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どうしてコスパの悪い「ライブ」という儀式にいくのだろう

1.
ライブに人が集まることが、昔から不思議だった。
 
たびたび、「ライブで客が歌うのがアリかナシか」が話題になる。
直近ではKing Gnuがその火種になっているけど、ちょっと前にはB'zのライブで同様の論争が起きていた。

この議論に、原理的な正解はない(だから終わりもない)。ビートの効いたライブで歌って踊って騒ぎたい人もいれば、スピーカーから聞こえてくる音楽に耳を済ませたい人もいる。人によって音楽へのスタンスが違うのを責めても仕方ない。それぞれの現場でコミュニケーションをとって利害を調整する。それ以上の答えはない。どちらが正しくてどちらかが悪いかに、正解はない。

自分が考えたいのは善悪の判断じゃない。ライブという、非常に不安定な芸術形式に、多くの人がお金を払うこと自体が興味深い。

筆者プロフィール:伏見瞬
批評家・YouTuber。2017~18年「第三期ゲンロン批評再生塾」で東浩紀審査賞を受賞。著書に『スピッツ論 「分裂」するポップ・ミュージック』(2021年、イースト・プレス)。2023年末からはYouTubeチャンネル「てけしゅん音楽情報」を運営(2025年8月時点でチャンネル登録者数約6万人)。2025年に16年勤めた会社を辞め、専業作家に。

2. 
ライブの値上がりも、たびたび話題になる。
20年前なら高くても7~8000円だったライブのチケットが、今では1万円越えも珍しくない。話題になっていたKing Gnuのライブも一番安い席で1万3000円する。来日アーティストなら2万円や3万円だって当たり前。そんな時代になってきた。

これについて、ライブのチケットが適正金額ではない、もっと下げるべきだという意見もみかける。
私にはライブの適正価格がいくらなのかわからない。会場のレンタル料、雇うスタッフの人件費、機材やセットや照明の費用、宣伝費などなど。ライブの規模や演出の大がかりさなどによって費用は全く違う。
ただ、費用を細かく算出して適正チケット金額を出すことに、あまり意味はないように思う。
人がライブに求めているものは、損得勘定や等価交換とは別のものだからだ。

3. 
後々の資産価値を考えれば、ライブほど無駄な出費もない。ぼく自身の家計を考えても、ライブにかかる費用の高さは馬鹿げている。
ぼくは日々、後々自らの糧になるようなお金の使い方をしていると思う。
ジムに通ったり外国語を学んだりすることは、健康や仕事に役立つだろう。本を読んだり映画館に行ったりすることも、知識として残るだろう。資産運用はいわずもがなだ。

では、ライブはどうか。映画や本に比べると、ライブの費用は数倍から数十倍だ。ライブは映画に比べて楽しくて役に立つか?

答えは否だ。

心地よさだったら映画館のほうがはるかに上だと思う。
空調の効いた暗い部屋で、シートにゆっくり座って、最高の環境で映画に浸れる。面白くない映画だってなかにはあるが、かかるのは2000円程度。
それに、環境に邪魔されることはない。面白い映画なら、確実に楽しめるのが映画館だ。

だけどライブでは、確実な楽しみが約束されない。
となりの客がジャイアンのリサイタルを始めるかもしれない。
前が大男でステージが見えないかもしれない。
そもそも音が悪かったり、会場が混んでて不快かもしれない。
大好きなスピッツのライブを4階席で観たとき、ドラムの音が変なリズムで反響して聴けたもんじゃなかったのはとてもつらかった。崎山さんはとてもいいドラマーなのに。

ライブ自体が大して良くない可能性だって十分にある。
自分のコンディションが悪い可能性だってある。
怖い思いをすることだってある。
とにかく、ライブで不快な思いをする確率は、映画館に比べれば非常に高い。

「役に立つ」という観点から考えても、ライブは不利だ。
映画鑑賞や読書ならある種の教養として役立つこともある。でも、ポップ・アーティストのライブは何の役に立つだろうか。
別に何の役にも立ちはしない。
 
「生だからライブはいい」という人もいるだろう。
しかし、ライブの音は、基本的にスピーカーから出ている。
ステージで人が演奏しているとしても、それは電気信号として加工されたものを聴いているにすぎない。
ヒップホップやEDMのライブであれば、演奏すらしていない。
スピーカーを通さない「生演奏」を会場で聴く機会は、西洋クラシックや日本の伝統音楽のコンサートに限られるのではないか。
いわゆるポップ・ミュージックのライブにおける「生」の感覚は、大変に怪しいものだと言わざるを得ない。

4.
損得勘定を考えれば、ライブに得なんてほとんどない。
タイパやコスパといった言葉の広がりをみても分かるとおり、お金や時間に関する合理性は、一般的なものとして浸透している。若い世代であればあるほど、「コスパ」は当然のものとして受け入れられている。それでも、物価高に苦しむような多くの人が、ライブに足を運ぶ。
経済的合理性に欠けたライブという儀式に、人々は金を出す。

おそらく、ライブは損得勘定の彼岸にある。損得で測るしかな日々を度外視できる場所として、ライブはある。

ライブは、時に宗教的儀式としてイメージされる。巫女のような存在がステージにいて、彼ら・彼女らの一挙手一投足、息づかいや言葉に、観客は未来を見る。
多くの人が指摘するように、数千人・数万人規模のライブは宗教性を帯びてくる。

ライブに多くの人が期待するものは、音そのものではない。高い技術に支えられたパフォーマンスでもない。音や舞踏からやってくる「救い」の感覚なのだろう。
わざわざ遠い場所まで足を運び、ごちゃごちゃした群衆にもまれながら儀式に参加する。それはほとんど礼拝と呼んで差し支えない。

ライブと宗教儀式を結びつけるなんてありきたりの発想だけど、それ自体を否定することは経験上できない。

けれど、本当にみんなそれほど宗教的なのだろうか。
宗教的なフリをしているだけなんじゃないか。
損得勘定の彼岸に行きたくて、その口実としてライブの宗教性を利用しているだけなんじゃないだろうか。

5.
僕自身はライブに「救い」なんて求めたことがない。

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YouTube「てけしゅん音楽情報」を運営し、音楽などのカルチャー系ライター/編集者である照沼健太と…

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