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鎮華春分 桜に囚われた千代の話 ~明治幻想奇譚~ 第十一話 白桜の実と昔話の真実

「哲佐君、異類婚姻譚というのはもちろんご存知ですよね」
「まあ、な。神様や化け物に嫁ぐんだよな。それで気になってたんだけどよ。結婚相手は男でもいいのかよ」
 ずっと考えていたのだが、俺は生贄としてこいつに雇われている。今回の生贄ってのは言わずもがな、千代の代わりだ。僧侶は男だろうし、求められているのは巫女、つまり女。
「そうですねえ、相手によっても異なりますが、桜は雌雄同株なのだそうです。だけど哲佐君が見た桜は蕾がなかったのでしょう? だからあの白桜は雄株で、雌株を求めていたのかもしれませんね」
「答えになっちゃいねぇ」
 雌株が必要なら、俺じゃ話にならんだろうが。
「そうですねぇ。異類婚姻譚でよく上がるのが蛇神ですが、普通、人と蛇の間には子供は生まれないですよね」
 蛇と子?
「そうだな、どうやってヤるのかもわかんねぇな」
「それ以前に蛇は卵生ですし。そもそも異類婚姻譚で求められるのは忠誠と言われることが多いのですけど、今回は生殖目的でしょう」
「だから生殖ならそもそも男同士じゃ無理だろ」
 つまり俺が生贄になっても意味がないんじゃないか。雪の中であったあの巨大な白桜に、少し腰が引けていた。
「今回の場合は姿に大きな隔たりがある以上、肉体を基礎として考えても意味はありません。おそらく魂を交えるものなのでしょう。だから肉体の性別なんて些細な問題なんじゃないでしょうか」
 俺は魂も男だと思うのだが。
「後はただの好みです。根元に埋まっている僧侶が男性より女性が好きだったのでしょう」
「やっぱり答えになっちゃいねぇ」
 そんな益体もない話をしながら、俺たちは赤矢が来るのを待っていた。

 誰彼たそがれ時。
 そろそろ至近距離でなければ相手の認識が不可能となる世界の色合い。黒味を帯びた雲の下のほうがオレンジ色に染まり揺蕩たゆたい、林に囲まれた逆上村の入り口では木々が複雑な陰影を形作っている。
 ここにいるのは俺と鷹一郎。それから現場の確認という名目で無理やり呼び出されて所在なく立ちすくむ倉橋だけ。他には動く者はなく、村の各家は固く扉を閉ざしている。
 今日本日は誰も外に出てはならぬ。家中の桜が散り果てるまで。
 鷹一郎にそう言われているのだ。
 そして間も無く、林の奥からじわりと滲み出るように赤矢が現れた。
「お待ちしておりました」
「今日は陰陽師らしい格好をされておられるのですね」
「ああ、そうですね。狩衣かりぎぬ立烏帽子たてえぼしというのですが、無駄にひらひらしているものですから、本当は森では向かないのですよ」
 今日の土御門はいかにも陰陽師、といった装いで、狩袴かりばかまというゆったりとした袴と赤いひとえの上に土御門家の揚羽蝶紋が縫い込まれた白絹綾織しらぎぬあやおりの狩衣を纏っている。
 羽織着物を着る奴は未だたくさんいるが、なんだかこの時代がかったお貴族様的な服装がは鷹一郎にはとても似合うのだ。俺なんかが着たらお笑い草にしかならないだろう。俺は相変わらずの綿入り半纏はんてん
 丁度温かい風が吹き抜け鷹一郎の袖をバサバサと大きく揺らす。先日の大雪がなんだったのかと思わせるほどの春の陽気だ。おそらく今にも桜の花が咲きそうな予感。そんな少し浮かれた陽気とうらはらに、拒絶と歓迎がまぜこぜになった奇妙な咆哮が微かに足元から聞こえていた。

 結局開花ギリギリまで待った。
 白桜は強固な結界を張っている。妖自身が接近したがる俺のような特異体質であればともかく、そうでなければ内側にある村人以外は白桜に近づくことすら困難だ。そして最終的に白桜を完全に祓うためには、その内側に入って白桜を切り倒す必要がある。
 けれどもそんな白桜が結界を解く瞬間がある。それは新たな桜の花が咲いて実が成った瞬間だ。白桜はその新たな桜を世に放つために、結界を解く。その瞬間が最も無防備。そこを狙って鷹一郎は白桜を祓う。
 けれどもそれを成すためには桜を咲かせなければならない。千代を救うのであれば千代以外の方法で。
「わたしはどうすればよろしいのでしょう」
「どうされたいかは、ご自分でご判断くださいな」
「自分で……?」
「さて、放っておくと夜になってしまいます。全てがこのうつし世とかくり世の間にあるうちに。すべてが渾然と混じり合い、わけがわからぬそのうちに」

 朱雀すざく玄武げんぶ白虎びゃっこ勾陣こうちん帝久ていきゅう文王ぶんおう三台さんだい玉女ぎょくにょ青龍せいりゅう

 鷹一郎は九字を切り、ふらふらと足を動かした。俺にはよくわからんが、あの左右をふらつく足の動きは反閇へんばいと言って細かい作法が定められており、邪気を祓うらしい。
「赤矢さんにはこれを」
「これは?」
「式神です。千代さんとお話するためのお守りです。哲佐君にはこれを。哲佐君をお守りくださいますよう」
「はいよ」
 俺はいつもの通り、鷹一郎からわけのわからぬ紙の束を受け取りふところに放り込む。
「それではお行きなさい」
 改めて目の前の細い道を眺めて腹をくくる。
 ここからは死地。俺は食われに異界に入るのだ。
 紙を挟んでスコップの分厚い金属の側を持ち、持ち手を赤矢に向ける。
「あの、わたしは……」
「それ、スコップの端っこを持って俺について来い。あんた一人じゃ中に入れないんだろ?」
「ええ、まぁ、ですが……」
「来ないなら来ないでいい。来なければ千代さんは助からないんだ」
 結局鷹一郎の依頼主は赤矢だ。赤矢の意思は最大限優先されるべきだろう。それに俺は赤矢を信じていた。あの暮れなずむ夕日が照らすあの表情が、千代を得難く思う気持ちが滲み出たあの顔が嘘とは思えなかったから。

「赤矢さん、あなたが千代さんを求めないのなら、それはそれで仕方が在りません」
 鷹一郎そう述べれば、赤矢は急いで且つ恐る恐る持ち手の端を握る。それを確認して俺は足を踏み出した瞬間、ざわりと林が揺れる音がした。
 ええと、千代さん、千代さん、どちらかな。
 頭の中に先日思い描いた千代の姿を浮かべ、それがどこにいるかを探る。おそらくそれほど遠くはない。直線にして数十メートルほどだ。だがその距離がとても遠く、結界で隔たっている。
 頭の中の千代はなんとも複雑な表情を浮かべていた。だが、拒まれてはいないらしい。ならばいずれは辿り着ける。
 一歩踏み出せば、方向を狂わせるかのように濃い桜の香りが舞う。もう一歩踏み出せば、足を止めようとするかのように桜色の風が吹く。いつのまにか俺の懐からするりと抜け出した何枚かの紙がウグイスの姿をとり、桜に対抗しているのか、くるりくるりと俺の周りを飛びながらとホケキョと鳴いてパチリと弾けた。
「あの、山菱さん」
「哲佐でいいよ」
「何かものすごく、足が重いのです」
「まぁ、そうだろうな」
「そうだろうな?」
「あんたは見たくないものを見に行くわけだから」
「見たくないもの?」
 どのくらい歩いたのかはよくわからない。実際はそれほど歩いてはいないのだろう。けれどもここは異界だ。常識が外とは異なる。その魂魄の姿が現れる。
 俺はなんだかとても美味そうな飯。千代は一見美しい桜の木。それから古えの白桜、そして、亡者。
「……。…………」
「…………」
 声なき声が聞こえる。あの黒く節くれだった桜の嘆きが聞こえる。おそらくかつての巫女たちだろう。桜になってしまえば人の声を発することができないのかもしれない。
 けれども千代はまだ人間だ。そのおおよそは桜と化しているとしても。
 そして一本のまだ新しい木にたどり着く。
 千代の木。
 すでにその姿に人の要素は乏しく、振り乱した蕾は今にも咲きそうだった。
 咲けば桜になる。
 先日見た千代のイメェジは半死半生、半人半妖。今の俺のイメェジはほぼ死んだ人の魂魄とほぼ生きている妖の化生に変化していた。俺がスコップから手を離すと、赤矢は弾けるように千代の桜に向かった。

「千代! お会いしたかった!」
「赤矢さん。そのスコップでこの桜の根本を掘れ」
「え? 桜? 何をおっしゃるのです」
 赤矢は混乱するように俺を見た。
 やはり俺と赤矢では見えるものが違うのだ。
「赤矢さん。あんたの目の前に見える桜は千代さんであるけれども、千代さんではない。人の千代さんの肉体を苗床にして枝を伸ばし、千代さんの魂魄に寄生して育った紛い物の姿だ。けれど千代さんはその紛い物になりかけている」
 改めて目の前にした千代の姿に俺は愕然とした。千代から桜が生えているのではなく、千代が桜になりかけていたからだ。
「桜? ちょ、ちょっと待ってください。一体何の話……」
「とりあえず、眼鏡をかけろ」
 困惑しながらも背後からがさごそと眼鏡を取り出す音がした。
 ううん。これは俺は嫌だなあ。どうしたものかなぁ。いつもながら躊躇する。足が止まる。その一歩を踏み出すにも鉛のようにが足が重い。けれども俺は千代を助けたい。だからとりあえず俺は俺の仕事をしよう。それで金をもらっているんだから。
 生贄。俺はなんでこんな仕事を引き受けた。いつもそうだ。いつも後悔する。
 ああ嫌だ嫌だ。本当に気持ち悪い。
 けれどもまぁ、仕方がない。金をもらっちまったんだから。
 それに俺は千代を助けたい。それは俺の本心だ。俺はすっかり同情しちまった。俺が生贄になって千代が助かるのなら、それはきっと良いことだ。それに最終的には鷹一郎がなんとかしてくれるだろう。
 けれども本当に嫌だ。何を好き好んで俺はこんな。
 桜の千代の前に立って全体を眺め渡す。その姿は前に見たよりも遥かにおぞましかった。背後からひぃあという声が上がる。赤矢にもこの姿が見えたのだろう。

 俺の目の前には赤黒くゴツゴツした千代というものが地中から生えている。
 足は土に埋まり、おそらく棺とやらに繋がっている。地面から草葉のように伸びる黒い触手が千代の足にうぞうぞと絡まり蠢いている。だから足元の情報はそもそも無くてよかったのだろう。
 以前見た時は人の体から黒いたくさんの枝が生えて絡まっていて、まだ人と言える部分が見て取れた。けれども今はほとんど桜だ。それは一見桜の木のように黒く節くれだっていたけれども、もとは柔らかい人の肉であったのだろう。血肉の部分の養分は既に吸い取られ、硬く乾涸ひからびていた。
 足元からよく辿ると、妙に引き伸ばされた膝、骨盤、肋骨、肩骨、肘、指。注意して見れば、それらの区別が僅かにわかる。腱や筋肉などはすべて断裂でもしているに違いない。まるで牛裂きの刑のように引き伸ばされながらも、その樹木のように硬化した皮膚で千切り折れることもかなわない。そしてその千代の枝に被さるように更に様々な枝が生えていた。天へと伸びる二股の中央部にある黒い節は頭蓋のなごりだろうか。
 中郡医師に聞いた病の姿に程近い。そして今ではその表面は干し肉のように固く、水気を失った樹皮のように変化した肉がその内に包んだゴツゴツした骨を締め上げ節くれのように皮の間に浮き上がらせている。
 うつろな目と目があった。もう意識はほとんどないだろう。だが、まだわずかに人は生きている。
 そしてその千代の枝に芽吹いた蕾が赤い風に揺られてざわめいた。
「嘘だ、嘘だ。何故千代さんが、こんな」
「落ち着け赤矢誠一郎。目の前のこの桜もどきは千代を食いつぶして新しく生まれようとしている化け物だ。ほら、だから今にも咲きそうな蕾がうごめいている。けれども未だ咲いていない。咲いてしまえば千代は失われる。だからその前に掘り返せ。人である千代の肉体を。俺が担いで逃げるから」
 赤矢は弾かれたようにスコップを構え、猛然と千代の桜の根本を堀り始めた。
 俺は食われる準備をする。たわわに実ったその蕾。一つ一つが悍ましく蠢く白桜とやらの種子。千代を白桜から救い出すには千代の代わりに白桜に娶られなければならない。千代の魄に寄生して喰らい尽くそうとするこの種子を千代から切り離さなければならない。
 ああ嫌だ嫌だ、本当に嫌だ。
 けれども俺はすっかり千代に同情しちまった。
 それに金をもらっちまった以上、やるしかない。全く世知辛い世の中だぜ。
 俺の仕事は生贄だ。つまり千代の代わりに白桜に食われること。
 鷹一郎が清めた小さなナイフを手に取り腕やら足やらを軽く傷つける。なんだかドツボにハマっている。こんなふうに傷をつくるからまともな就職先が見つかりやしないし女給にも怖がられるんだよ。体から流れる血をもって千代の桜を抱きしめる。

「白桜、俺は千代より美味そうだろ? 俺の血肉は美味いらしいぞ」
 ほら、こちらによってこい。
 ぞわぞわとした白桜の種子が風に舞い、引き寄せられてやってくる。蕾が俺の表面を蠢く。若草のような触手が俺に絡みつき、とうとう種子が俺の傷口から体内に埋め込まれる。
「ぐぅぇ」
 あまりの気色の悪さに思わず声が出た。 
 ああ、本当に気持ち悪い。確かに性別なんて俺の体質の前では些細な問題か。
 ずぶずぶと侵食されるこの心地。
 枝に絡め取られる俺の手足。
 糞痛ぇ。だがここはあくまで異界のことだ。
 俺は魂魄としてここにいる。魂は心を司り、魄は体を司る。俺の実体は鷹一郎と共に現世ある。だから俺の肉体自体が失われるわけじゃぁねぇ。
 けれども俺の魄は白桜の種子によって体内から貪り食われ、少しずつ欠けていく。
 ああ、気持ち悪い、気持ち悪い。
 ぞわぞわと全てを侵食されるこの感触は人身御供体質の本領発揮だ。
 そろそろ食われるのにも慣れてきちまったが、糞痛くて気持ち悪いには違いない。

 種子が俺の魄に移るにつれ、千代の魄を侵食していた枝や木がぽろぽろと風化するように少しずつ剥がれ落ちていく。
 俺と言えば喉の奥まで種子が満ち、そこから芽が出て右の目玉を突き抜け枝が生える。もはや動くことも叶わない。割れるような苦痛の只中で、ただそこに突っ立つしか仕様がない。千代のあの凛とした顔を思い出す。千代、すげえな、お前。それほど守りたかったのか。
 鷹一郎のウグイスがぱちゅんぱちゅんと次々と弾けながら白桜の種や枝をついばみ俺の魂だけは守っているが、魄はすでにボロボロだ。
 赤矢はちゃんと働いているのか。うまく動かぬ残された左目だけではそんなことも最早わからぬ。
「千代! 千代!」
 どうやら間に合ったらしい。
 そのころには白桜の種子はすっかり俺に移っていた。千代の魄の力は大分失われたのだろうが、残っている部分は白桜から千代自身に取り戻された。
 そしてもう、どうしていいかわかるはずだ。たくさん考えたはずだから。
 どうしたいか、それはあんたたちが選ぶことだ。
 けれどもその前に大問題がある。

「誠一郎様、このままお逃げください」
「いいや逃げぬ。掘っているうちに思い出したのだ。私は……既に食われて死んでいたのだな、この禍々しき樹に。私はすでに亡者なのだな」
「……誠一郎……様……」
 そうだ。赤矢の魄と肉体はこの異界を構成する白桜本体に既に食われたのだ。最初にこの桜を訪れた時に、ただの異物として、餌として食われた。けれども千代はなんとか赤矢を守ろうと、その魂だけをこの異界から追い出した、んだろう。
「千代、お前は私を嫌いになったのか」
「そんな。そんなことは決して。わたくしがお慕い申し上げるのは誠一郎様ただお一人」
「ならば逃げよ。この哲佐殿と土御門殿がお前を助けてくださる」
「駄目です。駄目なのです。わたくしが、わたくしがここより逃れれば村は病で滅びます」
 そうだ。その問題がある。
 俺は僅かに動く口と舌で、種子を溢れ落としながらなんとか音を発する。
「白桜、は、陰陽師が、払う。だから、ほそぼそと、暮らせば、いい」
「駄目です。駄目なのです。既に病は満ちています。私が嫁いで白桜様に病を吸い上げていただくより他にありません」
「な、ら、逆上村、を離れろ。神社より、先には、病は追いかけ、ない」
「無理です。無理なのです。この村を離れて村人は生きる術がありません。それになにより、次に死ぬのは私の母です。既に母は発症しました」

 ああ、やはり堂々巡りだ。
 既に病は始まっている。病から逃げれば生活できぬ。病を止めるには白桜が必要。そして生贄が必要。
 これが病が始まる前ならば。その前に地の力で賄える範囲の生薬栽培に留めていたならば。そうすれば、千代は生贄にならなかったに違いない。けれどもすでに地の力は尽き果て、生贄がなければ病は治らぬ。嗚呼。
 けれども不意に風が吹き、懐の紙束から不機嫌そうな声が聞こえた。
『哲佐君、何をぐずぐずしているんです』
「どうしろって、いうんだよ」
『哲佐君は未だにこの構造を理解していないのですか。こんなにわかりやすいのに。生贄根性というやつですかね』
 ひょうひょうとした涼し気な声が耳元で囁く。
「な、んだ、よ、それ」
『全く仕方がないですね。千代さん。あなた方は皆さん、勘違いされている』
「勘違い……でしょうか?」
『ええ。いえ、勘違いというよりは、騙されている、でしょうか。哲佐君も哲佐君です。あなた見たんでしょう? 周囲の木々を。かつての巫女たちが苦しんでいるのを。何故苦しんでいるのかわからないの?』
 記憶を思い出す。
 そうだ、確かに周りに立つ何本もの木は身を捩り、怨嗟の声を上げていた。苦しんでいるようにしか見えなかった。だからこそ、千代との様子との違いに違和感を覚えた。
『木になると魄は種子となりますが、魂は囚われて白桜と同化します。すると白桜の考えていること、つまり真実を知ってしまうから苦しむんですよ』
「真実……でしょうか」
 困惑げな声があがる。
『ええ。全てが逆なのです。病を振り撒いているのは白桜です。病を振り撒き止めさせるために生贄を求める。まるで居直り強盗のようなものですね。自作自演というやつですよ。哲佐君。そもそも君は目の前にいる白桜は、病を吸い取るような善良なものに見えますか』

 否。
 そもそもこれは禍々しかった。確かに善良や清凉とは程遠かった。だからまあ、神だとしても禍津神まがつかみとか祟り神たたりがみとかそういった印象だ。
 てぇことはどういうことだ。
 突然、千代の叫びがあがる。
「嘘、嘘です。白桜様は弱った地の力を補填して、この村に溢れた病を吸い上げて頂いているのです」
『そこですよ。この病は必ず30年に一度起こります。それについては知らなくとも、病は必ず1人ずつかかり3日の後にきっちり死に至る。間違いはありますか』
「いえ……」
『千代さん、病というのは順番にかかったりはしない。特に流行病などというものは同時に複数人が罹患する。そしてバタバタと死に至る。順番に1人ずつ罹るようなものは病とは言わない、それは毒です。白桜が対象選んで撒き散らているだけのただの毒です』
「そんなっ!?」
 その千代の声はやけに、この閉じた桜の世界に響き渡る。
『そしてあなたが病を断ち切りたいというのならこの循環から抜け出す義務があるのです』
「義務……でしょうか」
『そうです。白桜が呪いを振り撒いてるだけなら、かつての巫女もそれほど嘆き続けはしますまい。何せ相手は神木に等しい大妖です。御一新前は自由に村を出ることも難しかった時代ですしね。人一人じゃどうしようもありません』
 確かに徳川様の時代では人の出入りは関で厳しく管理されていた。特に女の移動は困難だろう。今よりもっと、この村を出るのが困難だった?
「つまり、何だ、何だって、いうんだ」
『巫女は何をするものですか?』
 巫女は白桜と交わり種を。
『ではその種とは?』
 種? 種は増える、ための……。
 そうして思い返す。この異界で桜はそれはど増えているようには見られない。ここにあるのは古く大きな禍々しい白桜を除けば、いるのは嘆き悲しむ巫女の成れ果て。それ以外の桜の木は見当たらない。
 この村にあるものは草木、桜、病、桜? 桜となった、千代。
「まさか」
『ようやく気付きましたか? この村の病の姿を。病が生じれば、逆上村の住人は木になるのです』
 病となった者はたった3日でまるで干からびるように乾き死ぬ。
 先ほどの乾涸びて木になったような、千代の姿。引き伸ばされ、節くれだったその姿。その姿はまるで、木。
『白桜の種子は開花とともに村を巡る。ねぇ、白桜の種は生贄の巫女から成るでしょう? つまり姿は木となりはてても、その魂は人です。つまりこの種は人に着床するのです。村人に子が生まれたらその血を通じてその子にも。そう、今哲佐君の足元に絡みつく触手のように白桜の種は人と村を侵食するものだ。この村は人と桜が綺麗に共生している。つまり』
 各家の土間に生えた桜の木。
 それから俺の足元にからみつきうぞうぞと傷口から体内に忍び込み種を埋めて俺を木に変えていくその枝。これが病、か。
『30年後にこの村に病を振り撒くのは千代さんの種です』
「そ、そんなはずは!? ……私が、病を? そんな。そんなことって!?」
 弾かれたような声が上がる。

『御覧なさい、あなたの背後を。だからこそ、かつての巫女は悔悟に苛まれているのですよ。自らが病の原因であることを嘆いて。自らが次の病と生贄を生じさせていることを嘆いて。でもよかったですね。今は哲佐君の種になりました。生まれるのはあなたではなく哲佐君の子どもです。それはそれで興味本位で見てみたくはありますが、哲佐君はとても便利なので白桜なんかには差し上げません』
「糞、が。雄に嫁いで、たまるかよ」
『ふふ、哲佐君もこう申しておりますし。あとは千代さんがどうされるかです。それはお二人が決めることです。赤矢さん、お気持ちは定まりましたか?』
「はい」
 赤矢の声は朗々としていた。その魂は正しく千代と向き合った。
 そしてその不退転の決意は、そのきっぱりとした短い返事からも、極めて明瞭だった。
「千代。私はもう死んでいるんだ。千代が守ってくれた魂だけでここにいる。けれどもこのままじゃ、俺の魂はこのままでは天に登って霧散するだけだ。けれどもお前はまだ生きている。未だ生かされている。だから千代、お前が生きるべきだ」
 千代の顔が初めて赤矢のほうを向く。
「嫌です。そんな」
「千代、私はもう死んでいるのだ。私の体は白桜に食われて魄は地に溶けてしまった。だから私は千代の代わりになるよ。そうなりたい」
「魄の方は俺が引き受けるぜ」
「土御門殿。私の魂をお使い下さい。千代、どうか末長く息災で」
 赤矢の声は落ち着いていた。だからこそ本心なのだろう。
 これで全てが整ったのだ。
 カラリとスコップが転がる音がした。赤矢がスコップと、鷹一郎が用意した式神の体を手放して魂の姿に戻ったのだろう。
 あとは、花を咲かせて鷹一郎が白桜を祓えば全てが終わる。

 白桜を祓うには結界を解かせる必要がある。
 結界を解かせるには花を咲かせる必要がある。
 花を咲かせるためには子を産む必要がある。
 子を産むためには人の魂と魄が必要だ。
 白桜の魂と生贄の魂が結びついて一体となり、生贄の魄を糧として実を結ぶ。
 前回来た時に俺が残した鷹一郎の式神が、今の今まで白桜の魂と千代の魂が結びつくのを邪魔をしていた。
 けれども糧は俺の魄が引き受けた。
 けれども実は赤矢誠一郎の魂が引き受けた。
 もとより桜は雌雄同株だ。嫁と言っても肉体の性別はどうでもよい。肉体は魂魄を現世に縛り付ける器にすぎない。
 だから俺の魄と赤矢の魂で足りぬことは、ない。
 その瞬間、千代を守っていた鷹一郎の式神が弾けた。代わりの生贄となった俺の魄が急激に吸いつくされ、体中が引き伸ばされて俺は木に変化する。肉が固まり樹皮と成り、その内で神経や筋は断裂し、ギリギリと万力まんりきで全身を締め上げられるような激しい苦痛が俺を襲う。
 いや、けれども俺の肉体はここにはない、大丈夫、大丈夫だ。
 けれども主観的には糞痛ぇ!
 畜生め!
 赤矢の魂は白桜に飲み込まれて溶け混じり合ったのだろう、赤矢の声が途切れ、千代の慟哭どうこくが響き渡る。
 その瞬間、パチンという破裂音がして春の異界に穴が開く。一斉に俺に絡みつきまとわりついた蕾が咲いてさらりと花弁が解け落ちて風に乗る。この花弁こそが白桜の種子。
「お疲れ様です、哲佐君」
 いつのまにかするりと結界の中に忍び込んだ鷹一郎は、俺の背中にペタリと紙を貼り付けてそれ以上の散華を止め、俺の前、白桜の前に進み出るのを僅かに開いた右目から見えた。

 高天原たかまがはらして
 てん御働みはたらきをあらわたま
 龍王りゅうおう根元こんげん御祖みおや御使みつかいにして
 一切いっさい一切いっさいそだ
 萬物よろずのもの御支配ごしはいあらせたま王神おうじんなれば
 十種とくさ御寶みたからおのがすがたとへんたまいて
 自在自由じゆうじざい天界地界人界てんかいちかいじんかいおさたま

 なんだか頭がぼんやりしてきた。
 混濁した視界に白と朱の衣がちらちらと見え、その腰にいた刀が煌めく光が見えた。
「くふふ。これで白桜は私のものです」
 そんな呟きと同時にカァンカァンという音が響き渡り、異界全体がざわめいてた。

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