抽象度と関係性(縁起)について
以前の記事では情報空間についてご説明しました。
今回は情報空間における階層性「抽象度」ともうひとつ大切な概念である「縁起」(関係性)についてご説明します。
情報空間には階層性の一つの軸として抽象度というものがあります。
抽象度の定義の一つとしては情報量の大小ということができます。
身近な例で言うと、「犬」という概念には、プードル、チワワなど犬種が含まれます(包摂)が、さらにプードルでも○○さんが飼っている「ハナ」という名前のプードル、というように抽象度が下がるほどに具体性が出、情報量が多くなります。
逆に「犬」も「猫」も「動物」であり、「動物」は「犬」や「猫」を包摂しており、「動物」は「犬」や「猫」よりも情報量が少ない(少ない情報量で表している)と言えます。
また抽象度の高さは視点の高さとも言うことができます。
こちらも身近な例として会社組織で言うと、会社の代表である社長は社員よりも高い視点でものごとを見ています。
社員であれば自分の職務の範囲内でものごとを見て判断し、業務を進めることがほとんどです。
一方社長であればそうした社員含めた会社全体の働き、そしてサービスを行っているのであればその対象となる顧客やマーケットなど幅広く見ています。
ここでは身近な例を用いてご説明しましたが、情報空間の記事でもお話した通り、情報空間は時空(3次元+時間)をはるかに超えて存在しており、物理空間は情報空間の写像にすぎません。
抽象度において全ての宇宙の上位概念となるのが「空(くう)」という概念となりますが、概念としては何となくわかっても、物理空間で日常生活を送る私たちが「空」まで抽象度を上げて行くのは至難の業です。
人類の誕生、進化レベルの話になると、抽象度を上げるのに計算の複雑性により途方もない計算量が必要となります。
逆に抽象度の高いところから低いところへとエネルギーを流すと強力な影響力を及ぼすという性質があります。
次に関係性(縁起)の話です。
私たちはさも自分自身という確たるものが存在していると思いがちですが、広大な宇宙において、自我とは部分関数(関数とは何かをインプットすると何かをアウトプットする機能のことです)でしかありません。
もっと言ってしまうと、広大な情報空間に広がる膨大なネットワークにおいて線と線を結ぶ「点」でしかありません。
自分のことを説明する際も、誰々の子供で、どこどこの会社に勤めていて、何々が好きで(これも好きである対象との関係性です)など、関係性(縁起)の中でしか説明できません。
感情についても21世紀の現代では極論ですが生理反応でしかないと言うこともできますし、思考も(思考についてはもう少し説明が必要ですが抽象度が上がっていない状態での思考という意味では)これまでの学校教育や社会常識と呼ばれるものをシステム的に機能に反映したという程の意味合いしかなく、確たる自我というものの説明根拠にはなり得ません。
こういう顔形をしており、身長体重がこれくらいというものも、前回の情報空間の記事でも書いた通り、自分が見ている世界も脳が構成する情報の寄せ集めにすぎないことから考えると他人も同じように見ているとは限らず、また現代では整形技術も進んでおり、そして今後脳以外全て交換可能な時代が来るかもしれない状況では確たる自分と呼ぶにはかなり怪しいものがあります。
全ての宇宙は空であり、自分というのも関係性の中での点でしかなく、自分が見ている世界も、脳が構成する情報の寄せ集めにすぎないとすると、この世は自分も含めて全て「幻想」ということもできます。
では人生とは虚しく、つまらないものなのでしょうか?
全く逆です。
「空」とは「無」ではなく、宇宙の全て、つまり「とてつもなくある」ということであり、膨大なネットワーク(関係性:縁起)の中で、どんな役割を果たしていくのか、それもどれだけ多くの、そしてどれだけ大きな役割を果たしていくのかを目一杯楽しむのが人生です。
人間ですから煩悩があるのは当然です。あって全く問題ありません。
自分の小さな煩悩は余裕で満たしつつ、それを含めた現状では全く想像もできないくらい大きな夢(ゴール)を描きましょう。
どれだけ多くの人(もの)を含めることができているか、それが抽象度が高いということにもなります。
人間には元々そうした大きな夢(ゴール)を達成できるとてつもない力を持っています。
そうした力を引き出すことができる脳の使い方があり、気功もそうした力を引き出す技術の一つです。
パラダイムシフトはすでに起こっています。
社会、世界、宇宙は常に変化しており、この世に完璧なシステムというものは存在しません。
変化を受け入れ、人生を思う存分楽しみましょう!
