【短編小説(現ファ)】幽霊は面倒くさい 10000字
[HL:振り返ったら、見知らぬ幽霊]
1万字なので栞代わりに簡単な目次を付けました。
第1話 呼ばれて振り返るんじゃなかった
「智樹、俺、幽霊になったみたいなんだ」
「そうだね」
公理智樹は幽霊が見える。
子供の頃からだ。だから大抵の古くからの友人は、智樹が見えるタチだということを知っている。
智樹は今、振り返ったことを少しだけ後悔していた。そこは智樹がよく通る路上でがやがやと騒がしく、名前を呼ばれて知り合いかと思って振り返ったら、そいつはぽやぽやと輪郭も乏しい半透明だったから。
幽霊の中には日光で溶ける奴がいるから、慌てて木陰に誘導する。真っ昼間なのに幽霊が出るなんて珍しいと思いつつ、だから弱まって半透明になっているんだろうかと思いながら、幽霊というものは半透明なのも多いなと思い返す。今、智樹の頭には錦玉が思い浮かんでいた。寒天に砂糖や水飴を混ぜた半透明の和菓子だ。そんなように涼しげに、見覚えのない塊がぽわりと浮いている。
「それでお前、誰」
「わかんない」
「そう。思い出してから声かけて。じゃあね」
「待てよ」
「名前わかんないと話しようないじゃん。思い出したらね」
そう言い放って歩き始めたが、案の定、霊は後をついてきた。智樹のため息が小さく響く。
智樹と心霊現象の付き合いは長い。
なにせ物心ついたころから周りに普通に霊がいた。最初は人と霊の違いはよくわからなかった。けれどもそのうち、普通の人間は壁をすり抜けたりしないし透明になったり発光したりも、過剰に崩れていたりもしないことを学び、そいつらは基本的にろくなことをしないと学んで以降、霊の類は基本的に無視することにした。
霊にとっても人間には認識されないのが通常で、気づいてないふりをすればお互いスルーしあえる。それにヤバい奴はそれと認識できるから近寄らない。それは生きている人間も同じことだ。わざわざヤバそうな奴と目を合わせたり近寄ったりしない。
その智樹の経験則上、この霊はヤバくはないが面倒臭いタイプだった。話好きそうだ。霊は人に認識されない。つまり話し相手がいない。だからきっと、延々とついてくる。再び吐いたため息には諦めが混ざっていた。
時刻は丁度夕暮れ、誰彼時で霊の類が活発になる時間帯。そして智樹が虚空に話しかけても不自然ではないように酒を飲み始める時間帯。その結果、智樹は酒乱なのだが致し方ない。
満開の桜並木の下をくぐり、智樹は今日も行きつけのバーのカウンターでダラダラと酒を飲み始めた。
「智樹に頼みたいことがあったんだよ」
「ふうん」
「智樹じゃないとできないことなんだよな。なんだっけかな」
その言葉で幽霊が誰なのか、智樹にはおおよそ推測がついた。中高の同級生の松笠栄市だ。
栄市は労さず儲けようとするタイプで、こすっからいというか小狡いというか、自分は動かず他人を動かして儲けようとするのだ。けれどもその言う事は大抵大雑把で現実離れしている結果、誰も労力を払わないから妙に憎まれない。
智樹に対しては、家康の幽霊に徳川埋蔵金の場所を聞いて儲けようぜなどとわけのわからないことをよく言っていた。その時にいつも口癖のように『智樹にしかできないことなんだよ』と主張する。
「霊ってのは記憶力と頭が悪いんだよ、400年も前のこと覚えてないよ。それに知らない人間に財宝の在り処を教えろと言われたってさ、教えるわけないだろ。生きてる人間でも同じだよ」
そんな風に返すのが智樹と栄市の日常だった。思い出していると、妙にしんみりした気分になってきたらしい。
「お前栄ちゃんだろ? 何で死んだんだ」
「栄ちゃん? そうそう、そうだった。思い出した、栄市だ、俺」
「な、霊ってのは記憶力が悪いんだよ」
栄市の霊はわずかに人の姿を取り戻す。
自分の姿を思い出したのだろう。珍しい現象だ。普通、霊が失った情報を再度獲得することはない。
霊というものは情報媒体だ。
生前に脳が体に蓄積した情報が死んで宙に浮く。ただでさえポロポロと胡散霧消するところを、強い意志やら思いやらで何とかまとまったものが霊だ。それゆえ既に取りこぼしたものを再取得することは少ない。だから余程の思いがあるのだろう、そう推測しながら智樹はグラスを傾けた。
栄市を成仏させるには現世に引っ掛かるそのこだわりを解かないといけない。問題はそれが何か。今のところ見当もつかない。
結局、中途半端に優しい智樹は無視することを諦めた。
「仕方ないなぁ。何があったの? そんで何がしたいの」
「なんだったかなぁ。智樹わかんない?」
「知んないよそんなの。隠し財産でも俺にくれるの?」
「ないない、そんなもん俺が欲しいって。そういえば何か隠した気がする」
「HDのエロデータ消してほしいとか?」
以前に別の友人が事故で死んだ時、その霊に頼まれたことがある。あの時もお前にしか頼めないと言われたことを思い出す。
このままでは死んでも死に切れないと言うので、アパートのキーボックスに隠してた鍵で入ってPCのパスワード聞いて削除した。その時は代金に帆船模型もってけむしろ捨てられるのが忍びないというので、高いという奴をいくつか運び出して売ったら二束三文になった。
「それとは違う気がするけどそれもお願い」
「忘れてたならもういいじゃん」
「でも思い出しちゃったし、お前のせいだぞ。このままじゃ死んでも死にきれない」
「栄ちゃんもう死んでんじゃん。仕方ないなぁ」
第2話 幽霊の代わりに待ち合わせ場所に行くんじゃなかった
幸いにも翌日は休日だ。
こっちな気がする、という栄市の言葉に導かれて早朝の町を彷徨う。歩みがふらつくのは毎度の飲み過ぎの後遺症ではなく、栄市の記憶が曖昧だからだと智樹は頭痛に苛まれながら呻き、一軒のアパートにたどり着く。
よくある古い木造二階建の一階。
「鍵は?」
「俺が持ってる」
「入れないじゃないか」
「裏の窓が開いてる、多分」
「不用心だ」
人がいないのを確かめ、急いで窓を乗り越える。室内は散らかっていた。開けっぱで大丈夫かと思ったが、金目のものはなさそうだ。PCにログインするとメール画面が開いていた。妙な広告ばかりだが、昨朝のメールに既読がついていたから栄市が死んだのは昨日の昼から夕方くらいなんだろう。
いっその事という指示通りにHDを初期化するとプツリと手がかりは途切れた。
「悩みでもあったの? そうか病気してたとか」
「そんな記憶ないんだけどなぁ」
「じゃあやっぱ死因は自殺じゃなくて事故か心臓麻痺かな」
「やな事言うなよ。でも俺は自殺しないと思うぞ、多分」
「同意、お前図太いもんな」
栄市は多少鬱陶しいが、誰かの恨みを買うたタチでもない。殺されたりもしないだろう。なのに現世にとどまっているのは心残りでもあるのだろうか。そう思って智樹は栄市の散らかったベッドに寝転がり、嫌々ながら聞き取りを始めた。
「したい事とか行きたい場所とか何かないの?」
「そういや今日花見に行く予定だった」
「会社?」
「サプライズで告ろうかと」
「嫌な予感しかしない」
あちこちに散らばる栄市の話からなんとか浮かび上がったストーリーは酷かった。
グループで遊びに行くという体でその女、栄市が名前を思い出せないから仮にAとする、そのAを近所の観光スポット逆城神社に呼び出して、みんなはドタキャンになったと告げる。それでせっかくだから観光しようと誘う。逆城神社は参道沿いに観光客向けの店が立ち並んでいて、梅林が有名な庭園や綺麗な池があったりと、何はなくとも半日は潰せる。
それで最後に神社奥の大きな桜の木の前で告白する。その桜の前で祈れば願いが叶うらしい。
「桜の下とか何のゲームだよ。酷いの一言に尽きる」
「そうかな」
「……逆城神社に桜なんてあったっけ」
「奥の方にあった」
栄市は何かの本で昔ここに隠れ村があると読んだから、財宝でもないか探しに行ったらしい。相変わらず馬鹿みたいなことをしていると智樹の心は呟く。
けれどもそれなら八方塞がりだ。栄市の引っ掛かりがそのAとやらへの告白なら、もうどうしようもない。なにせ既に栄市は死んでいる。付き合うも何もない。
「諦めろ」
「嫌だ。気になる」
「鬱陶しい」
「それに放っといたら俺の嘘がバレるじゃん」
「嘘?」
「その子が一緒に行く予定のやつに電話したら嘘ついてたのがバレる」
「屑だな」
智樹は栄市の物理的にぼんやりした姿を眺めながら、栄市が引っ掛かってるのは告白でもなんでもなく嘘バレかと検討をつける。小さな嘘など死んだ以上どうでもいいはずだが、こだわりは人それぞれだ。
だから智樹は嫌々ながら、栄市の代わりにそのAに声をかけることにした。
「その女と話してもいいけどな、今後俺に付き纏わないことを条件だ」
「なんだよ友達がいがないな」
「お前はもう死んでいる」
智樹はピシリと栄市を指差す。智樹にとって幽霊というものは既に過ぎ去った過去なのだ。そうして向かった逆城神社の賛同前、栄市は一人の女を指差し、Aだと告げた。
「松笠栄一と待ち合わせしてた人だよね?」
「はい?」
不審げな顔を上げる女の顔が一瞬微妙に赤く染まり、智樹は背後からイケメン死ねという呟きを聞いた。
「俺、栄市の友達でさ、急にみんな来れなくなったから連絡してくれって言われてさ」
「な、なんで?」
その表情は予想と違い、鳩が豆鉄砲を喰らったようで、そしてこれぞKing of the 不審という形に眉が潜められた。智樹はなんだか猛烈に嫌な予感がした。こういう時は逃げるに限る。
「とりあえず伝えたから。じゃあ」
「ちょ、ちょっと待って、待ってください。どうしてそれを?」
「どうしてって?」
「いや、その」
智樹はその過剰に慌てる女の姿が妙なことに気がついた。
友達と出かけると言う風態ではない。ノーメークに近く、カーキのゴツめのジャケットにカゴパン、はまだよいとしても、背中のリュックから50センチほどの柄が飛び出している。所謂『汚れてもいい格好』で『これから野良仕事にでも行く格好』に見えた。
そしてさらに嫌なものが目に入る。体にまとわりつく水子霊。ゴクリと喉が鳴る。しかも一体じゃない。都合十体を超える。某ホラー漫画の産子使いのようだ。どうみてもろくでもない。
そして可愛いだろうと呟く栄市に、智樹は無視すればよかったと改めて溜息をついた。
「何? 俺、忙しいんだけど?」
「松笠さんはどうしたんですか」
「どう……? 俺は伝言頼まれただけだし」
「……私を脅すつもりでしょう?」
智樹の頭の中でヤバさアラートが大警鐘を鳴らす。酷い勘違いをしていることを自覚した。
今の会話の流れの中に『脅す』要素などない。けれどもこの女には脅される自覚がある。つまり脅されてしかるべきな行為をしたということだ。
それは栄市の呑気な様子から真っ先に智樹が可能性から外したもの、殺人。智樹の脳裏に栄市がこの女に殺された可能性が浮上する。
「待って、俺は金輪際あんたと会わない」
「あなた雑誌で見たことある」
「げぇ」
智樹はうめき声を上げた。智樹は美容師で、たまにクーポンチケットとともに写真がタウン誌にのる。だから割に顔は知れている。そして腹立たしいことに栄市は智樹の頭の中の可能性に全く思い至っていなかった。
「もてもてじゃん、智樹ずるい」
第3話 幽霊の部屋に侵入するんじゃなかった
智樹的にはここで逃げて、このAに営業時間中に店になだれ込まれるのが最もまずい。智樹は已む無く近くの茶屋のオープンテラスに腰掛ける。幸いにも参道は賑わい、二人の会話に耳を傾ける者はいない。智樹は緊張に心臓をびくつかせながら口を開く。
「それで?」
「それでって」
「俺はあんたが誰だか知らない。俺はたまたま栄市と友達で、栄市から連絡しろって言われたから伝えただけ。あとは知らない」
「ありえない。何で私ってわかるの」
「容姿を聞いた……髪型、とか」
智樹はAを見て、目を彷徨わせた。
「普段こんな格好してないし」
智樹は無茶な言い分だと自覚している。髪型は特徴のないボブだし顔立ちだけで明確に区別できる要素はない。服も人に合う用じゃない。普段この格好で会社に行くなら、土木作業員でもなければどん引く。
頼んだコーヒーが次第に冷めていくのを眺めながら、何度目かの沈黙をスルーする。智樹の掌の内側は湿り、外見には出さないものの、この膠着状態に胃をキリキリとさせていた。
「俺、帰りたいんだけど」
「駄目」
「要件は何さ」
「……」
智樹はこのままじゃ埒が明かないと感じていた。
「あんた何かしたの?」
「「えっ」」
「挙動不審すぎるんだよ」
「「そうかな」」
声は智樹の耳に男女に二重に響いた。
何故お前も驚いていると智樹は口の中で小さく呟く。
智樹には安易に立ち去れない理由があった。
先程栄市の部屋に侵入したからだ。殺人となれば警察に自宅が調べられる可能性がある。事故か病気と決めつけていたから安易に入ったが、窓枠とキーボードの表面に智樹の指紋が大量についているし、不自然にも死亡時刻以降にハードディスクが初期化されている。
少なくとも、智樹が重要参考人とみなされても仕方がない状況だ。
「面倒ごとは困るんだよ。本当に。雑誌に載ってるからさ。何事もないのが一番なの。だからもうお互い関係なしってことでいいじゃん」
「じゃあ一つだけ、松笠さんからの連絡はいつ、どうやって、受け取ったの?」
「どうでもいいじゃん、そんなの」
女がはぐらかすのと同様に、智樹も誤魔化している。智樹の背に嫌な汗が伝う。それもこの膠着が終わらない一つの理由だ。
智樹は先程から女の身になって考えていた。
女が栄市を殺したのは昨日だ。以降、栄市は誰とも連絡を取れるはずがない。なぜなら殺されたから。
栄市から昨日予め聞いていたという筋書きは成り立たない。一日も前なら栄市が直接連絡をすればいい。智樹がわざわざ出向く意味がない。
そうすると『栄市が来れない事』、つまり智樹はお前が栄市を殺したことを知っているぞと告げに来たにも等しいわけだ。
確かにこれは脅しだと智樹は思い直す。そして頭を抱えたくなった。
来てしまった以上、女の立場ではこれですんなり終わるとは思えない。何故なら、何もないならそもそも来るはずがないのだ。殺人犯のところになど。だから女は智樹の要求か目的を聞くまで智樹を解放しないだろう、
これが智樹が導き出した結論で、再び大きくな溜息が響いた。言い繕う言葉は出てこなかった。
それで智樹は考えるのを諦めた。元来さほど頭が良くはないという自覚もある。
「信じてもらえないかもしんないんだけどさぁ。俺、幽霊見えるんだよね。それで栄市の霊に伝えろって言われたの。何で霊になってるかは知らない」
「は?」
「栄市から聞いてないかな、幽霊が見える智樹」
すっかり冷めたコーヒーを飲み干してから仕方なく告げた言葉は女を固まらせた。それは智樹にとって間違いのない事実だ。けれども普通は信じない。説得する見込みもない。
それならさっさと煙に巻いて話を切り上げて、栄市の部屋の指紋を拭き取りに行く。キーボードと窓だけ拭けば、あとは見つかっても友人だで通る。遅くなると住宅街は人が増える。だから陽が高いうちにその作業を終えなければだめだ。そう考えた智樹が見上げた太陽は、既に中天から少しだけ傾き始めていた。
けれども席から腰を上げる智樹にかかった声は、予想外のものだった。
「徳川埋蔵金の? いつか一緒に掘り出すって言ってた」
「は? ……まあそうだけど。その話、栄市はギャグじゃなくてマジだったのか」
「マジかはわかんないけど、それじゃ松笠さんはやっぱり死んだの? おかしいと思ったんだ」
「うん?」
「だって幽霊なってるんでしょう?」
智樹は自身が勘違いしている可能性に再び気づく。この女には栄市が『幽霊になっているかどうか』の確証がない。そうすると、この女が栄市を殺したんじゃない? けれどもやっぱり、それがどういう意味か、智樹は思い浮かばなかった。
だから既にやけっぱちになっていた智樹は直接聞いた。
「何がどうなってるの?」
「松笠さんの霊から聞いてるんじゃないの?」
「本人全然覚えてなくてさ。ていうか信じるの?」
「だって普通、そんな荒唐無稽な嘘つかないでしょう? 本当に霊が見えるならともかく」
女の顔を覗き込むと、妙に安心したように微笑んでいた。
智樹は今のどこに安心する要素があるのか、この女はやっぱり頭がおかしいんじゃないかと混乱しながら自分の頭の中を整理する。
幽霊が見えることは何故かすんなり信用された。こんな風にフランクに聞き返すくらいなら、やっぱりこの女が殺したんじゃないのか?
そうすると栄市の自殺を目撃したとか。
栄市は自殺するタイプじゃないが、ひょっとしたら直前に何か酷いこととかがあって、本人はすっかりそれを忘れているのかもしれない。
「栄市さ、本当に記憶がないみたいなんだよ。だから何があったのか教えてくんないかな、マジで」
そして女の口から語られたのは、智樹の霊視よりさらに荒唐無稽な事実だった。
第4話 やっぱり、幽霊に関わるんじゃなかった
女の話から、栄市と女が会う予定にしていたのは実は昨日だったことが判明した。智樹は後ろで栄市の霊が舌を出しているのをこっそり睨む。
そもそも今日伝える必要すらなかったじゃないか。馬鹿馬鹿しい。そう思いつつも、栄市のせいばかりでもないと思い返す。もともと栄市の記憶が曖昧なところを無理やりつなげ合わせて推測したのは自分なのだ。
だからこそ、この女は人と会う格好ではなかった。妙な混乱が生じている。
それで問題は女が語った奇妙な話だ。
昨日、参道を二人で観光しながら桜の木まで行った。そこまでは栄市の計画通りだったようだが、栄市は告白する前にその巨木に足を引っ掛けて転んで頭を強打したらしい。事実は小説より奇なりである。
そこからはさらに意味がわからない。
桜の精を名乗る男が突然現れた。
「は? 桜の精?」
「信じられないのはわかるんだけど。その桜の精に、お嬢さん、この人が頭を打ったなら動かすのはよくない。様子を見るから明日朝にこの人を取りに来なさい、って言われて」
「取りに来る?」
「その時は何故だかそんなものかと思って帰ったの」
女はおかわりをしたアイスコーヒーをちゅるりとすすった。
「ちょっと待て、何故それで帰るんだ。救急車とかを呼ぶべきじゃないの」
「後から考えるとそう思うけど、その時は何故かそれがいいと思えたの。おかしいと気づいた時は結構時間が経って真夜中で、今更様子を見に行くのも救急車を呼ぶのも気が引けて」
「……それで朝迎えにいったの?」
「それが怖くてね。昨日の事が現実に思えなくてどうしていいかわからなくってここで考えてて」
確かに非現実的だが、女は決心がつかず朝から昼前までここにいたらしい。優柔不断すぎる気はするが、事態が事態だから仕方がない……のだろうか。それで決めかねて、その男の迎えともとれる智樹が訪れたから何か脅されるのかと警戒したそうだ。
男の得体はしれないが、栄市の死体を確保しているのならば、この女に殺人の濡れ衣を被せることはできなくもないのだろう。けれども智樹の頭は全てが女の狂言である可能性も拭えなかった。
ただし狂言にしても荒唐無稽すぎ、結局霊が見えるという智樹の証言の信憑性もどっこいどっこいなのだから、とりあえず一緒に確認しに行くことにした、というかすっかり面倒くさくなっていた。
つまり参道の奥には誰がいるのか。
女は1人では心細いと言う。智樹も鍛えているわけではないが、一応長身で男だ。何かがあった時のためにスマホの録音をオンにしながらとぼとぼ上って桜の木に辿り着く。
「本当にあったんだ、桜」
それは本当に巨木だった。何故近くに来るまで見つけられなかったのかわからないほど、巨大で古そうだった。けれども智樹は近づく前からすでに桜の異様な雰囲気を感じ取り、けれどもどちらかというと神々しかったからそこまで嫌なわけでもなく、むしろ隣を歩く女にまとわり付く水子霊のほうが嫌だなぁと思っていた。
「お嬢さん、遅かったですね」
智樹は目を瞬かせる。その男は本当に桜の巨木からスルリと抜け出た、ように見えた。目を何度かこすった。本当に桜の精というものが存在するのかと一瞬考えたが、化け物の種類なぞ智樹にはわからない。
三十歳ほどに見えるその男は、黒っぽい羽織に角張った黒の外套に中折れ帽子、なんとなく明治の書生と聞くとそんな感じかと思う姿で、現代日本人の服装とは異なる。かといって大昔の神様とかそういう出で立ちでもない。
「すみません、その」
「男の方も一緒にいらして助かりました。時間がたちまして、少し深く沈んでしまいましたもので、お嬢さんには大変かともと思ったのです。ああ、ご本人も戻られたのですね」
男はそう告げて真っ直ぐと栄市を見た。
「あんた、栄市が見えるのか」
「もちろんです。その方はお体を修復をしている間、暇だから彷徨きたいと仰るので魂だけ外に出して差し上げたのです」
「魂だけ?」
智樹が振り返れば、栄市はわけがわからないという顔をしている。それも含めて忘れたのかもしれない。
「ええ。体はこの桜の木の下に埋まってますから。早く引き出してあげてください。体の調子は治ったとは思うのですが、深く埋まるとそれはそれで掘り出せなくなり、亡くなってしまいかねません」
「栄ちゃんはまだ生きてるのか?」
智樹は思わず大きな声を出した。
「勿論です。この桜は神木です。もとより神ですから、人を癒やすのです。放置すると死体となり、その栄養となってしまうのですが」
「桜の下に、死体?」
「その通り」
男は頷いた。誠実そうには見えるが、人ではない気配がした。
だから言っていることはおそらく本当なのだろう。本当で、栄市は放っておけば死ぬのだろう。逆に言えば、放って置かなければ生き返る。
「糞ッ」
智樹は小さく叫び、男の指し示す木の根元のまだ柔らかそうな土を堀り始めた。じゃりじゃりと智樹の爪の間に小石が入り込む。智樹は美容師だからその指先というのは大切な商売道具だ。けれども一刻を争うというのならやむを得ない。悪態をつきながら途中、その辺にあった細木を掴んで掘り返していると、土の中からイテッという声がした。
気づくと栄市の幽霊は既にその場にいなかった。この体に戻ったのだろう。そして男もいつのまにやらいなくなっていた。
丁寧に土を取り除くとなんとか栄市の首だけ露出した。そして目が合った。
「あれ? 智樹? どうしたの?」
「どうしたもこうしたもないよ、お前が呼んだんだろ? 幽霊になったお前を見つけたんだよ」
「おお、それは智樹にしかできないことだ」
「糞うぜぇ」
いつのまにやら女が救急車を呼んだらしく、消防隊員が駆けつけた。
そして土に埋まった栄市を見て困惑した。一瞬俺と女が埋めたのかという目で見られたが、そうではないことはすぐに知れた。何故なら栄市は頭が僅かに地上に見えるだけで、その足は桜の根本に向かって埋まっている。どう考えても栄一を埋めてからこの巨木が生えたようにしか思われない配置だったから。
掘削の果てに栄市が掘り出され救出されたのは夜半だった。こうして智樹の休日は潰れた。
その間、多少事情聴取をされたが、虫の知らせとか、ここに行くと栄市が言ってたとか適当な言い訳で何とかなった。土台、栄市の埋まり方は到底人の力で可能であるとは思われなかったからだ。この町にはそんな奇妙なことがたまにおこる。
栄市は一晩病院で様子を見たが、異常は全くなかった。
もともと大した外傷はなかったのか、あるいは桜が治したのかはわからない。
「あの桜、掘り出したら財宝出てこないかな」
「次は助けろって言われても完無視するからな」
「ええ、智樹にしかできないじゃん」
「うるせぇ」
「あ! ねえ、PCのデータって消しちゃったよね!」
「お前が消せって言ったんだろ」
「いやでも! いろんな()なデータが! どうしてくれるんだよ!」
「知らねえよ」
言い争いの結果、今後、HDのデータを消すのは死体を現認してからにしようと智樹は心に決めた。
この話の顛末だが、あの女と栄市は付き合ってはいない。栄市は女の好みじゃなかったらしい。
智樹は栄市に女に水子がついているぞと忠告したが、産婦人科に勤めるせいじゃん、いっぱいいそう、と返答が帰ってきた。それなら何故あの女に付いてるんだと言いかけて、智樹は口を噤む。既に振られた以上、言っても仕方がない。栄市に振られた自覚はなさそうだが、それは智樹が関与すべきことではない。
世の中訳のわからないことだらけだ。
Fin
後書き(表紙とか)
桜の人はこの話に出てくる赤矢さんです。


逆城は古くからの街道の宿場町で逆城神社の門前町です。
桜の木のある旧坂上村は昭和のはじめに廃されたので今の地図にはありませんが、逆城庭園のさらに北にあります。智樹の美容院は辻切中央からレンガ坂を南東に下ったミスティオーラです。
#小説 #短編小説 #ショートショート
