正解について
正解を求めること
皆さんは、普段の生活でついつい”正解”を探してしまわないだろうか?
確かに、いわゆる”正解”があるものもある。
論理の都合上、1 + 1 = 2になるし、クイズには答えがある。
だから、”正解”が出来上がる。
一方で、その思考に慣れすぎてはいないだろうか?
学校教育の影響が色濃く出てくるためか、日本人にはその思考が強い気がする。
では、何故こう言う考え方になるのか?
私は、その方が楽だから、だと思っている。
正解がある方が、それに従っていればいいから、考えなくて良い。
だって、正解だから。
何故それが正解だと言われるのか、考えなくても良いのだ。
だって正解だから。
時に、その思考は危なくないかな、と思う。
常識論に似ている気がする。
どれが”正解”なのか?
振り返って自分達の現実を見る。
正解など、そうそうあるか?
どちらかと言えば、ありもしない”正解”に雁字搦めになっている気がする。
見ていて、とても苦しそうだなと感じることも多い。
私は、そう言う意味では大きく外れている人間だと思っている。
真っ当ではないのだろう。(と言うようにしている)
例えば、歩行者から見た信号を例に考えてみよう。
”正解”で言えば、赤は停止、青は進め、だろう。
そりゃそうだ、そう言う決まりだし、日本だけじゃなくそうだ。
で、それは”正解”なのか?
同じ決まり事でも、文化が違えば捉え方が全く異なる。
例えばイギリス。
青は進め、は変わらないと思う。
赤は車が来ていたら停止、どう見てもいなければ進め、だ。
どこにも車がないのに、赤だからと言って止まらない。
これが常識だ。
歩行者優先が徹底されていると言うお国柄もあるだろう。
それでも初めて知った時は、目から鱗だった。
でも、そちらの方が真っ当だと思った。
現象を捉えて考える
イギリス人は非常識だと言うのだろうか?
それは捉え方次第だろう。
私も、海外の人が全て正しいだとか、イギリス人が良いと言うつもりはない。
ただ、こう言った出来事を通して、”正解”を考えるようにしているだけだ。
挙げた例に関して言えば、私はイギリスの思考が妥当だと思う。
交通ルールを違反していると言えばそれまでだ。
では、交通ルールとは何のためにあるのか?
考えるのを止めるためか?
赤信号を守るためか?
私はそうではないと思う。
日本人的には、赤信号は止まるが”正解”だろう。
そこで思考を止めないようにしたい。
見通しが良くて、明らかに車がいないのに、何故歩行者は止まる?
合理性だけが良いと思わない。
でも、”正解”だけに従う考え方も違うと思う。
思考停止して、支配されているだけではないか。
考えることとは
疑うことに近いと思う。
自分自身をも時には疑うことになると思う。
社会の常識とは?
この正解の意味とは?本当に”正解”なのか?
ものすごく疲れる。
時に流されるし、それでも良いと思う。
でも、折に触れて考えるようにしたい。
忘れないようにしたい。
