【短編小説(SF)】ユフの果樹園 7000字
[HL:愛するストゥに贈る、たった一つのもの]
西暦2262年。ユフ暦80年ともいう。
80年前にユフと名付けられた隕石が落ち、ユフに付着した微小なウィルスが世界に毒を振りまいて、あっという間に僕の国の人の数は3分の2まで減った。僕らの国は毒に抵抗するため、最初に肺から侵入する毒を分解して無毒化するための触媒、酵素を作りだせるよう遺伝子を改変した。
けれどもそのころには、すでに世界はユフによって重層的に汚染し尽くされていて、濃縮されてしまった毒は多少の酵素じゃ中和できないレベルに達していた。
少し、間に合わなかった。
だから、僕らは酵素によってなんとか無毒化できた食物を口にした。つまり、僕らが食べられるのは人間だけだった。
肝心の酵素は人体の中でしか作れなかったから。
当初はこの改変を拒否する人間もいた。でもユフの毒は強力で、そんな人たちはとっくの昔にみんな毒で滅んだ。酵素がなければ、あっという間に体中が毒で汚染されて死んでしまう。
今生きているのは酵素を持った、100年前と比べて3分の1ほどに数を減らした人間たち。ここ20年ほどでようやくバランスを取ることに成功して、人の数をほんの少しだけ増やすことができた。
人類の未来にほんの少しだけ明るい兆しが見えていた。
「3番、前菜です!」
その日も厨房は熱気とコンロの熱で沸き立っていた。溢れかえる様々な食材の香り。僕の声に、ギャルソンが慎重に皿をすくいあげてホールに向かう。
僕が働く『ヴァニタス』は、今最も注目されている最先端のレストラン。どんなに科学技術が発達しても、新たな味覚の発見に機械は取って代われない。それは日々、移り変わるものだから。
僕の仕事はアントルメティエといって、前菜やスープを作る担当。毎日食材を切り分け、皿に盛って、ソースで幾何学的な絵を描く。
この仕事は結構好き。今も2皿、素敵な絵が描けた。昔から絵を見たり描いたりするのは好きで、この職場にいられるのも僕の美的センスが買われたんだ、と思う。
この絵はね、僕の大事な人が好んでいたもの。
同僚や先輩からなんの絵? ってよく聞かれるけど、説明はちょっと難しい。僕の秘密に関わることだから。
僕の秘密、その前提となるこの世界のこと。
僕らは人を食べないといけなくなってから、知恵を絞って考えて、人を2種類にわけた。
『果実』と『庭師』。
『果実』は20歳までのランダムな時期に、必ず食材となることを運命づけられた人たち。その定められた収穫期が訪れるまでは、働くことなく思うがままに楽しく過ごす。趣味に生きる人も享楽にふけって暮らす人も多い。どこにでも行けるし欲しいものはなんでも手に入る。
『果実』の人生に苦しみや悲しみは存在しない。科学の発展で病気になんてならないし、なってもすぐに無料で治療される。
良い食べ物には良好な環境を。昔からも言われていること。
『庭師』の役目は2つ。
1つ目は『果実』への奉仕。
『果実』が収穫されるまで、その幸福と健やかな人生に奉仕する。
2つ目は伝統の承継、つまり人間性の残滓の保護。
『庭師』は古い技術を学んで発展させ、毎日新しい試行や表現を考える。腕を磨いてデータにできない人の技を紡ぎ、何百年も前の人間性を次代の『庭師』に引き渡す。だから仕事に誇りを持つ人が多い。
変わってしまった僕らの世界に、それでも人間を残したいという微かな願い。
でも、『庭師』の生活は『果実』と比べてとても質素だ。朝から晩まで『果実』のために身を粉にして働き、その対価となるいくばくかの金銭で、その夜を生きるために必要な分だけのわずかなスープを得る。
それに『庭師』は長く生きるけど、苦しみや悲しみも容認される。病気という欠損は人の感性には必要なものだから。治療は高額で『庭師』はなかなか払えない。
前時代では人を2種類にわけるのは非人道的とずいぶん議論になったみたい。でも、結局僕らは人を食べないと生きていけない。『果実』ですら、『果実』を食べて成長する。
だからそんな議論はとっくの昔に終わらせて、『果実』には光り輝く圧倒的に幸福な人生という対価を支払うことにした。
僕が働く『ヴァニタス』のお客は『果実』ばかり。
『ヴァニタス』では多くの『庭師』が毎日技を磨き、新しい味を作り上げている。僕も毎日、皿の上を新しいアミューズで満たし続ける。
最先端の食事を提供する『ヴァニタス』は、特権を持つ『果実』でもすぐには予約がとれない数少ない人気店。お店の席数は限界があるから。
『果実』が注文した次の皿に、冷蔵庫で冷やしたテリーヌを型から外して切り分ける。これは僕の自慢の皿。この店でも特に人気が高くて、『果実』たちは僕の皿を食べて笑顔になる。
僕が今皿に並べているテリーヌの原料も収穫された果実の一部。果実は収穫されたあとは、酵素が維持される可能な限りの限界点まで組織を培養されて、元の体積の何百倍かの量になって、『果実』や『庭師』に供される。
7割の人は『果実』になることを選ぶ。
『庭師』の中には、とびぬけた才能で莫大な給料を得て、『果実』にも匹敵する生活をする人もいるようだけど、そんなのは本当に一握り。ほとんどの『庭師』の人生は、客観的には『果実』に比べて不遇だから。
8歳の誕生日、運命の日。僕らは自分で将来を選択する。
親が『果実』でも『庭師』でも関係なく、平等に。
だから子どもは選択の時までに世界の姿を見定めることを推奨される。親と過ごしても良いし『果実』と同様に自由に過ごしてもいい。
6歳ごろから『果実』のように暮して、ツアーを組んで世界を回る子どもが多いかな。
8歳で『果実』を選べば、以降は『果実』として生活するようになる。『庭師』を選べば本人の希望と適正に合わせて見習い仕事を始める。
最初はクローンを作って食べようという話もあったらしいけど、クローンが不平等で可哀想だという声が上がって、結局全人類が平等に自分で選ぶことにした。
「アニュ、明日の予定はあけてるんでしょうね?」
調理器具と熱気が行き交うガチャガチャとした空間の隙間に、小さな秘密を共有するような、少し悪戯っぽいストゥの声が差し込まれる。僕の後ろで調理する彼女はストゥ、このレストランのパティシエールで、僕の恋人。明日は僕もストゥも月に1度の休みをとっている。
最近ストゥに結婚を迫られている。
でも、僕は彼女に隠しごとがあって、返答できずにいる。
僕が思う『庭師』と『果実』の一番の違いは、『庭師』は長い人生を共にする伴侶を得ようとする傾向があること。
いつも隣にあなたがいる、そこから生まれる安らぎと信頼、安心感。大地で支え合って暮らす『庭師』には必要なこと。
だから、結婚したいというストゥの希望は『庭師』として普遍的なものだ。人生が短くて、樹上で踊るように享楽的な暮らしを渡り歩く『果実』は、誰かと長く付き合うという発想はあまりしない。
でも僕が結婚と聞いて一番に思い浮かぶのはストゥじゃなかった。
僕には好きな人がいた。僕が最も長い時間一緒に過ごした人。
テムという同い年の幼なじみで、明るく元気な人だった。彼女は8歳の時に『果実』を選んだ。でも、『果実』を選んだからって生活が劇的に変化するわけじゃない。『果実』と『庭師』の生命の扱い以外の違いは、『庭師』は物を手に入れるには金銭が必要だけど、『果実』は多くのものが無償で手に入るってだけ。
テムは自然が好きで、毎日楽しくキャンプして過ごしていた。たまに僕も同じテントで過ごした。
『果実』と『庭師』は価値観が全く違うから別々のグループで生活することが多いけど、テムは自然が好きだったから1人で山にいることが多かった。『果実』の特権も新しいキャンプ道具を手に入れることに使うくらいで、『果実』らしい贅沢もしていなかったと思う。
「本当に『果実』でよかったの?」
そう聞くと、テムはいつも、十分楽しいと長い髪をかきあげた。
1日ずっと風と森の湿度を感じて、晴れた日は草の上に寝転がって地面の香りを楽しんで、雨の日は木の上にたてたログハウスで目を閉じて、世界に落ちる雨音の変化に耳を傾ける。
食べたい時にご飯を食べて、寝たい時に寝る思うがままの生活。
朝起きた時にアニュがいると、贅沢な気分になるよ。
テムはいつもそんな少し恥ずかしいことを臆面もなく言う。
「『庭師』は月1回くらいしか休めないしキャンプ用品も買えないでしょう? だから私は『果実』でいい」
一般的な『果実』は着飾って、おいしいものを食べてというイメージがあるから少し違和感があるかもしれないけれど、テムは欲しいものを全て手に入れた。
とても幸せそうな笑顔でテムはいつも言っていた。
追加でほしいものなんて何もない。
だから、頭のてっぺんからつま先まで、ぜーんぶ幸せ。
テムは17歳で収穫された。『果実』の平均寿命より少しだけ長く生きた。そのとき僕はたまたま隣にいて、テムは眠るように安らかに目を閉じた。昼寝でもしているのかなとのぞき込んだ笑顔は、とても柔らかかった。しばらくして、係の『庭師』がテムを丁重に運んで行った。
僕はテムが望み通りの一生を幸福に終えたと感じて世界の糧となったことを祝福した。
『果実』は予め、遺言で収穫の中のほんの一部を誰かに贈ることができる。そしてその遺言は『果実』が残せる唯一のもので、だからこそ『果実』の残した想いは贈られた人に必ず伝わると強く信じられている。
僕は小指の先ほどの大きさに加工されたテムをいつものスープに混ぜて食べた。
それから僕の料理にはテムの息吹が、テムが感じた風や土がまじるようになった。料理を作るときに、テムの好きだった木の上でゆらぐ優しい光とそよぐ風の音を感じられるようになって、僕はそれをそのまま皿の上に表現した。
「ねぇ、聞いてるの?」
ストゥの心配そうな声で我に返る。
今日は少し贅沢してカフェに来た。『果実』が入るような立派なところではないけど、機械が運営している『庭師』用のカフェ。
データから昔の料理の味を再現してもらえるから、休みの日には勉強がてらデートに来ることが多い。
熱い紅茶と、ロクムというデンプンとナッツの入った甘すぎるお菓子の味に再現されたものを口にしながら、僕らは結婚について話していた。
「ストゥのことは大好きだけど、結婚は慎重に考えようよ。僕はストゥにふさわしくない」
「私はアニュが好きなの。アニュはとっても面白いし、アニュの料理もとても素敵。アニュと一緒にいたい。……どうしても駄目? 他に好きな人でもいる?」
好いてくれることは純粋にうれしい。でも、僕の料理はテムの愛した風と土のイメージだ。『庭師』は休みが少なくてあまり自然と触れ合ったりしないから単に新鮮に見えるだけで、それは僕の力じゃない。僕の中にはテムがいる。
このやりとりも3回目。
ストゥはなにも、僕の恋人の存在を疑っているわけじゃない。それはわかっている。『庭師』は朝から晩まで働いて、僕は休日と夜もストゥと過ごしている。職場も同じ。出会いもないし、浮気なんかする暇がないことはストゥもよく知っている。
「今好きなのはストゥだけだよ。でも僕は本当に、誰かと一緒になるつもりはないんだ」
ふと見上げると、薄暗い半地下の喫茶店の天窓からは『果実』たちのカラフルな靴が弾みながら行き来しているのが見えた。
『庭師』よりずっと多い『果実』たちは、たわわに実るみずみずしい白桃のように人生を謳歌して、いまにも落ちて収穫されるのを待っているようだ。
「今から『果実』になろうと思っても無理なのよ?」
僕の視線の先に気づいたストゥはため息とともに言う。
途中の変更が無理なことはもちろん知っている。だから僕らは8歳までに世界を見極める。
『庭師』と『果実』の生活格差は大きい。だから一度『庭師』を選んだあとで『果実』になりたがる人間もいないことはない。けれど結局『果実』の賞味期限は20歳。うらやむようになるころには賞味期限が迫っている。
僕が20歳になるまではあと10日ほど。それに。僕には多くの『果実』たちが歩む刹那的な人生は、やっぱり性に合わないなと感じる。料理を作るのは好きだし、料理で『果実』たちに喜んでもらうのはうれしい。味見でストゥにおいしいと言ってもらえることも。
「ストゥ、別れよう。僕はストゥの思うような人間じゃない。それに『ヴァニタス』もやめようと思ってる」
その時のストゥの表情を見たくはなかった。
「……何をいってるの!? 別れるのも嫌だけど、あなたはずっと『ヴァニタス』で頑張ってきたし認められてきたじゃない。別のところにうつるとまた1からスタートよ?」
信じられないというようにストゥは目を見開いた。やっぱり。
『ヴァニタス』は他よりもずいぶんいい職場で、普通はよっぽどじゃないと転職なんてしない。それに僕は確かに『ヴァニタス』の中でも将来を嘱望されていた。
「でも、もう決めたんだ」
「ええと。引き抜きでもあったの?」
「ううん、やめるだけ」
ストゥはますます混乱した目で僕を見た。
ほとんどの『庭師』はギリギリの賃金で暮らしているから、新しく10歳相当の見習い賃金で再スタートするのは自殺行為だ。10歳の時より僕は食事量も増えているし、普通に考えて、休みなく働いても食事がまともにとれるかどうか。
「あなたが何を考えているのかわからないわ」
「そう……だろうね、僕はストゥと一緒になれない」
目を伏せてつぶやくと、紅茶のカップに乗せた僕の右手にストゥの左手が柔らかく重ねられた。視線を上げると、ストゥの熱を帯びた目から誇りが揺らめていた。それは『庭師』を選んだ人間の寄りどころだ。
「そんなことじゃないの。別れるのは嫌だけど、あなたがどうしてもというなら仕方がない、と思う。でも『ヴァニタス』はやめないで。私はアニュの料理も大好き。あなたの料理は世界を変える域に到達すると思う。料理はあきらめないで。どうか」
「そういってもらえると嬉しい。僕も料理は好きだから」
ストゥとの間の話は曖昧なまま、喫茶店を出た。ストゥは僕を心配して引き留めたけど、結局手を振って別れた。僕はもう決めていたことだから。
僕はその足で『ヴァニタス』に向かい、料理長に退職を願い出た。引き留められたけど、理由を話すと料理長は理解をしてくれた。とても驚いていたけれど。
仕事がなくなった僕は、テムが好きだった空を見上げる。空はずいぶん高いところまで澄み渡って、月がうっすらと昼の空を漂っているのが見えた。
軽くなった足取りで『果実』たちを真似て、踊るように石畳を踏んでみた。
僕は生まれて初めて特権をつかって、10日分の食材と、それから予定になかった便箋を2通買い込み、テムと過ごした懐かしい森に足を向けた。
便箋の1通は、遺言。
もう1通は、ストゥへの手紙。
大好きなストゥへ
ストゥ、隠しててごめん。
僕は『果実』なんだ。
8歳のときに、好きに生きると決めて『果実』を選んだ。
『庭師』として働くストゥにはわからないかもしれないけど、
今も今までも『果実』として好き勝手に自由に生きてきた。
前にも話したことがあるけど、テムっていう幼馴染がいたんだ。
とてもテムが好きだった。
テムは僕の料理が好きで、僕は料理をテムに食べてもらいたかった。
だから料理を覚えるために店に入って頑張って修行して、月に1度休みをとって、テムに修行の結果を披露した。
でもテムは僕より先に収穫されてしまった。
ストゥに会えてとても感謝している。
テムが収穫されたあと、僕は心にぽっかり穴があいた。
そんな時に、ストゥが話しかけてくれて、僕はストゥのことをテムと同じくらい好きになった。
真剣に僕のことを見てくれて、僕の身を案じてくれた人はストゥだけだった。
ストゥは自分の誇りをしっかりもっていて、地に足を付けて歩いている姿がとても眩しかった。
でも、僕はストゥとの仲がこんなに深まるより前に収穫されると思ってたんだ。
いつ収穫されてもおかしくない年だし、20歳までに収穫されることは決まっていたから、好きに生きてパタリと眠っておしまいだと思ってた。
でも結局、20歳の10日前まで生き伸びてしまった。
だから変に返事を先延ばしてしまってごめん。
本当に、もっとはやく収穫されると思ってたんだ。ごめん。
今日、僕の料理をほめてくれてとても嬉しかった。
『果実』の僕が何かを残せるなんてちっとも考えていなかった。
ストゥに何かを残したいって初めて思った。でももう時間がない。
だから僕が考えたレシピを書いて、遺言をストゥに贈ることにした。
僕の料理をストゥに伝えたいと想いを込めるから、もしストゥが僕の料理を作ってくれたらうれしいな。
でもいきなりだし、やっぱりちょっと重たいし、だからそのまま捨ててもらってもかまわない。
これも僕が『果実』として好き勝手してるってだけだから。
嫌なら本当に気にしないで。
ストゥ、ありがとう。本当に楽しかった。
ストゥにあえてうれしかった。
あと、僕のことはすっぱり忘れてほしい。
僕は食べられるための『果実』なんだから。
それから、ストゥに幸せが訪れることも心から願ってる。
どうか、ストゥがいい伴侶に出会えますように。
アニュより
Fin
表紙

-ユフの方舟シリーズ紹介
西暦2182年。ユフという名の小さな隕石が落下し、地球に毒が振りまかれた。そこから世界の様相は大きく変わった。だからユフが落下してきた年はユフ歴0年と呼ばれている。
その大きすぎる変革に人々は様々な方法で対処しようとしていた。
これはその中のある国のお話。
