【短編小説(ライト文芸)】コーヒーゼリーな午後 3000字
[HL:酸っぱいコーヒーゼリー?]
最近、なんだかとても疲れていた。
うまくいってないなって思ってた。どこかが悪いっていうのでも、おかしいっていうのとも少し違うかな。やりたいようにやっているはず。好きなことを。けどなんだか、そう、本当にこれでいいのかなっていう迷いが最近だんだん、心の中でじわじわと割合を増やしていた気がする。
はぁと無意識にため息が零れれば、ぽたりと頭に何かが降って来た。見上げてみたら黒雲が重たそうに横たわっていて、まるで私の溜息と一緒に心のなかのもやもやが膨れ上がったたみたいに広がっていて、その重さがまるで、自分を見ているみたいで嫌だった。
だから私はエイッと、これまでためらっていた重たそうな樫の扉を押し開ければ、ふわりと少しビターな珈琲の香りが漂ってびっくりした。そしてザァという音にまたびくりと振り返れば我慢の限界が来たような秋の夕立が降り注ぎ、その飛沫が靴に到達する前に完全に扉の内側に入る。つまり前々から気になっていたカフェ・アイリスの内側に。
そうして扉を閉めれば重い扉は外のことなんて何も起こってないみたいに夕立の音を締め出して、代わりにほのかなBGMが耳に届く。ジャズとかなのかな、よく知らないけど。それで初めて訪れる店内を見渡した。これまで入った事のない世界、だ。
ここは公園通りにあるカフェで、アイリスっていうお店。私がよくいくスタバとかドトールとかと違って、昔ながらの喫茶店って感じ。入ってみると余計、なんだか昭和を感じる。4人掛けのテーブルに2人掛けのひじ掛けで囲まれてるような四角いソファがいくつかあって、そこに座るのはちょっと違うかなぁと思いつつ、正面のカウンターの席についた。
「いらっしゃいませ」
目の前にメニューが置かれる。というか、目の前に人がいるのが落ち着かないかもしれない。メニューを開けば、いつも行くカフェより少し高いくらいでホッとした。
この店自体は良く知っている。店の前は良く通っていて、丁度ドアが開くときにすごくいい珈琲の香りが漂っていたからずっと気になってはいたんだ。
「本日の珈琲のホットをください」
「少々お待ちください」
そうして目の前でフィルタと粉がセットされ、お湯がトポポと注がれると、そこからふわりと香りが漂う。あ、これお店に入った時に感じた香りだ。そっか。本日の珈琲なんだ。
白い湯気がふわふわと立ち上って、木の天井に近づいて消えた。珈琲ってこんな風なんだ。チェーンのカフェだと淹れてるところはレジの影になって見えないから、なんだかちょっと新鮮だ。
「お待たせしました」
そうしてカウンター越しに出てきた珈琲はまだ湯気を漂わせていて、その湯気には珈琲の香りが混ざっていた。こうやって空気になって、このお店の中を香りが巡っているのかもしれない。
カップを傾けて、それでなんだかホッとした。
変だな。窓から見える外はまだざーざーぶりなのに、このお店のなかは切り離されたみたいに穏やかだ。
目の前に人が立っているのが少々気まずいけれど、よく考えればカフェだってすぐ隣に人は座っているわけだし、それを考えれば人口密度はむしろ低い。このお店はソファ席に何人かお客さんがいるだけで。
そう思って改めて店内を見回した。
「不思議な感じ」
「何かございましたか?」
その声にビクリとする。まさか返答があるとは思わなかったから。多分このお店の店主さんなんだろう。珈琲をいれてくれた初老の男性がこちらを見ていた。けど不思議と嫌な感じはしなかった。
「えっと、あの。こういう喫茶店に入るのは初めてで」
「ああ、なるほど。ごゆっくり」
それで店主はちょっとだけ微笑んで、カップを拭く作業に戻った。1つ1つカップを拭いて、棚にしまっていく。その作業はなんだか酷くゆっくりにみえる。
目の前のカップを持ち上げるとその表面でふわりと波紋ができた。そうしてまた、珈琲の香りが漂う。
「あの」
「はい」
「このお店って、長いんですか」
店主は、考えるように少し首を傾げる。
「そうですね。私が引き継いで30年ほどになりますが、その前は先代が戦後から営業していたと聞いておりますので、この商店街でも一番古い店かもしれません」
戦後! というか30年前ですら、私は生まれていないや。
目の前のカウンターも木を縦に割ったような大きな板で、ぴかぴかに磨かれているけれど随分古そうだ。だからなんだか、落ち着くのかな?
落ち着き、かぁ。それが多分、私にはないんだろうな。
私にはやりたいことがたくさんある。だからたくさんする。今までいろんなバイトをしていて、今も掛け持ちしてる。オシャレなカフェで働いてみたいし、図書館でも働いた。スポーツジムとか塾の講師とか、なんか面白そうなのを見つけたら色々やってみてる。今は隙間バイトもあるから旅行にいってその旅行先で隙間バイトをいれて日本全国……まではまだ達成していないけれど、そんな風にいろんなところにいっていろんなところを見て。
それ自体はとても楽しい。充実してるって感じるんだ。
でもさ、たまに同窓会とかいってみんな真面目に就職してるのをみると、これでいいのかなぁっていう気になるんだ。最近特にね。でも1つの仕事をし続けるのって、私には合わない。なんとなくそれは、わかる。別にたくさんお金が欲しいわけじゃない。それに真面目に就職してる友達だって、お金がたくさんあるわけじゃないみたいだし。
私はこの暮らしがあっていて、それなりに幸せで、けれど私のそれぞれの行動が何かに繋がってまとまるわけじゃなくてバラバラになっている。まるで外で降ってる雨みたいだ。そう思ってまた、はぁとため息が漏れて白い湯気に混ざって、それがふわふわと天井に昇っていくのを見上げたら、店主さんと目が合った。
「お疲れですか?」
「ええと、疲れてはないんだけどこれでいいのかなぁって」
「これ。私もこれでいいのかなぁといつも悩んでいます。お嬢さんはまだお若いんですから」
悩む? なんか悩みなんかなさそうな感じで落ち着いてるのに。それにえーと、一国一城の主というのじゃないの?
「私も最近はラテアートを始めたんですが、上手くいきません。やはり年だからどうもセンスがないのか」
ラテアート? この喫茶店の雰囲気は合っているような、合っていないような。
「私も未だに試行錯誤の日々です」
「でも、おじさんはなんだか落ち着いてるじゃん」
そう呟くと、おじさんは目をぱちりと瞬いた。
「おじさん……」
お嬢ちゃんといわれたんだから、おじさんでもいいような。
「落ち着いているようなふりをしているだけですよ。そうだ。こちら実験品なのでサービスです」
「実験?」
そうして目の前に置かれたのはコーヒーゼリーだった。ぷるんとした黒い艶やかなゼリーの上に、生クリームとさくらんぼが乗っている。
「最近実験してるんです。使う珈琲豆の違いで味の差がでるのか」
おそるおそるスプンですくえば、なんだかちょっと変だった。
「ケニアの豆で作りましたから、いつも使っているものより酸味があって生クリームにあいません」
「……そういえばそうかも?」
実際は違いはよくわからなかった。
ふわりと光が差し込んだ。
窓を見ればどうやら夕立は上がったらしい。あれと思ってスマホを見れば、随分時間が過ぎていた。
「先代はこの喫茶店がお客さんが幸せに過ごせるように願ってはじめられたそうなんですが」
おじさんは外を眺めながら、ぽつりとそう呟いた。
「上手くいっているか、私もよくわかりません」
時間。そうか。このお店は何か、時間の流れが違うんだ。
何か焦っていたのかな。多分それも違くて。けれどこの店に来る前とは違う何かが心の中でできていた。ああそうか。少しだけ、落ち着いて自分のことを見つめてみたかったのかもしれない。違う時間軸から。
「ごちそうさまです」
「どういたしまして。次はもっとおいしいゼリーを作れるようにしますね」
「次。……そうですね、また来ます」
お会計をして外に出れば、入る前と違ってからりと晴れあがっていた。
了
★似た系列の話
アイリスの他の話。
↓の主人公の吉岡さんはこの話の主人公とは違う人ですよー。
