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小説書きのための映画観測:いったいいつの時代の話なんです?『フランケンシュタイン』と『バース/リバース』

#Netflix感想文

こんにちは。
現在公開中(サブスク含む)の映画の考察のコーナーです。僕は一応小説書きなので、読書も映画もテーマはたいてい小説に使えるか、です。
今回はNetfilix感想文の企画にあわせて、『フランケンシュタイン』『バース/リバース』の考察をしてみます。
フランケンシュタインはNetfilix独占配信かな。本当は10ダンスにしようと思って見たんだけど、Shall we Dance?の役所広司と竹中直人との比較でしかかけなさそうで、さすがにそれはと思ったのでフランケンシュタインにしてみました。
今回のテーマは、時代背景に基づく基礎設定のバランス調整について。個別のストーリーで宣伝に出てる範囲ではネタバレになるので、特にバース/リバースの方は気になる方は先に見ることをお勧めします。フランケンシュタインはみんな知ってるからいいだろ(雑。


映画情報

❶フランケンシュタイン

ひとりの天才科学者と、その野心が創り出した恐ろしい怪物をめぐるメアリー・シェリーの古典小説の名作を、アカデミー賞受賞のギレルモ・デル・トロ監督が新たな視点で映像化。

Netfilixあらすじ

❷バース/リバース

研究に取りつかれた病理学者が、幼い女の子の蘇生(そせい)に成功。子供の母親と協力し、その子を生かし続けるために試行錯誤を重ねるが、どんどん歯止めがかからなくなっていき...。

Netfilixあらすじ

140字な感想:

8月まではイラスト付きで映画の感想を毎日UPしていたんですが、呟き機能がなくなったのでやめていました。今急いで書いてみます。作る用のメモは視聴後に作ってるんだ。

❶フランケンシュタイン
原作に戦争や投資家な要素を追加したゴシック作品で、話は面白いんだが主人公の行動が意味が解らないほど短絡的で居たたまれない。キリスト教的な人の創造というテーマにしては平たく、フランケンシュタインの強さも強調しきれず、愛の話にするには薄っぺらいのは、博士の頭が悪すぎるからで、設定に負けている気はするな。

❷バース/リバース
テーマは面白いし構成は捻ってるけどいかんせん描き方が平板すぎる。女医の方は顔から様子がおかしいのはわかる割には無茶はしない上に中途半端だし、看護師は普通はもっと葛藤すると思うんだわ。決め打ちしたとしても迷うシーンが全然ないのが逆に不自然だ。全体的にグロイのは悪くないけどサイエンス的にガバガバでおちつかない。

総合。
このコーナーは考察したいから書く場所で、映画が面白いから紹介するのではない。この2つの映画はそれぞれ命をテーマに描かれ、上の140字の感想ではわりにボコボコに書いているけれどどちらも面白く、それぞれのテーマがお好きな方には割とお勧めできる。けれど登場人物の行動が映画のレベル(これは高い低いという話ではなく、世界観との釣り合いの話)とちぐはぐのために粗雑な印象を受ける。
しかし基本的には両方とも評価が高い映画であるので、あくまで僕の感想なにすぎない。というか僕が細かいことを気にしすぎなだけなんだ。だから異論は認めるし、そんなことはどうでもいいじゃんという意見もごもっともだ。
けれど小説書きとしては、話に粗はない方がよいと思うのだ。神は細部に宿るというし、細かい積み重ねこそが物語の完成度を上げるものだろう。

考察:その行動は、場面に相応しいか。

注意:基本的にネタバレはなるべく公式HP程度に収めるつもりではある。
注意:僕の勝手な考察なので、違うかもしれない。

 今回のテーマは時代背景に基づく基礎設定のバランス調整だ。だからこの映画がどのように面白いか、例えば生命倫理に対する姿勢としてどのように興味深いか、というこの映画に対して一般的に語られそうな感想は全て省略する。僕が語っても通り一遍でさほど面白みはないので、Filmarksや映画.comをご参考にされることをお勧めします。
 そんなわけで今日は映画の話から。

2つの映画の共通点

 フランケンシュタインは死体をつなぎ合わせて『ぼくのかんがえるさいつよの兵隊』を作った。バース/リバースは人由来の生成物をもちいて『死んじゃった娘』をよみがえらせた。
 いずれも人の命を作る/またはよみがえらせる話であり、そこに感動は生まれる。そしてその行為の意味として、きちんと過分にグロい。つまりその行為が禁忌であるらしいことは、映像から明らかとなっている。

2つの映画の違う点

 フランケンシュタインの想定時代はおそらく第一次世界大戦なんかの少し過去で、キリスト教的には禁忌な生命創造がフランケンシュタイン博士(フランケンシュタインは怪物の名前ではなく作った人の名前、以下は紛らわしいので博士は『博士』、怪物は『怪物』とよぶ。)がその知的好奇心という近代的に生まれた価値観に基づいて怪物を作り、創造主である博士は結果的に後悔する。
 バース/リバースはおそらく少し先の未来のSFで、生体材料というある意味人の素体を用いて母親の愛をキーとしてマッチポンプ的に作られた人を長らえようとする(この映画の内容的にはおそらく、蘇りではなく新たな命の創世だと思われる)。
 以下、2つの映画について科学的整合性キャラ造形について中心的にみてみよう。わざわざ科学的整合性を上げているのは、これら2つの映画がともに、科学を大きなテーマ・前提とした話だからだ。だから映画の種別によっては他のもの、例えば宗教とか社会状況に置き換えても良い。

フランケンシュタインにおける違和感

1.科学的整合性
 過去の話だから、現代の科学的知識に基づかないことはかまわない。劣悪な状況にある死体(バラバラ)を接ぎ合わせて雷を当てたら動き出すってことは今の科学ではありえないが、当時はありうると考えられてもおかしくはない(いや、おかしいだろうとは思うけど、フィクションなので)。
 博士は切羽詰まっていて、なんとしても怪物をつくり実験を成功しなければならなかった。そこで博士は戦場で拾ってきた死体を縫合して作り上げた。問題は、この映画ででてくる怪物の素体である死体は画面上、綺麗なんですよ。博士はわざわざ綺麗な死体をわざわざバラバラに千切って張り付ける。つぎはぎの怪物といういビジュアルをキープするために綺麗な死体をバラバラにして組み合わせ、結果成功率を下げているとしか思えない。
 つまり、過去の科学をベースにしても不合理なんだ。
2.博士のキャラが短絡的的過ぎる
 今から50年もさかのぼれば、今の人間と比べて大抵の人間は衝動的で短絡的ではある。おそらくこの映画のなかで主人公たる博士は狂気的だけど頭のいい人物として描かれている。けれど他の登場人物は常識的な行動をとるのに、博士だけが当時相応の、カッときて馬鹿みたいな行動を続けすぎるので馬鹿にしか思えないんだ……。
 つまり、現代からみると賢いはずの博士が馬鹿にみえる
3.テーマのブレ
 おまけ。
 キリスト教的視点では、人の手で人をよみがえらせることは禁忌であるけれど、描写が中途半端である。恐ろしく強いはずの怪物は、そこまで強く思えない。愛の話だとしてもなんで好かれるのかもわからないぞ。というところで、この映画で観客にどんなインパクトを与えようとしたのか、強い芯がないように思える。デルトロ監督なので怪物を書きたかっただけといわれれば、うん。

バース/リバースにおける違和感

1.科学的整合性
 ここは現代よりも科学技術が進んだ世界のはずなのに、感染症対策が全然なさそうにみえます。たとえば人体に有害な菌はフィルタリングしてるんだとかいった説明もなかった気はする。そもそもの話、人の生命活動が停止すれば防疫機能が失われ、放っておけば腐敗するはずなのだ。なのにそんなガバガバな状況で大丈夫、なのだろうか、という気持ち悪さが拭えない。
 現代でも手当されるべき標準治療が行われていなさそう。
2.キャラクター造形
 この話はマッドサイエンティストな女医と子を亡くした看護師なんだが、女医は詳しくは書かないがポンコツである。一方の母親は、現代の価値観を前提とできる普通の母親の代表のように描かれる。そしてこの母親の苦しみは現代と共通するものだ。なのにまるで悩まないんだよ。娘が本当に娘であるとかこれでよいのかとか不通に悩みそうなことを。葛藤がなく一直線だ。通常ありうべき悩みがない。
 現代でも考えうる通常の悩みがすっぽりぬけおちている。

小説における時代背景に基づく基礎設定のバランス調整

 さて、ここまで書いたことは全て僕の感想です。僕も1回見ただけなので僕の勘違いの可能性も大いにあるし、そもそも普通はそんな細かいところを気にしたりしないよ警察みたいだっていう意見もあるだろう。
 でも上記の考察が僕の勘違いや勘違いだってそれはそれでかまわない。創作物において現在でない映画を描く場合は、その接続性を気にしなければならないということに気づいたこと自体に意味がある。

 創作物を見るのは誰かというと、それは現代の観客だ。そして創作物が過去、未来であるときは、当然ながら現代とギャップが存在する。これが文化が違う平安時代や技術の創造が付かない銀河戦争程度に隔たれば、ああこれ現代とは違うある意味異世界の話なんだと納得して、様々な差異はさほど気にならなくなる。
 ところが卑近であれば、現代と比べてしまうのだ。異なるところはやはり説明が必要だろう。

 フランケンシュタインは過去の話だ。
 冒頭からも映画全体からも、一部では些かスチームパンク感はあるものの、現在時点と比べて過去である。現在の人間より不合理であっても許されるし、科学的知識が乏しくても問題はない。
 この映画は博士にフォーカスしているが、博士は特殊な存在である。賢き博士は狂気的であっても賢くなければならない。これがこの映画における絶対的なキャラロールだろう。神に迫る科学は馬鹿じゃ務まらないんだよ。けれど当時の時代の人間の平均にあわせたとしても『現代』からみて博士の行動が愚かしくみえるのであれば、その愚かしさを紛らわせるべきだろう。
 例えばストーリー上の愚かしき行為を他には方法がなかったことを強調して愚かしく見せないようにするか、周りの人間をより愚かしくみせなければ、キャラクターが破綻する。
 この映画で死体を組み合わせるビジュアルがマストであるならば、素体自体を劣化させればいいんだ。幸いにも博士がまともな死体を手に入れることが困難な状況がこのストーリーでは用意できる。

 バース/リバースは未来の話だ。
 この話の主人公である看護師はフランケンシュタインとは異なり、普通の人間が想定されている。普通の母親が娘を失い、そして娘を生かし続けようとして狂気に手を染める。その理屈は現代の人間と異ならない。その分、通常持つべき『現在の娘』がなんなのか(どういう状況か)という疑問や生命倫理的に大丈夫なのか、或いは女医を信じていいのかという普通に持ちうる悩みを全くもたず、女医に全掛けするところに違和感がある。というかポンコツな女医より普通のはずの看護師のほうがよほどサイコパスみを感じる。手段をどうしようっていう悩みはわかるんだけどさ、普通はそれより前のところで悩まないかなっていう疑問。普通で、長期間を描くならね。それが一度も気にならないのは正直違和感でしかない。
 それから保菌状況とか気になるけれど、そんなものは『すでに解決した課題だ』と明言して謎の装置を置けばことたりる。治療風景が現在とさして異ならないんだよな。無菌室的設えにはしてあるけど無菌室内が菌だらけにみえるっていうか。

 結論として、その時代においてあるべき人間の姿、というのがあって、それは現代と異なることは大いにある。それならばそこに説明を加えなければ、本来想定しているキャラロールとずれてくる。
 見ているのは現代の人間なんだから、登場人物を現代的人間で描くのが一番簡単だと思うけれど、そうでなくあくまで現地(過去/未来)の人間として描くのなら、現代とは異なる点をきちんと説明しないといけない。説明過多なのもよくないとは思うんだけどね。

 そんなわけで基本的に引っかかったところばかりあげつらってる気はするけれど、フランケンシュタインの方は浪漫的な部分や小道具なんかは結構好みだったし、バース/リバースはキリキリした神経痛じみたところは面白かったです。それに両方ともグロかったしね。
 Netfilix様におかれましては、面白い配信をいただきまして、まことにありがとうございました(ヨイショ。

あとがき

僕は基本的には内容やキャラの面白さより、最後までノンストップで何の引っかかりもなく読めることを目標において書いているから、ちょっとした違和感にひっかかりまくるんだろうな。一度引っかかったらちょっと冷めちゃうんだよね。それで引っかかり続けてしまうと白けるから。
でも往々にして自分で書いてるとそれがよくわからなくなるんだろうなとは思う。なので多角的な視点を持つにはどうすればいいのかなぁといつも考えてる。いい話が書けるといいな。
卑近な時代というと明治時代をよく描いてるんだけどさ、あれは意図的に主要登場人物の頭のなかは現代の人間と同じにしてるんだ。当時からみると大分進歩的な人間というやつ。現代的な視点で明治時代の風習なんかを見てるからその差異が際立って楽しいな。
さてこのコーナーはすでに更新が終了しているけれど、公募を補足すればこんな風に帰ってくるかもしれません。
それではみなさま、ごきげんよう。

◆このエッセイが含まれる映画考察

◆140字の映画レビュー

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