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閑話:このニコラス・ケイジおかしい、な『ウィリーズ・ワンダーランド』

こんにちは。
ここはダラダラと映画のイメージの感想やらを述べていくnoteです。
目次はこちらです。

古い映画ばかりではアレなので、『閑話』で140字を超える奴でおすすめ映画の紹介をします。
今回は、『ウィリーズ・ワンダーランド』。『このニコラス・ケイジ、おかしい』の映画です。

 簡単なあらすじ。
 その男がその町にとどまったのは、車止めのスパイクでタイヤがパンクしたからだ。町にある室内遊園地『ウィリーズ・ワンダーランド』で一晩清掃をすれば、修理代金を肩代わりしてくれるという。ところがその遊園地は呪われていた。

 足止めしたのがヤバイやつだった、のこれまでの典型はキアヌ・リーヴスのジョン・ヴィックだけれど、同じ方向のヒリヒリした緊張感が味わえるこの映画は、小説でいえば『ホラー寄りのキャラ文芸』だ。
 この映画のジャンルとしてはホラー映画だが、映画の中で恐ろしいものは2つ設定されている。
 1つは『ウィリーズ・ワンダーランド』に出てくる遊園地の呪い。
 1つはその男たる『ニコラス・ケイジ』の何をするかわからない人間の怖さ。
 一般的なホラー映画の「襲う怪異」と「襲われる人間」という形をとりつつも、襲われる人間の方も同様に驚異という、ある意味『フレディvsジェイソン』あるいは『貞子vs伽椰子』という対立軸に両者が配置されていて、しかも『ウィリーズ・ワンダーランド』側は集団戦の布陣であるため、監督のメッセージとしては恐怖対象は単体の『ニコラス・ケイジ』だと思うのだ。

 そしてこの『ニコラス・ケイジ』は実に見事だった。
 わざわざニコラス・ケイジを『』でくくっているのは、ジョン・ヴィックがキアヌ・リーヴスでなければ成立しないように、この映画はニコラス・ケイジでなければ成立しないからだ。作中でも『この男』の名前はない。
 理由は明快で、『この男』が作中で一言も喋らないからである。
 そもそもニコラス・ケイジは何を考えているのかよくわからない役、を演じることがそれなりに多い。ニコラス・ケイジの無言の表情はなんていうか強い不安を誘う。それがこの映画全般で、より強調されている。

 さて、問題の『ニコラス・ケイジ』の恐ろしさに焦点を当ててみよう。
 この『ニコラス・ケイジ』の行動原理は通常の人間には理解できない設定になっていて、この『ニコラス・ケイジ』はおそらく自閉症のキャラクターが当てはめられている。臨機応変な対応が苦手で、自分のルールを優先する。この映画で『ニコラス・ケイジ』に設定されたルールは、『遊園地の清掃を行うこと』と適当に休みを取れよといわれたから『一定の時間清掃したら休憩をとり』、『休憩時間にはエナジードリンクを飲んでピンボールをすること』だ。そこに『襲ってくる化物に対する対処』は含まれない。
 目の前の化物を退治するのは化物が清掃対象であるためで、だからこそ動けなくする(殺す)ことは仕事として全くためらわないし、目の前で化物が人に襲いかかっていても休憩時間がくれば人命より休憩を優先する。
 その通常一般的価値観からのズレというものに観客は違和感を感じ、恐怖、というか理解不能感を醸造している。

 ともあれこの『ニコラス・ケイジ』自体は映画上ではある意味ヒーローとして設定されている。そして実際に作中に登場する人々では到底敵わない遊園地の怪物たちを、『ニコラス・ケイジ』は圧倒的な膂力と躊躇いのなさで爽快に破壊していく。この躊躇いのなさ自体、仮に遊園地の化物がいなければ通常異常者としてホラー映画で怖の対象として描かれるべきものだが、この映画の恐怖の対象は化け物たちというキャラ配置のために、何を考えているかわからない『ニコラス・ケイジ』自体に対しては恐怖というより訳のわからなさの側面が全面に出されている。『ニコラス・ケイジ』はあくまでヒーローなのだ。
 このへんは絶妙なポリコレ対応を含んでいるのだろうなぁと思う。

 最終的な映画の印象は、『ニコラス・ケイジの類まれなる違和感と居心地の悪さ』ですが、これほどキャラ文芸的にキャラ一本で殴りかかってくる映画はなかなかない。ニコラス・ケイジ好きとアタオカな主人公好きの人は後悔しないと思う。

 いつもは特定の映画をベースに話を広げていきますが、たまに僕の心に刺さった映画を乱雑に紹介します。
 140字の映画レビューは5分で描くイラストとセットなので、そのうち別に140字の方のでもそのうち作るかもしれません故、あちらのリストにはのせません。そんなわけでSee you~♪

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