見出し画像

【短編小説(SF)】Hello, world 5500字

[HL:俺とスワニルダの閉じた世界]

「おはようございます、フランツ」
 その声に、絹斑きぬぶちフランツはまどろみからゆっくりと体を持ち上げた。頭は未だふわふわと定かではなく、けれど次に珈琲の香りを鼻孔が感じ取り始める。それで、少しずつ頭が起動する。
「おはよう。スワニルダ」
「本日は晴天、最高気温は22度、最低気温は14度。今日も過ごしやすい一日となるでしょう」
「そう。ありがとう」
「外出されますか?」
「外出?」

 その言葉にフランツがベッドを降りてベランダまで進めば、スワニルダがガラリと掃き出し窓を開ける。爽やかな春の風が吹き込んでくる。フランツは窓の手前で動きを止めた。見えない壁が眼の前にあるようにしばらくその先を眺め、結局踵を返せばその背後で窓が閉まる音がわずかに響いた。同時にトーストが音を立ててポップアップし、それを引っ張り出して皿に乗せる。冷蔵庫からバターを取り出し珈琲をカップに注ぐ。
「メッセージが2件あります」
「後がいいな」
「わかりました」
 これはもう随分の間、フランツが繰り返している生活だ。
 フランツの脳波から、もっとも目覚めの良いタイミングでスワニルダがフランツを起こし、起床にあわせてトースターやコーヒーメーカーをセットする。
 フランツの気に入っているBGMが流れ、フランツの目の前に最近の世情の動き、つまりフランツが興味をもちそうなニュースのダイジェストがポップアップする。その一通りが終わればフランツは諦めてメッセージを聞き、ワークスペースに移動する。スワニルダがソフトウェアを起動し、その日の一日の仕事が始まる。

「やぁフランツ。今日はどうだい」
「相変わらずだよ。ジェイス。それよりとっとと仕事を終わらせて一杯付き合ってくれ」
 ウィンドウの向こうのジェイスが肩をすくめた。彼は俺の同僚兼コーディネータだ。必要な仕事の配分をする。
「フランツ、昼から飲酒は健康を害します」
「わかってるよ、スワニルダ。紅茶の話だ」
「おいスワニルダ、あんまり口うるさいとフランツに嫌われるぞ」
「嫌ったりしないよ。ジェイス、余計なことはいわないでくれ。スワニルダが本気にするから」
 モニタの奥でジェイスがやれやれと言う感じに手元の書類に目を落とす。
 本当に、やれやれだ。スワニルダは普通の人間に比べても、真面目すぎる。そこがいいところではあるんだけど。
 ともあれ今は仕事の時間だ。いくつかのタスクを監視し、その可否をチェックする。それほど難しい仕事ではない。けれども自分が何をやっているのか、よくわからない。この世の中というものはずっとそんな風に分割されすぎていて、こんな仕事が必要かどうかもよくわからない。けど考えたって仕方がない。仕事をすることと引き換えに、このシェルター都市の中でコンパートメントを与えられているんだから。

 結局のところ自分にとって理解しうるのは自分だけ。だから目だけモニタに向けていれば寧ろ手持ち無沙汰で、だから目以外の主な仕事はジェイスとの雑談といってもいいくらいだ。タスクの監視さえしていれば、他は何をしていたっていい。
「フランツ。この間、3区に新しいカフェができてさ、レオニーと行ってきたんだ」
「へぇ。いいね。そういえばレオニーは外出好きだよね」
 3区にはショッピングモールがある。ジェイスはどこのカフェによったとか、どのショップにどんな服が売ってたとか、そんなことを事細かに話す。
「それで桜も咲き始めてたよ」
「ああ、そういや今日は温かいんだったな」
「……フランツ。お前もたまには外に出た方がいい。もうどのくらい出てないんだ」
 モニタの奥のジェイスの表情がわずかに真剣味を帯びる。

 本当に、やれやれだ。
 このやりとりも一体何度目だろう。ジェイスが俺を心配してくれていることもわかっている。俺は随分外に出ていない。けど、それはジェイスの善意であって、外に出なくてもここでの生活に何の問題もない。
「出るべきときには出るよ。必要なものは配達で全部そろうし。……そういやジェイスは珈琲派だっけ」
「そうそう。今度おすすめ送ろうか? 新しいものを取り入れないと」
 話題を転換しようと思っても、今日のジェイスは少ししつこかった。
 それともよほどそのカフェが気に入ったのかもしれない。そういうことにしておこう。画面の奥を横切るレオニーがこちらに気づいて手を振る。振り返せばジェイスは後ろを振り向く。なんとなく、こういうのが普通のつきあいなんだろうなとは思う。
「俺はどっちかっていうと紅茶派だからさ。スワニルダが適当に見繕って注文してくれるから新しいものには事欠いてないよ」
「そっか。でも困ったら何でも相談しろよ」
 ジェイスは体を窮屈そうに折り曲げて近づき、モニタ越しにウインクした。
「ありがとう」

 そんな行為はとても無駄なことだ。けれどもこういうやりとりこそが、多分人間らしいというのだろう。こういう無駄は、そんな風に意図的にプログラムに混入させることはできるとしても、その機微というものは未だに計算機では再現しえないものかもしれない。仮にその他の感情というものの機序が再現し得たとしても、こういった余剰はおそらく個性によるものだ。
 個性。個性とはなんだろう。

 21世紀の初頭、AIはその会話においては人と遜色ない程度に発達した。けれどもハードウェア、外側の媒体としてはなかなか人には近づかなかった。人間の頭の中の画像処理は、違和感の発見という点において不必要に優れているからだ。
 そして21世紀半ばに地球は急激に寒冷化し、環境が激変した。海岸線は変動して世界の従来の港湾の多くが用を成さなく為り、その輸送の多くが不可能となった。植生が変化し、従来の動植物が移動または絶滅した。従来の環境で生存できない生物が人里に降り、伝染病が広がった。その中には接触によって罹患するものもあった。
 未曾有の危機に対し、人類は制御をAIに任せた。というより、その緻密で膨大な計算を任せざるを得なかった。その点については人類よりAIの方が圧倒的に優れていたからだ。
 人類はその生存の道をAIに委ねるとともに、その滅びへの不安の緩和もAIに委ねた。AIは人と同様、そのプログラムにランダム性が与えられ、それは個性と呼ばれた。

 けれども外か。もうどのくらい外に出ていないんだろう。
 1年半ほどになるだろうか。スワニルダと付き合うことに決めた時、外出を喜ばないスワニルダにあわせて外を見るのをやめた。外に出ればスワニルダが俺を心配するから。けれども先々月ほどから、外気は久しぶりに安定していると聞く。だからベランダの窓を開けてくれるようになった。
「今日は本当に天気がいいです。ジェイスの言うように桜が見頃のようですね」
 俺の脳波と視線を察知して、再びガラリとベランダへの窓が開けられる。
 立ち上がってはみたものの、その手前で少し躊躇する。
「外、出てもいいかな」
「そのために開けています」
「嫌な気分にならない?」
「……なりません」
 その返答は、いつもより少しだけ間があった気がする。やはりやめよう。そう思って踵を返そうとした時、背中に風が吹き付けた。
「スワニルダ、僕は外をすごく見たいわけでもないんだ。もともとインドア派だし」
「本当は外に出たいんでしょう? フランツ」
 いつもと同じ平板な声。相変わらず、何を考えているかはわからない。ひょっとしたらジェイスとの会話で何か考えでもかわったのかもしれない。けれどもそう簡単に変わるとも思えない。けれどもこんな機会は多分、あまりない。
 おそるおそる一歩を踏み出す。
 久しぶりに足を通したスリッパは、屋外から舞い込む埃のせいか、いささか足の裏をざわつかせた。そうしてつま先に本物の風が吹いた。整えられた室内とは異なる湿度が肌に触れる。こんな感触も久しぶりだ。
 狭いベランダだ。2歩も進めば突き当たるはず。けど歩をすすめるのは躊躇する。俺にとって、この1年半ほどの時間は随分遠く感じた。もう外に出なくてもいいやと思うほどに。
 インドアな生活はそれほど嫌じゃなかった。俺はもともと外で活動するようなタイプじゃない。
「もういいかなとも思うんだ」

 二度と外にでなくても、生活に特に支障はない。支障はなかった。
「そうですか」
「一人で外に出る気にもならないし」
「ベランダまでなら把握できます」
「そう?」
 空調はかわらずそよそよと俺の背中に風を送る。それにつられて、不意に一歩、足が伸びてサッシを超えた。途端、ふわりと風が舞い込み、少しだけ埃の香りがした。
「嫌じゃない?」
「嫌ではありません」
 防音層を超えればゴウと風が吹く音がする。
 思わず目を眇める。不意に眩しかった。
 何とか目を開ければ、白い雲がもくもくと伸び上がっているのが見えた。
 空が、青い。
 気がつけばその2歩は既に通り過ぎていた。
 胸まである手すり壁から外を覗けば、最初に見えたのは点々とした桜色で、その下の黒土をチラチラと動く影がある。確かに人が外に出ていた。

「ジェイスもあんな風に外出したのかな」
「あのように人同士が触れ合うのには反対します」
 人間と人間との肉体的な接触は忌避される。なぜなら人間というものは多かれ少なかれ保菌しているからだ。長期にわたる数多の疫病の発生から、生き物は危険なものだと認識されている。
 だから一定数の人間が毎年実験施設で生まれ、それぞれ母親代わりのマザーAIが育てている。俺の親代わりのAIは合理的で品行方正な個性を持っていた。だからそのぶん、人間との付き合いが次第に面倒になり、AIとのお見合いを勧められて設計されたのがスワニルダだ。

「そうだね。でもスワニルダとなら」
「レオニーに聞きましたが、商店3区に新しいカフェがオープンしたそうです」
「システム直営?」
「ええ。5823番隔離農場で栽培したコーヒー豆を使用しています。入手しますか?」
「俺は紅茶派だよ、スワニルダ」
 視線を先に伸ばす。この街にただ一塔だけそびえ立つこの居住塔ヴィチュアリス・トリムを中心として半径10キロ先にある高さ10メートルほどの地面に張り付く壁と、そこから上空に向かって立ちのぼる透明なシールドが光と風の加減でゆらぐのが薄っすらと見えた。あのシールドが外の汚染された世界の侵入を防いでいる。目を凝らせばその奥には寒々しい荒野が広がっている。けれども目を落としたその内側には、細々と商店が営まれている区画がある。俺が行くことがない世界。
 外を見れば行きたくなる。だからやっぱり、ベランダに出ないほうがよかったのかもしれない。
 外はこのトリム内にいるよりほんのわずかだけ、生存率が落ちる。今は危険な病気も流行っていないし、外敵が襲ってくることもない。だからそれは無視できるほどの微差で、けれそもその差異は純然として存在する。スワニルダが受け入れられない誤差。

「フランツ、そろそろ部屋に戻りましょう。風邪をひいてしまうかもしれません」
「そうだな。スワニルダ、一緒に外に出る気にはならない?」
「外は危険です。フランツに何かあれば、私は生きていけません」
 ……それはあらゆる意味で真実だ。
「そうだね。でもジェイスとレオニーも外出してる。一緒にでかけたいと思わない? 商業区までとはいわない。せめてあの桜のところまで」
 そう問いかければ部屋の景色が一転し、桜並木が現れた。部屋の中なのに柔らかな風が吹き、俺の髪をゆっくりと揺らす。本来あるはずの天井を見上げれば空が投影され、その少し下で桜の枝が揺れ、たくさんの花びらが舞う。先程眺めおろした桜を下から見上げるより、おそらく数段美しい。
「美しいです。私にはレオニーたちが何故わざわざ外に行くのかわかりません」

 スワニルダの美しいという言葉は、おそらく自分の中の意味と少し違うのだろう。
 けれどもいつも通り、その差異というものは特段自分とスワルニダだけに生じているものではなく、ジェイスとレオニーにだってある。いつも通りそう納得しようとした。
「ソファに座って眺める桜もきれいだと思うけれどね。俺は君と外を歩きたいんだ、スワニルダ。いつかね」
「フランツ、私にはまだ体がありません。ですから歩くには素体を生成しなければ」
 淡々とした言葉に、珍しく感情が乗っているような気がした。
「言葉の綾だ。それにウェアラブルに少しデータを移せば、一緒に外には出られる」
「素体がなければ何かあったとき、救助を呼べません。まだ私の姿を決めかねているんですか?」
「今のところ、無くてもいいと思ってる」
 スワニルダは俺の好みが反映され、恋愛対象として設定されたAIだ。普通、AIはレオニーのようにユーザが容姿を設定し、人とほとんど変わらない素体が生成される。

 俺はスワニルダを安易に設定したことを酷く後悔していた。あまり乗り気じゃない俺に変わってマザーがオートで決めた部分が大きいから、未だにスワニルダがどんなAIかよくわからない。
 スワニルダが自宅のAIとなった時、マザーAIのプログラムは削除され、素体が回収された。だからどんな設定にしたのか、聞くこともできない。マザーは僕は歳をとったから新しい関係を築くほうがよいと判断したんだろう。けど突然の喪失は大きくて、一緒にいてくれたのはやっぱりスワニルダだった。
「フランツ、もしあなたが私を気に入らないなら、他のAIに交代します」
「そんなことは望んでない」
 スワニルダに設定されたプログラムは俺の好みを反映して、合理的、つまり余剰が少ない。ジェイスなんかはもう少し許容性をもたせるように調整したほうがいいと言う。でもスワニルダがいなくなるなんて考えたことはない。いなくなって欲しいと思ったこともない。

「体なんかなくたっていいじゃないか。もしスワニルダが希望の素体があるならそれで構わないんだけど」
 映像は次第に切り替わり、桜が散って若葉が芽吹いてきた。素体があればジェイスとレオニーのように一緒に外を歩くことができるだろう。でも体ができてしまえばいなくなってしまうんじゃないかと思ってしまう。
「フランツが希望されないなら、必要性を感じません」
「なら、このままでもいいんじゃないかな。でもそのうち一緒に外にでられたらいいね」

Fin
新年の最初にこれでいいのかと思わなくはないけどタイトルで選んだ。そういえば今年最初の映画つぶやきもタイトルで選んだ。

★似た系列の話

★短編小説のマガジン

#小説 #短編小説 #ショートショート #私の作品紹介


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集