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【短編小説(軽ミステリ)】砂浜と片栗粉と圧力 6000字

[HL:記憶喪失で自覚のない探偵]

 海風が心地よい砂浜に、東雲柊真しののめしゅうまはぼんやりと立っていた。秋口の空はあいにくの薄曇り。それにつられて海の色も藍に暗く、随分先の沖合だけが晴れているのか白がチロチロと能動的に揺れている。
 記憶の中の柊真はたいてい同じ、紺のセーターに白シャツに紺のスラックスをはいている。つまり高校の時と同じ格好。前に会いに来たのは夏休みの前だったから、3か月ほど前か。その時はさすがにセーターは着ていなかった。
「おい、柊真」
 声をかければ柊真はゆっくりと振り返り、年齢より少し子どもっぽい表情で目と目の間に困惑を浮かべた。その反応に、毎回のことだけれど、やはり最初は落ち着かない気分になる。
時田ときただよ。時田健吾けんご。高2の時同じクラスだっただろ」
「……そう……だったかな」
 柊真は自信なさげに俺を見て、しばらくしてようやく記憶のどこかと繋がったらしい。小さな溜息をついた。
「わかった。俺を知ってるなら、きっとそうだ」
 柊真は自身に向けて頷き、少しだけ納得したようにセーターの裾から手を離す。そうして少し歩いて閉まっている釣具屋のウッドデッキに腰掛けた。

「……時田はこの辺に住んでんの?」
 この辺。ここは海際の保養所で、近くには民家などほとんどないこともきっと柊真は知らないのだろう。ひょっとしたら今どこにいるのかも正確に知らないかもしれない。
「いや。神津こうづ大に入ったからさ、あんまりこっちの方にはこれない」
「大学……」
「ああ。今3年だ」
 柊真は俺を見つめたまま、何かを思い出そうとするように指を折る。柊真が交通事故にあって約4年経つ。俺が大学に入ってからの2年半分と高校の1年と3か月分の年月の差。簡単な年と月の加算が、頭の中では上手く計算できないらしい。だから毎回右手で年、左手で月を数える。会うたびにこの差は大きくなっている。つまり柊真が事故で頭を打って、新しいことを覚えられなくなってから経過した時間。そして事故より前のことも次第に忘れているらしい。今は俺にまだ見覚えがあるらしいけど、少しずつ印象の薄い記憶から失われていく。だからきっと、俺のこともそのうち忘れてしまうだろう。
 だから柊真を知っている人間は、時折柊真に会いにくる。親しかった人間も、そうでない人間も。

「今日はええと、敬老の日だったから休み?」
 とりあえず考え付いたという話題。
 久しぶりに会う最初は、こんな風にいつもぎこちない。隣に座れば、ギシリとデッキがかしぐ。
「まあそんな感じ」
「そか。大学ってどんな感じ?」
「いつも聞くよな、それ。でもどんなって難しいな。サークルしたりバイトしたり。俺はテニサーに入ってて、今は和菓子屋でバイトしてる」
 テニサーに入ったことは二年前から会うたびに話している。
「テニサー……和菓子屋……」
 少々混乱した表情なのは、その2つのイメージがあんまりそぐわないからだろう。
「その和菓子屋の律ちゃんて子に一目ぼれしたんだよ、俺」
「へぇ」
 興味のなさそうな表情に少しだけ面白くなる。
「お近づきになるにはどうしたらいいんだろうって相談したら、同じとこでバイトすればいいじゃんって言ったの、3か月前のお前だよ」
「そうだっけ」
「そうそう。あんときはありがとうな」
「……そうだった気がする」
 そのやや手探りな反応をみて、少しだけ罪悪感が沸いた。けれど別に嘘はついてない。

 東雲柊真は相談ごとに向いている。
 俺は高2の時、確かに柊真と同じクラスだった。けれど実はほとんど話したことはない。事故に遭って半年学校を休んだ時も、見舞いにはいかなかった。見舞いに行く関係でもなかった。柊真は図書委員でずっと図書室にいて、俺はテニス部でテニスコートにいて、学校でも教室以外で顔を合わせることもない。
 けれど3年になって噂を聞いた。柊真は相談に向いている。何故ならどんな相談をしても、翌日には忘れているからだ。だから相談したことが他人に漏れることがない。
 俺が柊真に恋愛相談をするのは実は三人目で、だから高校を卒業してからのほうが柊真に会う機会は増えた。そのことに多少の罪悪感を覚えはするけれど、柊真自身は特に気にしてはいないらしい。第一、本当の友人でも新しいことは覚えられないのだ。それにただ同じクラスだった程度の人間はそろそろ判断がつかなくなっている。誰かからそう聞いた。

「お前の方はどう? 不自由とかない?」
「不自由といえば不自由かもしれないけどさ、よくわからない」
「そっか。欲しいものがあれば今度来るとき買って来るけど」
 柊真はしばらくぼんやりして、首を左右に振った。
 柊真は事故以来、この海辺の保養所で暮らしている。朝起きれば枕元にあるメモをみて、自分が事故にあって物事を覚えられなくなったことを知る。そしてそのメモに沿って生活する。朝はトーストを焼いて果物か野菜を刻んで食べ、午前は推理小説を最初から半分くらいまで読み、昼は近くにある柊真のことを一方的に良く知るカフェで食事を、大抵はスパゲッティを食べてからそのあたりの海岸を散策し、夜はカレーを作って食べて推理小説の残りを読んで寝て、全てを忘れて朝起きる。3日に1度、トーストと米とカレールーと多少の野菜や果物が配達されて冷蔵庫に詰める。
 柊真の毎日は同じことの繰り返しらしい。だからきっと、新しいものが入る余地がない。

 そんなことを考えていたら、柊真が首を少し傾げて俺を眺めているのに気が付いた。
「時田。お前何か困ってるの?」
「え、なんで」
「なんかそんな顔してたから」
 そういえば最初に律ちゃんの相談をしたときにもそういわれた。柊真は勘、というか違和感に気が付くのが上手い。
「その、律ちゃんが和菓子屋をやめるかもしれなくてさ」
「そう。残念だね」
「いや、俺のせいなんだ。だからなんか申し訳なくてさ」
「ふうん? じゃあ謝れば」
「それが……誰も信じてくれなくて」

 誰も信じない。そう口から発した時、俺は何を思ったのだろう。いろんな種類の感情が一緒に口から洩れた。
 バイトといっても俺は販売員で、丁度閉店後に干菓子なんかの贈答品数の確認をしていた。その時、店の裏にある工房から帰る律ちゃんを見かけた。律ちゃんは俺みたいな販売のバイトじゃなくて、和菓子職人になるためにこの店で修行してる。
「律ちゃん、お疲れ様」
「お疲れ様。時田君はまだ仕事?」
 工房の人間はみんな律ちゃんと呼ぶ。だから自然とその呼び方にあやかっている。
「あと少しだけチェック終わったら帰るよ」
「そう。じゃあまた明日」
 そう言って律ちゃんは工房の鍵をキーボックスにしまって手を振って帰ってしまった。なんだか少し残念な気分になった。折角バイトに潜り込めたのに律ちゃんは仕事第一で、販売の人間なんかには目もくれない。それが少し癪に思って、それから……。
 ほんの気まぐれだったんだ。律ちゃんが工房で何を作っていたのか見たくて。だから鍵を拝借して工房に見に行った。普段は販売の人間は入れないから興味本位もあった。
「ふうん。和菓子屋の工房って和菓子マシンみたいなのがあるの?」
「和菓子マシン? 古い工房だからそんなのはないよ。みんな手作業なんだ」
 だから本当に取返しがつかないってことを、後から知った。
「小型のタンクがあってさ、それをひっくり返しちゃったんだよ。それであわててそのへんのものもひっくり返しちゃってさ。あたりがぐちゃぐちゃになったんだ。それで怖くなってその日は鍵を返して逃げたんだ」
「そう」
「それで翌日、謝ろうと思って恐る恐る店に行ったら律ちゃんのせいになってた。最後に鍵をかけたのは律ちゃんだから。俺は本当はさわっちゃだめな鍵なんだ」

 その時、本当はバックレようと思った。けど、最後にいたのは俺だったからバックレたら俺のせいだってことがすぐにばれる。ひょっとして大したことがないなら謝ってすむかもしれない。それなら状況を先に確認したほうがいいと思って。
 でもバックレたほうがよかった。そのくらい事態は深刻だった。
 作っていたお菓子は栗くずもちで、栗餡を半透明なくずもちで包んでつくるらしい。その日、季節の菓子として有名な先生の茶会で振る舞われる予定だった。
 くずもちというのは1年半ほど発酵させてつくるらしい。発酵する場所は工房と別のところにあって、そこから工房に運び込んで前日に水の入ったタンクで攪拌し、翌日に出来立て作れるように保存していたそうだ。だから今からくずもちを取り寄せる時間もない。工房では急いで代わりの品を作ったそうだがよくある品しか作れず、お茶の先生の評判はがた落ちになったらしい。
「あんなにきちんと確認しろといったじゃないか!」
「私じゃありません! きちんと整理して帰りました!」

 翌日、最初に聞いた声はそんな怒鳴り声だった。
 律ちゃんはきちんとしまったと主張したけれど、聞いてもらえなかった。だからこのままだと、辞めさせられるかもしれない。
「俺は自分がやったんだって言ったんだけど、信じてもらえなくてさ」
「なんで」
「俺が律ちゃんが好きなのは律ちゃん以外はみんな知っててさ、だからかばってるんだって思われてるんだ。みんながそういうもんだから、律ちゃんにもそう思われた」
「防犯カメラとかないの?」
 柊真はぼんやりと海を眺めて足をぶらつかせる。そうして砂が跳ねる。
「そんなに工場的な店じゃないよ。家族経営っていうか。それに変なんだ。なんでか俺の足跡がなかったから」
「足跡?」
「そう。俺が店に行ったときは警察沙汰になってて」
 立ち上がり、砂浜を歩けば靴の形に砂がへこむ。これが普通だ。けど、あの時、確かに俺の足跡はなかったらしい。律ちゃんの足跡はくっきりとあったのに。工房の奥にタンクがあってそれを俺は倒した。それで入口との間の台を倒して、小麦粉や色んなものをひっくり返した。
「逃げるときに俺はその粉の上を通ったはずなんだ。でも律ちゃんの足跡しかなかった。だから律ちゃんが犯人扱いされてる」
 律ちゃんが一番最初にお店に来てタンクが倒れてるのを発見した。だからかけよって、それで床にばらまかれた小麦粉を踏んで靴の後ができた。なのにあるはずの俺の靴跡はない。
「同じ靴を履いてくれば証明できたのかもしれないけれど、違うのを履いてきちゃったから」
「警察が調べたの?」
「そう。だからどうしていいかわからなくてさ」
「その足跡は、粉っぽかった? 湿ってた?」
「粉? どうだろう。しっかりついていたみたいだけど」

 柊真も勢いよくぴょんと砂の上に着地する。そうして砂がへこんで靴跡ができる。ゆっくりと歩けば浅いくぼみが、力をこめれば強いくぼみが。
「時田君がどうしていいかはわからないけどさ、時田君が言ってることが本当なら、なんで足跡がないかはわかるかも」
「え?」
「砂浜でも起こる。ここは乾いているけれど、濡れた砂浜を歩けば足跡のまわりが渇いて見える。足が地面を押さえつけると砂は体積を増やし、粒子間の隙間が増えて表面の水を吸い込む。だから濡れた砂に急に力を加えれば、水が引いて乾いたように見える。同じ原理だ」
 柊真は砂を確かめるように踏む。けれど何をいっているのかわからなかった。ただ、砂にへこみができるだけだ。
「多分、小麦粉でもない」
 小麦粉でもない……? そしてふと、小麦粉のイメージは洋菓子に繋がることを思い出す。
「ああ、和菓子でも小麦粉は使うよ。どら焼きとか、饅頭とか」
「知ってる。可能性があるとしたらダイラタンシー現象」
「ダイラ……? なんだそれ」
「水と片栗粉を適量で混ぜれば、強い力をこめれば固まり、力をかけなければ液状になる」

 そういえば小学校の頃、そんな実験をやったことがあるかもしれない。水を混ぜた片栗粉は強く握ればその形で固まるのに、手を離せばどろりと液状になる。
「俺は走って逃げただけだ。混ぜてなんかいない。それに水なんて」
「倒した時、匂いがしなかった?」
「匂い……どうだろう。わからない。なんでそんなことを聞く?」
 柊真は両手の指を交互に重ねて伸びをする。どうでもいいことのように。
「特殊な水、特殊な調味料を一緒に倒したのなら、水より片栗粉に浸透しやすい性質があったのかもしれない。だからわざわざ混ぜなくても時田君がその上を走った時、ダイラタンシーが起こって片栗粉が硬化し、足跡を残さなかった。そして直後に液化した」
「でも、律ちゃんの足跡はのこったんだぞ」
「ダイラタンシー現象は水と片栗粉の配分によって発生する。液体なら蒸散して翌日には残っていなかったのかもしれない。それに早いせん断刺激、つまり強く踏んだほうが固まるから、時田君が勢いよく踏んだほうがその律ちゃんより足跡は残りやすいだろう」
 強い力で踏んだほうが跡が残らない……?
「でも、可能性の話だ」
 柊真はじっと俺を見る。その視線はなぜだか俺を責めているようにもみえた。

「そうだね。時田君が疑問に思ってたみたいだから考えてみただけなんだ」
 考えた、だけ。
「なんでそんなこと、知ってる」
 なんでそんなことを思いつく。
「図書館で読んだ本に書いてあった」
 そういえば柊真は小さいころから放置親で、ずっと図書館で過ごしていたと聞いた。そして図書館にある全ての本を読んだとかいう噂も。
 何でこいつに相談した。奥歯から音が鳴る。
 けど。
 大丈夫だ。明日になったら忘れているはずだ。
 俺は何をしにここに来た。そう。なんとなく。誰かに話を聞いてもらいたかったからだ。この罪悪感を。王様の耳はロバの耳の穴のように。恋愛も、後悔も、秘密も全部柊真は聞いて、忘れてくれる。
 俺は確かに律ちゃんをかばった。俺が律ちゃんをかばっていると思われることを知っていたから。工房は顧客を失い、そして評判が低下した。それなりの損害が発生している。工房の買い足した物品を調べれば、散らかしたものが片栗粉と特殊な液体、たとえばみりんや日本酒の瓶が割れていたなんてことがわかるかもしれない。手にジワリと汗がにじむ。俺がやったとバレたなら。本来俺は工房に入っちゃだめだった。なのに入った。そして商談を台無しにした。背中に汗が伝う。
 そうして俺を見つめていた柊真は、表情をゆるめてフッと微笑む。
「きっともう工房は片付けているだろうし、警察も何も疑問に思わなかったんならわざわざ言わなければ時田君が疑われることもないよ」
 その言葉に俺の心臓はびくりと音を立てる。
 俺は律ちゃんに一目ぼれした。そして好きだった。けど全然脈がないから半ばあきらめていた。だから今は……よくわからない。

「なんかあったらまた話聞くよ。覚えてないだろうからまた最初からになるだろうけどさ」
「……わかった」
「もしよかったら、次は和菓子を買ってきて」
 幾分無表情なその言葉にはどの程度の意味が込められているのだろう。いずれ忘れるとしても。
 ちゃぷりとつま先に波がふれる音がする。いつのまにか潮がだいぶん満ちて、先ほど歩いた足跡は少しずつ形をうしなっていく。
「じゃぁ、また」

FIN.

急いでかいたのであとで直します。ちょっと流れというか配分が酷い。タイトルもひどいのでそのうち。ダイラタンシーあんまり調べずに書いたから、直すときは追加調査予定。アルコールならより固くなるという話を見たけどよくわからない。これは文献調査なしでエアで書いてるので間違ってたら指摘頂けると嬉しいです。
なおこれは本編をまだ書いてない状態のスピンオフです(キャラづくり用のいつものお試し)。
柊真君を一番便利に使ってるのは警察官になった友人(本当の幼馴染)です。口外できない機密をべらべら喋って捜査のヒントをもらっています。これが本編予定。
メモ
・基本的に安楽椅子探偵
・探偵の描写は最終章のみ。それ以外は探偵の基にそれぞれ訪れる登場人物の群像劇。
・方向性。相談に来るたびに積みあがる事実は探偵の中では積みあがらないからそこに情報の齟齬を入れる。

★おじゃましまーす。

#片想い文芸部 #片栗粉文芸部

★地図

柊真君が住んでいる保養所はいつもよく出る港湾区の南側ではなく東ケ崎と再青側の間くらいにあります。鳥之石楠船神が沈んでいる場所とはちょっと離れて入るけれど、よい漁場があるので釣具店なんかがちょくちょくあります。あんまり人気ひとけはない。

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