続・人間関係のすゝめ 〜私のこそあど#6〜
私は中学校の卒業文集で『人間関係のすゝめ』と題した文章を書いた。
あれから10年弱。
TEDxHoseiUのメンバーとして活動する中で「私のこそあど」というエッセイを書く機会をいただいたので、昔の自分と今の自分を比較しながらこそあどという観点で人間関係について整理してみようと思う。
まずは、当時の文章である。
1 『人間関係のすすめ』
人間関係のすすめ
髙橋亮太
人間関係を円滑にするというのは案外難しいものです。しかし、相手に限らず協調しなければならない場面はこの先多くあると思います。
そこで私は中学校生活で学んだ良い人間関係の築き方を私なりに記したいと思います。
最初に先輩や先生方との付き合い方です。先輩や先生方は自分たちよりも早く生まれているので人生経験は自分たちより多いです。だから先輩や先生方の話はよく聴くべきです。また、よく聴くだけでなく自分の生活に生かせるように一度自分の言葉に訳すことも大事です。
次に、後輩との付き合い方です。後輩には、自分の主張がわかるようにはっきり伝えるべきです。そうすれば後輩は動いてくれるはずです。
次に、友人との付き合い方です。一生付き合える友人は星の数ほどはいません。恐らく指で数えられるほどです。だからこそ出会うことのできた友人とはそのときそのときの会話を楽しむべきです。しかし、中にはどうにも馬が合わない友人というのはいるものです。その場合、相手のどこが合わないのかを考え、自分の成長に生かそうと思えば良いのです。そうすれば自分にとってのその友人の存在意義は生まれます。
最後に私が言いたかったのは、円滑な人間関係を築くためにはどんな相手にも自分にとっての存在意義を見出すことが大切だということです。

中学生にしては悟りきっていて、少々腹立たしい文章である。
2 世界の変化と、自分の変化
〈黄金期〉 メッシの視点
この文章を今の目で解釈すると、当時の私が人間関係を「強固でシンプルなタテヨコ関係」として見ていたことがわかる。
当時の私の世界には、
タテ:先輩後輩関係、教師と生徒、親子
ヨコ:友人関係
しか存在しなかった。
関係がシンプルなら、攻略法もシンプルだ。タテとヨコの信頼さえ勝ち取れば「イイヤツ」になれる。その世界で私は、ピッチを俯瞰するメッシのように、すべてを見通した気になっていた。
ただしそれは、狭い世界で生きていたからこそ成立していた。

〈暗黒期〉 ナナメの人生
高校に入って世界が広がると、知らない人間しかいない環境で、ゼロから人間関係を作る必要が生まれた。ところが私は中学時代の友人関係を引きずってしまい、高校デビューは完全に失敗に終わる。2年から3年にかけては異性と話すのが極端に苦手になるなど、一筋縄ではいかない高校生活だった。
この頃の人間関係を振り返ると、単純なタテ・ヨコでは説明がつかない、ナナメの関係が生まれてきていたと感じる。ナナメの人間関係とは、タテヨコでは分類しきれない関係を指す。たとえば塾のチューターのような、お金を介した利害関係のある人間関係だ。
また、この時期に深夜ラジオにハマり、『ナナメの夕暮れ』(オードリー若林著)に憧れている節があったので、世界の見方そのものもナナメだった。
詳しくは語らないが、ナナメすぎて高校を3年生の1月に中退する。 賛否あると思うし、今の自分なら「あと2ヶ月で卒業なんだから最後までいろ」と判断するだろう。ただ、あのとき自分が下した判断に、後悔は一度もない。
そして浪人を経験した。人生で一番の底だった。キツすぎて、ほとんど記憶がない。
高校時代も含め、この暗黒期の何がきつかったか。それは「やる気はあるのに、それを実行できない」ことだった。ただの怠惰だと片付けるのは簡単だが、本質は完全な「努力イップス」である。
勉強しまくって(1日16時間やった日もあった)ようやく入った高校で、自分が平均レベルだと知ったとき、唯一のアイデンティティが崩壊した。
運動音痴ではないが、スポーツができるわけでもない。
顔がかっこいいわけでもない。
コミュ力が著しく高いわけでもない。
ただ勉強だけが、自分という存在を世間に示す唯一の方法だった。 それが高校で相対化された結果、無価値になった。
では、俺はどんな存在として生きればいいのか。
やがて学校に行く意味がわからなくなり、午後から登校したり、シンプルにブッチしたり、学校に行くふりをして映画館に入り浸ったりする毎日になった。
「ガンバリカタ」がわからないまま、理想と現実の乖離だけが広がっていく。精神的に参ってしまったのが高校時代と浪人時代である。
そんな時期、心の支えだった言葉がある。
きつい時期、何もしてないと感じる時期、自分が成長していないと思ってしまう時期はあると思う。でも、それ自体が自分の成長だし、その経験はいつか花開くよ。
元プロサッカー選手の方から、直接いただいた言葉だ。
この言葉がなければ、暗黒期を越えることはできなかった。
この場を借りてお礼を言わせてほしい。
あのときはありがとうございました。

アイコンは無視して笑
〈成長期〉 I'm lovin' it.
思い出したくもない浪人時代を経て、なんとか「おお我が母校」である法政大学に入ることができた。
大学に入ると、人間関係が一気に多様化する。 そして、あるファストフード店でアルバイトを始めた。これが私の大学生活の中心になる。
ここでいい先輩、いい仲間に出会えた(店長はまあ、笑)。これが大きかった。 金銭目的で集まった利害関係の集団に見えるかもしれない。だが実際には、バイト代は二の次三の次で、一番のモチベーションは「みんなと働けること」だった。感覚としてはバイトというより部活に近い。
私はふたたび、強くてシンプルなタテヨコ関係の中で生きることになる。
ここで、3年付き合うことになる彼女とも出会う(今も付き合っています♡)。おかげで異性への苦手意識も一応の克服となったが、いまだに発動する瞬間がある。挙動不審でも、あまり気にしないでほしい。
誘ってくれた友人ありがとう。

授業で出会った友人、TEDxHoseiUのメンバー。新しい関係が増えていく一方で、元いたコミュニティも存続していた。だから「最悪どこかでうまくいかなくなっても、別のコミュニティに移ればいい」と考えられるようになる。ある意味で、人間関係の悩みがライトになった。
結局、孤独が一番つらい。 それを浪人時代に学んだのが大きい。
3 こそあど的解釈
ここで、人間関係を「こそあど」的な視点から考えてみたい。
人間の成長と社会関係の変化
人の成長段階に沿って、人間関係も こ → そ → あ → ど の順に変化していくのではないか。
こ:シンプルな関係
<小学生時代> 生きていくうえで最低限の社会性を獲得するための関係。
例)親、友人など
↓ 部活などを通じて、先輩後輩関係が誕生する
そ:複雑だが強い関係
<中学・高校生時代>
一人前の社会性を獲得するために必要な段階。
例)教師、先輩、彼女など
↓ 所属するコミュニティが急激に増加する
あ:複雑で弱い関係
<大学生時代>
社会全体の関係性とほぼ同じ関係。多いほど社会関係は多様化する。
例)サークルの友達、ヨッ友など
↓ 多ければいいわけではない&そんなに多くの関係は維持できない
ど:自分を構成する人間だけに絞られていく
<社会人以降の時代>
この世に存在するすべての社会関係から自分で選び取った人たちのみとの関係。どんな判断にも自分に責任がある。
例)完全に人による
「こ」の時代、「そ」の時代を振り返ると、自分がたくさんの人に迷惑をかけてきたことを感じる。一人で生きようとした時代があったからこそ、一人では生きられないと知った。
だからこそ、あの人たちへの恩返し、、、とまでは言わなくても、
社会全体のために何ができるか、未来のために何ができるかを考えるようになった。
「あ」の時代を生きる
ここでの目的は、とにかくいろんな人に会うことだ。 少し苦手かもしれないと感じても、とりあえず会って話してみる。 その人が自分にとって重要かどうかは、未来の自分が決めてくれる。だから未来の自分を信じて、いろんな出会いを大切にしたい。
「ど」の時代に備える
「ど」の時代に自分の周りに残るのは、たぶん印象を残した人ではない。
会い続けた人だ。
人間関係における努力は、大きな力を必要としない。連絡を返す。約束を守る。相手の話を覚えている。その程度のことでいい。
しかし、続けなければ意味がない。初対面だけ好印象でも、その後の印象が悪ければ、10年後に周りに人はいなくなる。
人間関係は、NISA以上に積み立ての結果が大きく出る。
そして「ど」の時代に誰かの「ど」でいるためには、自分もまた、他人から必要とされる人間であり続ける努力を忘れてはならない。
結局、中学生のときに気づいた人間関係の本質「どんな相手にも自分にとっての存在意義を見出すこと」は、今も変わっていないのだと思う。
10年ぶりにその意味を再確認した。
4 続・人間関係のすゝめ
人間関係を円滑に進めるのは、自分が思っているよりも難しい。 協調するのが難しい人、どうしても話が合わない人がいるかもしれない。それでも、仕事、友人、恋人などいろんな人間関係の中で人生は続いていく。
「ミスったからやり直し」は、人生にはない。
だから、もがきながらも前に進むための、私なりのルールをここに記したい。 ルールは2つだけだ。
どんな相手にもリスペクトを忘れない
孤独になるな
どんな相手にもリスペクトを忘れない
つまり、どんな相手にも自分にとっての価値を見出すということである。 いい人だなと思ったら真似する。悪い人だなと感じたら反面教師にする。
他人に対して負の感情を抱く体力と時間がもったいない。だから、悪影響だと感じる人とは早めに距離を置こう。
ただし、関係を切るなら切るで、相手へのリスペクトを忘れず、後味が悪くならないようにするべきだ。どんなにむかついても、わざわざ人間関係を悪くする必要はない。
嫌な人間には嫌なことが起きるように、社会はうまくできている。自分がわざわざ悪者になる必要はない。
他人に対して大きな負の感情を抱えている人は、他人軸で生きているのではないか。 もっと自分軸で生きよう。
孤独になるな
しかし、そもそも人と関わらなければ、リスペクトも幸せも何もない。 そこにあるのは、虚無と虚空だけである。
だから、孤独にはなるな。 いろんな人に会おう。 その人たちが、あなたを形作る。
人間が社会的な動物である以上、一人で生きるのは不可能だ。 もしあなたが幸せになりたいのなら、人に会おう。
一人では幸せになれない。
幸せとは、他人がいて初めて成り立つものである。
他人の幸せのために自分が存在する生き方を選ぶのか。 それとも、自分の幸せのために他人が存在する生き方を選ぶのか。
独りよがりの寂しい生き方をするのか、他人と共存する道を選ぶのか。
時間は有限だ。 選択肢は、あなたの手の中にある。

補足:もっとも重要な関係
ここまで言及してこなかった、重要な社会関係がある。 家族だ。
別に家族が嫌いだというわけではない。多くの人がそうであるように、家族は当たり前の人間関係すぎるがゆえに、意識されないのだ。
だが、それがもっとも人生に影響を与えているのかもしれない。
こそあど的解釈でも触れたが、「こ」の段階で、人はもっともシンプルで重要な人間関係を学ぶ。まず親から最低限の社会関係の築き方を学び、小学校でそれを練習・習得する。
この段階で学んだルールが間違っていれば、その後の人間関係の築き方も失敗しやすい。
たとえば、なんでも親にやってもらってきた子は、他人もなんでもしてくれると捉えがちだ。つまり、人間関係を主従関係で捉えてしまう。
一方で「お姉ちゃんなんだから」「お兄ちゃんなんだから」と言われて育った人は、自分がやらなきゃという意識が強い。つまり、人間関係を個人主義的な視点で捉えやすい。
あくまで個人的な経験則に基づく仮説だが、この前提の違いによって、その後の人間関係の築き方は180度変わりうる。
自分も、親の存在にだいぶ影響を受けた。 自分が親になるときには「こうしたい」「ああしたい」と思うこともある。 でも、親も子も、一人ひとり独立した人間同士だ。 親の思い通りに子供は育たないし、子の思い通りに親は動かない。
だからこそ、コミュニケーションと相手へのリスペクトが大事なのだ。 子も親も、互いに一人の人間としてのリスペクトを忘れない。
そう考えられるようになったおかげで、今は親への感謝を忘れずに生きられるようになった。

最後に
このエッセイを通して伝えたかったのは、「いまをどう生きるか」ということである。
人生に正解はない。 自分の現在地を知ること。そして、未来を考えること。
「こそあど」という価値観を通して、自分がどう生きてきて、これからどう生きていくのかを分析してみてほしい。
きっと、あなたの未来は明るい。
TEDxHoseiUは
10月3日(土)、「こそあど」をテーマにトークイベントを開催します。
このイベントが、あなたが自分の人生や未来を見つめ直すきっかけになれば幸いです。
皆さんのご参加をお待ちしています。
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