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「トム・ヨークの沈黙は“共犯”なのか?」 誰もがポピュリストになる時代に。

「なぜ黙っているんだ?」

沈黙の価値を表す「雄弁は銀、沈黙は金」という諺がありますが、2025年においては半ば通用しない価値観となりつつあるでしょう。

2025年5月、世界的な人気を誇るイギリスのロックバンドであるレディオヘッド(Radiohead)のトム・ヨークがInstagramに投稿した長文の声明は、今この世界が直面している“情報の罠”を鮮やかに可視化したと言えます。

彼が語ったのは、ガザ・イスラエル問題に対しての彼の「沈黙」が引き起こした誤解と中傷。そして、それを生み出したSNSの構造的問題です。

この問題は、『サピエンス全史』の著者ユヴァル・ノア・ハラリが最新作『NEXUS 情報の人類史』で指摘した「ポピュリズムと情報ネットワークの暴走」と重なります。

トム・ヨークの沈黙と発言の何が問題視されているのか、その理由も含めて考えていきたいと思います。

筆者プロフィール:照沼健太
編集者・ライター・YouTuber。テレビ東京やNetflixのメディア運営、レディオヘッドら数々のアーティストのCD封入解説文、HIKAKIN、米津玄師、押井守、藤本タツキなどのクリエイターや多くのビジネスパーソンの取材を担当。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年2月末時点でチャンネル登録者数約5万人)。


トム・ヨークは何を語ったのか

まず、トム・ヨークによるInstagram長文投稿の内容を簡単に要約します。

  • メルボルン公演中、「ガザ(イスラエルとパレスチナの紛争)について語れ」と観客に叫ばれたが、場にそぐわないと感じ沈黙を選んだ。

  • その沈黙が「共犯」とみなされ、SNS上で批判・中傷を受けた。

  • ネタニヤフ政権の暴走と、ハマスの暴力の両方を非難した。

  • 「声をあげろ」というSNSの圧力は、建設的な対話よりも分断を深めていると指摘。

  • 発言の強制や沈黙の非難は、真の共感や思考を妨げていると警告した。

これには現在のイスラエルとパレスチナの問題のほか、そもそもレディオヘッドがイスラエルで最初にブレイクしたバンドであることやメンバーの妻がイスラエル人であることなども絡んでくるのですが、見出しの通り、この記事で考えたいのはそこではありません。

「表明」を強制し、さもなくば「沈黙」に意味を見出す、現代の空気についてです。

SNSはつながりではなく“断罪の場”になっていないか?

「なぜ立場を表明しないのか?」「黙っていることは共犯ではないのか?」

こうした“声の圧力”に対し、トム・ヨークは次のように語っています。

「僕の沈黙は、亡くなった人々すべてに敬意を表し、事態の複雑さを簡単に言葉にしたくなかったから。けれどその沈黙は、誤解と攻撃を招いてしまった。」

SNS時代、何かを言えば揚げ足を取られ、言わなければ共犯扱いされる。

これは「語る自由」すら奪われる空気こそ、ハラリが『NEXUS』で示した情報ネットワークの罠にほかなりません。

個人的にこの『NEXUS』で特に印象的だったのが、ポピュリズムについての説明とその危険な魅力についての端的な解説です。

「ポピュリズム」という言葉は、「人民」を意味するラテン語の「ポプルス」に由来する。民主社会では、「人民」は政治的権限の唯一の正当な源泉と考えられている。宣戦を布告したり、法案を可決したり、増税をしたりする権限は、人民の代表だけが持つべきだ。ポピュリストはこの民主主義の基本原理を大切にするが、なぜかそこから、単一の政党あるいは指導者があらゆる権力を独占するべきだと結論する。

ユヴァル・ノア・ハラリ. NEXUS 情報の人類史 上 人間のネットワーク (p. 206). (Function). Kindle Edition.

この文脈で考えると、アーティストや著名人に対して「あなたはどっちの側なのか?」と立場を迫る行為も、極めてポピュリスト的です。

  • 発言しない自由は認められない

  • 中立は許されない

  • 共感より忠誠の有無が問われる

これでは、健全な対話や深い理解の余地がなくなります。

そして、これらの行動を誰もが簡単に取れるようになる=ポピュリストになってしまうシステムこそが、SNSです。

誰かが人民の一員かそうでないかを、どうやったら区別できるのか? 簡単だ。指導者を支持するのなら、その人は人民の一人だ。ドイツの政治哲学者ヤン=ヴェルナー・ミュラーによれば、これがポピュリズムの決定的な特徴だという。自分だけが人民を代表しており、自分に同意しない人は誰でも──国家の官僚も、少数派も、有権者の大多数であってさえも──虚偽意識に毒されているか、本当の人民の一員ではないかのどちらかだと主張し始めたとき、人はポピュリストになるのだ。

ユヴァル・ノア・ハラリ. NEXUS 情報の人類史 上 人間のネットワーク (pp. 208-209). (Function). Kindle Edition.

アーティストは代弁者ではなく、ひとりの思考者でしかない

Radiohead『Amnesiac』

そしてもう一つ。

ここにはアーティスト/著名人に対しての「規範・ロールモデルであれ」という圧力や、一種の神格化と、その裏返しによる「引き摺り下ろしたい」という欲望が見て取れます。

これは特別に目新しいものではありませんが、やはりこれを加速されているのがSNSであり、それが基本となった時代における「ホワイト社会化=デジタル中世化」(by 岡田斗司夫氏)の表象と考えられます。

トム・ヨークは、声明の中で「極端主義は両側に存在する」と語り、ネタニヤフ政権もハマスもそれぞれ市民の苦しみを盾にしていると非難しました。

どちらかに肩入れするのではなく、「暴力そのものの構造」を指摘する彼の言葉は、冷静で、誠実で、そして難しい状況と立場を理解しているからこそのものだと思います。

にもかかわらず、それすら「遅すぎる」「中途半端」と叩かれてしまう。

これはトム・ヨークが投稿で指摘している、極端志向そのものです。

SNSという情報の大海原では、熟慮より即応、思考よりスローガンが歓迎されてしまう現実があります。

私たちの感情のボタンを押す生物学のドラマのリストには、「誰が最上位者になるか?」や「私たちvs.彼ら」や「善vs.悪」といった、古典的な作品もさらにいくつか含まれる。

ユヴァル・ノア・ハラリ. NEXUS 情報の人類史 上 人間のネットワーク (pp. 118-119). (Function). Kindle Edition.

著名アーティストの発言が「彼ら」側=「悪」であると判断すれば、インスタントに「上位」を引き摺り下ろす理由になる。

この構図に誰もが即時に陥りやすい仕組み、それがやはりSNSを中心とした高度に発達した情報ネットワークというわけです。

では、どうすればいいのか。

写真:照沼健太

『風の谷のナウシカ』漫画版では、旧人類は袋小路に行き詰まって巨神兵に裁定者としての役割を託したとされています。

それによって起こったのが「火の七日間」。

そのリアリティーがこの数年で一気に跳ね上がっていると感じています。

映画『ターミネーター』の終末が「審判の日」というネーミングだったことも、最近よく思い出します。

ただし、それこそインスタントな結論であり、実質的な安楽死です。

とりあえず『風の谷のナウシカ』と『HUNTER×HUNTER』を読み直すことにしようと思います。

急ぎすぎて無力感に苛まれて破滅を望んで誰かを巻き込むくらいなら、ゆっくり考えたいな、と。

(照沼健太)

↑Audible版も出てました。

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