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本雑綱目 102 山本成之助 川柳医療風俗史

今回は山本成之助『川柳医療風俗史』です。
ASIN:B000J98RG6
NDC分類では911。文学>詩歌
前提知識必要度(江戸時代の風俗):★★☆☆☆
1972年の古い本。川柳は詩歌といえば詩歌なのか。


これは乱数メーカーを用いて手元にある約6000冊の本から1冊を選んで読んでみる、ついでに小説に使えるかとか考えてみようという雑な企画です。時々恣意的に選んでいることもあります。

★図書分類順索引

1.読前印象:山本成之助 川柳医療風俗史

 川柳ってよく知らないんだよね。短歌と同じ5.7.5だけれど季語がなく口語的なもののイメージ、うーむ? 僕が気になるのは主に医療の方だ。
 とりあえず開いてみよう~。

2.目次と前書きチェック

 序文を読む。
 医学史は単純に医学の発達だけを対象としてはだめで、広い意味での医療倫理などを含まなければならない。社会における医の姿、ある国のある時代に医者が庶民の中でどのような位置づけであったのかも重要な問題で、川柳はこれを読み解く重要な資料である。例えば江戸時代の川柳では労咳(肺結核)の原因に精神的要素が多くみられた。明治大正となり医療の姿が大きく変化したことも、川柳によく出ている。
 自序を読む。
 資料に川柳を選んだのは、文芸家等によらず市井の名もなき庶民によって詠まれ、入手集録が容易であるからだ。民の声として偽らざるものを聞いてみよう。
 あっこれ丁度気になってたやつ。市民視点の資料は驚くほど残らない。市民はわざわざその時の風情を自ら記録に残さないし、新聞なんかは色々な調整において記されるので。
 目次を読む。前篇・江戸時代の医療風俗として『医師の階級』、『医育』、『診療風俗』、『各科の医師・産婆』、『医業経営』、『医者に対する批判』、『各種の病気』、『各種の薬種』、後篇・明治・大正時代の医療風俗として『漢・洋医学の交代』、『医育』、『診療風俗』、『各科の医師・その他』、『新医学・医療器具』、『医業経営』、『医師に対する批判』、『各種の病気』、『各種の薬剤』、『衛生』。
 やべ、全部読みたいけどとりあえず内容の把握が目的なので……。
 前篇・江戸時代の医療風俗から『診療風俗』、『各科の医師・産婆』、『医者に対する批判』、『各種の病気』、後篇・明治・大正時代の医療風俗として『漢・洋医学の交代』、『診療風俗』、『新医学・医療器具』、『医師に対する批判』、『各種の病気』を読んでみます。
 いつも通り前段はまとめ、後段は感想・雑感。

3.中身

前篇・江戸時代の医療風俗『診療風俗』について

 吉原は医者以外は駕籠に乗って入ることを許されず、その駕籠を御免駕籠と呼んだ他、医者の往診・診察などの様子についての川柳がならべれている。
 えっと……簡単な語句説明はあっても内容の解釈はまったくないな(困惑)。基本的に医者との距離感がよくわからない。なんとなく、職人の一つのような区切りで、命を扱うから一定敬われてはいるようだけれど、基本的にからかう語調のものが多く、なんとなく治るかどうかは医者の腕という以上によい医者に当たるかどうかの運命次第、という感覚を受ける。多分医療技術に普遍性がなかったんだな。まあ医師に免許もなく徒弟制度だからあけてみないとわからない。

『各科の医師・産婆』について

 本道と称する内科、外科、児科、眼科、産科が主流で、この他に歯医者、骨接ぎ医者があり、売薬商人が病気の相談に応じることもあった。外科は性病科の診療も行った。外科は荒事に対処することが多いので盗賊の手がかりを得る一助となり、外科は怪我が多いところに越していって朱に染まる。産科は賀川玄悦が産科を開くまで医術としてみるべきものはなく、ほとんどが堕胎に限られた。胎児の隔月の姿を仏具にたとえ、五ヶ月以後は仏像の姿になるので降ろせると信じられていた。
 外科はスーパードクターKとかそんなイメージになってきた。読んでると産科医は女性が多そうで、儲かってそうな感じがある。(妊娠しないから)張型を使うなと指示するのはシュールだ。相手の有無の問題のような気もする。そういえばこの頃の張形は角を加工したものの中に湯を入れて使うと聞いた。なんの角? 牛? そういえば産科医と産婆は江戸時代ではそもそも別ルートの徒弟制度だけど、業態として被るところも多かった気がする。そもそも医師に免許(基盤となる知識共通)がないので、産科医より専門知識の高い産婆も多かったのだろう。

『医者に対する批判』について

 医師免許がないから未熟な医者や藪医者も多くいた。藪医者は野巫医(野良の呪術を使う医者)に由来する。
 『供の医者、盛り殺したに相違なし』等この項目の川柳はどれも物騒で興味深い。藪医者は一定いるものという常識がおそらくあって、どんなやつが藪医者かっていう話が相当人の口に上ったのだろうなと思われる。

『各種の病気』について

 癪(いわゆる持病の)は女性にのみ発症する神経症・ヒステリー等で、患者は不快によって発作を起こし慰安によって軽快する病気とされた。仙気は下腹部・睾丸が痛む病で、寒いときに発症する。腎(精液を作る臓)が欠乏すれば腎虚となり、房事過渡が原因である。霍乱かくらん(いわゆる鬼の)は夏季に飲食によって起こり、激しい嘔吐をもたらす。現在の急性腸炎にあたる。疱瘡は種痘・天然痘で、七年毎に流行する。児童の周りを赤づくめにすると治ると言われ、初期の疱瘡は紙燭の光で診断した。麻疹(はしか)は二十年毎にに流行し、命を落とすものが少なからずいた。労咳(結核)は咳が多く出る症状の他、精神の憂鬱が原因で発生すると考えられていた。傷寒は腸チフスでおこりはマラリヤである。瘡毒・瘡は梅毒であり、治療に金箔を傷口に貼った。淋病は本来排尿困難を起こす病気全般の総称だが、幕末ごろから今の淋菌性尿道炎を指すようになる。
 梅毒で湯治をするとただ感染を広げるだけではないだろうか。ローマのテルマエも梅毒の感染ルートで廃止になったし。ところで発掘人骨の調査で江戸時代の罹患率は人口の半数以上という話も聞くし、梅毒になった遊女(一度なればもうならないと信じられていた)は縁起がいいという風習も強かったから気にしなかったのかも。結局その遊女も再発するわけで、一度治ったように見えても時間によって再発して鼻が落ちれば客はつかず下級に落ちるわけで、感覚がよくわからないな。多分この頃の人間は未来をみるということがあまりなかった気はしなくもない。先の副将軍、のように先という言葉は昔は未来ではなく過去を指していたわけで、未来は予測できす考えても無意味なものとして、庶民の中で未来のことを考えるという概念は乏しかったと思われる。

後篇・明治・大正時代の医療風俗『漢・洋医学の交代』について

 新政府はドイツ医術の採用を決め、明治七年に医制、同八年に医師試験法が発布された。西洋医学はコレラ等の伝染病医療や日清日露等の軍陣衛生に寄与した。従来の漢方開業者は試験不要だったが、もっぱら家庭医として続き、明治中期以降は家庭医も西洋医が一般化することになった。開業医割合は明治七年は19%、同三十一年になっても3分の1である。西洋医は水薬をよく用いた。
 どの程度の勢いで西洋医が増えていったのかよくわからないが、西洋医となる研鑽元はお雇い外国人が所属する各種学校だったような気はする。従軍医は西洋医だろうから、その信頼は創傷の縫合などの外科手術を中心に明治大正期の戦乱・戦争を通じて庶民の間に広がっていった気もしなくはない。そういえば西南戦争の折に赤十字の元となる博愛社が陣営かかわらずの野戦治療をしていたから、新政府には親しみがより大きいのかなとは思うけれど、庶民への浸透というとまた別の過程なのだろう。基本的に伝染病の治療というよりは疱瘡の種痘やコレラ隔離の効果が目に見える西洋医学の発露なんだと思うけれど、そもそもコレラは外国から持ち込まれた病だし、それも含め西洋への不信が強かった時代と記憶している。と考えれば、十人十色だったのかもしれない。

『診療風俗』について

 医者の内診状況や往来を読んだ川柳が紹介されている。
 漢方医と西洋医の区別なく川柳が並んでいるけれど、江戸時代と傾向としてはさほど変わってはいなさそう。ということは漢方医についての川柳かもしれない。診断書というものができて藪がわかるという記載は興味深い。確か火葬には医師の死亡診断書が必要だったはずだけれど、それ以外の診断書ってどの程度発行されてたんだろう。

『新医学・医療器具』について

 江戸時代後期から行われた窮理きゅうり学とは物理学の意であり、舎密せいみ学とは化学の意である。当時の舎密学は物質を溶解し変化させる学問とされた。解剖学は既に江戸時代蘭方医学によって行われていたが、腑分けの呼称は解剖で統一された。性器を造化機と呼び、関する諸知識を造化機論と呼び、多数の著作が出る。呼吸器はマスクにあたるもので、明治十年には肺病やコレラ、スペイン風邪予防に効果があるとされた。
 新しいものが様々現れた様子は描かれているものの、庶民視点の川柳なのでマスクとか患者側視点の者が多い。実際の手術風景は麻酔をしてると患者はわからないかという気分。ところで腑分けが蘭方医によって行われたと書いてあるけれど、本邦で最初の腑分けは山脇東洋やまわきとうようが行った。彼は実践重視の古方派の宮廷漢方医だったはず。これによって蘭医学の正確性を明らかにし、その後杉田玄白らがターヘルアナトミアの和訳に着手する。当時腑分けというのは文化的に禁忌中の禁忌だったので、現代からは想像できない様々な葛藤(内外)があったと思う。

『医師に対する批判』について

 文明開化後、漢方医師は奇人扱いされてその商売は縮小したが、西洋医師にも稚拙なものが多かった。不品行は糾弾された。水薬という言葉が出れば西洋医の意である。
 この本の話とは若干外れるのだが、多分江戸時代までは仁という概念が普通に生きてきたけれど、明治以降急速に廃れている気配がある。なんとなく西洋の個人の博愛というのは隣人どまりで、全体の救済はお神がやるものという風俗が発生し、多分明治政府は権力を統合するためにそれに乗ったような気はする。やっぱり明治は予想以上に価値の転換点だな。

『各種の病気』について

ーまとめ
 疝気は睾丸が腫れて下腹部が痛む病気。癪はヒステリーの漢方名で、弱い立場に立つ女性はヒステリー発作が自衛手段だった。疳癪かんしゃくは神経過敏で怒りやすいことを指し、疳は小児の引付であり、疳の虫が引き起こすが、子どもが成長するにしたがってなくなる。
 西洋医学の病名は二種類あり、現代も使われる「コレラ・ペスト・マラリヤ・ヂフテリー」といった原語のままで病状が明確であるもの、現在では用いられない「胃病・脳病・神経病・肺病・子宮病」といった器官名に病をつける症状が不明確なもの。流行語的に命名された「台湾坊主・南京虫・水虫・神経を病む」という言葉は民衆に浸透し、現在も残っている。「脳病、神経病」は精神病を指すが、「神経病む、神経起こす」は物事が病的に気にかかる状態を指す。
 脚気は元禄時代から江戸煩いと呼ばれ、明治大正期を通じて原因不明で伝染病である等といわれ、昭和になって原因が解明された。転地をしたり裸足で朝露を踏むのが有効とされた。
 天然痘は明治三・七・九・十年に流行し、同十八年以降は患者数も増加したが、種痘の励行により同三十年ごろに激減・消滅に向かう。幕末から種痘は行われていたが浸透せず、明治九年に天然痘予防規則を制定し、種痘の結果を戸籍に記し拒んだら罰金を課した。
 コレラは幕末に三回、明治十二年の大流行では患者十六万人に達した。その後も流行したが明治二十年代になると民衆理解と西洋医学(細菌学)が普及し、同三十五年の流行を最後として大流行は跡を絶つ。コッホがコレラ菌を発見した後も、石炭酸が有効という迷信は残った。明治三十二年、三十五年、三十八年にペストが流行し大正末年まで毎年発生したが、昭和になってその跡を絶つ。
 梅毒等の名称は減少傾向をたどり、明治三十年ごろから花柳病という呼称が増加する。サルヴァルサン(ヒ素化合物、梅毒治療薬)が発見されるまでは治療法は水銀療法か湯治しかなかった。水銀を摂取すれば皮膚の発疹は消えるが流涎過多(涎が垂れる)や歯齦炎しぎんえん(歯肉炎)の副作用がある。明治三年に検梅が始まって後、恐れて自殺する娼婦が出た。検査日は同六年の月2回、同十二年は月四回、同三十三年は週二回以上と間隔は短縮された。
 明治十五年に肺病が増加し、同二十三年にコッホが結核治療剤ツベルクリンを発表し、翌年には本邦に入る。同治三十三年の結核死亡者は66408名に達し、総死亡率の7.1%に至り、湘南に結核療養所の設立がはじめられた。江戸時代からの労咳の病名は明治末まで続き、肺病は明治・大正期を通じて現れ、明治三十年から肺結核の病名が用いられた。海岸沿いに療養所がつくられたのはオゾンが多く治癒に有効と考えられたため。
 明治初年の癩病患者は十五万人とされるが、同三十四年の調査では三万四千人。明治初期に癩療養所が設置されて患者が収容されたが、同四十年に患者が社寺や公園等を徘徊したため病毒伝播の防止のために後のらい予防法が公布される。
 赤痢は明治八年、悪性伝染病に指定され、医師に届け出義務を命じた。明治二十年代から全国的に流行し、明治三十年の流行で志賀潔は赤痢菌を発見する。明治二十五年ごろから各県に狂犬病が発生、獣疫予防法に加えられ、大正十一年に家畜伝染病予防法が制定された。

ー感想
 西郷の疝気は象皮病じゃないのかな。癪の書き方をみると、ブチ切れることが社会的に許容されていた、ということだろうか。ともかく知りたかった情報は結構ここにあったわけ。
 そもそもの話、現代の病名は江戸時代に全く通じないからいつも困るのだ。病気の概念から結構違うんだが、その辺はもっと詳しい本があるから譲るとして、例えば現代から見た特定の病気は江戸時代に存在しないのは当然で、江戸時代の病気も現在に存在しない。例えば『悪疾』はたちの悪い病気一般を指し、『早打片はやうちかた』は心臓病を含む肩の痛みを指す。そんな風に想定した病気にさせる(?)のも診断をつけるのもとてもたいへんなの。その辺を利用して色々書くのは面白いんだけど、まとまった文献がない。

まとめ

 結局全部読んだ。
 全体的に、川柳集だけど、5.7.5じゃないのも案外多い。ところで川柳から医療世相を表すというテーマのはずなのに、世相が浮かぶほどの川柳量がなかったのは若干残念。特に僕が面白かった明治・大正期の各種病気なんて、おそらくその変化がわかる川柳なんて存在しないのではないかと思う。それから全体的に川柳がどのように時勢に影響するのかという解説も乏しく、あっても字句説明に終始している。これはこれで興味深いところはあるものの、世相を表すというほどではなかった。というか肝心の時期を特定しながら読むのにも少し不足する。
 一方で明治期の流行病の状況なんかはその川柳数の変化の比較から、わかりやすいとは思う。つまり統計資料として川柳は有用だとしても、その個別の記載によって何かを導くことは難しいのではないだろうか。なぜならこれはあくまで庶民の感覚によるものだし、諧謔やらトンチやらを効かせたものなので、実際の病気事情は少し違うんじゃないかなという予感はする。どうせならどの時期にどのような病気の川柳がよく詠まれたか、つまり時代ごとに流行った病気の統計や傾向が知りたい。コレラや疱瘡はちょくちょく自分もつかうけど書いてる時代が少しアウトしてるのと、ペストのことはあまり知らなかったので勉強になった。
 小説に使えるかというと、悩ましい。例えば特定の医者を描こうとしても、対応する川柳がどれか判断がつかない。流行医者と藪医者の川柳は多く引用されているのだが、多分流行医者も藪医者も書く人はあまりいない気はする。うちの医者はちょっと特殊ではあるが、多分どの川柳にも当てはまらない。

4.結び

 僕自身川柳になじみがないというか、やっぱ川柳は忌憚のないところであるとしても空気重視な気はするので、当時の庶民感覚自体がやっぱりピンとこないなっていう。ピンとくるにはそれなりの風俗知識が必要なんじゃないだろうか。だからやはり当たるべきは日記なんだなっていう気はするけど民俗資料館とか近くにないし。
 次回はドクター・カバネス『鞭と梅毒 ヨーロッパの一裏面史』です。
 ではまた明日! 多分!

リクエスト企画

 蔵書が6000冊に達したので、読む本を5冊までリクエスト受け付けます。6/17現在おひとり様ご予約。残り4冊分。↓にDBの短縮URLをおいているので、リクエストがあればこちらからご連絡ください。

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全体的なやつで、確か江戸時代までの上巻。

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