称を使って良いことに。日本では第二次世界大戦後、明治製菓、森永製菓、雪印乳業、江崎グリコなどによる国産コーラが販売されるように。
また沖縄は本島に先駆けなんと6年早くコカ・コーラの民間販売がスタート。またコーラの瓶は琉球ガラスに再利用されるなど沖縄の伝統工芸を支えてきた側面も。(※4)

ちなみにコーラ二大企業The Coca-Cola CompanyとPepsi-Cola Company(ペプシコ社の前身)の設立はそれぞれ1892年と1902年。これら2社はいずれもアメリカの企業ですが、双方の商品が冷戦の「雪解け」を象徴するように。1959年7月にモスクワで「アメリカ産業博覧会」が開催された時、ロシアで瓶詰めされたペプシコーラがフルシチョフに気に入られ、一気に共産圏に普及したのだとか。(※5)

③知られざるサツマイモ県
続いて時を巻き戻して17世紀琉球王国時代の沖縄へ。この時代には、琉球王国を経由して明(中国)から江戸時代初期の日本へと様々な食物が輸入されていました。その中の1つがサツマイモ🍠!お土産で人気の紅芋はサツマイモの改良種です。

可愛や🍎さんの考察通り、サツマイモを明から琉球王国へ持ち帰り栽培に成功した人物が現在の嘉手納町(北谷間切の野国村)出身の野國總管(のぐにそうかん)です。彼は琉球王国の使節として訪中し、そこで見つけたサツマイモを鉢植え5つ分、日本へ持ち帰りました。(※6)

その後、同じく琉球王国の官吏だった儀間真常(ぎましんじょう)によってサツマイモの栽培が琉球王国全体で推奨されます(※7)が、なぜこれほど期待がかけられたのでしょうか?

それは栄養価が高く、台風の襲来が農業に支障をきたす琉球王国でも育てやすかった(収穫高が天候に左右されにくかった)からです。このような救荒作物(凶作時にも育ち収穫できる作物)としての美点は、江戸中期の徳川吉宗の時代に起きた享保の大飢饉で注目されるように。(※8)

     〜メモ:栄養価の比較〜
サツマイモ…131kcal/100g🍠
ジャガイモ…51kcal/100g🥔
ジャガイモは1598年にオランダ人が最初に日本に持ち込んだ。

※9

これほど沖縄に所縁の深いサツマイモですが、なぜ「サツマ(薩摩)」なのでしょうか?
なんと興味深いことにサツマイモが日本中に普及していく過程で、根付いた先の地名から呼び名がつけられたためです。

 〜「サツマイモ」の呼び名と地名の関係〜
輸入先の地域:
明→琉球→九州→関東〜東北→関東以北
呼び名:
唐芋(とうむう)→琉球芋→薩摩芋・蕃薯芋(ばんしょいも)→呼び名は明治以降「甘薯(かんしょ)」に統一。

※6
※6(134頁)

このように「サツマイモ」という名称は薩摩に根付いた「サツマイモ」を関東以北の人々がそう呼び、定着しました。特に江戸中期以降の飢饉への対策として全国的に栽培が奨励された際に広がったのでしょう。

日本史好きの人のためにもう1つ面白いお話をご紹介😊。
サツマイモを琉球王国から本島に持ち込んだ記録に残る最初の人物は、徳川家康の外交顧問としても知られるあの人物でした❗️
イギリスの航海士で貿易家だった三浦按針ことウィリアム・アダムズは1615年に那覇港を出発し、長崎の平戸にいるリチャード・コックス(イギリスの貿易商)にサツマイモの苗を届けています。(※10)
実は本島に最初にサツマイモが輸入された地域は、薩摩ではなく長崎でした。現代は、サツマイモといえば沖縄や長崎ないし中国よりも薩摩(鹿児島県)のイメージが強いですが、歴史って不思議ですね☺️。

ここまで記事を読んでくれた皆さん、どうもありがとうございます😌💕
輸出向け産業として始まった国内紅茶メーカー🫖や、アメリカ🇺🇸・中国🇨🇳から沖縄を経由し日本🇯🇵に輸入されたコーラ🥤やサツマイモ🍠。
それぞれ輸出先の地域の人々の嗜好やニーズに応じて改良され使われ方が変化していますね。
現代日本では「お中元」としての活路を見出せるのでは⁉️そんな提案でした🙈

参考文献
※1 富田仁(著)『舶来事物起源事典』名著普及会、1987年.
※2 全国茶生産団体連合会・全国茶生産府県協連連絡協議会「茶ガイド」
※3 Link Tea「世界で紅茶の生産量が多いのはどこの国?紅茶生産量統計ランキング」
※4 Family393号「トップは語る」14〜15頁
※5 コーラ白書「偶像としてのコーラ」
※6 石田磨柱(著)『甘薯大主:野国総官』秋田文化出版、1992年.
※7 BS-TBSThe歴史列伝「江戸のサツマイモ先生」
※8 琉球文化アーカイブ「儀間真常」
※9 JAきたみらい「じゃがいも栽培の歴史」
※10 長崎県「国内最初の甘藷畑跡」

3.アイスティー

from:可愛や🍎 to:ぬばたま🌙

©︎team_B.B

考察(受け手の感想)

 可愛や🍎さんから届いたお中元は、水出しアイスティーです。ティーカップ&ソーサーもいただいたので、早速一杯淹れてみました🫖もうすぐ夏本番☀️ということで、冷たい飲み物は重宝します🌻
 さて、込められたメッセージは「紅茶の歴史」にまつわる何かではないかと予想し、「日本で初めての紅茶」に着目して考察してみました。

 日本で最初に紅茶を飲んだとされるのは、伊勢国の船頭⛵️大黒屋光太夫だそうです。1782(天明2)年、伊勢の港を出発し、江戸を目指した光太夫の船は、嵐🌪️に見舞われて遭難してしまいます🌊そして船は漂流を続け、現アリューシャン列島にある小さな島に上陸しました⚓️
 光太夫らは、日本への帰国許可を求めて、カムチャッカから首都サンクトペテルブルクへとロシアを横断します。そしてついに、国王エカチェリーナ2世に帰国を直訴するチャンスを得ます。エカチェリーナ2世👸は、光太夫らに同情し、帰国許可🇯🇵を与えたので、光太夫は無事に帰国することができました。
 そんな中、首都を離れる直前の1791(寛政3)年の11月1日に、賓客として厚遇されていた光太夫らは、エカチェリーナ2世👸のお茶会に招かれ、日本人として初めて外国での正式な茶会で、本格的な紅茶🫖を飲んだという逸話があるそう。このことから、毎年11月1日は、日本紅茶協会によって「紅茶の日」として定められているそうです。

 予想編はここまでです。難問のため、的🎯を絞り込んでの考察となってしまいました。紅茶は世界史🌏との関連も深いので、可愛や🍎さんの意図はきっとそちらにも踏み込んでいるはず…!早速、本編へと進みましょう🏃‍♂️

参考文献

答え合わせ(送り主の意図)

 ぬばたま🌙さん、考察ありがとうございます🙆‍♀️ 「世界史🌏との関連も深い」=ご名答👏🏻むしろ今回はそちらにスポットライト🔦を当てていたので、日本史の部分を補足いただいて助かりました🙏🏻前章のSlytherin🐍さんの紅茶クイズのコーナーも合わせて楽しんでくださいね!

 お茶と一緒に学びたい世界史🌏は、何と言っても、かの有名な「ボストン茶会事件」。事件のインパクトが大き過ぎる故、史実としての知名度は十分でしょうが🤦‍♀️当時の世界情勢を大きく動かした大変重要な出来事ですので、各国の関係を整理し丁寧に理解したいですね。

 17~18世紀前半にかけて、イギリス🇬🇧の人々はアメリカで13植民地を建設しました。当初イギリスと植民地の関係は良好でしたが、フレンチ=インディアン戦争をきっかけに財政難に陥ったイギリスは、13植民地に対して課税政策を行い、次第に関係が悪化しました⚡️具体的には、下記のような理不尽な法を定め、植民地から大きな反感を買いました。

1765年 印紙法 
🔴あらゆる印刷物📑に対して課税

→植民地が猛反発したため、翌年廃止。「代表なくして課税なし」のスローガン(イギリスの議会に植民地側の議員がいなかったことから)

1773年 茶法 
🔴13植民地に対し、イギリス東インド会社が関税なしでお茶☕️を売ることができる(実質的な市場独占といえる)

→植民地の急進派が、同年にボストン茶会事件を起こした。先住民に扮してイギリス東インド会社の船⛴を襲撃し、お茶を海🌊へ投棄。(「ボストン茶会事件」)

→イギリスはボストン港⚓️を閉鎖し、マサチューセッツ植民地(当時、ボストン港はこの地区に属していた)の自治権を剥奪した。

→イギリスの報復に不満を感じた13植民地が、独立を求めてアメリカ独立戦争⚔を起こした。

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「ボストン茶会事件」は、アメリカ独立戦争のきっかけとなった出来事と言えますね📝因みに13植民地に対してお茶の独占販売を行うことが許されたイギリス東インド会社ですが、エリザベス一世👸から「東インドとの交易を行うロンドン商人たちの代表と組合」宛の特許状を得て、正式な国の許可のもと設立された組織です。(ただし民営企業)イギリス東インド会社がアジアとの交易で輸入し運んだものは、主に香辛料、お茶、綿織物でした。お茶はイギリス🇬🇧には1630年頃に伝わり、1657年にはロンドンで流行り始めたコーヒーハウスでもお茶が提供されるように。当初持ち帰ったのは中国茶(半発酵)でしたが、イギリスの硬水とよく合う紅茶(完全発酵)が完成したと言われています☕️


 ぬばたま🌙さん、お茶だけではなくきちんとカップ&ソーサーにも着目して丁寧に考察いただいていました!茶会というオチまで完璧で、お見事です🎉
 今回はお仕事で忙しいぬばたま🌙さんがほっと一息つけるような、お茶のコレクションとカップ&ソーサーをセレクトしました🙋‍♀️まずはAfternoon Teaというブランド名から、イギリス🇬🇧の優雅な午後のひととき☕️を思い浮かべていただき(強引!🙏🏻笑)お茶のコレクションは紅茶だけでなく、ウーロンやグリーンティー🍵と幅広く、17世紀にアジアからヨーロッパへとお茶が伝わった歴史を感じながら味わうことができます。カップ&ソーサーは、やはり”ティーパーティー”💃🕺 の演出として必須かと笑(パーティーはここでは「政党」という意味で使われていますので、「茶会」は完全なる日本人の誤訳ですが💦) お茶の美しい色合いが一目でわかるガラスカップはこの夏のトレンドです👒現代版アフタヌーンティーを楽しんでもらえると嬉しいです💁‍♀️

おわりに

 最後まで読んでいただきありがとうございました!🙇‍♀️楽しんでいただけましたか?🌟B.B団版お中元🛍、読者の皆様に楽しく歴史を学ぶきっかけをお届けできていれば幸いです。コロナも一段落したので今年はリアル再会の機会も増えそうですが・・久しぶり!の連絡📱をする代わりに、是非思いを込めたお中元を送ってみては。きっと喜ばれるはず…🙋‍♀️

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