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本雑綱目 78 長谷川卓+冬木亮子 安倍晴明と陰陽道

今回は長谷川卓+冬木亮子『安倍晴明と陰陽道』です。
ワニのNEW新書。I9784584103241。
NDC分類では148。哲学>相法. 易占

これは乱数メーカーを用いて手元にある約5000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。

★図書分類順索引

1.読前印象

 安倍晴明は新書でも真面目なのとムー的なのと両方あるのだが、著者は両方とも学者ではなく小説家だった気がするから、ムー的寄りなきがしなくもない。何が違うかというと魔法を飛ばすか否かという以前に、真面目なものだとおじいちゃん、ムー的なものだと美青年で描かれる。安倍晴明とは史実とイメージで存在がかなり違うのだ。実物の熊と絵本のクマみたい。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 目次は『伝説に彩られた闇の呪術師』、『日本人と陰陽道』、『陰陽道の世界観』、『安倍晴明の秘儀伝説』、『現代に生きる陰陽道』です。ムーよりのムック的な奴だ。といってもムー的だから駄目というわけではなく、それはそれで現代で認知されてる知識的にも僕の中のキャラ作りでもそれなりに需要はあるんだけど、小タイトルみてるとそんなキランキランしてる感じでもなくて文献からの引用ばかりな印象。そんなわけで肝心の安倍晴明にまつわるあたりは多分全部知ってる逸話なので、『陰陽道の世界観』、『現代に生きる陰陽道』を読んでみる。というか安倍晴明の秘儀伝説をちらっと読んでみたけど古典籍を現代語の小説風にした感じだったので、ライトに晴明を知りたいなら悪くないのかもしれない。安倍晴明はもともとプロデュースされたじいさんなので後付けの当時キラキラ、今から見るとそんなでもないしわしわ伝説はたくさんあるのだ。

3.中身

『陰陽道の世界観』について。
 陰陽の始まりは男女で、人は何故男女に違いがあるのかと考えたからではないか、という語り口からなんとなく、それはただの感想ですよね、といいたくなるアレ。そのあとに陽気陰気の話がでているけれど、結局男女の話に結末をもっていこうとするあたり恋愛脳ッて思う。僕としては男女の違いから陰陽が発生したというよりは、そもそも陰陽と男女は違うカテゴリにあって、男女を陰陽という考え方にあてはめれば男が陽、女が陰になっただけっていうか、色だってRGBにわけたら数字になるだろみたいなものだと思うんだけど、まあこれも僕のただの感想なので。
 陰陽師は気功の気のエネルギーを自在に使うもので、黄帝内経太素では気は天地の風から名づけられたとあり、風という万物の源であり広大な宇宙を統べるエネルギー体系が気である、というけれど、針小棒大すぎる気がする。気感(といっていいのかよくわからないが)は時代によって移り変わるけれど、中国で気というはもう少し体系的で具体的な話で、でもそもそも道教ライクに気をエネルギー弾として打ち出すことを前提とすれば、この話で語られる気と中国で一般に身体について言われる気は別のカテゴリの気の話だろうから、ちょっと混乱するやつ。
 中国では概念を全部数字の五にくっつけて、五臓六腑の六腑ももとは五腑だったというけれど、それなら十二支はどうなんだ。陰陽五行といえば十干十二支で六十を区切りに暦を分ける。なお十干は太陽を示し十二支は月を示す。この本では十干は五行で説明された四季の移り変わりを分類したものとするが、陰陽五行は戦国時代に成立したけど、十干も十二支も殷代からあるので陰陽五行よりはるかに古い。
 うーん、道教は民衆の素朴な信仰に端を発し毎日の暮らしを安らかにすることとあるけれど、基本的には道教は仙人の修行をしてかめはめ波を打って不老不死になることを目的とするものだし、そもそもの始まりが淫祠邪教な八百万の暗黒神のなかからマシな神を選んで祭り上げるみたいなところなはず。
 えっそこで董仲舒がでてくるの。董仲舒の災異説ってそんな規模の話だっただろうか。本人は後に公言しなくなったそうだし。
 自分の中でも知識が中途半端な自覚が生まれたので、役に立った。わりに資料のためにどこまで調べるかというのは、追いかければきりがない話である。

『現代に生きる陰陽道』について。
 平安時代では陰陽道が流行し、方違えや行事など、陰陽道を信じているか否かにかかわらず無視できなかったとあるけれど、多分時代感が違う。この時代は疫病の発生や自然災害の原因はだいたい神の祟りだし、長屋王の祟りとして藤原四家の当主全員が死亡した(原因は天然痘で、当時都の日本人口の3割前後が死んだ)時代だから、これらの災厄を避けるために国はその手法として仏教を導入し、大仏や全国に護国寺を建てた。陰陽も流行とか信じる信じないではなく、先進している中国から輸入した今の科学と同程度あるいはそれ以上の信用性のある防御策と考えられていたと思う。御堂関白記を引いてこの時代は神道・仏教・陰陽道がごちゃまぜだったというが、仏教は流入当初百年たたずにすでに本地垂迹的に神道と混ざったし、陰陽道も最初から道教や密教と混ざりまくってるわけで、というよりその状況が江戸末の神仏分離まで続いていたわけだから、日本的にはこの宗教観の時代が長い。クリスマスして除夜の鐘して初詣するのは昔からなのだ(と入ってもこれらが現代の形式になったのは比較的最近なんだけど)。むしろ今みたいに各宗教が別れている時代こそ短い。前提の観念がズレている気はする。
 蟲毒は日本に定着しなかったとするが、それもどうかな。養老律令で禁止され奈良末の井上親王に蟲毒がなされたことは有名(これについてはわざとだろと僕は疑ってるけど)だし、平安以降もちょくちょく蟲毒禁止令が出て江戸時代くらいまではあった記憶。延々と中国の蟲毒的な話が続くけど、そもそも陰陽道って本道の陰陽寮では蟲毒を主に扱った記憶はないんだが、実際はどうなんだろう。各地の陰陽流はもう修験道とか地域信仰とか混ざってるはず。
 そのほかに現代でも九星術や風水に、習慣としても上巳や端午の節句といった習慣に陰陽道が残っているという記載。

 全体的に、あんまり中国に詳しくないまま書いてるなという印象。けれど多分これがスタンダードな理解な気もしなくはない。実際の安倍晴明なんて花山天皇を無理やり退位させた一条天皇(とその周り)と藤原道長以外、誰も求めていないんだろうなという気はしなくもないし。一方でこの本が絶対的に正しいと思いこむのは危険と思う。なんていうか、著者はこれが正しいと思って書いた本だろうけど(そして今流布されている晴明のイメージは多分これなのでヒーロー的に正しくないとは言い切れない)、考証がいささか甘いので嘘と真実を絶妙に取り混ぜて本質を見失わせるように見えるやつ。でも新書だし文句つけるのもなとは思う。
 小説に使えるかというと、ファンタジー方面とかライト文芸で陰陽師を書くならアリかなとは思うけれど、真面目にやるなら混乱するのであまりお勧めしない。

4.結び

 安倍晴明は一周回ってそろそろまた流行るのではないかと何かでかいてあった気がする。最近タピオカにみえてきた。陰陽道自体は調べれば調べるほど何が何だかわからなくなって困っている。これぞという本が読みたいんだけど、まあないよなとも思っている。いろんなものが混ざり切りすぎているのだ。
 次回は奥村正二『火縄銃から黒船まで 江戸時代技術史』です。
 ではまた明日! 多分!

★似たテーマの本
陰陽道の本はそれなりに持ってるんだけどこれ用に読んでないから、気について書いてる雑誌。

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