今年の『ドラえもん』が描いた『シン・エヴァ』が描けなかったもの
『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』を観ました。大傑作です。
これまでにない感動で胸があふれ、ちょっと驚きました。
これはカタルシスを伴う感動ではなく、静かに押し寄せるような類のもの。喜びもあれば、苦々しさに似た感情もあって、ただすっと涙が流れていくばかりでした。
では、いったい何がそこまで良かったのか。
本作は絵も音も演出も、脚本も、そして作品が内包するテーマ性も、どれをとっても素晴らしいです。
その中でも、この記事ではストーリーのネタバレを避けつつ「作品性」に特に焦点を当てて、この映画の魅力を語ってみたいと思います。(照沼健太)
いつものドラえもんだけど、いつもと違う点

あらすじ(ネタバレなし)
物語の導入は、いつもの「ドラえもん」らしく、のび太たちが絵の世界に入ることができる「ひみつ道具」で遊んでいるところから始まります。ところがちょっとしたハプニングが重なり、ふとしたタイミングで謎の絵の世界に入り込んでしまう。そこからのび太たちは、大冒険に巻き込まれていくことになります。
構造としては典型的な「大長編ドラえもん」の導入ですが、今回の脚本は「これまでのドラだと、この辺でこうなって…」という予想通りに動きつつもそれを超えてきます。『ジークアクス』ばりに見事な脚本です。
で、その上で本作のテーマは「絵」。
そもそも『ドラえもん』という作品自体、漫画→テレビアニメ→映画へと展開してきたもの。つまり、このテーマは非常に「メタ的」です。
ここで思い浮かぶのが、『スパイダーバース』や『シン・エヴァンゲリオン劇場版』『THE FIRST SLAM DUNK』といった、自らのメディア性を意識した作品の系譜。
でも重要なのは、『のび太の絵世界物語』は、そんな作品群の系譜に連なる作品と観ることができると同時に、メタになりすぎていないこと。メタ的な読み方もできるけど、あくまで『ドラえもん』なんです。
ここが本当に素晴らしい。某ドラクエ映画が完全にミスったところです。
最も似てるのは『シン・エヴァ』。でも大きく2つ違う

いくつもの新作アニメ映画を例に出しましたが、僕の感覚では『のび太の絵世界物語』が最も近いのは『シン・エヴァンゲリオン劇場版』だと思います。
でも、『シン・エヴァ』が描くことができなかった、二つの重要な要素を『のび太の絵世界物語』は描ききっています。
作品を描く“楽しさ”
二次創作の肯定
1. 描く楽しさをフルに表現している
まず、ドラえもんを描く楽しさが『のび太の絵世界物語』からはものすごく伝わってきます。ドラえもんというキャラクターや世界を扱うこと自体を、スタッフが心底ワクワクしながら作っている様子が映像や演出、脚本の端々から感じられるのです。
そして、それが脚本や演出とも直結しています。
一方、『シン・エヴァ』も間違いなくエヴァを描く喜びや楽しさが伝わってくる作品でした。特にオリジナル放送当時に視聴者だったクリエイターの方々の仕事にはその感覚がほとばしっていて、嫉妬すら覚えたほどです。
しかし、それもせいぜい50%程度。『シン・エヴァ』全体に漂っていたのは、やはり「エヴァを作ることの重苦しさ」です。ただ、これは後で説明する理由からも仕方ないことでもあります。
2. “二次創作”の肯定
二つ目は、“二次創作”を肯定する姿勢です(一応補足すると、引用符付きの「二次創作」です)。
そもそも『エヴァ新劇場版』の目的のひとつには、「庵野秀明以外のクリエイターがエヴァを作るための土台づくり」という目的が公言されていました。
実際『シン・エヴァ』でも、新劇場版では渚カヲルのループ設定や「エヴァイマジナリー」など、他の作り手が自由に動かせる要素は散りばめられています。
しかし、そこには十分な描写や設定の提示をできなかった感が否めず、どうにも中途半端になってしまった印象です。
『シン・エヴァ』がそれらに(あえて)成功しなかった理由
この2つを十分に描ききれなかった理由はいろいろあるでしょうが、最大の要因はやはり、「エヴァの呪縛を解く」ことへの注力があったからだと思います。
『エヴァ』の総監督である庵野秀明氏が、長年エヴァという存在に束縛されてきたことは誰もが知るところでしょう。
今年1月に公開された『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の舞台挨拶では、同作を手がけた鶴巻和哉監督が「庵野はエヴァから解放されてから、リミッターが外れて昔の感覚に似たものが戻ってきている」とついに身内から大っぴらに語られましたが、最も近いところで制作を共にしてきたクリエイターから見ても庵野監督にとってエヴァは重い足枷だったわけです。
そんな状況では、「作品を作る楽しさ」を100%画面上に反映させることは難しいですし、作品内で二次創作を積極的に肯定するほどの余裕もなかったはず。
そりゃあ、作品を作る楽しさはスポイルされるし、二次創作について積極的に語る余裕なんてなかったでしょう。「自分の『エヴァ』を終わらせる」ことに格闘していたのだから。
そもそも『エヴァ』という作品の大きな魅力は「庵野秀明」という人間の“人生”に深く結びついています。ゲームやパチンコなどさまざまな派生作品で綾波レイ役を演じ続けている林原めぐみさんも「庵野さんが作るエヴァと、それ以外のエヴァは違う」と公言しているほどで、そりゃあ「作る楽しさの表現」も「“二次創作”の肯定」(お気づきかと思いますが、両者は根本のところで繋がっているとも考えられます)も難しい。
そして、そこにはターゲットとなる視聴者層も影響しています。観ている僕たちも、単なる観客ではない、それこそが『エヴァ』なんです。
子供向けだからこそ、正面から描けた
一方でドラえもんシリーズは、基本的にメインターゲットが子どもです。
さらにはのび太やしずか、ジャイアン、スネ夫といったメインキャラクターもみんな子ども。
だからこそ、『シン・エヴァ』が描けなかったものを、真正面から描けている部分が大いにあります。
『シン・エヴァ』の本質には「贖罪」がありましたが、ドラえもんにはそれはない。大人から子どもたちへの肯定です。
しかし、その上で補足しておきたいのは、『のび太の絵世界物語』は容赦ない作品でもあるということです。この世界が無限に続くワンダーランドではないことを、明確に描いています。
でも、ちゃんと子ども向けの作品に仕上がっている。
子どもを信じて寄り添いながらも、子ども相手に手を抜かない。
高畑勲と宮崎駿が貫いてきたものが、ここに継承され、脚本にも演出にも作品性にも表れています。
もし興味を持ってくれたら、ぜひ観に行ってください。
帰宅して感動した「入場特典」

TOHOシネマズのエントランスでQRコードをタッチした際にもらった入場特典がこちら。
パラパラっと見てすぐ閉じてポケットにしまったのですが、帰宅して再び開いて感動しました。ジークアクスじゃん……。
これもある意味で本編の一部だと思います。
(照沼健太)
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